終電で待ち合わせ

印田文明

終電で待ち合わせ

 終電に飛び乗った。


 毎回終電ギリギリまで働かされるバイト。お肌も荒れるし、ついつい寝過ぎちゃって一限に行けない日も多い。それでもなんで居酒屋のバイトを辞めないかと言われれば、当然収入がいいからだ。

 来週も実習に行く予定があるし、稼げるうちに稼いでおかなければ。


 線路に並行な座席の一番端っこに座る。終電とはいえそこそこ混んでいるので、こんな一等地に座れたのはラッキーだった。

 車内は世の中の鬱憤を詰め込んだ箱になっていて、疲れ果てて寝ているサラリーマンやアルコール臭を撒き散らす集団、寄り添って座る訳ありそうなカップルなんかが乗っている。


 私もバイトで疲れていたので最寄りまで寝ようかな。いやいや、乗り過ごしたら洒落にならない。たった5駅だし、頑張って起きよう。


 そうこうしているうちに電車は次の駅に止まり、扉が開いた。この駅は普段から乗り降りが少ない駅だけど、今日は1人だけスーツの男性が乗ってきた。


 何かを探しているのか、


 男性は私の隣の席が空いているのを見つけると、急足でそこに座った。

 

 なんとなくその男性の様子が気になったので横目でチラチラ見てみる。

 男性の左ポケットに入っているであろうスマホがしきりに震えているが、左手をバッグから出さず、スマホにも反応しない。

 表情も他の乗客たちとは違い、疲れたとか酔っ払ったというような顔をしていなかった。


 すこし額に汗が滲み、心なしか顔色も悪いような。




 




 私は声をかけるか少し迷ったけど、勇気を出して声をかけることにした。これでも看護師を目指している身、献身の心はこういう時こそ発揮されるべきだ。


「あの」

「・・・?」


 男性はあからさまに「今それどこじゃないんだよ」と邪険そうな顔をした。


「私、看護学生なんです。きっと力になれると思います」

「へ?」

「見せてください、左手」


 男性は少し不思議そうだったが、そっとバッグのチャックを開き、左手が入った中を見せてきた。

 男性の左手の人差し指と中指の間から手首にかけて、手のひらに大きな切り傷がある。もう少しで骨まで見えそうなぐらい深い傷で、まだ血も止まっていなかった。


「・・・とりあえず止血しましょう。ネクタイを使ってもいいですか?」

「は、はい」


 男性がやりにくそうに右手だけでネクタイを外しているうちに、私は自分のカバンからハンカチを取り出した。

 本当は殺菌されたガーゼとかを使うべきだけど、緊急時だし仕方ない。


 ハンカチで傷口を押さえる。男性は顔を顰めたが、ひとまず血を止めなければ。


「指輪と腕時計、取っても大丈夫ですか?なるべく血が滞らないようにしたいので」

「あ、ああ」

 男性の指から指輪を引き抜く。元々少し大きめなのか、難なく取ることができた。時計は高級そうなので、汚れないように丁寧に外す。

 預かったネクタイを血流を止めない程度にキツく縛ってハンカチを固定する。これでひとまずは大丈夫だ。


「結構深い傷なので、早急に病院へ行ったほうがいいですね」

「明日半休もらって行くよ」

「いえ、今日このあと救急で行ってください。救急車を呼んでもいいレベルです」

「ちょっと大袈裟じゃない?」

、こっちは命に関わります。なんなら私が勝手に救急車呼びますよ?」


 男性は少し訝しげな顔をしたが、観念したようだった。


「わかった、次が最寄り駅だから、降りたらすぐに病院へ行くよ」

「はい。お大事になさってください」


 すぐに電車は次の停車駅に差し掛かり、男性は立ち上がった。顔色が少しマシになったように見える。


「あの、ハンカチをお返ししたいんだけど、よく終電に乗ってるの?」

「バイトがある日は基本終電ですね。でも、お気になさらず!ハンカチはいっぱい持っているので」


 そう微笑みかけると、男性はありがとうとだけ言い残して電車を降りていった。

 看護学生だからといって、処置の経験が豊富なわけではないので、内心うまくできるか心臓バクバクだった。でもやっぱり、人の役に立つというのは悪くない気分だ。




 @@@@@@@@@@




 今日も今日とて、終電に飛び乗る。


 あの男性と会ってから3日が経過していた。3連勤の最終日である。

 結んでいた髪ゴムを解くと、一気に肩の力が抜け、程よい疲労感が体を巡った。


 あの男性、無事に病院へ行けただろうか。

 ちょうどそう考えていた時、男性がまた人気のない駅から電車に乗ってきた。左手には包帯を巻いており、ちゃんと病院に行けたんだと一安心する。


「あ、やっと会えた。その節はどうもありがとう」

 一言お礼を挟むと、男性は私の横に座った。

「いえいえ、無事に処置してもらえたみたいでよかったです」

「病院に着いたらすぐに手術になってね。20針も縫ってもらったよ。言われた通りすぐに病院へ行ってよかった」

 男性が優しく微笑む。あの時は切羽詰まっていたから怖い顔だったけれど、今は性格の良さが滲み出るようだった。


「それと、これ」

 差し出されたのは綺麗にラッピングされた箱。包装紙にはmarimekkoと印字されていた。

「借りてたハンカチはどうにも血みどろでね。新しいやつで許して欲しい」

「そんなそんな、よかったのに」

「そういうわけにもいかないさ。どうか受け取って」

 渋々ながら箱を受け取る。前のハンカチは100均の安物だったので申し訳なさが募った。

 でも彼の左腕で輝く高級そうな時計、彼にとってはハンカチの1つぐらい安いものなんだろう。比べてこちらは苦学生、ちょっといいハンカチぐらい、もらってもバチは当たるまい。


