第弐幕之捌「悟リ」
》同日
体を失い、五感を失い、皆無は今、何も無い暗闇の中で
何も無い、何も感じない、暗闇。
「これが『無』だよ、皆無」父の声が聞こえる。「『無』であり、『
突如として、皆無の意識は四月一日二十一時四十一分へと舞い戻る。
ぱっと顔を上げる。真正面に、父の顔。皆無は己の体を見下ろす。
手が、腕が、体がちゃんとある。顔を上げると父が居て、三人の
「何をぼけっとしているんだい、皆無?」
「あ、いや……ごめん」
「まったく、そんなことじゃあ伊藤サンに顔向け出来ないじゃないか」
「またかいな」
「また、とは?」
「伊藤閣下のお話」夜の異人館街にて。皆無は強い既視感を感じながら、しばし父と会話をする。「はぁ~……ッ! 忘れっぽいダディに期待した僕が悪かっ――」そして、
「極大ヱーテル反応。場所は居留地の九番地南の海岸線。は、ははは、驚いたな……甲種
†
ヴウゥゥウウゥゥゥウウゥゥ……
外国人居留地の南端、海岸通へ出る。果たしてそこに居たのは、
「――璃々栖ッ!?」
両腕の無い、血に塗れたドレス姿の璃々栖が空から降り立つところだった。彼女は地に足を付けるや否や、力無くその場に崩れ落ちそうになり、
「璃々栖!」駆け寄り、璃々栖を支える。
「……誰じゃ、そなたは? 何故、
†
これは夢か走馬灯か。皆無は神戸で、二度目の明治三十六年四月を生きる。
璃々栖と共に飯を喰い、璃々栖と共に夜の神戸で戦い、璃々栖を風呂に入れ、璃々栖と共に眠る。そんな日々の追体験の中で、皆無はようやく気付いた。
璃々栖が、必ずしも絶対的な強者ではないということに。
皆無に空中で放り投げられたり、港を襲う
五月に入ると、それは一層顕著になった。
皆無が『俺はいつか璃々栖の為に死ぬ』というようなことを云うと、璃々栖は露骨に悲しそうな顔をした。皆無が璃々栖に、以前のような泰然とした態度を取るように求めると、璃々栖は辛そうな顔をした。
以前の自分は、そういう弱い璃々栖を見せられると苛立ったものであったが、今ならば璃々栖の気持ちも良く分かる。だから皆無は、この優しい二度目の日々の中で新しい試みをする。主が弱音を吐いた時に、慰めの言葉を掛け、頭を撫でてみたのだ。今まで皆無は、己がそんなことをすればきっと、気高い璃々栖は怒るだろうと思っていた。が、璃々栖は喜びながら甘えてきた。
見えていなかったのだ。自分は分かっていなかった。璃々栖は絶対的存在でも王でも無く、ただそれを目指しているだけのか弱い少女だったのだ。
(――――守りたい)そう思う。(璃々栖の体だけや無くて、心も守りたい)
その為には、死んでしまうわけにはいかない。死んでしまっては璃々栖を守れない。
(生きたい――…璃々栖と共に、生きたいッ!!)
†
皆無の走馬灯は己の死の直前、五月十二日十二時四十分へと舞い戻る。
あらゆる草木が燃え尽くした摩耶山の一角で、仰向けに倒れ、父が向ける村田銃の銃身を握りつぶしたところだ。
父の口から吹き出される真っ青な劫火に向けて【ディースの城壁】を展開させる。が、すぐに壁は溶けて無くなってしまう。
「あぁぁああぁあぁあああッ!!」皆無は叫ぶ。叫んで、声と共に膨大な量のヱーテルの風を放ち、炎を押し返そうとする。それでも鬼火は勢いを失わず、突き出した皆無の指先が、手が、腕が燃えて消えていく。(死ぬわけにはいかないッ!! 絶対にッ!!)
「あぁぁああああぁぁああぁあぁあああああああッ!!」
全身が炎に呑み込まれる。
また死んだ、と思った。
「――あぁあああッ!!」
が、己が喉は咆哮を発し、劫火は掻き消えている。
皆無は飛び起きる。
見れば、父が数メートルの距離を取って身構えており、
「――皆無ッ!!
