第参幕之伍「己ガ名ハ」

》同日一五五三ヒトゴーゴーサン 摩耶山 ――皆無かいな


 かいな

 その言葉が、意味がするりと脳に滑り込み、皆無は今、十三年の時を経てついに、万感の思いを以て己の生まれた意味を知る。

(俺は皆無かいな――璃々栖リリスの為に生まれた、一本のかいなやッ!!)

 背中が、熱い。

 ――璃々栖が悪魔味デビリズムを感じるとった、まるで印章シジルのような痣が、今や明白な、デウス悪魔グランド・シジル大印章・オブ・デビルとなって燦々と輝いている。

 肉眼で見ずとも分かる。いつの間にか魔王化サタナイズの力が戻り、全身が傷一つ残らず回復している。そして【悟りニルヴァーナ】による三千世界への知覚が戻っている――いや、それどころではない。己のヱーテル総量は今や数百億を超え、魔王化サタナイズを果たした後も感じていた『引っ掛かり』が溶けて消えている。

「【腐肉ファウレ礼讃・ウェルト】の効果が、消えとる」

 当然のことだ。悪魔グランド・シジル大印章・オブ・デビル世界・ワールドは、己と己の望む者以外のあらゆる術式を無効化する。グランド印章・シジルそのものである己が身が、モスの術式の影響下に縛られ続けなければならぬいわれは無い。

 皆無は起き上がる。周囲に知覚を飛ばしてみれば、母とセアが生きているのが分かった。


 かいなたる己の身。

 思い返せば、思い当たる節は幾つもあった。


 何故だか出逢った当初から、璃々栖のヱーテルと抜群に相性が良かった自分。

 いくら『日本一の退魔師』たる父の子であるとは云え、璃々栖と出逢う前はヱーテル総量がたったの一万しかなかった己が、たったの一週間で悪魔化デビライズに至り、続く一ヵ月で悟りの境地に至って、父をも圧倒するヱーテル総量十億の化け物になれたこと。

 そして、璃々栖の父・デウス王の遺言。


『神戸へ行け。そこで腕が


 その言葉を璃々栖の口から聞いた時、自分は『詩的な表現だな』くらいにしか思っていなかった。が、何のことは無い、その言葉はそのままの意味――『神戸で、腕の化身けしんたる皆無が待っている』という意味だったのだ。

 嗚呼ああ、何てことだろう……璃々栖の目的は、彼女の腕を、デウス家が代々継ぐ悪魔グランド・シジル大印章・オブ・デビルの刻まれた最強の魔術兵器を手に入れるという目的は、四月一日のあの夜、璃々栖が神戸港に降り立った、あの瞬間に叶っていたのだ!

「皆無」父が語り掛けてきた。寂しそうな眼をしている。「悪いがもう、ちそうにない……容赦は要らない。奴の分体をこの体ごと、しっかり殺せ。頼んだぞ」

「分かった。さようなら、パパ」

 父が、目を閉じた。そして、次に開いた時には、その目はモスの怒りで彩られている。

「何だ貴様、その体はッ!?」モスの、束の間の逡巡。今の皆無と正面からやり合うよりも、璃々栖を盾に取った方が得策と考えたのだろう――モスが璃々栖の方へと飛び掛かる。

 が、皆無の方が早い。皆無は悪魔の翼で以て軽やかに飛翔し、

「璃々栖ッ!!」

「皆無ッ!!」

 愛しい彼女の、己に向けて差し伸べられた左肩の先端に触れた。


   †


》同日一五五七ヒトゴーゴーナナ 摩耶山 ――璃々栖リリス


 皆無の指先が、己の左肩に触れた。

 瞬間、皆無の体が一本の腕へと変じ、己の肩にヱーテルの根を張り、神経と結合する。腕は己に不釣り合いなほど筋骨隆々としていて、その長さは己の背丈に等しい。腕は真っ黒な毛で覆われ、指は蠍のような甲殻で覆われ、指先には鋭くも禍々しい長い爪が生えている。そして腕を取り巻く様にして、デウスグランド印章・シジルを分解した要素――皆無の背中にあった、蛇、葡萄、喇叭ラッパ、蠍の尾――が、真っ赤に輝きながら浮かび上がっている。

