第参幕之参「絶望之果テニ」

》同日一四三一ヒトヨンサンヒト 六甲山地 とある洞穴ほらあな ――璃々栖リリス


「ここも外れか!」璃々栖は洞穴の外へ飛び出す。ヱーテルを纏った脚でもって岩場を駆け抜けていく。ふと西の空を見上げると、(……何じゃ、あれは?)

 真昼間だというのに、西の空がくらい。今日は曇天ではあるがしかし、あの暗さはまるで夜だ。

モスの魔術か? ……何にせよ、急がねば)


   †


》同日一四四三ヒトヨンヨンサン 摩耶山 ――皆無かいな


「糞ッ、糞ぉッ!!」

 せ返るような腐臭。そこら中から這い出してくる無数の亡者達。行く手を阻む不気味なつた

 皆無は母の遺体を背負いながら、村田銃で応戦する。幸いにして、退魔の力が込められた天使エンジェル・バレットは亡者達に効果があった。が、倒しても倒しても新たな武士もののふ達が湧いて出てくるのだ。

 弾薬の心配は無い。【収納アイテム空間・ボックス】はちゃんと使える。が、問題は体力の方であった。軍属の身で鍛えているとはえ十三歳の体である。確かに【韋駄天の下駄】は体を軽くするが、体力を回復してれるわけではない。

(お母さんが……お母さんが死んでしもた。このままやと俺も死ぬッ!)

 せめて、母の遺体は打ち捨てて来るべきであった。母はもう死んでいる。しかし、皆無はその決断が出来ないでいた。

 背後から三体の亡者が追いすがってくる。皆無は村田銃で応戦する。一発、二発、三発。丸一年の軍属生活で鍛え上げられた射撃は、斯様に心身が乱れた状態でも亡者達の頭部を正確に撃ち抜く。

 弾が切れた。皆無は止む無く立ち止まり、【収納アイテム空間・ボックス】から取り出した弾倉を装填しようとする――その数秒の隙を縫って、岩陰から亡者の一体が飛び掛かってきた。弾倉は未だ装填出来ていない。

「糞ぉッ!」皆無は、こちらの首に喰らいつこうとしてくる亡者を手で押しのけようとして、


 亡者に、指を、喰い千切られた。


「ぎゃぁああッ!!」


   †  †  †


》同日一五一〇ヒトゴーヒトマル 六甲山地 とある頂 ――璃々栖リリス


セアはおるか!」

「――殿下!?」

 果たして、岩陰からセア――身長一七〇サンチほどの、銀の長髪を結い上げ、鎧に身を包んだ美しき騎士姿が出てきた。

「おおっ、その様子じゃと、すっかり快復したようじゃな!」

 これこそが本来のセアの姿である。背中の翼が実に艶やかだ。

(ふふっ、皆無は馬の姿をしているセアしか見たことが無かったから、この姿を見たらきっと驚くことじゃろう)

「はっ、九割方戻っております。それより殿下、一体どうされたのですか?」

「時間が無い。手短に話すぞ」


   †


「転移後すぐにモスとの戦いになるじゃろう。覚悟は良いな?」

「覚悟など」セアが朗らかに笑う。「十六年前、幼子おさなごであらせられた殿下が、私の指を握って下さったあの時に、とうに出来ております」

「ふふ、嬉しいことを云ってれる」

「ですが」

「ん?」

「返事はなさったのですか?」セアにあっては非常に珍しく、揶揄からかうような笑み。「皆無から愛の告白を受けたのでしょう?」

「か、斯様かような時に莫迦ばかな話をするでない!」

「斯様な時だからです」

「うっ……」

 王族にとって結婚と出産は義務。璃々栖の侍従たるセアが、過酷な戦いを前に気にするのも無理は無かった。

「……この戦いが終わったら、ちゃんと云うのですよ?」

 答えを有耶無耶うやむやにしていることを看破したセアが、母親のようなことを云ってくる。

「云うとも!」璃々栖は真っ赤になりながら叫ぶ。(そうじゃ! この戦いが終わったら、皆無に云う! そなたが好きじゃと! 愛していると!!)

「安心致しました」セアがにこりと笑う。「出過ぎたことを申してしまい、申し訳ありません」

「良い、良い。では行くぞ。まず、西の空――ほれ、あの昏くなっている空へと転移せよ。そこで余が皆無の正確な位置を調べ、改めて皆無の目の前へ転移する。良いな?」

「ははっ! では、失礼致します」セアが璃々栖を抱き上げる。「行きます――【瞬間移動テレポート】」

 視界が切り替わる。

 璃々栖とセアの体は、上下左右も分からぬ真っ暗闇の中に放り出される。束の間の浮遊感と、それから物凄い勢いで体が落下していく感覚。

「【赤き蛇・神の悪意沙磨爾サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析アナライズ】ッ!!」攻撃魔術ではないとは云え、シジルの無い身で広範囲の魔術は堪える。臍の下がキリリと痛み、しかし璃々栖の脳裏には周囲一帯の生物の位置が映し出される。「――見つけたッ! 二時方向、五〇〇メートル先じゃ!」

