第壱幕之伍「璃々栖之裸身ヲ洗フ」

》同日〇六二七マルロクフタナナ 脱衣所 ――皆無かいな


 大きく胸を張る美少女の、一体全体何処をどう脱がせば良いのか皆無には見当も付かない。無我夢中で手を動かしながら、璃々栖の放つ甘い汗と血の匂いで卒倒しそうになる。

「んっふっふっ……いのぅ、実に愛い奴じゃ」

 性欲など抱く余裕は無い。ズボンの中の皆無の一物いちもつはすくみ上がっている。が、乳房抑えブラジャーを外したときばかりは、その悪魔的な乳房から視線が外せなくなった。

「何処を見ておるのじゃ?」

「み、見てへん!」

「して、そなたは脱がぬのか?」

「ぬ、脱がんわ!」

「あはっ! 

「ヒッ!?」体が勝手に動いて上着を脱ぐ。

悪魔化デビライズが解けた時のそなたの裸身を見ていた時から思っておったのじゃが……背中の、その痣は何じゃ?」

 姿見で見てみれば、華奢な己の背中には、蛇がのたくったような奇妙な痣がある。「物心ついた頃にはもうあってん」

「蛇、葡萄、喇叭、蠍の尾……何だか印章シジルっぽいのぅ。何とも云えぬ悪魔味デビリズムを感じる」

「で、悪魔味デビリズム? 印章シジルにはまぁ、見えなくもないかな――そんなことより!」

 璃々栖の体に刻まれた大小様々な切り傷や打撲傷。中でも一番酷いのは、今も血が滲んでいる右肩――腕を斬り落とされた跡だ。

「と、とにかく清めへんと!」

 皆無は璃々栖を浴室へ招き入れ、湯船の湯を桶にすくい、蛇口の水で冷ます。神戸水道局から供給される水は衛生的で評判だ。湯は用意したものの、皆無はこの凄惨な切り傷にどう触れてよいやら分からない。

