第弐幕之肆「逃避行」

同日〇七一五マルナナヒトゴー 神戸元町・神戸駅 ――皆無かいな


 元町の北、神戸駅にて。

「ほほぉ、本当に石炭の火力だけで動いておるのか!」髪を結い上げ、大きな麦わら帽子を被ったが、汽車を見上げて感嘆の声を上げる。服は、皆無が元町デヱトで璃々栖に大量に送った物の一つを着ている。上は赤を基調とした花柄の着物、下はやはり臙脂ゑんじむらさき色の馬乗袴うまのりばかまの替え。璃々栖としても気に入っているらしい。

 帽子は、今や全国手配されているであろう璃々栖の、目立つ金髪を隠す為だ。麦わら帽子が男物なのは、皆無の私物だからである。己の衣類を璃々栖が身に着けていることに、皆無は何とは無しに璃々栖に対する支配欲のようなものを感じるが、

(あかんあかん……俺は璃々栖の騎士。剣であり盾や)璃々栖のことは好きだ。が、グランド・シジルを見つけ出し、ナッケを退けるまではこの気持ちには蓋をして、目の前のことに集中すべし、と皆無は己に課している。「璃々栖、中にお入り。もう出るで」

 璃々栖が皆無のそばに駆け寄ってくる。心なしか、並び立つ際の距離が近い。


   †


「殿方と二人旅など、胸が高鳴るのぅ」揺れる車内。客車の片隅で、並んで座る璃々栖が甘えるようにもたれ掛かってくる。

 皆無としては、璃々栖に頼られることがひどく心を高揚させる。と同時に、

「と、殿方!?」璃々栖が己のことを男として見てれているのであろうか? 思春期真っ只中であり、璃々栖に身も心も捧げて悔い無しとまで思い切った皆無にとって、これは最重要課題である。璃々栖の方を見ると、果たして視線が絡み合った。皆無はそのまま、璃々栖に口付けしようと顔を近付け――

「ごほん!」アストラル面に隠れていたセアアストラル体が、二人の間へ割って入るように出現した。「わたくしめもおるのですが……」

「そ、そうじゃったな!」璃々栖が真っ赤になって顔を逸らした。


   †


》同日〇七二〇マルナナフタマル 神戸元町・鉄道の車内 ――


(わ、我ながら何とはしたない……)顔が熱い。「か、皆無よ!」

「ああ」皆無が即座に返事をする。

 こういう時、従来であれば『うん』と来たように思う。雰囲気といい話し方といい、皆無が突然に男らしくなってしまい、璃々栖はこれをどう扱って良いやら分からない。

「そ、そなたはの騎士たらんと望んだな!?」

「ああ」

「なればそなたには、場合によっては余の為に命を捨てる覚悟が必要じゃ。必要とあらば、余はそなたを捨て駒にもする。覚悟せよ」

『捨て駒』などという極端な言葉を使ったのは、そうとでも云わねば、自分の方がこの逞しい少年に依存してしまいそうだったからだ。

 果たして、

「ええで」皆無が力強く頷く。それから不敵に嗤い、「もっとも、そんな事態には陥らんと思うけどな。今の俺なら、どんな敵が来たかて撃退出来るわ。それに俺はまだ、日本を裏切るつもりも無いで。左腕グランド・シジル探し出してナッケを縊り殺したら、許してもらえるかも知れんし……」一転、やや不安げな表情になり、すぐに笑顔に戻る。「ま、それでも許してもらえんかったら、そん時ゃお前と一緒に地獄の果てまで旅したるわ。我が愛しの贝阿朵莉切ベアトリーチェ

「~~ッ!!」顔が真っ赤になる。この胸の高鳴りは、一向に収まる気配を見せない。


   †


 兵庫駅で降りる。西に向かったのは、今や悪魔祓い師ヱクソシスト達で溢れ返っている神戸港・元町から距離を取る為だ。

『神戸』と定義される地域の西端たる兵庫から順に、神社や寺院といった人々の信仰の集まる場所、のみならず人々の歓心アストラルが集まりやすそうな名所をぐるりと巡る計画であった。

 皆無は今、元ブラデヱトの時と同じ姿――上は着物、下は袴に私物の革靴――をしている。顔を隠すためにぶかぶかの山高帽を被っているのが何とも可愛らしい。

 愛しい使い魔との二人――と従者一人――旅に、璃々栖はすっかり舞い上がっている。気分はさながら神戸一周旅行であった。無論、自分が今ここで生きているが為に犠牲となった者達――父、家臣達、王族派の臣民、そして自分の戦いに巻き込まれて死んだ巡洋艦『済遠サイ・エン』の乗組員達――のことは、重く胸に伸し掛かっていたが。

 そうして、皆無が広げた『神戸市細見全図』という地図の西端が、


   †


「和田岬砲台。あの勝海舟が設計してんで」

「『あの』と云われても、分からぬのじゃが」

 皆無が潮風にさらされて黒ずんでいる砲台を見上げる。「これが作られた頃は、露西亜を始め外国の船がここらの海を好き放題走っとったって話でな。『海防』って言葉が云われ始めたんも、発端は露西亜ロシアの南下政策やとか何とか、ダディが云うとったわ」