(――――視える)
皆無の知覚は、三千世界を駆け巡る。
父の動き、ヱーテルの流れ、雨の雫の大きさ、風、温度、宙を舞う土埃の一粒々々――初めて
今の皆無には、未来が視える。
父が遠距離戦を仕掛けてくる確率、三割。接近戦を仕掛けてくる確率、六割。その他の可能性、一割。皆無は全身を
果たして父の重心が前に傾き、六割側の未来で確定した。
皆無は右の人差し指を父へ向ける。指先から鋼鉄の弾丸が生成され、猛回転しながら射出される。狙いは、こちらへ突進しようとしている父の眉間。結界術式を張って最短距離を来る確率、五割。右へ避ける確率、三割。左へ避ける確率、一割。他の可能性、一割。父の丹田でヱーテルが練られる気配があり、五割側の未来で確定する。
父の顔の前に手のひら程度の結界が生成され、角度を持って生成されたそれが、皆無が放った弾丸の弾道を逸らす。父の肉薄。父はその結界で
「ふぅっ」皆無の吐息と共に放たれたヱーテルで相殺され、砕けて塵になる。
が、その時には既に、父が虚空からの抜刀を済ませていた。中空を駆け上がり、真っ白に輝く刀身を大上段から皆無の脳天へ叩き付ける。
真っ二つになっていたことだろう……先ほどまでの自分であれば。
刀身は、皆無の頭に届かない。皆無が、その悪魔的な右手で握りしめているからだ。
(まったく
「ははっ!」二つになった父が、即座に二体の小人にその身を変じる。上の小人の義腕だけが元の大きさなのが実に不気味である。「やるじゃないか!!」
皆無は下の小人を蹴り飛ばし、上の小人に対しては強烈な【
黒焦げになった上の小人はしかし、虚空から引きずり出した南部式拳銃を皆無の頭部目掛けて連射する。計八発の弾丸は、
(【
皆無の眼前に広がった亜空間への入り口に入っていき、そして上の小人の足元に展開された亜空間の出口から飛び出して来る。父の体が、猛烈な威力を持つ八発の火の玉で
(さて、残りは)知ろう、とそう思っただけで膨大な情報が脳内に流れ込んでくる。
「参った! 降参だ!」頭を掴まれた小人の父が、両手を合わせる。「このとぉ~り!! 私ではもうお前には敵わない。だからもう、私はお前を攻撃しないし、お前の邪魔をしない! だから殺すのだけは勘弁してもらえないかい!?」
「……はぁ~」溜息を吐きながら、皆無は地上に降り、父を解放する。
こんな三文芝居を経るまでも無く、皆無は父に己に対する殺意が無いことを見抜いていた。
いつしか雨は止み、今は晴れ晴れとした空が広がっている。
「いやぁ、参った参った」すっかり小さくなってしまった父が、晴れやかな笑顔で云う。いう間にも徐々に体が大きくなっていき、『上の小人』が消滅した地点から呼び寄せられたらしい右の義腕を身に着ける。「良し、良し。ヱーテル濃度は薄いけど、何とかかんとか元の体っぽい感じに成れたね」尻尾の無い、見慣れた一〇〇サンチの姿になった父が、「皆無、自身のヱーテル総量を測ってご覧?」
「え? 十億!?」実に、璃々栖の二倍。
「あっはっはっ! 勝てないわけだ! それでどうだい、
「空? あぁ、ってことは……」皆無は己の両手を眺める。剣、と思えばその手が鋭利な刀に変じる。「やっぱり俺は、一度死んだんか?」
「そうだよ。お前の元の体は、私が放った炎によって溶けて無くなった。今のお前の体は、ヱーテル体だ」
「
無。空。悟り――璃々栖が云うところの
「望んだ展開の中では最良のものだね」
「やっぱり」戦いの
「臨死体験は霊能力を高めるには最良の方法だし、死ねばそこまでの話だったと割り切っていたからね」父が笑い飛ばす。「お前には悪いが、私にとって最も大事な物事はお前の命では無く、神戸と日本の存続だ。お前が死んでしまうようであれば、お前のヱーテル核を喰って私のヱーテルの足しにし、
「えぇぇ……にしても、これが悟り、か」どうにも実感が湧かない。何しろこの心は、
「あはは。まぁ、そういうものだよ。悟り方は、人それぞれさ」皆無の考えを読み取ったらしい父。その笑みが慈愛に包まれ、「さぁ、もう行くと良い。お前は一世一代の家出と駆け落ちを経験し、盛大な親子喧嘩を
「好きにしてええんか?」
「善いよ。と云うか、
皆無はダディへ頭を下げる。「十三年間、お世話になりました」
「うん」父が笑う。
皆無は頭を上げ、はるか南方――神戸港第一波止場の海上へと目を向ける。研ぎ澄まされた知覚は波の音を捉え、海上に浮かぶ
(行こう)と、そう思った時にはもう、皆無の体は神戸の海上、
城の周囲を警備している人形達がさっそく気付き、こちらに殺到してくる。
「今行くで、璃々栖ッ!」
†
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