第壱幕之漆「人魔之狭間ニテ」

》同月九日二〇四五フタマルゴーヨン 外国人居留地・自室 ――皆無かいな


「レディ・、日中の外出許可が出ました」出撃準備の最中さなか、父が部屋に入って来てそうった。「皆無、明日は食事の後、レディを元町へ連れて行って差し上げなさい」

もとブラデヱト!?」

「デートは分かるが、元ブラとは何じゃ?」璃々栖が皆無の軍衣のすそをくいくいっと――

 そう、今の璃々栖には左腕が付いている。そしてその腕が、璃々栖の意志通り動く。ヱーテルがそれなりに回復してきた侍従のセアが腕の形に受肉マテリアライズして璃々栖の左肩に憑りついているのだ。

「皆無!」その、左手の甲から口が現れ、「殿下のご質問にさっさと答えぬか!」

「分かっとるってもぅ……『元町』で『ブラ』ブラすることや。元町は、ここいらでは一番ハイカラなデヱトやねん」

「ふぅん。では、可愛い可愛い皆無とのデートを楽しみに、今日も仕事に勤しむとするかのぅ」屋敷の外へ出た璃々栖が、虚空から日本刀を取り出す。

 セアの回復によって璃々栖が片腕を得たことを知った拾月中将が、璃々栖自身にも戦わせるようにと、正覚に指示したのだ。その為、正覚は璃々栖に一振りの日本刀を渡した。攻撃魔術が使えずとも、ヒヒイロカネを練り込んだこの霊的な媒体があれば、ヱーテルを纏わせて妖魔を斬ることが出来るからである。日本の地脈との相性を考え、正覚は日本刀を選んだ。

「のう、ダディ殿よ」璃々栖はこの父のことを、揶揄からかうように『ダディ殿』と呼ぶ。父はそう呼ばれて喜んでいるので、揶揄われているのは皆無である。「の腕探し――『神戸の霊場巡り』の件、掛け合うてもらえたかの?」

「正直申し上げますと、上は渋面一色ですね。貴女の戦力強化を恐れる向きは多い」

「何卒、頼む。何度も云うように、祖国奪還が果たされた暁には、必ず貴国に報いるがゆえ

 璃々栖は父に、腕を見つけ、仇敵・モスを祖国から追い祓い、国を建てた後は、デウス王国が日本と同盟を結び、対悪魔デビル防衛や、場合によっては人間同士の戦争にも参加して良いと話している。父曰く、露西亜帝国に対して怯えに怯えている『伊藤サン』が、かなり前向きに考えてれているらしい。

「何卒、く頼む。モスナッケの目的は我が家の悪魔グランド・シジル大印章・オブ・デビルなのじゃ。セアの【瞬間移動テレポート】は転移先を周囲に知らせるものではないから、すぐさま余がこの街に居ることが知られることは無かろうが……ナッケは使い魔たる無数の人形を操る。余が足踏みしている間にこの街に襲撃にでも来られたら、困るのはそなたらの方であろう?」

「はい。引き続き全力で交渉に当たらせて頂きますので」

「ふぅ……国の復興も一歩ずつじゃぁ。では皆無」

「う、うん」皆無は璃々栖に歩み寄り、背伸びして彼女の愛らしい唇に吸い付く。よりにもよって親が見ている前で。父も父で、面白がってじっくりと見てくるのだ。

 ドロリと、甘く愛おしいヱーテルが流し込まれてくる。最近では喉を通る感覚で、渡されたヱーテル量が把握出来るようになってきた。今回渡されたヱーテル量はおよそ二千万単位。四月一日――皆無の悪魔化デビライズが解けた後も残された、皆無の心臓維持に必要な素の一千万と合わせると、実に三千万単位。日本一と謳われる父以上である。

「こんなところかのぅ。どうじゃ?」自身の唇をペロリと舐めながら、璃々栖。

「うっぷ……う、うん。これ以上入れられると、多分吐く」目を閉じて丹田にぐっと力を込めれば、二本の角と、蠍のような尻尾と、蝙蝠のような翼がにょきにょきと生えてくる。が、それらはどれも半透明で触れられない――受肉マテリアライズしていないのだ。結局、一週間経っても悪魔化デビライズを習得出来ずにいるのだ。

