第壱幕之弐「地獄ヘノ旅路」

》同日二一四八フタヒトヨンハチ 外国人居留地 海岸通り ――正覚しょうがく


【渡り】で第零師団本部の師団長室へ瞬間移動した正覚は、その場にいた単騎将官数名を、有無をわさず引っ張って外国人居留地の海岸通りへと渡る。そこで、


 異形の悪魔デビルに、

  剣で、

    胸を貫かれている我が子を、見た。


「皆無ッ!」

 呆然とした表情の息子がこちらを見て、『パ…パ……』と口を動かした。

「少将、状況を説明せい!」

 無理やり連れてこられた師団長――拾月じゅうげつ中将が大きな腹をゆすりながら叱責してくるが、無視。正覚は悪魔デビル吶喊とっかんする。ヱーテルを纏った正覚の脚は、数十メートルほどの距離を一秒足らずでゼロにする。その時には既に、虚空から村田自動小銃を引き抜き終わっていた。

 敵は三。最愛の息子を今まさに死に至らしめようとしている鳥頭の人型悪魔デビルと、両腕の無い魔王級の少女の悪魔デビル、そして受肉マテリアライズを維持出来ていない上級悪霊デーモン


 最優先で排除すべきは、鳥頭。


 正覚は、こちらに顔を向けつつあった鳥頭の眉間に銃口を打ち付け、引き金を引く。

 神々しい輝きとともに、装填されていた熾天使セラフィムバレット悪魔デビルの頭蓋をくだ――…けなかった。最高峰の威力を誇る熾天使セラフィムバレットをして、鳥頭の体を大きく吹き飛ばすだけに終わる。

 正覚は倒れ伏そうとしている悪魔デビルの頭部を照準を合わせ、(【二面二臂のアグニ・十二天の一・炎の化身たる火天かてんよ】)脳内での高速詠唱。銃口の先に、火天が描かれた曼荼羅が展開される。続いて、(【神に似たる者・大天使聖彌額爾ミカエルよ・清き炎で悪しき魔を祓い給え】)

 セフィロトの樹が展開され、中央のティファレト――大天使彌額爾ミカエルが守護を勤める、太陽の象徴――と、曼荼羅の火天と、銃口が合一する。日本の霊脈から吸い上げたヱーテルを旧教カトリックと習合させる為に『パリM.外国E.宣教会P.』が開発した『セフィロト曼荼羅』だ。

「【――AMEN】!!」引き金を引く。巨大な火の玉となった熾天使セラフィムバレット悪魔デビルの頭部を穿うがち、大爆発を生む。正覚は咄嗟に無詠唱の【空間遮断結界】で鳥頭の悪魔デビルを取り囲む。結界が無ければ、居留地の数区画を丸ごと蒸発させかねないほどの熱量。

 鳥頭を調伏せしめられたかは定かではない。が、今は一秒でも惜しい。

「皆無!」背中から刃を生やしたまま、ゆっくりと倒れ伏そうとしている皆無の元へ駆け寄ろうとするが、

「止まれ!」拾月中将の声。

 正覚と皆無の中間点の地面に、細長い十字架の矢が突き刺さる。矢には赤地の錦に金色の日像――『にしき御旗みはた』がくくりり付けられている。正覚が絶望的な気持ちで拾月中将を見ると、彼は素早く二本目の矢を短弓につがえているところだった。

 続けて拾月中将の部下たる単騎少将ら二人が、皆無、少女の姿を取る悪魔デビル、その配下らしき悪霊デーモンを取り囲むように十字架の矢を地面に打ち込み、拾月中将が最後の一本を撃つことで、皆無達の四方を取り囲む。

【錦の御旗】――拾月家が得意とする精神汚染陰陽術。術の対象は戦意を喪失し、恐慌状態に陥る。拾月中将はこの秘術を以て悪魔デビル悪霊デーモンを弱らせ、その上で正覚に止めを刺させようとしている。


