第5話 立ち上がる者
プロウの畑を見た男が、戻って何と伝えたのか。そこからどんな話し合いが行われ、どんな疑念と利害観念が生まれたのか。
鍬や鎌などの農具を手に現れた二十人近い男たちを見れば、残念ではあるが大方の想像はついた。
「その種は、一体どこから手に入れた」
そろそろ、畑全体に水を遣るだけで一日が終わってしまうくらい、プロウの畑が広がった頃。
畑のあちこちに不規則に芽を出している植物を指さして、壮年の男が開口一番そう言った。まるで、うちの村から奪ったのだろう、とでも続きそうな詰問だった。
俺は無心に水遣りを続けるプロウを一瞥してから、のそりと立ち上がった。ここ数日は狩りは控え、念のためにとプロウの側にいたのは正解だったようだ。
「焼けた森の下を掘り返したそうだ。別に盗んじゃいないぜ」
男たちを刺激しない程度の距離で止まり、先回りして答える。だがそれは余計だったようだ。男の眉がぴくりと上がる。
「ここは過去の人魔大戦の折に魔者どもにさんざ荒らされて、それから草木一本生えなんだ。お前さんたちが来て突然芽を出すなぞ、どう考えても不自然だろう」
「何年くらい手をかけたんだ?」
「何年だと? 最初の十年など、元の生活を取り戻すだけで手いっぱいだったわ。外の土地のことなど構っておられると思うのか」
「あぁ……。すまん」
正しい情報を把握するための質問のつもりだったのだが、意想外に怖い顔で返されてしまった。
確かに、土壌が正常であれば、人の手がなくてもある程度森は勝手に育つ。だがここまで人為的に荒らされた場所では、様々な手を尽くして改善していかなければ、何年待っても目に見える成果は現れないだろう。
それを、彼らは横から眺めているだけで、無理だと切り捨てた。
だというのに、プロウはふらりと現れて、荒れて痩せ切った土地を前に、躊躇うことなく鋤を振り続けた。
彼女は、力と数を持つ大人たちが無理だと諦めたことを、たった一人、不断の努力で覆しただけだ。
彼らの言い分が分からないとは言わないが、お門違いの言いがかりで横やりを入れられるのは、部外者ながら不愉快ではあった。
「なら話は簡単だ。彼女は、ここをたった一人で何か月、いやもしかしたら一年以上かけて耕し続けてきた。その結果、土中の魔気が薄まり、千も万も植えた中の数粒が芽を出した。なんの不思議もないだろう?」
本心が零れないように、意識して論理的に喋る。
だがどうにか笑っていられたのもそれまでだった。
「不思議がないだと?」
と、眼前の男が噛みつくように声を荒らげた。
「ここは少し行けば魔獣がうろついているような危険地帯だ。そんな所で何の警戒もなく朝から晩まで鍬を振るえるものか! それを、あんな子供が、しかも一人でだと? わしらの所から肥でも種でも道具でも盗んでると考えた方が不思議がないわ」
くわりと見開かれた瞳に宿るのは、警戒と疑念と、それから嫉妬に似た憎悪だろうか。この村の連中が現在どれほど困窮していて、新たに作付け出来る土地が欲しいのか、土地を広げて補助額を増やしたいのかは知らないが、腹立たしい程身勝手な言い分だった。
「出ていけ!」
男の後ろに一歩下がって、横一列で構えていたうちの一人が言った。それで堰が切れた。
「そうだ、出ていけ!」
「ここは元々俺たちの土地だ!」
「余所者が許可もなく好き勝手に入ってきやがって!」
「出ていけ!」
「化け物は出ていけ!」
口々に叫ぶ顔には、けれど虚勢の中に明らかな恐怖がちらついていた。
恐らく、あの悪ガキが威張って言いふらすよりも以前から、彼らはプロウの存在と畑に気付いていたのだろう。様子を見ようとプロウを観察し、すぐに恐ろしくなったに違いない。
プロウはこの不毛な地を耕すという意味不明な行動をとっている上、魔獣が遠くを過っても動じることはなく、食事さえとらない。不気味と感じるのも致し方のないことといえた。
しかも農具を持って威嚇してさえも、プロウの表情は微塵も動かず、ただ命令を待つ機械人形のように粛然とじっとしている。
そこに俺という正体不明の人間まで現れた。また仲間が増えるのではという懸念も加わったかもしれない。
それでも彼らが行動を起こしたのは、恐らく畑に芽が出始めたからだろう。ゴミならくれてやるが、宝なら返せということだ。
この土地が――大地が、一体いつ己以外の所有を赦したかは知らないが。
「……分かった」
俺は肺に入り込んだ魔気を吐き出すように、そう頷いた。
要は存在自体が不気味で怖いのだと叫ばれれば、そう言う他ない。腹は立ったが、ここに留まる理由もない。