「相変わらずじゃのぅ」璃々栖が露骨に溜息を吐く。「ヱーテル量的には十分足りておるというのに……何じゃろうな、やはり悪魔味デビリズムが足りておらんのじゃろうな。そなたは気が弱いから」

「せやから悪魔味デビリズムって何やねん……」

くうだよ、皆無。諸行無常。全てはでありくうだ。迷いを捨ててとなり、くうを理解して悟りに至りなさい」

「くうくう云うけどやぁ。んな簡単に悟れたら世話ないって。はぁ~……【虚空庫】」皆無は略式詠唱で亜空間から村田銃を取り出し、「じゃ、今日も頼むで『てっ観音カノン』」

「おや、ようやく得物に名前を付けたね?」

 一週間前、手っ取り早く強くなる為の方法として父に教えてもらった『名付け』である。

「どういう意味なんだい?」

「え~と……」人に――特に親に――教えるのは恥ずかしい。「観音様とカノンキャノン砲と、鉄観音てっかんのん茶を掛けとるんよ」

「あっははは! いいじゃないか子供っぽくて」

「うっさいわ! ――あっ」その時、皆無の脳裏に衝撃的な考えが浮かんだ。「名付け……空…無…ダディ、僕の名前って、『皆無かいな』って……『無』を体現することで『空』に至れって意味なん!?」

 名前とは、力であり呪いである。本当の名であり呼ぶのをはばかられるいみな、忌み名は、その名を呼ぶことで相手を意のままに操れるとも、自らが呼ぶことで潜在能力を引き出せるとも云われている。

「セヤデ」

「何で関西弁なん。嘘なん?」

「チャウデ?」目を逸らす父。「いや、悪いが本当に覚えていないんだよ。けど、名付けた当時の己の考えを想像するに、かんづき生まれだから『神無かんな』。けれど悪魔祓い師ヱクソシストとして育てるのに『神は無し』だとまずいから、一文字変えて『かい』。で、『かい』の字を何にするか悩んだ末、『無』の意味を強める為に『皆』にした説が最有力なのさ」

「説って何やねん……」皆無は白目を剥きそうになる。そもそもどうして日記等の記録に残していないのか。「……分かりましたよ。今は、僕の名前の由来は、僕を『空』に至らせ易くする為に『無』にしたってことにしといたるわ」


   †


 晴天である。が、電灯が行き届いた街・神戸では満天の星空とはいかない。

「【遠見】。【もんじゅけいがん】――あはっ」そんな星空に浮かびながら、皆無は思わず笑ってしまう。敵の数の多さと脅威度の高さに対してである。

 悪霊化デモナイズした背中の羽を羽ばたかせてみれば、【韋駄天の下駄】の力で重力から解放された体が若干前に進む……ものの、すぐに自由落下が始まってしまう。

「情けないぞ皆無!」セアからの叱責。「もっと軽やかに飛ぶさまを想像してみよ!」

 実際、一週間前に璃々栖が神戸港に降り立った時、璃々栖の翼の役を追っていたセアの羽ばたきは実に見事だった。

「お前には想像力が足りておらんのだ!」

「だぁ~~~もうッ! くうだの悪魔味デビリズムだの想像力だの、人によって云うことコロコロ変えんとってや!!」抗議しつつも軽やかに、家屋の瓦屋根を足場にしてお馴染みの第壱波止場――その手前にある検疫所へ突入する。

(敵勢力は――)

 夜空に舞うのは全長数十メートルの飛竜――乙種悪魔デビルと、三匹の鷲獅子グリフォン――丙種悪魔デビル

 地上で悪魔祓い師ヱクソシスト達相手に暴れ回っているのは十五匹の悪鬼オーガ――成人男性の二倍もの巨躯を持つ丁種悪魔デビルと、絵画や人形に憑りついて踊り狂う悪霊デーモン達の群れ。

(対するこっちの戦力は――)

 単騎で丙・丁種悪魔デビルを調伏可能な佐官が五名と、単騎で悪霊デーモンの乙以下を、『分隊』で丁種悪魔デビルや甲種悪霊デーモンを屠ることが出来る尉官が数十名。

 それらが、各佐官を中核とした五つの分隊と、尉官のみで構成するいくつかの分隊を組織し、善戦している。他の港からも招集されている為、現在の神戸における層の厚さは相当なものがある。

