終幕之弐「己之出生之秘密」
》同日
「私は不老不死です。お前も云っていた通り、摩耶山の天上寺には
(やっぱり)先ほどの戦いで、母が絶命し得るほどの大怪我を負ったのに、なおこうして生きているのはそういうことなのだ。
「さっき咬まれた時は、済まなかったねぇ」
「何で謝るん!? お母さんは身を挺して俺を守って
「あのくらいの傷、あっという間に再生出来ると思っていたんだよ」さらりと、とんでもないことを云う母。「それが……お前には心配を掛けさせたねぇ。
「それってどういう意味なん?」
「いい加減、悠久の時を生きる孤独から解放されたいと思っていたからねぇ。そんな折に、先王様と出逢ったんだよ。先王様は
「それって」
「……まぁ、
「あっ……」
「欲を抑えなければいけない身の上なのに、先王様の腕の逞しさと云ったら……」
猛烈に居心地が悪くなる皆無。親の情事ほど、聞き心地の悪い話もあるまい。
「……でも、何で百年間きっかり孕んだままでいることが出来たん?」
「それはじゃな」今度は璃々栖が得意げに話し出す。「
「え? じゃあ、やっぱり璃々栖って
「ち、違うぞ! 余は
「とどのつまりは
「……たくなかったからじゃ」
「
「そなたに、はしたない娘と思われたくなかったからじゃ!!」真っ赤になる璃々栖と、
「……」白けた顔の皆無。「初めての風呂で、無理矢理乳の下洗わせたのに?」
「あ、あれは! そなたに舐められぬようにと気張っておったのじゃ!」
「うーん」
「そ、それにしても!」璃々栖が無理矢理話題を変える。「初めてそなたを
父が小さな咳払い。「話を百数十年前に戻しますが……育子大姉に
璃々栖と
「何故、じゃ?」
「はい。阿ノ玖多羅家に……その上に居る幕府に命じられたからです。当時、西洋妖魔に対して病的なまでに怯えていた幕府は、現地の人間達に対してまったく危害を加えていない――どころか慕われている――
「いや、まぁ……分かった。それで、戦いの末、ダディ殿が勝ったわけじゃな?」
「戦い、などと云えるほど大袈裟なものではありませんでした。先王様は全く抵抗なさいませんでした。あの時点で既に先王様は
「どのような?」
「先王様は、世界でやがて二度の大戦争が起こること――その黒幕が
「ご、ごめんなさいねぇ……私も、あの時は逆上してしまって……」目を逸らす母。
(まぁ、きっと『先王様の
「ところでお母さん、布引の滝で
「だって皆無、私は
「ってことは、この腕ってやっぱり先王様の腕なんか」皆無は虚空から左腕を取り出す。
「ええ、そうよ」
「ん? でもこれ左腕やんな。
「これは、先王様の右腕です」母が、愛おしそうに腕を撫でながら云う。
「でもこれ左腕やん」
「そりゃあこの腕もヱーテル体ですもの。斯く云うお前だって、その身を自由に変じられるじゃありませんか」
「せやった……」
「それにしても、
璃々栖の云う通りなのだ。事実己は、父から己の名に隠された真の意味を聞かされた瞬間に、覚醒した。
「じゃあ次は、十三年前の話……
十三年前。
己が誕生し、
「明治二十三年十一月のことだ。百年もの年月を以て、ついにお前が誕生した」
「あの日は大変でしたねぇ」母が朗らかに云う。「何しろ皆無、お前は本当に大きくって! とても普通には生めなかったから、こう、お腹を裂いてね……」
「ひっ」
「裂かれたそばから再生するから平気でしたよ」
「お前は本当に大きくて、生まれた時にはもう髪が伸び、歯も生え揃っていた。いきなり四つん這いで動き回っていたし、母乳以外の物でも普通に食べることができたんだよ? 育子大姉はさすがに疲れたのだろう……その日から丸一年、昏睡状態に陥ってしまった」
「えぇッ!?」
「百年分の反動が来たんでしょうねぇ。お前を抱き上げてあげられなかったことは、今でも悔やんでいるよ」
「ご、ごめん」