 つまりこの上官は、息子の命は諦めろ、と云っている。


 紫色の光を帯び始める四本の十字架矢。光の中では、血を吐いて倒れ込もうとする息子を、立ち上がった少女の悪魔が肩で支えているところだった。正覚は焦る。自分ならば、たとえ心の臓が破裂していようが再生させることが出来る。が、その為には皆無に直接触れなければならない。

 息子が胸を貫かれてから、既に数十秒が経過しようとしている。

 その時、背後――【空間遮断結界】の方から音がした。きしむような重く硬い何かを力づくで引き裂く音。振り向くと、そこには【空間遮断結界】を引き裂いて出て来る鳥頭の悪魔デビルの姿があった。


   †


》同日二一四九フタヒトヨンキュウ 海岸通り ――皆無かいな


 心音が、聴こえない。己の心音が、聴こえないのだ。いくら術で聴覚を補強しても。左胸が熱い。体が凍えそうなほど寒い。

「……すまぬ、な」

 耳元で、ひどく耳心地の良い声が聴こえた。どうやら自分は、先ほど天から現れた少女の悪魔デビルに、抱き留められているらしい……腕も無いというのに。

の不明の所為せいで、そなたを巻き込んだ……時にそなた」少女がその、美しい声で問う。「まだ、死にたくはないな?」

 ……当たり前だ。当たり前だ! 自分はまだ何も成していない! 偉大過ぎる父には届かぬまでも、一廉ひとかど悪魔祓い師ヱクソシストとなって国家の役に立たなければ!! それが皆無の大志ambitiousであった。

「……い」少女がわらった。「そなたに第二の命をれてやろう。その代わり――あはっ、すまぬな人の子よ――死よりも恐ろしい、地獄への旅路に付き合ってもらうぞ」

 少女が皆無の体を、真っ赤な血で染まった肩でとんっと小突く。皆無の体がり、皆無はその悪魔的なまでに整った、凄惨なまでに愛らしい少女の顔を間近まぢかで見上げる形となる。


 少女の唇が、皆無の口を塞いだ。


 口付け。甘くドロリとした何かが喉に流れ込んで来る。胸が焼けるように熱くなり、頭が割れそうなほどに痛み、視界が真っ赤に染まる。

「……う、うごぉぁあああッ!」

 己の喉から吐き出される、獣の如き咆哮。胸筋が盛り上がり、胸に刺さっていた剣がひとりでに抜ける。腕が、脚が内側から蠢き隆起し、体の奥底から別の何かに作り替えられるおぞましい感覚。

 そこから先の記憶はない。


   †


》同日二一五〇フタヒトゴーマル 海岸通り ――正覚しょうがく


 鳥頭の悪魔デビルは、酷い火傷こそ負ってはいるものの、五体満足だった。

(ヱーテル総量……数百万)正覚は覚悟を決めた――奥の手を使う覚悟を。ここでこの悪魔デビルを仕留め切れなければ、神戸が滅ぶのみならず、この国が傾きかねない。

 正覚が、ヱーテルのありったけを丹田へ込めようとしたその時、

悪魔ゴーサー・シーゲル大印章・フォン・デモン」鳥頭が、こちらへ右の手のひらを向けた。「――展開アインザッツ

 鳥頭の手のひらに描かれた魔法陣からが溢れ出てきて、悪魔デビルたちを照らしていた探照灯の強い光を呑み込み、そこかしこに灯る弧光アーク灯の輝きを奪い、家屋内の明かりを消し去り、ついには星空までもが闇に染まる。

大印章グランド・シジル持ち!? 七十二柱か!!)