 佐官クラスこそ第零師団の花形。単騎佐官は一騎当千。個人にして歩兵数百~千人に値する戦力を有する。実際、はるか上空から火炎の吐息ブレスを飛ばしてくる竜――カノン砲の直撃をも耐えるような化け物を通常の陸軍が相手取ったとして、千人の犠牲で倒せたとしたら奇跡であろう。

 竜の吐息ドラゴン・ブレスを防ぎ切るだけの強力な結界術と、地上から上空の化け物を狙い撃ちに出来るだけの射程を誇る三十五年式村田自動小銃、そして強大な威力を誇る特殊な実包とセフィロト曼荼羅があるからこそ、こうして今、神戸港は火と血の海にならずに済んでいるのだ。

(どれから祓おうか)検疫所のそばに降り立ち、璃々栖を下ろした皆無は逡巡するが、

「ぎゃぁあ!」負傷者の悲痛な叫び。

 三体の鷲獅子グリフォンの内、急降下してきた一体の鋭い爪で尉官の一人が傷を受けたのを見て、そちらの加勢に入ることに決めた。

 鷲獅子グリフォンと相対しているのは、大佐一名と尉官四名で構成された分隊だ。攻撃を受けた尉官の傷は致命傷ではなく、他の尉官によって即座に後方へ下げられようとしている。

「大佐殿!」皆無は大佐へと駆け寄りつつ、「こいつは小官にやらせて下さい!」彼らを巻き込まないように威力を絞った銃撃――とは云っても、その威力は先日丁種のガーゴイルを粉砕せしめたアーク天使エンジェル・バレットによる神使ミカエルショットと同等の威力だったが――を鷲獅子グリフォンの頭部へ撃ち込む。鷲獅子グリフォンは吹き飛ばされるも、致命傷には至っていない様子だ。

「貴様ッ! 横入りなんぞされたら指揮に乱れが――」大佐が皆無を怒鳴りつけようとするが、追い付いてきた璃々栖の姿に気付き、「……あぁ、貴官らが例の。貴官らの邪魔はするなとのご命令だ。我々はどうすれば良い?」

「丁種悪魔デビルと、悪霊デーモンに専念して頂ければと」

「大佐たる私に悪霊デーモンの相手をせよ、と?」

「申し訳ございません」

「ちっ――」年端も行かぬ小僧の、生意気な言葉が気に喰わなかったのであろう大佐の舌打ち。が、大佐はすぐに敬礼し、「分かった。武運を。――乙・丙種悪魔デビルと交戦中の部隊は速やかに退避!」声を張り上げる。

 この大佐は、この場全体の指揮権も持っているらしい。竜や他の鷲獅子グリフォンと対峙していた分隊員達が防護結界を発動させつつ建物や土嚢の影へと消えてゆく。

「ありがとうございます!」大変な無礼に当たるが、皆無は答礼しない――している暇がない。既にセフィロト曼荼羅を展開し終わっており、加えて、皆無の攻撃を受けた鷲獅子グリフォンが身を起こしつつあるからだ。「――【AMEN】!」

 村田銃に装填されていた四発の天使エンジェル・バレット――最弱の実包――が、脳内で詠唱完了していた神使ミカエルショット追尾ラファエル風撃・ショットの両方の力を帯び、四発の追尾性能を持った巨大な火の玉となって怪物達に襲い掛かる。

 一発は、皆無の迫りつつあった鷲獅子グリフォンの体を粉々にし、他の二発は、相手の分隊が急に撤退したことに戸惑っているらしい二体の鷲獅子グリフォンの頭部を消し飛ばす。威力が格段に上がっている――これが得物への『名付け』の効果か。

