カップ麺が出来るまで
穴沢メェ~
第1話 カップ麺を作ろう
力無く開けた玄関の扉の先は今日も真っ暗だった。廊下の電気をつけ、幾分大袈裟によろけた足取りで、連日残業続きの疲労困憊会社員こと俺"カシワ"は8畳のリビングへ倒れ込むように入った。
「俺は酷く疲れている!!」
隣人に迷惑をかけないぐらいの声量で叫びながら、Yシャツとズボンを神速で脱ぎ、ベットへと投げ捨てる。白シャツとトランクスパンツだけになるといくらか気が晴れて、これからやらなければならないことを冷静に分析する余裕が出来た。
「まずはメシだな……」
時刻は夜の11時だが、何かを口に入れておかなければ明日の昼まで難儀するのは明白である。
台所の流しに溜まった食器の数々を見た俺は迷うことなく近くに積んであるカップ麺を手に取り、電気ポットの電源をつけた。
「これぞ最強コスパ飯」
食材を買い込んで自炊した方が安上がりなのだが、熱湯を注ぐだけで出来るインスタント食品はずぼらなとこがある自分にとってそれに勝る。
雑にカップ麺の封を切り、中身の袋を取り出している最中、最近見ているアニメの影響からぽつり「異世界転生がしたい」という言葉が漏れた。
美少女、冒険、成功体験、アニメの中に渦巻く魅力的な物事はどれも俺のくすんで色あせた現実にないものだ。
一つ懸念があるとするならば、そういうアニメでは、主人公は大抵死亡するか異世界に囚われるかしていて現実世界に戻ってこられないのが常である。なんだかんだいえ、痛みを伴う死や、現実世界に戻れない寂しさを考えると、心臓がドクンと警告を送ってくるあたり、俺は意気地がないのだ。
「カップ麺を作るような、インスタント異世界転生がしたいぜ」
簡単で、即効性のあるヤツな。
ピッと短い高音を発した電気ポットの合図を受け取り、カップ麺に熱湯を注ぐ。
モクモクと上がる蒸気をぼんやり眺めながら、キッチンに置いてあるデジタル時計をちらっと確認すると、時刻は11時25分を示していた。
飯を食った後はもう風呂入って寝るだけか。目を伏せてため息をついた俺は、一瞬の間、自分を取り巻く環境の著しい変化に気づかなかった。
「お目覚めですか勇者様」
突然の呼びかけに俺は肩を震わせる。一人暮らしのアパートの一室には聞きなれない少女の声だったからだ。いや、そもそも……
「なんだこれ……」
あったはずの台所の壁は忽然と消え去っており、眼前にはピッチリと隙間なく並べられた石積があった。その先は広大な平原を見下ろすことができ、そこでは敷き詰められた軍勢が喧噪を上げながら争っているさまが見て取れた。
城壁の上? 混乱する頭を何とか片付けながら状況を整理していたところで
「勇者様!」
もう一度、あの可憐に響く声が聞こえ、俺は反射的に振り返った。
そこには三人の少女が並んでいたが、どれも切羽詰まった表情で俺を見つめていた。
「あ、すいません。まずは名乗ることから始めないと……私はカミラと言います」
真紅の髪を後ろで束ねた少女はペコペコとお辞儀をしながら名乗った。白を基調とした丈の長いコートを纏っている。
「私は……ティルシアです。えーと……あの……」
亜麻色の髪を肩のところまで伸ばした彼女は気弱そうな印象を受ける。身に着けたとんがり帽子と黒いローブはいかにもな魔法使いだ。
「勇者様、とても待ちわびていましたわ。私はハンナと言います」
こちらは修道服を着ているので僧侶だろうか。腰まで伸びた長い金髪とミニスカのようになった修道服から伸びるスラッとした黒いタイツが目につく。
現代日本の若い世代は、目の前の少女三名を勇者・魔法使い・僧侶の三人パーティだと捉え、そこから一部の人間はこれが俗にいう異世界転生であると察するだろう。
しかし、実際にこういう場面に直面しても脳は易々と理解を下さないようで、俺はシャツとパンツの姿でおろおろとしていた。あれ、というか俺の服装はそのままなんだ……。
「カップメンケッキョクセツメイドオリニツクルノガイチバンイイネという古の碑文のもと我々の招請に答えていただき大変感謝しています勇者様。現在我々人間は魔族との戦乱の佳境ともいうべき局面に突入しており、下方では城壁を破壊せんとする魔族の軍勢と、上方におきましては遥か遠くたおやかな山稜から大量の飛行軍が現れていて、えっと……とにかく飛行軍に対抗する手段が我々には不足しており、6メライという短い時間ではありますが勇者様のおちら、か、あっ、噛んじゃった」
俺が動揺している間に切れ目なく言葉を繋いだカミラと名乗る少女はあたふたとしたりペコペコしたりを繰り返している。
