第参幕「反攻セシ二人」

第参幕之壱「魔王、顕現ス」

》同日一三五二ヒトサンゴーフタ 天上寺てんじょうじ ――璃々栖リリス


 支え、切れなかった。頭部を失った皆無の体が崩れ落ちる。

 璃々栖は右足――霊的に強化された革靴の爪先にヱーテルを集め、皆無の父の姿を取る魔王を蹴り殺さんと脚を振り上げ、


「【この瞬間よ止まれ・汝は如何にも美しい】」


 ――る前に、全身が金縛りのようになって動けなくなった。

良いグートモスが笑う。「口が出る前に脚が出る。それでこそ貴女だ」


(皆無は生きているッ!)


 皆無の体内を流れる己のヱーテルが、皆無の息吹を伝えてれている。そも、ヱーテル体には脳とか心臓とか血液とった物が無いから、頭部を握り潰されたからといって、死ぬものでは無い。が、人は生前の感覚に縛られる。

「従僕が心配か、姫君? なぁに、死ぬことは無い。それは貴女も分かっているのだろう? ――が、戻って来るまでにどのくらいの時間が掛かるかは分からない。数日か、数週間か、数ヵ月か……そして記憶が戻る保証も無い」

 モスが足で皆無の体を転がして、仰向きにさせる。

「【寝て喰うだけが取り柄なら・獣と同じその一生――暴食ヴォレライ】」モスが、皆無の臍の下――丹田へ手を突っ込み、ずるずると、光り輝くヱーテル塊を、まるで腸のように引き摺り出す。「十億もあると、さすがに長いな」

 光の腸をモスがぶちりと引き千切る。彼はそれを一口大の大きさに千切って、残りは虚空へと仕舞った。皆無のヱーテルを口の中に放り込む。

美味レッカー! 当然か。若い上に魔王化サタナイズに至った逸材と、デウスの姫君のブレンドだ。極上、と云って良いだろう。もっと喰いたいが……あまり魔力ヱーテルを取り込み過ぎると、こ・い・つ、が目覚めてしまう」

『こいつ』と云いながら、その頭部を指先でこつ、こつ、こつ、と叩く。

 つまり、このモスは皆無の父にりついていて、皆無の父は強引に眠りにつかされているということなのであろう。

(しかし、何故)

「何故、という顔をしているな?」

 何故、モスが皆無の父に憑りついているのか。

「それは勿論、デウス家の大印章グランド・シジルを手に入れる為だ。が他の悪魔デビル印章シジルを集めて回っているのは有名な話であろう?」

(では何故、こやつは【神戸港結界】を通り抜けることが出来た?)

「通り抜けてなどいないさ」こちらの思考を読んだのか、モスが疑問に答える。「十三年前、強大な印章シジルの気配を感じて神戸港に降り立ってみれば、【涅槃寂静ニルヴァーナ】を纏った全力のこいつに追い返されてしまってね。だが、余はこいつの半身を喰らった時に、逆に余の一部をこいつの中に植え付けておいたのだ」

(何故、ダディ殿はそのことに気付かなかった?)

「余がこいつの記憶を喰っているからだ。大変だったのだよ? 憑りついたは良いが、己を維持する為には魔力が必要だ。が、堂々とこいつの肉体を喰らっては当然、気付かれてしまう。だからこいつの記憶アストラルを喰って、飢えをしのいできた。――もっともそれが原因で、こいつが昔のことをすっかり忘れ果ててしまい、グランド・シジルの在り処が分からなくなってしまったのは、さすがに誤算だったが」

 腕の在り処を聞き出そうとする時だけ、皆無の父の様子がいつもと違っていたのも納得であった。モスが表に出ていたのだ。

「余は、こいつの一挙手一投足を監視することが出来るが、こいつの意識を乗っ取れる時間はそう長くない。それに、こいつが弱っている時にしか、長時間表に出ることは出来ない。だからその貴重な時間を、たった二つのことだけに集中させることにした。一つ目は」右腕を持ち上げて見せ、「この、腕だ」

 ――そう。ナッケに斬り落とされた己の腕が、一体どうして皆無の父の右腕として収まっているのか。

「疑問か? 教えて差し上げよう。腕は、余が不和侯爵アンへ下賜した」

 それは、知っている。昨日、ナッケがそのようなことを口にしていたから。

「そして余はアンに、姫君の監視を任じた。人の影に潜むことが出来るあいつの能力は、その任に最も適していたからな」

 そう、愚かにも自分は、そのことを知らなかった。知らないまま神戸港に【瞬間移動テレポート】し……結果として、皆無と云う最強の使い魔を手に入れた。

アンには、姫君が逃げ出した際には連れ戻すよう命じていた。それが無理なら、居場所を伝えるように、とも」

 だからアンの刃は璃々栖にではなく周りの悪魔祓い師ヱクソシストに向いた。邪魔者を排除した上で【神戸港結界】を破壊し、璃々栖を連れ去ろうと考えていたのだろう。

(そして実際に、アンは【神戸港結界】を破壊せしめた。……が、余は、拾月じゅうげつ大将自慢の結界を、アンが如何なる手段を以て破壊したのかを知らない)

 拾月大将はいけ好かない奴だが、無能ではない……璃々栖はそう評価している。実際、摩耶山頂での戦いでは待ち伏せに気付くことも出来なかったし、彼の結界術で弱体化した己と皆無は死に掛けたのだから。

「そう、強力な槍が必要だった。【神戸港結界】を破るに足る、強力な魔力触媒が」

(ッ!)