 最後の一発は、悠々と空を飛んでいた竜の顎をカチ上げた――が、頭部の破壊には至らなかった。

(さすがは乙種! 格が違う)舌なめずりをする皆無の隣では、

「そ、そんな……」皆無の戦いぶりを今日初めて見たらしい大佐が驚いている。「丙種悪魔デビルを、たったの一撃で倒してしまうとは……」

「皆無、課題じゃぁ」璃々栖が耳元で囁く。「あのデカブツは、悪霊化デモナイズの力のみで屠ってみせよ」

「え、えぇぇ……?」一瞬迷うが、【もんじゅけいがん】からの反応を見るに、あの飛竜を除いては、死傷者が出るような危機的状況からは脱していると判断する。皆無は素早く新たな弾倉を村田銃へ装填してから愛銃を【虚空庫】に収納し、「ふんっ!」丹田から出来得る限りのヱーテルを練り出し、右手指に纏った鋭い爪と、背中の翼に集中させる。「一人で大丈夫?」

「余のことなら心配無い!」

 見れば璃々栖が日本刀を縦横無尽に振り回し、迫りくる悪鬼オーガ悪霊デーモンをばったばったと斬り伏せている。

 璃々栖が敵で無いことは、第零師団では周知の事実となっている。少しくらいの間――具体的には、そこら中に敵対妖魔が溢れており、璃々栖がそれらを祓う為の重要戦力である間――であれば、璃々栖を悪魔祓い師ヱクソシスト達の只中ただなかに取り残しても大丈夫であろう。

 皆無は大きく脚を開いて姿勢を沈め、蝙蝠の翼に風を溜めるようなイメージを浮かべる。果たして翼に、ざわざわとヱーテルが溜まっていく感覚があり、

「――今!」羽ばたいた。途端、体に衝撃が掛かり、視界がぶれる。「うわわわっ」

 気付けば、空。それも、乙種悪魔デビルたる巨竜の眼前にまで飛び上がっていた。竜が息を大きく吸い込む。

(こっちやって――)皆無も大きく息を吸い込み、「ふぅぅぅううッ!!」

 劫火と劫火、『悪魔の吐息デビル・ブレス』と『竜のドラゴン吐息・ブレス』が正面からぶつかり合い、

「グギャァァアアアッ!?」果たして、喉を焼かれて苦悶の咆哮を上げたのは、竜の方だった。

「あはっ」皆無はすっかり楽しくなって、慎重に羽ばたいて竜の首元に取り付き、「相手が悪かったなぁ」巨大なヱーテルを纏い、真っ白に輝く爪を振り下ろす。

 ただの、ヱーテルを込めただけの爪の斬撃。たったそれだけで、竜の首はまるで豆腐か何かのように容易く千切れた。

 首を失った巨竜の体が、自由落下を始める。

「あはっ、あははっ」

 皆無は一緒に落下しながら、受肉マテリアライズした竜の肉体がヱーテルに戻り、ボロボロと崩れ、大気中へと還ってゆくさまを眺める。ほどなくして竜のヱーテル核が出てきたので、悪魔的なその手で乱暴に掴み取り、がぶりと喰らいついた。


   †


(あはっ、楽しい)残敵を屠り散らしながら、皆無は己に陶酔する。エリート中のエリートたる第零師団の佐官クラスをして命懸けの戦いを強いられるような悪魔デビル達を、自分はまるで草花を手折たおるが如き容易さで殺すことが出来る。(僕にかなう奴なんて、もう璃々栖とダディ以外には――)

「……な! ……いなっ! 皆無!!」

「――え?」慌てて顔を上げれば、璃々栖が難しい顔をして己を睨みつけていた。

「敵の殲滅は完了した。さっさと負傷者の治療に向かうぞ」

「う、うん……」改めて見てみれば、己の周囲には、執拗なまでに切り刻まれり潰された、先ほどまで悪魔デビルだった存在の肉片が多数転がっており、それらがヱーテルへと還りつつあるところだった。皆無は体の震えを押し殺し、姿勢を正す。(こ、殺すのが楽しいやなんて……そ、そんなおぞましいことを、僕は)

 璃々栖から与えられる暴力的な量のヱーテル。璃々栖から与えられる魔術の叡智。璃々栖から与えられる――その身を悪魔デビルのそれへと堕とす秘術。

(気を確かに持たな、な)頭をはっきりさせる為に無詠唱で【もんじゅけいがん】を行使し、「えっ!?」


 ようやく気付いた。すぐそばの家屋、その屋根の上からこちらを伺う妖魔の存在に。


(僕も璃々栖も気付かへんかったなんて――)

