第弐幕之漆「璃々栖之恋」
》同日
軍衣を身に纏い、左手に三十五年式村田自動小銃を携えた、成人男性の体格を取った父に見下ろされる。父は、ゆらゆらと揺れる九本の尻尾を背負っている。
玉藻前として鳥羽上皇の寵愛を得た美貌の魔女――
その姿から、九尾狐の生まれ変わりとも九尾狐のヱーテル核を喰ったのだとも噂される父だが、真実は誰も知らない。父自身さえも知らないと云う。父はただのありふれた孤児の身の上で、阿ノ玖多羅家の者に霊才を認められて拾われたに過ぎないと、そう本人が公式の場で何度も口にしているのだ。
「他ならぬ賽を投げたのはお前だぞ、皆無」その父が、身構える。
「待っ――…」皆無は
「――遅い」
まったく目で追えない速度で肉薄され、強烈な勢いで腹を蹴り上げられる。体が浮く。すかさず腹に銃口が打ち付けられ、強烈な零距離射撃。口頭詠唱どころか脳内詠唱すらしていないであろう連射であるにも関わらず、その一発一発が
五発の弾丸が皆無の五臓六腑を吹き飛ばし、腸と血肉が翼のように中空に撒き散らされる。
(死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないッ!)恐怖と狂乱の中、皆無は【
「【
顔の前に手のひらほどの結界が展開するのと、銃口が火を噴くのは同時だった。
「ぎゃッ!」直撃はまぬがれるも爆風に顔を焼かれて悲鳴を上げる。(【
周囲を真っ白な霧が包み込む。皆無は顔面を治しながら素早く身を起こし、近くの森へ飛び込む。
「【
†
》
最初は、心臓を握られているという恐怖心によって服従させるつもりだった。これは上手くいった。
次に、己の美しさを利用しての操縦。これも非常に上手くいった。
だが、
正直、戸惑った。
(皆無――…)
皆無は己の顔に、体に、声にヱーテル総量に魔術知識に立ち居振る舞いに、そして何より精神力に惚れた。が、己は一人の少年の人生を左右せしめるほどの、一人の人生を吸い尽くせるほどの精神力――王たる器など持ち合わせてはいない。皆無に対してあれほど強い態度を示し続けられたのは、必死に弱音を押し殺しての、途方も無い恐怖心を押し殺しての、なけなしの矜持によるものだった。
皆無は自分によく
両腕を持った兄達――腕を持つが故に王位継承権を持たず、自分に対して時に居丈高な、時に卑屈な態度を取る男達しか知らなかった璃々栖にとって、皆無は堪らなく可愛らしい生き物だった。弟が出来たみたいで、とても嬉しかった。
……
「
「議会!?」
「うむ! 王は余である。あるがしかし、余は絶対的権限を
「立憲君主制!! ええやん!! 日本も璃々栖が云うような政治体系やねん!」
「【
「あはっ、よう出来たのぅ。ほれ、褒美じゃ撫でてやろう」
「踏むなや」
「そうは云われても、余にはこの通り腕が無い」
「うっ……せ、せやったらその、腕を見つけた時に、頭、撫でてぇや」
「良い。好きに動いてみよ」
「う、うん……んっ」
「ひゃぅっ!? も、もっとゆっくり……」
「え、えぇぇ……好きに動け云うたやん」
「そんなに縦横無尽に飛び回られては、酔うではないか!」
「あはっ! 鳥になったみたいや!」楽しそうに笑う皆無が可愛かった。
目を閉じれば、皆無との楽しかった思い出が幾つも幾つも湧き上がってくる。
……
「俺はお前の盾であり剣や。俺の命は、お前の為にある。俺はお前の為に死ぬ」
逃避行を続け、腕は見つからず、絶望ばかりが深くなっていく中で、皆無は頻繁にそんなことを云うようになった。皆無は自身にそう云い聞かせることで、いざという時に身を挺する覚悟を築き上げているようであった……事実、皆無はつい先ほど、自分の為に死を選択して
己の為に右往左往する皆無。己の為に頑張って
――重かった。十六の小娘に過ぎない己には、手のひらに収まるこの狂おしいまでに愛しい小さな命が、重すぎた。
重い、と気付いた時にはもう遅かった。その頃にはもう……璃々栖にとって、皆無は『切るべき時には切り捨てるべき手駒』から、『絶対に離れたくない大切な存在』に
自分はこれから、死よりもおぞましい目に遭うのだろう……。
王城の一室――憎き