「勇者といっても俺、なんも出来る気がしないけど……」
動揺から回復した俺は、ツッコミどころは数多くあるもののその場で最も気になっている疑問をなんとか声に出すことに成功した。
「いえ、勇者様はとても精気に満ち溢れていますわ。異世界から移動するエネルギーで貴方様はこの世界で最強の戦士になったのです」
ハンナと名乗った修道服の少女が答える。精気? MPのようなものだろうか、ちょっと言い方がいやらしく感じたのは思い込みすぎか。
「といってもなあ……」
先ほど説明を受けた山のほうに目を向けると、赤黒く染まった妖しげな空に大量の黒い点が確認できた。おそらくその点すべてが飛行軍の軍勢であり、それが自分の視野角いっぱいに広がっているため、かなりの窮地だということが分かる。
三人の服装をよく見ると土埃や切り傷があり、その表情からも疲労の色が見て取れた。
「なんとかしてやりたいけど……」
人間は同じ容姿、そして同じ言語を話すものに親しみを抱く習性があるというが、それ以上に三人の美少女から乞われて応えぬわけにはいかない。
数多のヒロイックな物語で義務教育を終えた俺は、何とはなしに、上空の大軍へ照準をつけるように人差し指を向けて、今遊んでいるゲームの呪文を心の中で唱えてみた。
その瞬間だった。
ビゴォン
16bitのような極めて電子的な効果音が鳴り響いた刹那、俺の人差し指からまばゆいばかりの閃光が走り、その光はものすごい風圧を残して遥か先の飛行する大軍を一瞬で掠め取っていった。ついでにその後ろの山も削り取り彼方へと消えていった。
「……」
「す、すごい!! これが伝説の勇者の力!」
閃光の風圧が落ち着いたのち、城壁の下でどよめきがおこり、カミラやその仲間が驚きの歓声を上げた。
放った張本人である俺はというと、口をあんぐりと開けたまま動けないでいた。勿論自分が放った閃光のすさまじさもそうであるが、はるか遠くの山が自身のせいで三日月形に抉れてしまっているのを目の当たりにしたからである。
「環境破壊勇者……」
自分の中で整理がつかないまま、城壁の下で白兵戦を繰り広げている軍勢、おそらく人間側のどよめきは次第に歓声へと変わり大きなうねりとなってあちこちに響き渡った。
「さあ、次もお願いします」
「え?」
多少腑に落ちない部分を抱えつつも、さあさあと期待を交えた三人の目に押され次の閃光を放った。今度は気持ち上側を狙い後ろの山脈をかすることなく消えていく。
その後俺は超長距離射程の高密度ショットガンとも言うべき閃光を次々と放つ。後ろの山脈に傷をつけないように細心の注意を払っていたが、一か所だけお椀の形で山を削り取ってしまった。
何発か放ったところで、一瞬にして消え去っていく同胞を見た飛行軍はたまらず撤退していくのがわかった。何というあっけない勝利だろうか、これがインスタント異世界転生……こんなことで救える世界とは。
しかし、飛び去って行く飛行軍を見たカミラは涙を浮かべている。
「これで……やっと……ありがとうございます」
深い深いお辞儀を貰った俺は、あくまでこの世界に途中から呼び出されただけの存在で、この戦争の過程は一切を知らず、この三人の今までの苦労も何一つ知らないことに気が付く。
俺の知っている異世界転生とは何かが違う。
「カミラ! 無事か!?」
すると城壁塔の方から声がし、一人の女騎士が飛び出てきた。
「内部に忍び込んだ魔族はあらかた片付いた。どうやら飛行軍の方も……勇者の召喚は成功したようだな」
長い銀髪で気の強そうな女騎士は、おなかと胸をさらけ出したビキニアーマーをまとっている。
「ローレイド! 無事でよかった。勇者様も、ほら」
カミラとは非常に親しげな雰囲気である女騎士は、彼女の指さした方を見る。
「な、これが勇者? 何というか服装が想像していたのと違うな」
何と失礼な! あなたこそそんな服装で守るべきものを守りぬけるのですか、とは思いつつも、羞恥一歩手前の服装を始めて正しく指摘されたことで肩の力が抜けた。
「まあ、いきなりだったから」
「いきなりでそんな服装になるのか?」
本当にいきなりのことだったのだ。この世界についてまだ2分も経ってないだろう。
……ん、2分? 俺は何かを忘れているような……
ヴオオオオオオオオオオオ
その時上空に禍々しい重低音が響き渡った。
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