 ともかく敵はほふらねばならない。悪魔的な脚力でその屋根の上まで飛び上がってみれば、そこに居たのは一体の、「――人形?」

 金髪に赤い瞳の、少女を象った等身大の精巧な人形であった。白を基調としたドレス姿で、背中には天使のような翼を持つ。受肉マテリアライズしているが、ヱーテル反応はひどく薄い……だからこそ、こんな近距離に潜んでいても気付けなかったのだが。

 さて、どう料理してやろう――と考えていると、悪魔デビルの姿が霞がかったように消えていく。

「――ォォオオオッ!!」皆無は吠える。咆哮と共に膨大な量のヱーテルが悪魔デビルに吹き付けられ、消えかかっていた姿が再びはっきりと見えるようになった。やはり認識阻害そがいか何かの魔術……ということは、ヱーテル反応通りの雑魚ではない可能性が高い。取り逃がすわけにはいかない。

 そのまま吶喊とっかんし、空へ逃れようとしていたそいつの足首を引っ掴むも、

「……ガッ!?」もう一本の足で、器用にも顎を蹴り上げられた。視界がぐらつく。それでも皆無は手を放さず、【もんじゅけいがん】の力で地面の方向を把握して、人形の悪魔デビルを力任せに誰もいない道路上へと叩き付ける。

 人形の体が舗装された道路を深くえぐるが、【もんじゅけいがん】からの反応によると敵は無傷。皆無は人形に向かって真っ逆さまに飛翔しつつ、ありったけのヱーテルを込めた右のこぶしで人形の腹を打ち付ける。乙種悪魔デビルたる巨竜の首を切り裂いた時よりもなお強烈な一撃。――だと云うのに。

っ!?」皆無の拳が、砕けた。人形がよろうヱーテルに、押し負けたのだ。


「キィィイアァアァァアッ!!」


 人形の絶叫。未だ回復し切れていない皆無の三半規管に止めを刺すように響いたその声は、皆無の視界を暗転させる。無詠唱の回復魔術で再生させつつ拳を振り下ろすも、

「皆無、上じゃ!」

 ようやく戻って来た視界を夜空へ向けてみれば、人形は既に皆無の手の内を離れ、天の果てへと逃れようとしている所だった。

「【もんじゅけいがん】!」索敵術式を展開するも、恐らく敵の認識阻害そがい魔術であろう……急速に人形の姿や気配が分からなくなり、見逃してしまった。

莫迦ばか者、何を取り逃しておるのじゃ!」不甲斐ない使い魔を叱責する姫君が、皆無のそばへ駆け寄ってくる。その麗しき横顔が日の出に照らされる。

「――ごめん」

「まぁ、もう夜明けじゃ。余やセアの如き大悪魔でもなければ、妖魔は日光の中では満足に活動など出来ぬからな。また明日、現れた時にくびり殺してやれば良い」美しき主が、そう云ってわらった。


   †


 敵が去った後の、『悪魔化デビライズの練習の時間』。皆無は璃々栖を抱き上げながら、悪霊化デモナイズした翼でよろよろと神戸港の空を飛ぶ。

「最後の奴、どのようなあやかしであった?」皆無の腕の中にすっぽりと収まった璃々栖が問うてくる。

「人形やった。金髪で赤い瞳で――何や璃々栖に似てたなぁ」

「余のように美しかったのか?」

「いやぁ、やっぱり璃々栖本人の方が――ごほん!」

「なんじゃぁ、そのように恥ずかしがらずとも良かろうに」

「うっさいねん!」

「しかし、余に似た人形かぁ……いやなことを思い出すのぅ」

「厭なこと?」

「憎き叛逆者・ナッケのことじゃ。あやつは無類の人形好きでな、デウス城の運営を成す手下がことごとく人形で、しかも何故か余の姿を模しておるのじゃ」

「えっ……」引きつつも皆無は、(あ、でも……女中とか給仕とか庭師とか、いろんな格好してる璃々栖は見てみたいかも)

「あの糞爺、一度など余に向かって、『貴女をはく製にすることで、その美しさを永遠たらしめたい』などと云いおってなぁ」璃々栖が皆無の腕の中でぶるるっと震える。「気色悪いにもほどがある。が、後のことを思えば、あれは本心だったのであろうな」しばしうつむいていた璃々栖だったが、すぐにその美しい顔を上げて皆無に微笑みかけ、「何とか飛べておるではないか。それに、先ほどの戦いぶりもまぁまぁじゃったぞ。もうあと一手、コツのようなものが掴めれば、悪魔化デビライズ出来そうなものなんじゃがのぅ。ダディ殿は何と云っておったか……『む』とは何じゃ?」