「そう、この腕だ」

 皆無の父からは、『アンは槍のようなもので結界の巨大十字架に穴を開けた』と教えられていた。が、実際には、その『槍』とは己の右腕だったのだ。

「大変だったよ、遠く大阪の海にまで腕を回収しに行かなければならなかった。そして、その時の記憶は喰った。こいつが自分の腕に付いているこの右腕について疑問を感じた時も、その思考を喰った」


 何ということだろう。

 奪われたと思っていた己の腕は、こんなにも身近な所に在ったのだ!


「そして、二つ目」云いながらモスがその右腕で以て左腕を肩から引き千切り、指先から順にぼりぼりと喰らい始める。見る見るうちに腕はモスの腹に収まった。彼は台座に歩み寄り、デウスの左腕を掴む。「そう、デウス家の大印章グランド・シジル。万物の心を魅了し得ると云う、色欲の魔王の左腕。ずっとずぅっと、余はこれが欲しかったのだ」

 モスが、腕の断面を左肩にあてがう。断面同士のヱーテル体が盛り上がり、あっという間に腕の連結が成る。彼はしばらく、手を握ったり開いたり、肩を回したりして馴染ませていたようだが、やがて、

「うん? 七大魔王の大印章グランド・シジルだと云うから、どれほどのものかと期待していたのだが……期待外れか? まぁ良い。無いよりましなのは確かなのだから」

 己の右腕のみならず、このいくさにおける最大の切り札たる左腕グランド・シジルまでもを、他ならぬモスに奪われてしまった。

 絶望的な状況。

(じゃが…………ッ!!)

 その只中にあってなお、璃々栖は諦めていない。どころか、一筋の光明を見出していた。

(ダディ殿が弱っているからこそ、こやつはこうして表に出ることが出来ておる。つまり何らかの方法でダディ殿へ大量のヱーテルを供給することが出来れば、モスの意識を押し戻すことが出来るかも知れない!!)

「ほぅ? この状況下においてなお、絶望しない、か」モスが微笑む。「こいつの眼を通して見ていたが、貴女は本当に強いな……良いグート。そこに転がっている小僧が貴女を愛したのも良く分かるというものだ」

 それにしても、良く喋る……と、図らずも思ってしまった。皆無が目覚める、第零師団が異常を察知して援軍に来てれると云う可能性がある以上、時間稼ぎは出来るのなら出来るだけ嬉しい。だから、思考を読まれている状況下で、そのようなことは考えるべきでは無かった。

「ははっ!」モスが心底嬉しそうに笑う。「そうか、時間稼ぎか。使い魔を潰され、腕は無く、足も口も動かぬこの状況下で? いっそ滑稽なほどだが……いや、絶望して泣き叫び、命乞いをされるよりはよほど良い。ますますもってな」

(欲しい?)

「あぁ、余が良く喋る理由であったな。探偵小説にせよ冒険小説にせよ、物語の佳境で、黒幕はことの真相を明かすものだろう?」佳境。璃々栖にとっては絶望以外の何物でもないこの状況をして佳境と云わしめる。嫌味でもなく、実に自然な笑顔を以て。「余は貴女の歓心を買いたいのだ。貴女と、貴女の可愛い使い魔を、余の物にしたいのだ。その為に、貴女の余に対する印象を少しでも良くしておきたい。だからこうして、貴重な情報を開示して差し上げているのだよ」モスが虚空を階段でもあるかのように上って来て、璃々栖の目の前に立つ。「貴女は特別に、余の下僕ではなく妃にして差し上げよう。あぁ、何人目の妃かは聞いてれるな? 子供は何人欲しいかな? その中で左腕を持たない子が生まれたなら、是非ともこの腕を継承させたいものだ」

 モスが、その手で髪を梳いてくる。心底、気持ちが悪い。

「そう嫌わないで貰いたいな。貴女の使い魔は頭部を破壊された。ヱーテル体を得て間もない悪魔デビルなら、覚醒に数週間、記憶を取り戻すのには数ヵ月か、もっともっと掛かるような傷だ。だが余ならば、余が持つ六百六十五の印章シジルの中にある魔術ならば、今すぐにでも蘇生させることが出来る。どうだ、悪い条件ではあるまい? 余の配下に加われるなど、無上の喜びであるはずだ」


 はらわたが煮えくり返るとは、まさにこのことであった。


 ――『敵』が、己が父を母を兄弟を一族を殺し、腕を斬り落とし、今こうして最愛の男性の頭を握り潰した『敵』が、どれだけ憎んでも憎み切れないこの『敵』が、こうして今、己に対してにこやかに微笑み掛けてきている。

 これだけの仕打ちをしてなお、己がモスの下に付くであろうと、己が当然そのような選択肢を取るであろうと本気で考えている。驚くべき無邪気さ。吐き気を催すほどの邪悪。

モスッ! 殺す…殺してやる……ッ!)言語に絶する怒りと共にモスを睨みつける視界のその先で、


 ゆらりと、皆無の体が立ち上がった。





   † 





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