第弐幕之参「撤退不可能ナル恋」

》同日〇六五二マルロクゴーフタ 自室 ――皆無かいな


「助けてれ、皆無!」今にも消え去りそうなほどに消耗しているセアが、懇願してくる。「殿下が、ナッケめに追われているのだ!」

「は? ナッケ!?」目がえる。(拾月中将、悪魔デビルを街に招き入れたんか!)

「頼む皆無! お前の力が無くては、殿下がさらわれてしまう!」

「なっ――…けど僕にはもう、あいつを助ける義務も義理もあらへん」

 ナッケに捕らえられてしまっては、はきっと非道ひどい目に遭うだろう……鎖に繋がれ、今度こそ処女を奪われ、犯され、痛めつけられるだろう。殺されてしまうかもしれない。

(やけど……!)

 そんな璃々栖の姿は見たくない。璃々栖のことは好きだ。好きだが、こんな一方的な淡い恋心の為だけに、己の命を投げ出すなんて馬鹿げている。


「大莫迦ばか者! 姫様のに報いる気は無いのか!?」


「……は? 好意?」怒りと共に皆無は問いただす。「あいつは自分の為に、僕に死ねってうてんで!? そんなあいつからの、好意やって!?」

「こんなことを議論している場合ではないのだ!」

「答えろ! 答えん限り、僕は動かん」

「――二つだ! 一つは餞別として殿下がお前に送ったヱーテル! あんなことをしなければ、殿下はもっと戦えた!」

 確かにそうであった。受け取ったヱーテル量は相当なものになるはずだった。だが、自分如きに渡す量など、璃々栖のヱーテル総量からすれば微々たるものだと思い込んでいた。皆無は璃々栖のことを、圧倒的強者だと見ていた。

「二つ目は、お前に選択を迫った時、【魅了チャーム】の魔術を解いたことだ!」

「はっ!? 【魅了チャーム】って何やねん!?」

「そもそもお前の体には今、元のお前のヱーテル総量を圧倒的に上回る殿下のヱーテルで満ちている。お前の体や意志は、殿下の望む方向に動くようになっている。殿下が、お前が殿下に魅入られるようにと少し願うだけで、お前は殿下に夢中になる」

「そ、そんな――…僕はずっと、操られて」

「お前に裏切られては御身が滅びかねないのだ! 仕方の無いことであろう!?」

 思い返してみれば、自分の璃々栖に対する執着振りはいささか異常であった。「え、でも……その【魅了チャーム】を解いたって? 何で? 【魅了チャーム】したままの僕に、同行するように云えば良かったやん」

「だから、好意だと云っているではないか!」

「は?」

「好意だ! 殿下は、お前の自由意思を尊重なさったのだ!」


   †


》同日〇六五五マルロクゴーゴー 神戸元町 ――


 ナッケが操る人形に背中から蹴り飛ばされ、無様に転んで、両手の無い身では満足に起き上がることも出来ない。

「無様ですなぁ」人形の口から、堪え切れないと云った様子の笑い声が出てくる。

 皆無には拒絶され、セアすら何処かへ行ってしまった。味方はいない。

斯様かような脚があるからいかんのです」人形のかかとが、地面に這いつくばる璃々栖の右足首を踏みつける。「本来は切り落としてしまいたいのですが、今はこれで我慢するとしましょうか」

「や、やめ――…」

 踏みつぶされる。肉と筋と骨と髄が砕かれる感覚と、熱と、強烈な痛み。


   †


》同日〇六五六マルロクゴーロク 自室 ――皆無かいな


「ご自身の一大事という時にだぞ!? しかも、【魅了チャーム】を切った直後はその反動で負の感情が現れやすくなる。殿下はお前のことを想い、お前が、お前の人生をお前自身の意志で歩めるようにと、わざわざの悪い賭けに出たのだ!」

「そ、そんな――」血の気が引く。自身の危機を押してまで皆無のことを考えてれていた璃々栖に対し、自分は『んな』と云い放ったのだ。「僕は、僕は何てことを――」

「殿下がお前のような小僧相手に恋心を抱いているかどうかまでは知らぬ。が、お前のことを一人格として見ているのは確かだ!」


(――璃々栖が、僕を、見てる!!)


 全身が震えた。それは、六歳の頃から延々と抱き続けた強い強い願いではなかったか。その願いを、他ならぬ璃々栖が叶えてれていたのだ!

 心の臓が高鳴る。鳥肌が止まらない。脳がしびれる。興奮で、視界がちかちかと輝く。丹田が、体中が熱い。体内を巡るヱーテルが、璃々栖から与えられた血液が、沸騰するかのように熱を帯びる。

(見てれてる! 璃々栖が、を――のことを!!)

 途方も無い感動が、感激が皆無の感情アストラル体を駆け巡り、ヱーテルが全身を覆う。部屋中が真っ白なヱーテル光で満たされ、数秒して収まる。


 ……気が付けば。


悪魔化デビライズ……出来とる」己の体が、璃々栖の云う、四月一日の夜に変じた悪魔デビルの姿そのものとなっていた。山羊のつの、長く鋭い爪、隆々たる筋骨、蠍の尾、真っ赤な瞳、尖った牙。「無……くう……悩みを捨てろ、か。はは、より一層悩みがふこうなってもたってのに……ダディの云うことはいっつも適当なんやから」