「『無』ってのは『無我』のことで、自分や物に執着するなとか、煩悩を捨てろとか、諸行無常とかってこと。云うてダディこそ煩悩塗れやと思うねんけどな」

「と云うと?」

「自分の歴代の妻百八人の霊魂を式神化させとんねんで? んで、夜な夜な呼び出して語り合ってんねん。趣味悪過ぎやろ」

「えぇぇ……あ、そういえばそなた、母君はいないとか云っておったが、その百八の妻の一人に当たるのかの?」

「分からへん」

「……ん、んんん?」

「ダディは僕のこと、橋の下で拾ぅて来たって云うねん」

「た、確かにそなたら親子は顔が似ておらんのぅ」

「云うてダディはヱーテル体やから、あの顔もいい加減やで絶対。自分の顔も忘れとるに違いないわ。あ、煩悩と云えば……愛羅アイラム先生も煩悩塗れよな」

 朝っぱらから休憩室で大量の酒と肴をかっ喰らう、年齢不詳の拾参じゅうさん聖人の拾参である。

「ダディ曰く、拾参聖人は全員『空』に至っとるらしい。確かに、愛羅アイラム先生の扱う術はとんでもなく精緻で精巧やけど……酒乱って時点で煩悩に負けとると思うんやけど」

「うむ、それは確かに――えっ!?」いきなり、璃々栖が悲鳴に近い声を上げた。

「いつの間に!?」少し遅れて、セアからも驚きの声。

「ん、どしたん?」

「か、か、皆無! 上! 上!」

「上?」


「上官の陰口とは良いご身分さァね?」


 背中から、愛羅アイラムの声がした。そうして初めて皆無は、愛羅アイラムが己に肩車していることに気付いた。「い、一体いつから――」

「さァてなァ」

 愛羅アイラム甚振いたぶるような含み笑いと共に、皆無の肩に徐々に重みが掛かっていき、最終的に、愛羅アイラムの体格相当の体重が皆無に伸し掛かる。

観艦式だろぅ? 、さっさと悪魔化デビライズを会得すべきだと思うがねぇ」

「な、何のこと? どういう意味……?」混乱する皆無に対し、

「お前さんが何故、悪魔化デビライズ出来ないのか――答えはさっき、自分で云ってたじゃアないか。お前さんまだ、人間として生きるか悪魔として生きるかンだろう? 虫の良いことに、小悪魔チャンがその心臓を提供してれてた上で使い魔から解放し、人間としての生活に戻させて呉れるかもとか、考えておるんじゃアないのかな?」

 図星を指され、言葉もない皆無。

「内心で悪魔になりたがっていないンだ。悪魔化デビライズが上手くいかないのなんて、当然のことさね。まずはその辺、自問自答してみるこったね」それだけ云って、愛羅アイラムは自由落下していった。

「こんな高さから落ちたら――」

「……心配あるまい。この高さまで飛んできたのじゃぞ? それも、余ら全員に気取られずに」


   †


はよう下ろせ」屋敷の前に降り立つや否や、くように璃々栖が云った。

 云われた通り下ろすと、

「むぐっ!?」問答無用で口付けされ、ヱーテルを吸い出された。「どないしたん、そんな焦ったみたいに……体に悪影響とかあるん?」

「いや、より一層悪魔味デビリズムを解せるようになって、余としては好都合なのじゃが……そなた、先ほど敵を屠ることに喜びを感じておったじゃろう?」

 図星であった。

「と同時に、そんな己に恐怖しておった。確かに余の――というより悪魔デビルのヱーテルには、そのような性質がある」

「――…」

「そして余は出来得る限り、そなたの意に添わぬ形にそなたを変貌させたくない」

 ……何とも、使い魔に優しい悪魔デビルであった。だからこそ、愛羅アイラムに指摘されたような甘えが出てしまうのであるが。

(人として生きるか、悪魔として生きるか……)

 答えなど、簡単に出せるわけが無かった。





   † 





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