 観光解説を受けている当の璃々栖は、砲台ではなく皆無の横顔を見つめている。


   †


「ここが和田神社。蛭子大神……恵比須様、えべっさんを祭ってる神社の一つやな」

 砲台から北へ少し歩いて。二人は東西を運河、南を橋に囲まれた、浮島かと錯覚させる不思議な神社の只中にいる。

「どや、何か感じる?」

「ううむ……なるほど確かに、先ほどの砲台にすれば強いヱーテルを感じるが、生田神社ほどではないな」

 璃々栖は己の左腕――生来存在しない、己の悪魔グランド・シジル大印章・オブ・デビルが収まるべき空間を意識する。すぐさま、じんじん……という、痛みと心地良さの中間のような感覚が浮かび上がってくる。

『腕が近くにある時、腕に認められし者は、うつろなる腕にまぼろしの痛みを感じる』と云うことは、デウス王家に伝わる伝説として、寝かしつけられる時などに乳母からよく聞いたものであった。

 父のそばに居る時、その痛みを感じないのはきっと、未だ父が健全であり、己が腕に認められていないからなのだろうと勝手に解釈していた。父が賊どもに吶喊して――…殺され、そのすきもっセアの【瞬間移動テレポート】で神戸港に転移した璃々栖は、その港に降り立ち、けして涙をこぼすまいと堪えながら顔を上げ、


 その途端、左腕に幻痛を得た。鮮烈な痛み。歓喜の痛みであった。


 四方八方、周り全てが敵。そういう状況下にあって、己があれほどまでに気丈に振舞うことが出来たのは、『確かにここに、腕がある』という確信を得られたからに他ならない。

 が、今。あの夜感じた鮮烈なまでの痛みとは、この幻痛はほど遠い。痛みに慣れてしまったというのはあるだろうが。

(ここに腕は無い、と云うことか? いや、思えば生田神社でも、痛みは鈍かった。単純な距離の問題では無いのじゃろうか……?)

 己の不正確な感覚だけでは無く、悪魔化デビライズにまで至った皆無の、鋭敏な感覚にも頼ることにする。「魔術で探ってれるかの? ヱーテルは渡してやるから」

「お、おう」顔を赤らめる皆無。

 二人してひと気の無い本殿裏に行き、

「神のやしろの背中に隠れて口付けとは……」赤くなった皆無を見下ろしながら、璃々栖は背筋に『ゾクゾク』という快感としか表現しようの無い興奮を得る。「何とも背徳的で悪魔的じゃのぅ!」


   †


》同日〇七五七マルナナゴーナナ 兵庫・和田神社 ――皆無かいな


 璃々栖からの口付け。出逢った当初の甚振いたぶるような、かぶりつくようなそれでは無く、まるでついばむような、少し触れては離れて、その感触を確かめ合うような口付け。

 己も随分と興奮している自覚があるが、見れば璃々栖もまた、その頬が真っ赤に上気している。明らかに、口付けそのものを楽しんでいる様子であった。そのさまが、璃々栖のうっとりとした表情が、赤く染まった頬が、狂おしいまでに愛おしい。

(あかんあかん! 【万物解析アナライズ】!)虫の数すら把握せしめる究極の捜索魔術が和田神社をくまなく調べ上げる……が、「……この神社には、腕らしき反応は無い、な」