あっさりと頷いた俺を不信の念で睨む連中に背を向け、三角屋根の下の僅かな荷物と弓矢を取りに行く。その足で、プロウにもどうするか聞こうと振り返ったら、村の男が先にプロウに近付いていくところだった。
まずい、と思った時には、手遅れだった。
二人が一つ二つ言葉を交わしてすぐ、男の方が手を振り上げる。それが振り下ろされる前に、駆けだしてその腕を取って組み伏せていた。
「!」
村の男たちが動揺する中、プロウだけはやはり表情を変えず、そこに立っていた。まるで、次の罵声を甘んじて待つかのように。
「プロウ。ここを離れよう」
背後で殺気立つ男たちは無視して、プロウを見上げる。
「……まだ、緑になっていません」
その緑が、揉め事を呼び込んでいるんだ。
そう告げるのは、酷だろうか。
プロウが希望のために緑を育てているかどうかは分からない。それでも、今やめさせてしまったら、元奴隷だったこの少女は他に何をして生きるだろうか。そう考えると、それ以上説得する言葉が出てこなかった。
そう、下らない躊躇に足を取られていた時、
「……やっぱりあの男、シリウス・ディッパーじゃないか?」
最悪の言葉が、男たちの中から上がった。
シリウス・ディッパー。
それは数十年前の魔者一斉討伐で敗走した精鋭隊に強制参加し、その後消息不明になったうちの一人だった。
魔者の半数近くを殺しながらも、最後は魔王とも恐れられた魔者に敗北した精鋭隊は、実は一度主都に帰還している。だが戻って一月もしないうちに、そのほとんどが姿を消した。
精鋭隊のほとんどは奴隷出身者か、魔法士だった。彼らは強制的に魔者討伐に参加させられていた。失敗を挽回するために再び旅立てと言われるのが嫌で雲隠れするのは、そう不自然なことではなかった。
だかその中で唯一、彼らと存在を異にする者がいた。魔者討伐に自ら志願し、隊長を務めた者である。
彼はその清廉な出自と性格から勇者と呼ばれ、大陸中の期待を一身に背負っていた。そしてそれに応えたいと考える、誠実で責任感もある、高い矜持を持つ男でもあった。
彼は、魔王討伐失敗に、酷く落ち込み、責任感を感じていた。だからこそ、政府から命令されるよりも前に、改めて魔王を討つために旅立った。彼にとってこれは帰還ではなく、再戦のための準備でしかなかった。
そして精鋭隊の中には、彼の熱意に打たれ、感化され、再戦に同行する者もいた。
ディッパーもまたそのうちの一人だった。
結果から言えば、勇者とさえ呼ばれた彼は、魔王の棲息地で死体となって発見された。
それを発見したのが、そのディッパーだった。
だが、
「勇者を見捨てたディッパー……」
本当は発見したのではなく、勇者を目の前で見殺しにしたのだという噂が、さも事実のように広まっていた。
「……違う」
そう絞り出した声はけれど、次々に上がる声に呆気なく掻き消された。
「そうだ、あれからもう四十年以上経ってるし」
「ぼさぼさの白髪の爺になってるが、きっと間違いない」
「体の半分以上が魔気に遭って変質してるって」
「勇者を見殺しにして、今度は化け物の手助けかよ……ッ」
「違う!」
引き攣れた叫びが、喉の奥から飛び出した。ぎょっとして、男たちが俺を振り返る。どこへ行っても仲間を見捨てたと後ろ指をさされ、追われ、知らぬ間に醜い老爺になるほど年を取っていた俺を。
それでも、プロウのことまで黙ってはいられなかった。
「プロウは化け物ではない。ただ、ここを緑にしたくて頑張っていただけの、女の子だ」
「ただの女の子が、一人でこんなこと出来るはずがないだろう!」
ずっと組み伏していた男が、火事場の馬鹿力を振り絞って俺を押しのける。思わぬ力に抗しきれず、俺は無様に尻餅をついていた。
そんな俺を、逃げ出した男だけでなく、プロウもまた、静かに見下ろしていた。
魔者を倒すためだけに生かされてきた俺が、今やこんな若造に押されるだけで倒されている。
守ろうと思った少女には、冷めた目で見下されている。
何を為すべきか、分からなくなった。
孤児や奴隷、或いは家族や友達にも見放されて魔法士となった他の隊員からすれば、彼はあまりに実直で、眩しすぎた。理想とさえ言えないくらい、遠くにいた。
だからこそ、憧れる者と嫌悪する者とで隊は二分された。何度負けても戦いに戻る彼に、いつも賛成と非難が嵐のようにぶつけられた。
俺は、最終的には彼に憧れた。否、最初からきっと憧れてはいたのだが、素直に認めることがとてつもなく難しかったのだ。
だが俺は彼を追いかけた先で、目の前で殺されそうだという瞬間、その前に飛び出して助けることが出来なかった。