四月一日の夜に出逢ってからの一週間。そして、その後の一ヵ月。皆無が自分の体を欲しているのは痛いほど分かっていた。が、一度与えてしまえば、他ならぬ自分が皆無に依存してしまいそうで怖かった。
……笑える話だ。結局己は、この身を皆無に捧げるまでも無く、皆無に依存し、皆無に溺れた。
『抱かせてやる』では無く、正しくは『抱かれたい』であろう。
……
「久しいですなぁ、姫君」しわがれた声。厭らしい笑み。小柄な老人――叛逆者
†
》同日
雨はいつしか土砂降りになっていた。
(死にたくない死にたくない死にたくない……)逃げた。(死にたくないッ!)魔術の限りを尽くして逃げに徹した。認識阻害、隠密、隠蔽の魔術を何度も何度も重ね掛けし、森の深い方へ深い方へと走る。泥塗れになって無様に逃走する。が、
「【ナウマク・サマンダ・ボダナン・キリカ・ソワカ――】」
遥か上空で、父の声。【
「【
灼熱。皆無が潜む地点を含む数百メートル四方の木々が蒸発する。皆無は全身を多重の【
土砂降りの中、
「そんな所に隠れていたのか」
父が降ってくる。皆無は逃げる。
「どうした、皆無? 【ザカリアの釘】で弱っていた時よりもなお弱いくらいじゃないか?」皆無の位置を正確に認識しながら、父が確殺級の銃弾を撃ち込んでくる。
(死にたくないッ!)皆無は逃げる。つい先ほど、愛する人を前に死を覚悟したとは思えぬほどに、今の己は死を恐れている。当然の話である。騎士となり、命を捧げると誓った王の為に死ぬのと、ただ一個の甲種
「何故逃げる、皆無!? レディ・璃々栖からは捨てられ、日本国からは敵と認定され……もうお前に生きる意味など無いだろう!? せめて潔く祓われろッ! そうすれば相応の墓は用意してやる!」
「分からへんッ!」皆無は泣き叫ぶ。「死にたない――けど
「……なんだ、そんなことも分からないのか?」
父の声。
右の太腿の肉が銃弾でごっそりと奪われ、皆無はその場で転ぶ。治癒魔術を使おうにも、心がぐちゃぐちゃに乱れてヱーテル操作がままならない。気が付けば、仰向けの体勢で父に胸を踏みつけられ、頭部に銃口を突き付けられていた。
「レディ・璃々栖が、お前のことを愛したからに決まっているだろう」
「…………え?」
「『献身』だよ、皆無。
皆無はその銃身を握り潰す。
気付けば、右腕だけ
(……愛? 璃々栖が、俺を、愛して
「ちっ! 【ナウマク・サマンダ・ボダナン・キリカ・ソワカ――
父の口から、日本最強の術師による最強の攻撃術式が吹き出される。零距離での劫火で、視界が真っ青な炎で埋め尽くされる。
(死にたくない)ひどくゆっくりとした時間の中で、皆無は両腕を突き出し、最高の防御魔術【ディースの城壁】を、己を取り巻くように展開させる。(死にたくない……――――生きたいッ!!)
思えば自分は今まで、生きてこなかった。死んでいないだけであった。ほんの少しの努力だけで常に一等賞が取れて、周りからはそれを当然視されて、それでいて父には絶対に敵わないと絶望し、生きる理由が分からないでいた。
(璃々栖、俺は――)
そんな日々は、璃々栖との出逢いで一変した。が、結局のところ自分は璃々栖に付き従い、依存しているに過ぎなかった。
それが今、明確に、生きたいと思う理由が胸の中にある。
(璃々栖……ッ!!)
璃々栖の様々な顔が浮かぶ。晴れやかな笑顔。小憎らしい嗤い顔。偉そうな笑み。一緒に風呂に入る時に見せる、こちらを揶揄いつつも少し照れているだらしのない笑み。泣き顔。
『腕が欲しい……そなたを抱きしめる為の、腕が』
先ほど見せた、
失望のあまり、直視しようとしなかったその顔は、必死に笑っていたのだ。
(生きたいッ!! 生きてもう一度、璃々栖に逢いたいッ!!)
【ディースの城壁】が溶けて、青い鬼火が顔を出す。
突き出した両手の指先が燃え、炭となり、灰となって塵となり、
手のひらが消え、二の腕が燃え上がり、肩まで無くなり、
全身が焼けて触覚を失い、視覚を失い嗅覚を失い聴覚を失い、
脳が蒸発し、『熱い』も『痛い』も『苦しい』も何もかもを失って。
明治三十六年五月十二日、
†
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