「でさ、気になってたことがあって」

「?」

「なんで僕が左手を怪我してるってわかったの?」

「なんでと言われても、、、顔色が悪かったし、怪我でもしてるのかなーと」

「応急処置を申し出るなんて、相当確信がないとできないと思うんだけど」

「うーん」



 そう言われれば確かに、彼が怪我をしていると確信していた。なんで確信したんだっけ。

 自分の考えを整理する意味でも、思い出しながら話始める。




「バッグに手を突っ込み続けてるってことは、何か探しているのかなと思ったんですけど、そんな様子ではなかったです。

 ってことは左手を隠したいんだと思いました。ポケットにはスマホが入ってる様子だったので、仕方なくバッグで隠してるんだろうなって。

 焦っている感じも見てとれたので、焦って左手を隠さなければいけない理由となると、大怪我だろなって考えたんだと思います。

 もし見られたら大騒ぎになりかねませんし、帰るのが遅れたら、奥さんから叱られてしまうことでも気にしているのかなとも思いました。

 あの時すごくスマホが鳴ってましたよね?遅い時間にあれだけ電話をかけてくるのは、せいぜい身内ぐらいですし、厳しい奥さんなんだろうなぁって。処置してる時、指輪も見ましたし」




 喋りすぎた、と男性に向き直すと、やはり男性はポカンとしていた。


「すいません!喋りすぎました」

「いや、、、感心してしまって。処置してくれてるとき、って言ってたのも気になってて。実際、夜遅く帰るとすごく怒る嫁さんでね、また遅くまで飲んでるんじゃないかって疑ってるんだよ」


 無意識のうちに、勝手に想像を膨らませて、勝手に理解した風なことを言ってしまうという自分のクセに初めて気がついた。


「すいません、勝手にいろいろ判断してしまって」

「いやいや、全部その通りだし、それは立派な才能だよ。きっと医療の現場なんかだとすごく役に立つはずだ」


 才能、と言われれば、悪い気はしなかった。


「ちなみになんだけど、というかただの興味本位なんだけど、僕がなんでこんな怪我をしたのかまで分かったらするの?」


 そこまでは考えていなかったけど、、、少し考えて、半ば当てずっぽうで言ってみる。






「なんで怪我したか、までは分からないんですけど、、とは思います」






 彼は少しびっくりしつつ、小さく手を叩いた。


「いやぁ、隠し事はできないね。して、そのこころは?」



「あれだけ電話が鳴ってるんだから、出て事情を説明すればいいのにそうしない。ということは後ろめたいんだろうなって。怪我を説明しようとすると、どうしても飲みの席の話を奥さんにしなくちゃいけないし。それと、普通人は聞き手を怪我しがちなんです。かばい手ってやつですね。左腕に時計をされていたので、右が利き手のはずなんですが、怪我をしたのは左手だったので、かばい手が出ないくらい酔ってたのかなって」


「大正解。酔っ払って立ち上がる時ふらついてグラスを割っちゃってね、その時切れたんだ。確かに、ふらついた時慣れてない左手をついたから怪我しちゃったんだろうね」

「バチが当たったんじゃないですか?奥さんに注意されてるのに飲みに行くから」

「そうだね、これからは控えるようにするよ」


 男性はハハハと笑う。きっとお酒を控えることはないんだろうなぁと大人が嫌いになりそうだった。



 降りる駅が近づき、男性が立ち上がった。


「その才能、きっと活かすべきだ。僕が助けられたように、たくさんの人を救う力になるはずだよ」

「そうかな?そうだと嬉しいです」


「あと、よかったらこれを」


 男性は懐から名刺を一枚取り出して私に渡す。

 そこには男性の名前と『弁護士』という肩書きが記載されていた。


「もし困ったことがあれば、今度は僕が相談に乗るよ。君ぐらい聡明なひとなら、むしろ仲間として雇いたいところだけど」


 そう言い残すと、男性は駅へ降り立った。


 私が勇気を出して救った人第一号は、最前線で人を救う仕事をしている人だったらしい。


 突如できた繋がりに心踊りながら、また終電は走り出す。


 終電に乗っていれば、また彼に会えるだろうか。




 アルコール臭くて、闇深くて、陰鬱な終電。


 でも、悪くない気分だ。




 了








   

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終電で待ち合わせ 印田文明 @dadada0510

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