怖かったのだ。
そしてその恐怖は、少し誰かに憧れたくらいでは到底追い払えないほど、俺の体を強張らせた。あの時の恐怖と、情けなさを、俺はいまだに忘れられずにいる。
俺だって、誰かを守れるような立派な人間になりたくて――
今は、誰を守るべきかさえ、分からない。
「プロウ……」
知らず、縋るように見上げていた。冷たい目が、無言のうちに詰るようだった。
お前は、守りたいものも決められないのか、と。
俺は立ち上がることも出来ず、ただ傷付けようと意思を持つような視線の中で、項垂れることしか出来なかった。
「――とにかく」
と声がしたのは、そうして俺の価値がついに徹底的に
「ここは元々我々の土地だ。明日までに出ていけ」
代表の男が、最後通牒のように告げる。鋤を握りしめたままのプロウの表情は、硬いままだった。
奴隷時代に叩き込まれた躾のせいで、プロウは相手の言葉に否やを言うのが苦手だと、俺はすでに気付いていた。考えるのも、会話をするのも得意ではない。
けれどそのカサカサに乾いた小さな唇は、是でも否でもない言葉を放った。
「まだ、全て緑に、なっていません」
「!」
その声は、やはり変わらず不愛想だった。
だが俺には、逆らって殴られるかもしれない恐怖をおしてでも、自分が生きる唯一を曲げたくはないと示した言葉に聞こえた。
けれど男たちには、その声の不器用さが、挑発にも嫌味にも聞こえたのかもしれない。
「そんなもの!」
と、代表の男が顔を赤くして怒鳴る。
「お前に出来てわしらに出来んはずがなかろうが!」
それは、プロウの何か月もの努力を知ろうともしない、一方的な酷い侮辱だった。
けれどやはり、プロウは怒ることもなく、静かにこんなことを言った。
「それでは、あとはよろしくお願い致します」
そして丁寧に一礼し、鋤を片手に男たちの横を素通りした。びくつく男たちが滑稽なほど、プロウは普通だった。
そのまま三角屋根の下に行き、桶と柄杓を持ってまた歩き出す。
プロウが畑の外に出たのを見てやっと、俺は旅立ったのだと理解した。
「ま、待ってくれ」
思わぬ解決に理解が追いつかない男たちを残して、俺はプロウを追いかけた。
「君は……それで、いいのか?」
折角長い時間をかけて耕してきたのに、と言外に訴えると、実に不思議そうに首を傾げられた。
そして返されたのは、
「緑になれば、誰が耕しても同じです」
非の打ちどころが微塵もない、まさに正論だった。
彼女の目的は、緑にすること。だがそれは、決して自分の手で成し遂げなければならないわけではないのだ。途中で手柄を奪われたとか、目的を邪魔されたという感覚さえない。
大地も、いつか再生する緑も、誰のものでもないから。
当たり前すぎて、理解が追いついた途端、俺は笑ってしまった。
それは、プロウにとっては深い哲学や確固たる信念から出た言葉ではなかったかもしれない。
けれど俺にはそれが、誰が助けても、誰を助けても同じと言われたような気がして、不思議と少しだけ心が軽くなった。
俺はきっとまた、誰かを助ける。感謝されたくて助けるわけでも、勇者になりたくて助けるわけでもない。誰かが助けたことを責めても、その功績を誰かに奪われても、最後には誰かが救われるのなら。
「……そうか、同じか」
本当は、勇者殺しの汚名から逃げるのにも疲れて、魔獣を喰らうことでいつか魔法士も魔気が暴走するのか、自分の体で試していた。その果てに寿命が縮むか、或いは凶悪な魔者になることを、心のどこかでは待ち望んでいた気さえする。
だからここに辿り着いたのも、いつか死ぬための当てのない旅の途中だった。いつか魔者になるのなら、誰もいない、何も無い場所がいいと思っていた。
独りで、死ぬつもりだった。
だが今はもう少し、この少女のことを見ていたいと思った。
きっとプロウは、こうやって何度も何度も、耕す場所を転々としてきたのだろう。居場所とか、他人の目とか、緑になると知った途端現れる強欲な人間のことなど、気にも留めず。
また、草木一本生えていない不毛の大地に、躊躇いもなく鋤を振り下ろすだろう。
俺も慌てて自分の荷物を取りに走り、プロウの横に並ぶ。
プロウは、並んで歩く俺のことなど眼中にないように、ただ真っ直ぐ歩き続けた。
赤錆色に痩せこけた希望のない大地を、一歩ずつ、迷いなく。
PLOW(プロウ) 仕黒 頓(緋目 稔) @ryozyo_kunshi
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