「あぁ皆無、お前が気にするようなことじゃないんだよ? 何度も云うようだけれど、これは私が望んでやったことなのだから。だけど、こうしてお前と会ってみると、欲が出てしまうわねぇ……お前を抱き上げてやれなかったことは残念だったけれど、私もまだあと数年は生きられるでしょうから。璃々栖お嬢様の悲願が叶った後で、沢山お話しましょうね」
「うん……うん!」
「話を続けるよ――それで、止む無く私がお前を引き取る運びとなった。そうして、摩耶山から降りて来たところに――…
「なんとまぁ……」と璃々栖。
「下山早々お前を第零師団に預けて、私は
戦いの中で奴が口走った内容によれば、どうも奴は
記憶が混濁する中で第零師団に戻ってみれば赤子のお前が居て、師団員達は、その赤子が私の子だと云う。正直戸惑ったよ、それはもう! でも、何故だか、何が何でもお前を無事育て上げなきゃならないという強迫観念があった……きっとそれは先王様との約束によるものなのだろうと今なら思うよ。で、私はお前の正体が何者なのかも分からないまま、十三年間お前を育てたわけだ」
「――…」皆無は圧倒される。それは本当に、己の誕生にまつわる、百年前からの壮大な物語だった。「あれ? でもお母さんからダディに連絡とかせんかったん?」
「そのことですよ阿ノ玖多羅さん!」母が怒った顔になる。「丸一年眠りこけていたのは私の不明ですけれど……目覚めてみれば皆無は居ないし、いくら手紙を出しても返事はもらえないし!」
「すみません!」狐の父が、母に対して五体投地で謝る。「だって育子大姉に関する記憶が完全に消え去っていたのです。意味不明で気味の悪い手紙としか思えなくて」
「それで、無視していたというわけですか……いえ、失礼致しました。悪いのは
「い、いや、お母さん、そういうつもりで云うたんとちゃうから
「それにしても、布引の滝でお前に会えると助言下さった仏様には本当に感謝してもし切れないねぇ」
「仏様……」
「ええ。夢うつつだったから、お名前まではお伺い出来なかったけれど……見たことの無い仏様だったよ。女性のお姿で、髪が白くて」
そんな神仏などいたっけか? と皆無は思う。
「さて皆無、『全て』話したよ」手乗り狐の父が、机の上にふんぞり返る。
皆無はそんな父の腹をぐりぐりと指先で
「あ、あはは……それはまぁ、確かにね。いくつか想定外だったこととして皆無、お前の成長が強過ぎたことだ」
「えっ、俺の
「
確かに、摩耶山天上寺の地下室で目にした先王の腕は、まるで枯れ木のようであった。
「もし、先王様のヱーテルが十分だったらば、
「うん……」
「だけど、だからこその今がある。本当はね、お前のことはもっともっと……それこそ五年、十年という年月を掛けてゆっくりじっくりと育てるつもりだったんだよ。だというのに、四月一日の夜にいきなり死んで
「俺、死に過ぎやろ……
本当に、薄っぺらな氷の上をおっかなびっくり歩いた果てに手に入れた今であった。実際、何度か破綻しかけた……具体的には二度、だ。一度目は、己と璃々栖が一ヵ月の逃避行の果てに何も得られず、追い詰められていたあの日のこと。これは、
「それで、拾月大中閣下?」璃々栖が云う。「
「は?
「え? いや、余を助けて
「せや」璃々栖に問いかけられ、皆無は頷く。「第零師団が誇る最強の
「拾参聖人……?
「え、いやいや『聖人』は拾参人おるやろ?」
「いないよ。以前にも同じような話をしなかったかい?」
「だからそれは、ダディが忘れてるからであって――」
「失礼な。思い出したと云っただろう……第零師団の誇る『聖人』は、拾弐人しかいない。ですよね、閣下?」父が拾月大中に同意を求め、
「その通りである。そも、
「「――…え?」」
†
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