 悪魔化デビライズに成功したことで、様々なことが。ヱーテルの動かし方、魔術の使い方、部屋の温度、舞い上がるちりあくたの一粒々々の形。

「こっから先は、璃々栖自身の口から聞きたい。行こかセア、璃々栖の元に」

「来てれるのか、皆無! 良し、良し! では【瞬間移動テレポート】で今すぐ殿下の元へ行く! ナッケの人形との戦いになるだろう。心の準備をしろ」

「ちょちょちょっ、そんな体で【瞬間移動テレポート】なんて使ったら、お前死ぬで!?」悪魔化デビライズに成功したことで、セアのヱーテル残量や、セアが展開しようとしている術式に必要な消費ヱーテル量が正確に把握出来るようになったのだ。

「ああ」セアが、少しの動揺も無く云い放つ。「だから、どうか殿下のことを頼む」

 皆無はセアの覚悟に舌を巻き、そしてそこまでセアを心酔させる璃々栖に感じ入る。「大丈夫や、俺に任せぇ」

 ヱーテルを纏った左手の中にセアを収め、窓を開けて外へ出る。受肉マテリアライズした翼で器用に飛び、右の拳を振りかぶり、

「おらっ!」屋敷を取り囲む結界を殴りつける。硝子ガラス窓が割れるような音とともに、まさに硝子でも割るかの如き手軽さで、結界に大穴を空ける。

「【万物解析アナライズ】」省略詠唱した瞬間、皆無の脳裏に神戸一円の地図が浮かび、虫まで含めた全ての命と、その位置、そしてヱーテル量が描き出される。「見つけた」

 数千万のヱーテル総量を持つ甲種悪魔デビルが今、晴天の空へと舞い上がる。


   †


》同日〇七〇〇マルナナマルマル 神戸元町 ――


 さらに、左の足首まで潰された。

 悲鳴は上げなかった。上げてたまるか、と必死に堪えた。

「それでは、懐かしの王城へ向かいましょうか」

 そうして、今。璃々栖は人形に髪を掴まれ、吊り下げられている。

「くくくっ、今夜が楽しみですなぁ!」

「糞っ、糞ぉ……」味方はいない。「セア……」従者は何処かへ行ってしまった。「……皆無…皆無ぁッ!!」

 呼んだ。呼んでしまった。絶対に、この名だけは絶対に呼ぶまいと堪えていたのに――


 その時、目の前の人形が頭から真っ二つになった。


 人形の手から力が抜け、両足を潰された璃々栖はその場に崩れ落ちそうになり、

「呼んだか?」

 声。皆無の声がした。

「えっ!?」璃々栖は混乱する。気が付けば自分は、ひどくたくましい腕に抱き上げられていた。その腕の主が、誰あろう――「皆無!?」

「ああ」

「こ、こいつはそなたがやったのか!?」左右それぞれにゆっくりと倒れつつある人形と、皆無の顔を交互に見る。

「せやで」誇るでもなく皆無が答える。

「殿下、よくぞ御無事で!」そして、すっかり消耗しきった様子のセアが姿を現す。「意に背き、申し訳ございません! ですがほら、このように皆無が自らの意志で殿下の元に馳せ参じたのです!」

「か、皆無……そうなのか?」恐る恐る尋ねる。

「あーうん。まぁ概ねそんな感じ――…って璃々栖、足!」皆無が慌てる。「すぐ治したるからな。【万物解析アナライズ】――【完全パーフェクト治癒・ヒール】!」

 七十二柱級でも扱うのが難しい最上位治癒魔術を省略詠唱で行使する皆無。靴を脱がすことも無く、触れてすらいないというのに、璃々栖の足が見る見るうちに治ってしまった。

「降ろすで。立てそうか?」

「……う、うむ」立つ。立てる。わずかの痛みも違和感も無い。「見事な魔術じゃ。それにその姿」

 均整の取れた、実に見事な悪魔デビライズドの姿・フォームである。

「迷いが無くなった、と云うことなのか?」璃々栖は、随分と逞しくなってしまった使い魔の顔を覗き込む。身長差的には見下ろす形になるのだが、皆無が放つ雰囲気オーラがあまりにも大きく逞しくて、見上げているかのように錯覚する。「悪魔として生きていく決心が付いた、ということか?」

「付いてへん」

「はぁ!?」

 皆無がにぃっとわらう。皆無はこんなにも主体性に富んだ笑い方をする子であっただろうか。

「付くわけないやん、そんな大層な決心なんて。けど」皆無が真っ直ぐに璃々栖を見上げる。璃々栖はドキリとする。「お前の為に生きたい、とは思う」


 全身が、震えた。


「俺は」璃々栖の感動を知ってか知らずか、皆無がはにかむように笑う。「お前の、いや、貴女の、騎士になりたい」

「……あ、あはは、――あはっ」ややあってから、璃々栖はようやくいつものような泰然とした笑みを取り戻す。「騎士、騎士かぁ。そなた、欧羅巴ヨーロッパの風習を分かっておるのか?」

「いや、分からへん。けど、この命に代えても璃々栖のことを護るって、誓える」

「――ッ!!」璃々栖は鳥肌が止まらない。この、目の前に佇む小さな少年に対する愛おしさが、胸の奥から洪水のようにあふれ出てくる。


 抱きしめたい、と思った。


「良かろう。そなたをの騎士に勲する。誓いの口付けじゃが、残念ながら余にはこの通り手が無い」

「何処にすれば?」

「足?」

「舐めろって云われりゃ舐めるけどやぁ」苦笑しつつ、皆無が顔を赤らめて、「出来ればその、やっぱ、ほら……なぁ?」

「あはっ、イケナイ騎士様じゃぁ!!」


 ――思えば。

 これが、ヱーテルの供給・回収目的以外での、初めての口付けだった。

 こうして、二人の逃避行が始まった。





   † 





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