「行きます!」

 また、視界が切り替わる。今度は、地面に立っている。

「……うっ!?」セアに降ろされながら、璃々栖は顔をしかめる。

 まず最初に感じたのは、呼吸もままならぬほどの腐臭。

 次に聴こえたのが、「オォ……」とか「アァ……」とか云う、人ならざる者どもの呻き声。

 そして見えたのが、薄っすらとあたりを照らす【光明】の明かりと、地面を蠢く無数の蔦、そして、地面のある一点に群がり、かがんで、何かをむさぼり喰っている化け物達。

 そしてその傍らには、

「ご、ご母堂様……?」

 血塗れになって転がる、育子いくこ大姉たいしの体。

「そ、そんな――…」

 死んでいる。死んでしまった。己が、戦いに参加しても良いと云ったばかりに。

「皆無、皆無は何処じゃ!? 皆無!?」取り乱し、愛する男性の名を叫ぶ。

「ぅ……ぁ……璃…々栖……?」

 亡者達がたかっている辺りの中心から、皆無の声がした。

「【治癒ヒール】…【治癒ヒール】…璃々栖……」


 亡者達の真ん中で。


 手を足を耳を鼻を臓物を食い千切られ、

   蠢く蔦に血を髄を吸い上げられ、

      それでも辛うじて生きている、


 皆無が、いた。


「ひっ……」


「璃々、栖――逃、げ、ろ……ッ!!」


「――なんだ、戻って来たのか」

 背後で、声。呆然と振り向くと、皆無の父の姿を取ったモスが立っていた。

「おや、お前は瞬間移動テレポートセアだな? 良いグート。お前の能力は喰らいたいと、かねがね思っていたのだ」

 モスの体が宙に浮き、その左手が――デウスグランド印章・シジルが、セアの頭を鷲掴みにする。

「殿下、逃げ――」


 また、視界が切り替わった。


   †


》同日一五一八ヒトゴーヒトハチ 摩耶山 ――皆無かいな


『ごりっ』とも『ぐしゃり』とも云える音とともに、人型の悪魔デビルの頭部がモスの手によって握り潰された。頭部を失った悪魔デビル――璃々栖とともに急に現れたということは、あれはセアであろう――の体が、重い音を立てて崩れ落ちる。

「おや、力加減を間違えてしまったな」つまらなそうにモスが云う。「まぁ、こいつは後でゆっくり食すとしよう」

(あぁぁ……そんな…セアまで、殺されてしもた……)そして己もまた、やがて治癒魔術が追いつかなくなり、死んでしまうであろう。(どう、すれば……)

 どうすれば。


   †


》同日一五一九ヒトゴーヒトキュウ 摩耶山 ――璃々栖リリス


 気が付けば、真っ暗闇の中に立っていた。

 セアが【瞬間移動テレポート】で以て逃がしてれたのであろう。だが術式を編み上げる為の時間が不十分で、璃々栖しか転移させられなかった。それも、極々短距離しか。

 つまりここは、未だモスの術中の中。

「あぁぁ……皆無……セア……」






 …………万策が、尽きた。






 周囲には相変わらず腐臭が漂い、そこかしこから亡者達の呻き声が聞こえる。

 とにかく、動くしかない。ここでじっとしていては、亡者達に喰い殺されてしまう。だが、動いてどうすると云うのだ? 育子大姉は死に、皆無は瀕死で、セアも囚われてしまった。腕は無く、ヱーテルも残りわずかだ。


 どうしようも、無い。


「あぁ…あぁぁぁ……」涙が出てきた。悪魔には、祈るべき神など居ない。だから璃々栖は魔王に祈った。「……父上」

 敬愛していた父親。今は亡きデウス王に。


 ……………………



 …………




 ……











 その時、一匹の光り輝く蠅が、目の前を通り過ぎた。


「……え?」

 蠅は、父の盟友であった原始の『暴食』の主、ベルブブ王の象徴だ。その蠅が、何とは無しに父の導きであるような気がして、璃々栖は覚束おぼつかない足取りで蠅の後を追う。

「父上…父上……」

 蠅の放つ光は強く、この暗闇の中でも辛うじて足元が見える。

 ふらふらと、幽鬼のように璃々栖は歩く。相変わらず亡者達の声が聞こえてくるが、幸いにして襲われることは無かった。


 ……どのくらい、歩いただろうか。


「っ……」

 唐突に、視界が晴れた。モスが展開する闇の空間から抜け出したのだ。空は曇っているが、先ほどまでの闇を思えば、目が痛くなるほどの明るさである。

 視界の先には、一本の枯れ木が立っていた。

 そして、その木の上には。

「随分と追い詰められている様子じゃアないか?」

 いつかと同じようにして、愛蘭アイラムが立っていた。





   † 





↓超美麗イラスト付きキャラ紹介・超豪華PV(CV山下大輝・伊藤静)はこちら

https://kakuyomu.jp/users/sub_sub/news/16817330650038669598


↓直リンク

https://sneakerbunko.jp/series/lilith/

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る