第壱幕之参「会話」
》同年同月二日
夢を見た。心の臓を貫かれ、死ぬ夢を。
「ぅわぁぁあぁあッ!?」皆無は飛び起きようとして、「わぷっ!?」何か――柔らかくも弾力のある物に顔面をぶつけ、再び横の体勢に戻る。
「ふふん、ようやく起きおったか」
上から声が降って来た。忘れもしない、魅惑的で蠱惑的な、聴く者を魅了する
(ひ、膝枕ッ!?)
が、肝心の少女の顔は見えない……その、悪魔的な乳房を包む、血塗れのドレス生地に阻まれて。つまり、先ほど自分が頭突きしたのは、
「ぅわぁぁあッ!?」ベッドから転げ落ちる。「【
「【
少女の視線が、皆無の下半身に向けられる。ようやく皆無は自分がワイシャツ一枚しか着ていないことに気付く。あろうことか下着すら付けていない。
「随分とまぁ可愛らしい!」少女の仏蘭西語に、
「う、
「あはっ、声まで可愛いとは!
「貴様、殿下に向かって無礼だぞ!」不意に足元で中性的な声がした。
下を見てみれば、半透明の
「痛っ! な、何やコイツ!?」
「良い良い
「ははっ」
(何や今の――いやいやいや)とにかく今は、何か履かなければ。皆無は股間を隠しながら自室――外国人居留地のど真ん中に建つ洋館の、二階の一室――を横切り、クローゼットから下着と、二股の袴――ずぼん! と足が入るその
動いたことで風が生まれ、皆無はいつもの自室とは異なる匂いが在ることに気付く。ひどくねっとりとした、甘い匂い。脳の奥をしびれさせ、夢中にさせるような匂い。昨日、この、両腕の無い少女に口付けされた時に感じた――
「――ひッ!」
昨日の体験が、まるで洪水のように脳内から溢れ出てきた。慌てて左胸に手を当てると、(……治ってる。ヱーテル総量五億の、甲種
「あはっ! そう恐れるでない、人の子よ」皆無の恐怖心を理解したかのように、少女が云った。「そなたとは
「な、何を勝手に――」
「ここへ」
命じられ、
「そなたの」
非道い話である。事情は分からないが、目の前の少女と、あの鳥頭は敵対している様子だった。つまり自分は
「あはっ、何じゃぁ不満そうに」少女が狂暴そうな八重歯を見せながら
それは、そうである。
「云ったであろう? 地獄への旅路に付き合ってもらう、と」少女が嗤う。昨夜も聴き、そして惚れた、凄惨なまでに美しい声。
「……私は、
「んっふっふっ、自慢ではないが、余は永遠の乙女・
美女。確かに、まごう事無き絶世の美女であった。
背丈は皆無よりやや上、歳の頃も少し上だろう。腰まであるウェーブがかった豊かな金髪も、白磁のように白い肌も今でこそ血に塗れているが、洗えばさぞ美しいに違いない。二重瞼の大きな目――その瞳は燃えるように赤く、少女の無限の意志力を表していた。
実際、両腕を失い、全身血塗れ傷塗れという凄惨な状況をして、この少女は悲嘆に暮れるでもなく泰然としている。並の精神力ではない、と皆無は思う。
『
気が付けば、体が自由になっていた。皆無は部屋の入口まで逃げ、ドアノブを回すも動かない。
「無駄じゃぞ」少女がベッドに寝ころびながら云う。「何かの魔術で閉じ込められておる」
「あぁ……」皆無は頭を抱える。昨日までは最年少単騎少佐として、父には敵わないまでも将来を有望視され、順風満帆な人生を歩んで来ていたのだ。それが、たった一夜にして人間の敵になり、明日をも知れぬ身の上になってしまった。
「そう嘆くでない。余に対して従順でいる限りは、たっぷりと可愛がってやる」両腕の無い少女が、脚で反動を付けて起き上がる。「そうじゃな、まずはそなたの名前を聴こう――
「
「アノクタラ……? この国のことはあまり知らぬが、変わった名前じゃということは分かるぞ。どういう意味なのじゃ?」
「
「あ~、
少女が何事か唱えると、部屋が一瞬だけ白い光で満たされた。
「ふむ、阿耨多羅を阿・の・く・多羅に分解し、『く』は数字の九じゃな? ノは適当な当て字と見た」少女が云った――
「なっ……」皆無は驚く。言語を翻訳する魔術なのか、音声から文字にまで書き起こせるのか。(いやそんなことよりも! なんて流麗でさりげないヱーテル操作なんやろう!)皆無は、この少女のヱーテル操作力に素直に見惚れた。これほどのことが出来るのは、皆無が知る限りでは父と
「ふふん」皆無の尊敬の眼差しに気を良くしたらしい少女が、得意げに――その悪魔的な――胸を張る。「素直に余に従うならば、手解きしてやっても良いぞ? で、何故に阿ノ玖多羅の玖は九なのじゃ?」
「はい。『護国十家』――古くから続いている退魔の名門十家のことです。
「よしよし。では阿ノ玖多羅皆無よ、そなた、歳は?」
「十三歳です」少女の麗しい唇から、美しいその声で己の名を呼ばれたことにぞくぞくしながら、答える。
「ほほぅ、余と近いな」
「お伺いしても?」
「余か? 余は十六じゃ。して皆無、そなたの家族構成は?」
「父がいるだけです。母の顔は知りません」
「ふむ。父親がおるだけ良いではないか。余なぞ昨日、
皆無は、この少女が持つ無限の意志力に強い衝撃を受けた。皆無は父と比較され続けることを悲嘆し、うじうじと悩みながら生きてきたが、きっとこの少女ならばその程度のこと、鼻で笑って蹴飛ばしてしまうことであろう。
「で、そなたの父は、その阿ノ玖多羅家の当主か何かかの? あれは大した術師じゃ」
「はい。ですが阿ノ玖多羅の生まれではありません」
「は?」
「阿ノ玖多羅家は『護国十家』の中でも
「んんん? なのに今は当主なのか?」
「はい。何でも、阿ノ玖多羅家の力の源である
「何とも滑稽な話じゃのう! ――おや」少女がドアの方を見て、「噂をすれば」
コン、コンコン
「失礼しますよ」果たして、身長一〇〇サンチの奇人変人にして偉人の父が部屋に入ってきた。
「――パパッ!?」
†
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