第参幕之陸「抱擁」

》同日一六一三ヒトロクヒトサン 摩耶山 ――皆無かいな


 母とセアが居る所へ戻った。

「お母さん!」

「あらあら、また呼んでれたねぇ」

「生きてれてて、本当に良かった!」璃々栖を降ろしながら、皆無は思わず涙ぐむ。「でも、どうして?」

 そう、どうして、何故生きているのか? 己は確かに、モスに右腕を喰われ、自らの魔術で大火傷を負った母を見たのだ。

「だからったじゃない。私は大丈夫だから、って」

「いや、云うてたけど……」見れば、母の衣服は右肩から先が無くなり、か細い腕が剥き出しになっている。それに全身血塗れだ。皆無は虚空から適当な羽織を取り出して母に着せる。

「あらあら、皆無は優しいねぇ」

 ……また、これである。この母は『ふわふわ』していると云うか何と云うか、話が通じないところがある。仕方が無いので、皆無は次の疑問の解消に移ることにした。

セア。お前も、モスに殺されたはずじゃ……?」

「【変身トランスフォーム】の魔術で『頭を潰された私』に変じたのだ。より正確に云うなら、腕一本分の血肉と引き換えに偽物の頭部を作り、本当の頭部は腹の中に隠したのだ」

「な、なんちゅう器用な真似を……」

「あっ、死体ごっこか!!」璃々栖が嬉しそうに頷く。

「はい。何かの役に立てばと磨いていた技が、よもや本当に役に立つとは。元々は幼少の殿下にお楽しみ頂く為の余技だったのですが」

「し、死体ごっこで幼児を楽しませる……?」魔界における余技は、斯くも悪魔的であるらしい。

「皆無……お前には悪かったと思っている」

「へ?」

「その……お前が生きながらにして喰われていると云うのに、私は見て見ぬ振りをした」

「あぁ……」

「だが、改めて云うが、私にとって最も大切なのは殿下だ。殿下は必ずや戻ってくると思っていた。だから、その時の為に息を潜めておく必要があった」

「分かっとるって」云いつつ皆無は内心、冷や汗ものだった。何しろ己はと云えば、その頃自決しようとしていたのだから。やはり、こと璃々栖のことに関しては、まだまだ己はセアに及ばないらしい。

「それで、皆無」

「うん?」

「今云ったように、腕の一本を偽の頭部の為に使ったのだ。だから」セアが左腕を持ち上げる。服に隠れていて見えていなかったが、セアの左腕がごっそりと無くなっていた。

「ちょちょちょっ」そのことを知覚して、皆無は仰天する。すぐさま無詠唱の【完全パーフェクト治癒・ヒール】でセアの腕を再生せしめる。「よ云いや!」

「うむ、見事な魔術だ。これならば、安心して殿下を任せられる」

「は? どういう意味や?」

「そのままの意味だ。お前はこれから殿下の片腕となり、殿下を支え、病める時も、すこやかなる時も――」

セア、黙るのじゃッ!!」璃々栖が叫ぶ。何故だか真っ赤になっている。

「これは、失礼を」セアが頭を下げる。「ですが……分かっておられますね?」

「わ、分かっておるわ! じゃから、少しの間、二人きりにさせよ」

「ははっ! では先に、いつもの屋敷――皆無の自室に戻っております」

「ご母堂様はどうなさる?」璃々栖が母に問う。

「積もる話もあるでしょうから、私も一緒に」

「では」セアが母の手を取るや、セアと母の姿が消えた。

「まったくセアの奴め、保護者面しおって……さて、皆無」

 云いながら、璃々栖がこちらを見つめてきた。こうして正面から見つめ合うのは、何だかひどく久しぶりのように思える。

からそなたに、話が――ええと、三つ、ある」

なんよ、改まって」

「まずは一つ目。ダディ殿のヱーテル核じゃがな、悲しいのは分かるが、喰ってしまえ。持ち主を失ったヱーテル核はやがて消える。永久に保管することなど出来ないのだから」

「…………うん」皆無は虚空から父のヱーテル核を取り出す。手に平にすっぽりと納まる、九本の尾を持った狐の形。「ダディ……」

「せめて、そなたに喰われるのが手向けというものじゃろう」

「うん……あぁ、せやな!」悲しみを吹っ切るべく、皆無は父のヱーテル核を丸のみにする。

「それで、二つ目なのじゃが……その、じゃなぁ?」

 璃々栖が、何故だかもじもじしている。顔を真っ赤にさせた璃々栖が、やがて意を決したように、






「腕が欲しいのじゃ! そなたを抱きしめる為の、腕が!」






「……?」皆無は首を傾げる。「ええと、また腕に変じればええんか?」

「ち、違うわけ! 余の腕じゃ! 余の右腕シジル!」

「あぁ! ――【収納空間アイテム・ボックス】!」虚空からずるりと璃々栖の右腕を引っ張り出す。璃々栖の右肩をまくり上げて切断面をぴたりと合わせ、「繋げるで」優しく撫でる。