「そう……か」束の間、物憂げな表情を見せた主だが、すぐにいつもの泰然とした笑みを取戻し、「まぁ神戸横断作戦も始まったばかりじゃ! 臆せず先に進もうぞ!!」


   †


》同月十二日一二一五ヒトフタヒトゴー 兵庫・和田・和楽園 ――皆無かいな


「いやぁ、『遊園地』というのは面白いのぅ!」

 和楽園の屋上にて。日傘が掲げられた洋風テーブルに着いた皆無は、璃々栖の口へ団子を運ぶ。

「腕があるなら、あの釣り堀で釣りをしてみたいものじゃ」

「せやな。腕見つけたらまたデヱトで来よう。――あ、魚と云えば昔ここに水族館があってんで」

「すいぞくかん? 何じゃそれは?」

「こう、でぇ~~っかい水槽の中で泳ぐ珍しい魚を鑑賞すんねん。今は湊川神社に移ってもたけど」

「ほほぅ! 見たい! 見たいぞ皆無!」


   †


》同月十五日|一四二五 神戸・湊川神社 ――皆無かいな


「皆無、皆無! 本当に窓の中で魚が泳いでおるぞ!?」

「見りゃ分かるって」

 湊川神社内の水族館にて。巨大な硝子窓の向こうですいすいと泳ぐ魚達を、璃々栖が楽しそうに眺めている。が、その表情がやや曇り、

「これで、腕がここにあればなお良かったのじゃがのぅ……」

「大丈夫や、そのうち見つかる」皆無は、やや丸くなった璃々栖の背中をそっと撫でる。


   †


》同月十八日〇九一二マルキュウヒトフタ 神戸北野・異人館街 ――皆無かいな


「異人館街やな。ここいらの景観は物珍しいから、見物客がようおんねん」

「ふむ。余からすれば、むしろここいらの景観の方が馴染みを感じるが……しかし煉瓦の壁に瓦屋根? 和洋折衷せっちゅうという奴は、奥が深い」

「あ、この屋敷や」皆無は、その屋根に風見鶏を乗せている屋敷の前で立ち止まり、しばし合掌する。「ここに憑いてる乙種悪霊デーモンを祓った直後に、璃々栖が来てん」

 四月一日の夜。おのが人生が、ようやく回り出した日のことである。

「ふぅん? 【赤き蛇・神の悪意沙磨爾サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析アナライズ】」璃々栖が屋敷を見据えながら魔術を使う。「ベルブブ王の眷属ではなかったか?」

 皆無はびくりと震える。「た、確かに祓った後のヱーテル核は蠅の形しとった! けど、なんで分かったん?」

ベルブブ王とデウス家は、軍事同盟こそ結んではおらんかったが、不可侵条約及び協商条約を結んでおった仲でな。の王の『感じ』は良く知っておる」

「けど……この屋敷に憑りついた悪霊デーモンは、この家の人間を喰った」

「うぅむ……まぁ何だ、我が眷属男淫魔インキュバス女淫魔サキュバスのように愛液・精液を介してヱーテルを得られるわけでもなく、さりとて人の子らの信仰心や供物、恐怖心からヱーテルを得られるわけでもない虚弱な悪魔デビル悪霊デーモンにとって、人間の命とは即ちめしじゃ。そなたも、牛飯を喰う時に牛の生涯を想ったりはせぬじゃろう?」

「なっ!?」皆無は一瞬気色ばむが、巡洋艦『済遠サイ・エン』の犠牲者のことを未だに口にする主自身が、そのような悪魔的思考の持ち主では無いとすぐに思い直す。

ベルブブ王は、憎きモスと比べれば極めて穏健派じゃ。それが証拠に、モスのように物理アッシャー界に顕現して人里を襲ったなどということが無い。が、己の眷属一人々々の食事情まで管理できるほど暇でも無い。そして、穏健であったが為にヱーテルの貯蔵量がモスに劣り、結果としてモスに追い落とされてしもうた……我が父と同じように」


   †


》同月二十日一五五〇ヒトゴーゴーマル 神戸・布引ぬのびき ――皆無かいな


「これが『布引の滝』か!」

「日本三大神滝のひとつやねんで。あと、ここの水は美味しくて世界中の船乗り達に人気やねん。『KOBE WATER』云うてな」

 天から降って来るかの如き水の奔流に、璃々栖の表情がぱっと華やぐ。このところ、璃々栖が物憂げな表情をすることが多かっただけに、皆無は主の笑顔が嬉しい。

「数年前にはコンクリートベトン製のでぇっかいダムが完成してなぁ!」

「なるほど、これだけの景観であれば、さぞ人の子らの歓心アストラルも集められよう! 皆無、魔術で調べてもらえるかの?」

「仰せのままに。【万物解析アナライズ】!」


   †


》同月二十一日一三一二ヒトサンヒトフタ 神戸・灘 ――皆無かいな


「灘と云えば酒! 酒と云えば灘! どや、俺はまだ飲めへんけど……美味い?」

 酒蔵に併設された店舗で、璃々栖が試飲する。「う、う、う……」

(美味いの『う』!?)

「うわぁぁあああん!!」いきなり璃々栖が泣き出す。「余は駄目な女じゃ。祖国復興を誓ってこの地に来たというのに、未だ腕の一本も見つけられぬとはッ!!」

「ちょちょっ、璃々栖、シーッ! え、酔っぱらっとんの? 試飲だけで!?」


   †


》同月二十三日〇八〇六マルハチマルロク 神戸・六甲山・とある寺院 ――皆無かいな


「ここにも無い、か。セア大印章グランド・シジルが覚えていた地点ゆえ、期待しておったのじゃが」


   †


》五月十日一五〇〇ヒトゴーマルマル 神戸・六甲山・別の寺院 ――皆無かいな


「何故じゃ、どうして見つからぬのじゃ!?」主が、悲痛としか云いようの無い悲鳴を上げる。「セア大印章グランド・シジルが覚えている寺院・神社は全て回った! ここをして見つからぬとなれば、余は一体、何処どこを探せば良いと云うのじゃ……父上」


   †


 けして楽な旅路では無かった。むしろ困難の方が多かった。

 絶望的な状況の中で、次第に覚悟が出来上がっていった。

 必要とあらば、璃々栖の為に死ぬ覚悟が。

 ……そんな風にして、四月十一日の旅立ちから、実に一ヵ月が過ぎた。





   † 





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