 その赤い輝きを目にした途端、璃々栖の脳へ、膨大な量の術式とその効果が流れ込んでくる。それらは代々伝わるデウス家の洗練された術式と、皆無の十三年間の人生が混ざりあったものだ。

「貴様ぁぁあああッ!!」悪鬼の形相をしたモスが、こちらに掴みかかろうとしている。

 だから璃々栖は、防御の為の魔術を使った。

「――【高嶺の花フラワー・シールド】ッ!!」

 突き出した左手の平から煌びやかな花が乱れ咲く。モスの手は、その花を蹴散らすことはおろか、触れることすら出来ず、花の寸前で見えない壁に押し留められる。

「なっ!? 何だこれは、何故、手が届かぬ!!」

「あはっ!」璃々栖はわらう。魔術を扱える快感が、信じられないほどの全能感が、璃々栖の脳を刺激する。「は高嶺の花じゃぁ。気安く触れられると思うなよ?」

「糞ッ」飛び退ずさモス

 その隙に、璃々栖は次なる術式を編み上げる。

「この暗闇……ずっと気に入らなかったのじゃ」左手を、高らかに天へと掲げる。「【女心とクリア秋の空・スカイ】ッ!!」

 璃々栖を中心に、虹色の風が舞い上がる。風はまたたく間に闇を駆逐し、辺りが昼の明るさを取り戻し、それどころか空を覆っていた雲すらも追い払ってしまった。

 摩耶山が、つい数分前まで絶望に包まれていたはずの地獄が、燦々さんさんとした太陽に照らし出される。

「糞がッ!」モスが虚空から喇叭ラッパを取り出して吹き鳴らし、「【死霊操作ネクロマンシー】!」

 地に伏していた亡者達が起き上がり、璃々栖に、セアに、育子いくこ大姉たいしに襲い掛かろうとするが、

「あっは! 【亡者どもよ・余のとりこと成れ――愛のアンリミテッド奴隷・チャーム】ッ!」

 亡者達が、一斉に璃々栖に向かってひざまずいた。

「はぁッ!?」あまりの光景に、モスが唖然となる。「くっ――【肥えた土・蔓延はびこる雑草】ッ!!」

 力を失っていた蔦が、再び璃々栖達を拘束せんとして蠢き出す。

 璃々栖はくるくると舞いながらその左手で空気を撫で、

「【焼き餅焼くなら狐色アスモデウス・ファイア】ッ!!」

 見渡す限りの禿山に炎が立ち上がり、炎が蔦だけを正確に燃やし滅ぼす。そばに立つセアや育子大姉、それに己に付き従う亡者達には一切の熱を感じさせない。

「糞ぉッ!」空中に退避したモスが、虚空からヱーテル塊――皆無から奪った物――を取り出してかぶりつき、「【気高き豊穣ベルゼブブの魔王・クーゲル】ッ!!」

 空一面に炎を纏った無数の蠅が生じ、璃々栖へセアへ育子大姉へと襲い掛かる。

「効かぬ効かぬ! 【愛の鞭インフィニティ・ウィップ】ッ!」

 虚空から蠅と同じ数の光り輝く鞭が躍り出て、蠅を、羽虫を打ち払うが如く撃退せしむ。

「他ならぬベルブブから奪った魔術だぞ!? それを――…糞ッ、糞糞糞、糞ったれフィックト・オイヒッ!!」モスが背に鳥のような翼を生じさせ、空に向かって飛び立つ。物凄い速さで、あっという間に豆粒ほどの小ささにまでなるが、