 悪魔グランド・シジル大印章・オブ・デビル。ソロモン王が使役したという七十二柱の大悪魔だけが持つ究極の魔法陣。印章シジル展開に呑み込まれた空間では、印章シジルの主が望まぬ術は全て無力化される。現に正覚は奥の手としていた秘術の展開を阻害されてしまった。

「そんな……」拾月中将の呻き声が聞こえる。見れば【錦の御旗】による結界の光もまた、闇に呑み込まれていた。

 闇は何処までも広がり、海岸の先、鉄桟橋で煌々と輝く巨大な十字架の光にまで届こうとするが、

「させぬわ!」拾月中将が吠えた。「ここは儂の結界内じゃぞ!?」素早く十字を切り、首から下げたロザリオを鉄桟橋の巨大十字架に向けて掲げると、巨大十字架がその輝きを増し、闇を押し返そうとし始める。

「【収納空間アーティーク・カストゥン】」鳥頭が虚空から棒のような何かをずるりと引き抜く。

(あれは……腕?)正覚の目には、それは義手か何かのように見える。

 鳥頭が海岸に向かって走り出し、その義手を巨大十字架目掛け、槍のように投げた。その義手はまばゆいヱーテル光を帯びながら巨大十字架を穿うがち、大穴を空ける。


 巨大十字架が光を失った。

 神戸港を西洋妖魔達の手から護っていた【神戸港結界】が、崩れ去った。


 正覚は両脚にヱーテルを込め、鳥頭目掛けて吶喊する。あらゆる術が禁じられた現状、村田銃と熾天使セラフィムバレットなど玩具に等しい。正覚は両の手のひらにありったけのヱーテルを乗せ、鳥頭の背中へ両の掌底を叩き込む――が、その手は空を切った。

 咄嗟に振り向くと、果たして鳥頭は己の数十メートル後方におり、そして何故か鳥頭と己以外は誰もいない。目の前にあったはずの海も消え、周囲はただ黒一色の世界だ。

(引きり込まれたか! 私から潰そうという腹か?)

 振り返ると、鳥頭を護るように、数十匹の黒い狼が闇の中から現れた。狼達が一斉に襲い掛かってくる。正覚は素の体術とヱーテルによる筋力の補強のみでこれを潰し、打ち払い、捌き、避ける。

 鳥頭は、この悪魔グランド・シジル大印章・オブ・デビル空間内においては、闇や影の中を自由に行き来出来るらしい。正覚の腕や脚を狙って噛みついてくる狼達の影から現れては、正覚に必殺の刃を打ち込もうとしてくるが、正覚は影の中を移動する強大なヱーテル反応を捉え続け、これを上手くかわす。


 ……そんな風にして一分近くが経過した。


 いくら頭部を潰しても、狼の数は一向に減らない。死した狼が闇に呑まれ、新たな狼となって襲い掛かってくるからだ。

(糞ったれ! 早く戻らねば皆無が死んでしまう!!)

 その焦りがあだとなったのか、一匹の狼が正覚の右腕に喰らいついた。

「しまっ――」

 狼の影から現れた鳥頭に、右腕を肩からスッパリと斬り落とされる。倒れた正覚の手足に、次々と狼達が群がってくる――…






 その時、闇の世界の一点に光のヒビが入った。ヒビは直ぐに世界全体に広がり、まるでガラス窓が砕け散るようにして、闇が剥がれ落ちていく。






 外の世界だ。幾つもの探照灯サーチライトや街角の弧光アーク灯が煌々と辺りを照らし出している。光に当たった狼達が、のた打ち回りながら掻き

 そして、最初に光のヒビが入ったその場所に、拳を突き出した小柄な異形がいる。

「うがぁぁああ!!」その異形――小柄な、山羊の角と、真っ黒で毛深い手足と、鋭く禍々しい両手の長い爪と、隆々たる胸筋と、蠍のような尾と、真っ赤に燃え上がる瞳を持ち、悪鬼の形相で犬歯を剥き出しにした、受肉マテリアライズした悪魔デビルが空に向かって咆哮する。

「あはっ、素晴らしい! 素晴らしいぞ人の子よ!」異形の隣に立つ、両腕の無い悪魔デビルが嬉しそうにわらっている。「悪魔グラン・シジル大印章・レ・ジャビル世界・モンドを叩き割るとはのぅ!」