「ふぉぉぉおおおッ!! 腕じゃ、余の腕じゃ!!」璃々栖が右腕をぶんぶんと振り回す。「懐かしの腕じゃ。本当に久しいのぅ」己の手に頬擦りをする璃々栖。しばし腕の感触を担当していた璃々栖がこちらを向いて、「では、さぁ!!」

 ばっ、と腕を広げてくる。

「え、えぇぇ……こういうのって、女の方が飛び込んでくるもんやないの?」

「そなたの方が小柄であろう?」

「うぐっ、せやったらもうちょい身長伸ばしたるわ」

「止めよ止めよ、そういうのはまた今度で良い」

「いつかはやらせるんかい」

「茶化すな」璃々栖が優しく微笑んでいる。「余が、この瞬間をどれほど待ち望んでおったのか……この感慨は、きっとそなたにだって分かるまいよ」

 皆無はおずおずと璃々栖の目の前に立ち、璃々栖の体をぎゅっと抱き締める。「り、璃々栖」

「皆無ッ!」果たして璃々栖が、ヱーテルの限りを以て抱き締め返してきた。

「いだだだッ、せ、背骨が折れる!」

 璃々栖が皆無の髪に鼻をうずめ、すんすんと吸ってくる。「嗚呼ああ……これじゃあ。この感覚を、ずっとずぅっと味わいたかったのじゃぁ」

「吸うなや!」

「そなたこそ、余の胸に顔を埋めて、鼻息を荒くしておるではないか」

「しとらんわ!」

 嘘である。


   †


「「……ふぅ」」ひとしきり吸い合った後、

「それで、最後の話なのじゃが」一歩、二歩、三歩と璃々栖が離れ、それからくるりと振り向いてくる。その顔がいつになく緊張している様子で、皆無は思わず身構える。

「お、おう」

「その……な? せっかく腕が戻ってきたのじゃ。改めて挨拶をと思ってじゃな」璃々栖がその右手で以て袴の裾を持ち上げ、左足を下げ、右膝を曲げる。カーテシー。「余は、偉大なる魔王・デウスの子にして、やがて王になる者。リリス・ド・ラ・アスモデウスじゃ」そうして璃々栖が、耳の先まで真っ赤にして、「これからも末永く頼むぞ、――未来の旦那様よ」

「おう、よろし…く……って、えっ!? 旦那様ってことは――」

 璃々栖がそっぽを向いて、「きょ、挙式はモスを倒してからじゃ!」

「璃々栖ッ!」皆無は璃々栖を抱きしめる。「愛しとる!」


   †


》同日一六三〇ヒトロクサンマル 摩耶山 ――璃々栖リリス


 心がふわふわとしている。幸福とはこういうもののことを云うのか、と璃々栖は思う。

 抱擁を解いた後、璃々栖は何とは無しに右手の平を皆無に向ける。すると皆無が、己の手の平に、その左手の平を合わせてきた。皆無は手が小さい。己の手指とは、間接一つ分ほどもの差がある。

 璃々栖は小指を皆無の手の甲へと折り曲げる。すると皆無も小指を折り曲げてくる。璃々栖が薬指を折り曲げれば、皆無もまた、薬指を折り曲げる。そうやって順に指を絡ませていき、最後にはぎゅっと握り合う形となる。

「もう、離さぬぞ」

「それ俺のせりふ――…うっ!?」

 皆無が急に腹を抱えてうずくまる。

「か、皆無!?」

「痛ッ、は、腹が……ッ! う、うごぉぉおああ!?」

 腹、と聞いて咄嗟に思いつくのは、先ほど皆無が口にした、皆無の父のヱーテル核。

「まさかモスの奴、まだ生きて!?」

「おぇええッ!!」皆無が嘔吐する。「はぁッ、はぁッ……だ、大丈夫や、璃々栖。急に腹がいたなってんけど、吐いたら収まっ…た……って、これは?」

 吐瀉物の中で、もぞもぞと動くものがある。手のひらに収まるほどの大きさしかない、半透明の狐。それも、尻尾が九つ付いている。その狐がぶるぶるっ全身を震わせて吐瀉物を払い、ふわふわと浮き上がって来て、


「HAHAHAHA!」


 映画キネマから飛び出してきた道化師のような、芝居掛かった笑い声を上げた。「いやぁ、まさか死にぞこなうとはね!」

 この、人を喰ったような話し方には覚えがある。

「ダディッ!?」





   † 





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