「【惚れて通えばトラッキング千里も一里・テレポート】」璃々栖はそんなモスを遮るように、その進路上に転移する。「ふふ、逃れられると思うなよ?」

 璃々栖は背中に生じさせた蝙蝠のような翼で宙に浮き、モスの行く手を阻む。

「もういいっ、余の最強の魔術で塵にしてれるッ! 【魔力マギッシュ・直結ヴァーバインド】ッ!」モスの口の前にモス自身が持つグランド印章・シジルの写しが生じ、そこに皆無から奪ったヱーテル塊を取り込ませ、「――【世界崩壊アルマゲドン】ッ!!」絶叫とともに、その息をグランド印章・シジルへ吹き掛けた。


 璃々栖の視界が、鉄をも一瞬で溶かし尽くす、純白の炎で埋め尽くされる。


   †


》同日一六〇四ヒトロクマルヨン 六甲山地上空 ――暴食の魔王・モス


「はぁッ、はぁッ…ったか……?」

世界崩壊アルマゲドン】は己が使える最大火力の魔術。あのベルブブすら滅ぼした魔術だ。

 空を埋め尽くしていた真白ましろき炎が晴れ、果たして、己の正面にデウスの姫君の姿は無かった。が、

っとらんぞ?」その声は、背後から聞こえた。


   †


》同日一六〇五ヒトロクマルゴー 六甲山地上空 ――璃々栖リリス


「なっ」

 絶句するモスの表情が、璃々栖には可笑しくって仕方がない。

「あはっ、【両手に花ドッペルゲンガー】じゃぁ」詠唱と同時に、璃々栖の隣に、もう一人の璃々栖が生じる。「もういっちょ、【両手に花ドッペルゲンガー】!」

 これで合計四人の璃々栖になる。

「さて、もう仕舞いにしようかのぅ」分体にモスの右腕両脚を拘束させ、仇敵の丹田に触れる。「とくと味わえ。――【クピドの矢キューピッド・アロー】」

 黄金に輝く無数の矢が、モスの丹田を滅多撃ちにする。

「ごはっ! その程度の威力で、余を消滅させられるとでも!?」

「――【クピドの矢の雨キューピッド・アロー・シャワー】」

 無数、と表現し得る限界を越えた量の矢が、モスの体へ打ち込まれる。

「ごふっ……貴様、覚えていろ」最早もはや受肉マテリアライズ維持限界にまでヱーテルを削られたモスが、睨みつけてくる。「必ずや余の手で、殺してれる……ッ!!」

「あっは! 【女色は骨を削る小刀アスモデウス・カッター】!」璃々栖は鋭い風の刃でモスの両肩からその両腕を分断せしめ、「やれるものなら、やってみよ」分体達の手で、モスの体を天高く放り上げる。「貴様こそ、首を洗って待っておれ。

クピドの矢の嵐キューピッド・アロー・テンペスト】ッ!!」


   †


 天を染め上げた黄金の光が収まるまでに、数分を要した。

 後にはただ、皆無の父のヱーテル核だけが、残される。

「パパッ!」無言で璃々栖の腕を務めていた皆無が璃々栖から離れ、人の姿に戻って皆無の父のヱーテル核へとすがりつく。

 璃々栖は慌てる。己の印章シジルたる皆無が左肩から離れてしまっては、己は無力な『印章シジル無し』である。「落ちる!」

「あぁ、ごめん……」父の死による衝撃ショックの為であろう、皆無の口調が幼くなっている。とは云え皆無は見事な手際で璃々栖を抱き上げ、【両手に花ドッペルゲンガー】が消失したことで落下しつつあった両の腕を【収納アイテム空間・ボックス】へ収めた。「パパ……」

 狐のような形をしたヱーテル核には、九本の尾が付いていた。





   † 





↓超美麗イラスト付きキャラ紹介・超豪華PV(CV山下大輝・伊藤静)はこちら

https://kakuyomu.jp/users/sub_sub/news/16817330650038669598


↓直リンク

https://sneakerbunko.jp/series/lilith/

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る