第参幕之陸「抱擁」
》同日
母と
「お母さん!」
「あらあら、また呼んで
「生きて
そう、どうして、何故生きているのか? 己は確かに、
「だから
「いや、云うてたけど……」見れば、母の衣服は右肩から先が無くなり、か細い腕が剥き出しになっている。それに全身血塗れだ。皆無は虚空から適当な羽織を取り出して母に着せる。
「あらあら、皆無は優しいねぇ」
……また、これである。この母は『ふわふわ』していると云うか何と云うか、話が通じないところがある。仕方が無いので、皆無は次の疑問の解消に移ることにした。
「
「【
「な、なんちゅう器用な真似を……」
「あっ、死体ごっこか!!」璃々栖が嬉しそうに頷く。
「はい。何かの役に立てばと磨いていた技が、よもや本当に役に立つとは。元々は幼少の殿下にお楽しみ頂く為の余技だったのですが」
「し、死体ごっこで幼児を楽しませる……?」魔界における余技は、斯くも悪魔的であるらしい。
「皆無……お前には悪かったと思っている」
「へ?」
「その……お前が生きながらにして喰われていると云うのに、私は見て見ぬ振りをした」
「あぁ……」
「だが、改めて云うが、私にとって最も大切なのは殿下だ。殿下は必ずや戻ってくると思っていた。だから、その時の為に息を潜めておく必要があった」
「分かっとるって」云いつつ皆無は内心、冷や汗ものだった。何しろ己はと云えば、その頃自決しようとしていたのだから。やはり、こと璃々栖のことに関しては、まだまだ己は
「それで、皆無」
「うん?」
「今云ったように、腕の一本を偽の頭部の為に使ったのだ。だから」
「ちょちょちょっ」そのことを知覚して、皆無は仰天する。すぐさま無詠唱の【
「うむ、見事な魔術だ。これならば、安心して殿下を任せられる」
「は? どういう意味や?」
「そのままの意味だ。お前はこれから殿下の片腕となり、殿下を支え、病める時も、
「
「これは、失礼を」
「わ、分かっておるわ! じゃから、少しの間、二人きりにさせよ」
「ははっ! では先に、いつもの屋敷――皆無の自室に戻っております」
「ご母堂様はどうなさる?」璃々栖が母に問う。
「積もる話もあるでしょうから、私も一緒に」
「では」
「まったく
云いながら、璃々栖がこちらを見つめてきた。こうして正面から見つめ合うのは、何だかひどく久しぶりのように思える。
「
「
「まずは一つ目。ダディ殿のヱーテル核じゃがな、悲しいのは分かるが、喰ってしまえ。持ち主を失ったヱーテル核はやがて消える。永久に保管することなど出来ないのだから」
「…………うん」皆無は虚空から父のヱーテル核を取り出す。手に平にすっぽりと納まる、九本の尾を持った狐の形。「ダディ……」
「せめて、そなたに喰われるのが手向けというものじゃろう」
「うん……あぁ、せやな!」悲しみを吹っ切るべく、皆無は父のヱーテル核を丸のみにする。
「それで、二つ目なのじゃが……その、じゃなぁ?」
璃々栖が、何故だかもじもじしている。顔を真っ赤にさせた璃々栖が、やがて意を決したように、
「腕が欲しいのじゃ! そなたを抱きしめる為の、腕が!」
「……?」皆無は首を傾げる。「ええと、また腕に変じればええんか?」
「ち、違うわ
「あぁ! ――【
「ふぉぉぉおおおッ!! 腕じゃ、余の腕じゃ!!」璃々栖が右腕をぶんぶんと振り回す。「懐かしの腕じゃ。本当に久しいのぅ」己の手に頬擦りをする璃々栖。しばし腕の感触を担当していた璃々栖がこちらを向いて、「では、さぁ!!」
ばっ、と腕を広げてくる。
「え、えぇぇ……こういうのって、女の方が飛び込んでくるもんやないの?」
「そなたの方が小柄であろう?」
「うぐっ、せやったらもうちょい身長伸ばしたるわ」
「止めよ止めよ、そういうのはまた今度で良い」
「いつかはやらせるんかい」
「茶化すな」璃々栖が優しく微笑んでいる。「余が、この瞬間をどれほど待ち望んでおったのか……この感慨は、きっとそなたにだって分かるまいよ」
皆無はおずおずと璃々栖の目の前に立ち、璃々栖の体をぎゅっと抱き締める。「り、璃々栖」
「皆無ッ!」果たして璃々栖が、ヱーテルの限りを以て抱き締め返してきた。
「いだだだッ、せ、背骨が折れる!」
璃々栖が皆無の髪に鼻を
「吸うなや!」
「そなたこそ、余の胸に顔を埋めて、鼻息を荒くしておるではないか」
「しとらんわ!」
嘘である。
†
「「……ふぅ」」ひとしきり吸い合った後、
「それで、最後の話なのじゃが」一歩、二歩、三歩と璃々栖が離れ、それからくるりと振り向いてくる。その顔がいつになく緊張している様子で、皆無は思わず身構える。
「お、おう」
「その……な? せっかく腕が戻ってきたのじゃ。改めて挨拶をと思ってじゃな」璃々栖がその右手で以て袴の裾を持ち上げ、左足を下げ、右膝を曲げる。カーテシー。「余は、偉大なる魔王・
「おう、よろし…く……って、えっ!? 旦那様ってことは――」
璃々栖がそっぽを向いて、「きょ、挙式は
「璃々栖ッ!」皆無は璃々栖を抱きしめる。「愛しとる!」
†
》同日
心がふわふわとしている。幸福とはこういうもののことを云うのか、と璃々栖は思う。
抱擁を解いた後、璃々栖は何とは無しに右手の平を皆無に向ける。すると皆無が、己の手の平に、その左手の平を合わせてきた。皆無は手が小さい。己の手指とは、間接一つ分ほどもの差がある。
璃々栖は小指を皆無の手の甲へと折り曲げる。すると皆無も小指を折り曲げてくる。璃々栖が薬指を折り曲げれば、皆無もまた、薬指を折り曲げる。そうやって順に指を絡ませていき、最後にはぎゅっと握り合う形となる。
「もう、離さぬぞ」
「それ俺の
皆無が急に腹を抱えて
「か、皆無!?」
「痛ッ、は、腹が……ッ! う、うごぉぉおああ!?」
腹、と聞いて咄嗟に思いつくのは、先ほど皆無が口にした、皆無の父のヱーテル核。
「まさか
「おぇええッ!!」皆無が嘔吐する。「はぁッ、はぁッ……だ、大丈夫や、璃々栖。急に腹が
吐瀉物の中で、もぞもぞと動くものがある。手のひらに収まるほどの大きさしかない、半透明の狐。それも、尻尾が九つ付いている。その狐がぶるぶるっ全身を震わせて吐瀉物を払い、ふわふわと浮き上がって来て、
「HAHAHAHA!」
この、人を喰ったような話し方には覚えがある。
「ダディッ!?」
†
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