「オロオロするでない」璃々栖が泰然としたさまを見せる。「ほれ、その桶を肩口に掲げよ」

「う、うん――って、うわっ!?」

 璃々栖が桶の中に右肩の傷口をばしゃんと突っ込み、じゃぶじゃぶと動かす。たちまち桶の湯が血に染まり、「もう一回じゃ」

 云われるがまま湯を用意し、璃々栖がまた、じゃぶじゃぶとやる。

「ま、こんなもんじゃな」

「じゃあ逆を」

「要らぬぞ」

「え?」見てみれば、左肩は傷一つ無い。

「治癒の魔術は使えるかの?」

「使えるけど触媒が無いとヱーテルが足りな――むぐっ!?」

 いきなり口付けされた。ドロリとした甘いモノを喉に流し込まれる。

「げほげほ!!」ヱーテル酔いで目に映る光景がグルグルと回り始める。更には頭痛と吐き気。「おぇ……」

「吐くな勿体もったいい」

 璃々栖の唇で口を塞がれ、無理やり嚥下えんかさせられる。

「鬼ぃ、悪魔ぁ」

「あはっ、悪魔じゃからのぅ!」

「【釈迦しゃか如来にょらい脇侍わきじ・星宿光長者の薬壷・オン・ビセイシャラ・ジャヤ・ソワカ――治癒】」

 両手を璃々栖の右肩にかざすと、果たして傷は見る見るうちに塞がった。他の切り傷や打撲傷まで綺麗さっぱり治ってしまう。想像以上な効果のほどに、頬が引きつる皆無。

はよう余の体を洗え。実はナッケめに辱めを受けてな――ナッケと云うのは、余らを裏切り、余の父たる魔王デウスを暗殺した憎き叛逆者の名なのじゃが」

「え……」

「何とか処女は守った。じゃからそんな、憐れむような目で見んでも良い。はよう湯を掛けよ」

「う、うん」璃々栖の腰まである長い髪を苦労して結い上げ、肩から湯を掛ける。手拭いを持ち出そうとすると、

「手で直接洗うのじゃ」にやにや笑いながら、璃々栖。「乙女の柔肌じゃ。大事に扱え」

 皆無は卒倒しそうになりながら『花王石鹸しゃぼん』を泡立て、おっかなびっくり璃々栖の体を磨いていく。花の香りが浴室を満たす。

「ん、あっ、ふぅぅっ、もうちょっと優しく出来んのか」

「そんなん云われてもッ!」

「いやぁ、心地良い。本当に不快だったのじゃ。台に縛り付けられてじゃな、乳房を揉みしだかれるわ脚を舐め回されるわ……そうそう、そこじゃ。乳の下もちゃんと洗え」

「ひぃっ」

「脚を思いきり開かされ、あやつの粗末なナニを見せられた時にはもう駄目かと思ったものじゃが、あわやと云うところで父上とセアが駆けつけてれてのぉ!」

 皆無は、この気高い姫君がやけに早口で、そして涙を堪えるような表情をしていることに気が付いたが、気付いていない振りをしながら璃々栖の体を洗い続ける。

「父上は……余が逃げるすきを作る為に、死んでしもうた。『神戸へ行け。そこで腕が待っている』――それが、父上の遺言じゃ」

「!?」璃々栖が核心を話している。この姫君が神戸に現れた理由の核心を。

「湯を掛けてれ。……デウス家の者はな、大印章グランド・シジルの刻まれた左腕を代々受け継ぐのじゃ」湯船に浸かりながら、璃々栖が云う。「そして腕に選ばれる者は、生まれつき左腕を持たぬ」

嗚呼あぁ成程なるほど

 璃々栖の左の肩口がやけに綺麗なのは、生まれつき左腕が無いからなのだ。

モスは他者の印章シジルを喰らう『暴食』の力を持つ。彼奴は数々の国を落とし、その力を取り込んでおるのじゃ。そして父上は――…父上が賊共と戦う所を見て、父上が、余を逃がす為に賊共に吶喊とっかんし、……殺され、その左腕が何の魔術も発しなかったのを見て余は、余は初めて、父上が大印章グランド・シジルを持っていなかったことを、何らかの理由がって持っているかのように振舞っていたことを、知ったのじゃ」璃々栖が勢い良く湯船に顔を沈め、数秒してから顔を上げ、「この街にあるという、余の左腕を探し出す。そして、その力を以てナッケめをくびり殺し、モスの軍勢を余の領土から追い出す。それが、余がこの街に来た理由じゃ」その顔にあるのは、泰然とした笑みだ。

 皆無は今はっきりと、この少女に心酔する。これほどに怖くつらい体験を語ったと云うのに、ものの数秒で持ち直すとは。本当に、父と比較されることにうじうじと悩んでいた己の、何と矮小なことだろう!

「さて、次は髪を洗え」璃々栖が湯船から出てきて、風呂椅子に座る。

「仰せのままに」


   †


「コラッ、髪をそう乱暴に梳くでない!」

 璃々栖の髪と体を拭き、父が準備良く脱衣室に用意してれた璃々栖の着替え――洋風の下着と和服を璃々栖に着せ、皆無の自室に戻って璃々栖の髪を梳いていると、

「お話、ありがとうございました」父が部屋に入って来た。準備良く洋食――文明開化日本におけるご馳走・カツレツを台車に乗せている。

「千里先の出来事をも見通せる力を持つそなたのことじゃ。盗み聞きなどお手の物じゃろう?」

「ひとまず今日は、この屋敷でおくつろぎ下さい」


   †


「ふわぁ~、余は寝る」傍若無人にも皆無のベッドを占領せしめた悪魔デビルが器用に布団に潜り込む。

「ちょっ、僕は何処で寝たらええねん」

「起きておれば良かろう。そなたは先ほどまで眠りこけておったが、余は夜通し起き続けておったのじゃぞ?」

「寝れば良かったやん」

「あのなぁ」布団からずぼっと顔を出した璃々栖が顔をしかめながら、「そなたが眠りこけていた状態で、悪魔祓い師ヱクソシストの巣窟で眠れと云うのか? それとも、一緒に寝るかの?」

「寝ぇへんわ!!」


   †


 結局、夜になるまで自室でヱーテル操作の鍛錬を行った。己のヱーテル総量は一万から一千万に増えていた。実に、日本一と云われる父・正覚の半分近くである。

 ふとベッドを見ると、璃々栖が無防備な様子で寝ている。これほどの美女と何度も接吻し、肌を見て、あまつさえ風呂に入れたという事実に対して、皆無は全く実感が湧いてこない。ランプの明かりの中、璃々栖の、ベッドからこぼれている美しい金髪に触れようとして、


 ヴウゥゥウウゥゥ……


 外から手回しサイレンの音。

「うぉっ、何じゃ何じゃ!?」璃々栖が飛び起き、皆無としっかり目が合って、「夜這いか?」

ちゃうわけぇ!!」

けはそなたの方じゃろう。で、この音は何じゃ?」

「妖魔や。ここんところ毎晩、手ごわ悪霊デーモンが跋扈しとんねん」

「ふぅん……おや?」璃々栖がドアの方を見ると同時、


 コン、コンコン


 完全武装の父が部屋に入って来た。「仕事の時間だよ、皆無」





   † 





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