「か、皆無……?」十三年も育ててきたのだ。顔や声がどれだけ変わろうとも、分からないはずがない。「皆無なのかッ!?」

 だが、当の異形の悪魔デビルは正覚には目もれず、鳥頭に向かって身構えている。

「よし! け人の子よ! そやつ――不和侯爵アンを滅ぼすのじゃ!!」

 正覚が見守る中、鳥頭と悪魔デビル・皆無の戦いが始まる。


   †


》同日二一五三フタヒトゴーサン 海岸通り ――両腕の無い悪魔デビルの使い魔・皆無かいな


 彼我の距離は十メートルほど。皆無は四足獣のように体を深く沈み込ませる。今の皆無に冷静な思考というものは無い。殺せ殺せ殺せ、我が主の望むままに――狂気と狂乱の中、ただそれだけを己に命じて動く。

 アンがこちらへ右の手のひらを向ける。その手から闇が現れて皆無と少女の悪魔を取り囲み、闇から狼の群れが現れる。

 皆無は咆哮と共に、手近な狼へとその鋭い爪を振り下ろす。狼はまるで豆腐か何かのように軽々と切り裂かれ、「ふぅっ!」皆無の吐息と共に吐き出された劫火で、ヱーテル毎ちりとなって消える。

 そんな風にして全ての狼を屠り散らすと、アンの姿が見えない。

「照らせ、愛しき使い魔よ」ふと、耳元で愛して止まない主の声。

 皆無が両腕を天に掲げると、上空に七つの太陽が生成される。神戸港のあらゆる影が照らし出され、皆無は視界の端――海岸通近くの裏路地に、潜むべき影を失って戸惑うアンの姿を見つける。獣のように両手両足で疾走し、今まさに背中の翼で飛び立とうとするアンの足を掴むも、アンが自身の足を切り落とし、よろよろと飛び立っていく。

 翼。翼があれば空が飛べるのだ――皆無は背中から翼を受肉マテリアライズさせようとするが、ヱーテルが足らず、生まれたてのヒヨコのようなものしか生成出来ない。それで無理やり飛ぼうとするものだから、無様に転げてのた打ち回る。

「ふふふ、い奴じゃ」愛らしい声に顔を上げると、愛しい愛しい主――少女の悪魔デビルが皆無を見下ろしていた。皆無が仰向けになると、「更なる魔力を注いでやるから、今度は上手くやるのじゃぞ?」


 また、口移しで暴力的な量のヱーテルを注ぎ込まれる。


 果たして皆無は、蝙蝠の翼を巨大化させたような、実に悪魔的な翼の受肉マテリアライズに成功する。そして、その翼を羽ばたかせた次の瞬間には、アンの首をへし折っていた。


   †


 皆無は戦利品であるアンの死体を主たる少女に差し出す。

「良い良い。そなたが喰え」主が微笑む。

 主の意に沿い、皆無は海岸通りで、アンのヱーテル体をむさぼり喰う。その食事が終わった頃に、

「ふふ、良くやったのぅ……この口付けは褒美じゃ」


   †


》同日二二〇〇フタフタマルマル 海岸通り ――正覚しょうがく


 両腕の無い少女の悪魔デビルと口付けする息子。その姿からはらはらとヱーテルが剥がれてゆき、最後にはよくよく見知った――十三年間見守ってきた息子の裸身が現れ、少女に抱き留められるようにして倒れる。

(一旦は皆無に注いだヱーテルを、逆に吸い戻した?)

 正覚としては、死に瀕していた息子を――形はどうであれ――救ってれたこの少女を敵視出来ない。が、それはあくまで個人的感情である。

「ご同行願えますか、レディ?」虚空から引き抜いた村田銃を少女に突き付けながら、正覚は問う。

「ふむ。如何いかな理由でもって、余の行く先を阻む?」

「この港を守る退魔師の責務として。そして……その子は私の息子なのです」

「ふむ、親、親かぁ」少女が、何故だか寂し気にわらった。「ならば仕方あるまい」





   † 





↓超美麗イラスト付きキャラ紹介・超豪華PV(CV山下大輝・伊藤静)はこちら

https://kakuyomu.jp/users/sub_sub/news/16817330650038669598


↓直リンク

https://sneakerbunko.jp/series/lilith/

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る