第壱幕「腕ヲ失クシタ璃々栖」
第壱幕之壱「出逢ヒ」
》同日
「【
皆無はヱーテルを
(また蠅、か)
蠅は
臍の下、丹田の辺りにじわりとした熱を感じる。たった今祓った
「……帰ろ」皆無は入念に尻をはたく。何しろ
光で満たされ、虫達が逃げ惑う中を出口へと進んで行くと、本来の少女
遺体の前で十字を切ってから合唱する。皆無は
「【偉大なる
腐敗し、蛆に蝕まれていた少女の遺体を炎が包み込む。やがて遺体が燃え尽き、秘術の炎が延焼することなく鎮火したことを見届け、玄関のドアを開けた。(ドアすり抜けて出て来るんやもん……びびったわ)
南の海から坂を駆け上ってくる
「「「少佐殿!」」」
外に出るなり、男二人と女一人――皆無の部下たる二十歳過ぎの男女が駆け寄ってきた。
「「「よくぞご無事で!」」」
「……
「少佐殿? 顔が真っ青であります!」女性尉官がいち早く皆無の異変に気付く。「どうかしたのでありますか!?」
男二人相手ならはぐらかしたり黙殺する皆無だが、母親の居ない皆無の為に甲斐甲斐しく衣食住の世話をして
「……知り合い、やった」出来得る限り淡々と告げたつもりだったが、その声はみっとも無い位に震えていた。
「胸は、必要でありましょうか?」女性尉官が両腕を広げて見せる。
「阿呆、餓鬼扱いすんなや」言葉では拒絶するものの、皆無は抵抗せずに抱き締められる。
「大人ぶって見せても、少佐殿はまだまだ子供でありますな!」
「少佐殿と一緒に
男二人が軽口を叩く。
「あんたらっ、少佐殿にそう云うのはまだ早いって何度云ったら――」
「お前こそ、その胸で少佐殿を
「せやせや」
「訓示!」三人の
三人が直立不動の姿勢を取る。
「あの
「め、面目次第もございませんッ!」女性尉官が即座に謝罪する。残る男二人もそれに続いた。
「こりゃぁ訓練内容見直さなあかんなぁ」
「こ、これ以上厳しくなるのは……」
「今日も少佐殿は鬼畜であります!」
「鬼畜な少佐殿も格好良いであります!」
彼・彼女らの口調には茶目っ気が多分に含まれている。そして皆無もまた、それを
一年前――十二歳で軍人になった当時、皆無は驚くほど自己評価の低い子供だった。
生まれてこの方、常に日本一の退魔師である唯一絶対の父・
それが、今から半年前のこと。
そこから半年間、この尉官三名は己の任務に忠実に、皆無を褒め、
尉官三名の方も満足していた。幼いながらも本物の実力者たる皆無に師事することでぐんぐんとヱーテル総量を伸ばし、下士官の身分から一足飛びに尉官になることが出来たのだから。
そんな一人対三人の三文芝居のおかげで、少女
「HAHAHAHA!」
「皆無――愛する息子よ、部下を
皆無が【梟ノ夜目】を纏った視線を屋根の上に差し向けてみれば、身長一〇〇サンチ足らずの子供が、風見鶏を
「これは、
そう、この子供――に見える何者かこそ、日本一の退魔師と誉れ高い阿ノ玖多羅正覚単騎少将その人である。年相応に反抗期の
「よそよそしい呼び方は止してお
「う、うっさいわ
「君達、いつもウチの息子の面倒を見て
「い、痛たた……って、あれ?」ちょうど肩を怪我していた青年尉官の一人が驚愕する。「け、怪我が治っとる……?」
「ホンマや……」
「う、嘘……」
三者三様に怪我が一瞬のうちに全快したことを驚いているが、皆無からすれば見慣れた光景である。
「見てたよ。あ~んな雑魚相手に
『伊藤サン』
とは、誰あろう伊藤博文元首相のことである。百年の時を生きているらしいこの父は、神戸の港が開かれ、明治日本が建ち、この地が『兵庫県神戸市』と改められ、兵庫の初代県令に伊藤博文が就任した当時から、伊藤氏とともにこの港の守護に努めてきた。現在の神戸港を守る堅牢な退魔結界と検疫機構を成す為の膨大な予算を出して
「阿ノ玖多羅少将閣下ならば、どうご対処なさいましたか?」
皆無が固っ苦しく父に尋ねる。上官相手に敬語で当たるのは当然のことであるし、反抗期の真っ只中にいる皆無は昔のように『パパ、あのね!』と話しかけることに大変な抵抗を覚えるのだ。
だが、父はそっぽを向いたまま、答えない。
「閣下?」
「パパ」
「うっ」
「パパ、だよ、皆無」にんまりと笑う父。
「~~ッ!! だ、ダディ」何が何でも『パパ』呼びしたくない皆無が編み出した妥協策、『ダディ』呼びをすると、
「ふむ、私ならどう対処したか、だったね? 私なら――」父が右手の二本指を剣のように立てる。その指先がヱーテル光で真っ白に輝き出し、ビリビリと空気が震える。「コレで一突きだね」
「そんなん出来るん、ダディだけなんやけど……」
「『
「誰でも『空』に至れりゃ世話無いんやけど……」
「
「んな簡単に悟れたら、世界は
「あはは、さぞかし悩みも苦しみ煩悩も世界だろうね」父がその身を大柄な
この父が
「それにしても皆無、拾月中将閣下から預かってる大切な部下達に大けがをさせるなんて、指導内容に問題があるんじゃないかい?」
三名の尉官達が顔色を悪くする。皆無のしごきは凄まじい。なまじ自分が出来るが為に、部下達にも同じ水準を求めてくるのだ。そんな皆無もこの半年を通じて一般的な下士官の
「そんなんじゃ伊藤サンに顔向けができないだろう?」
「またかいな」
「また?」
「伊藤閣下のお話」
「あれ、云ったっけ?」
「えぇぇ……数分前のことなんやけど。相変わらず物忘れが多いんやから」
この父はとてつもなく物忘れが多い。そんな父を指摘したり支えたりしている時だけが、唯一父に勝てている貴重な時間なのだ。
「とかくも
ヱーテル――霊力、魔力、呪力、巫力、神通力、氣、チャクラ等、様々な名で呼ばれる超常能力の源であり、妖魔達の活動源でもある。一般人で一単位、霊視が可能な霊能力者で十単位、港での退魔検疫業務に当たる下士官で数十から百単位、丙・丁種
「い、一万ちょいやけど?」
「ひっっっく! 低いね!?」父が大笑いする。「
今にも卒倒しそうなのは三名の尉官達である。化け物だと思っていた自分達の師を百倍以上も上回る化け物が、少なくとも十二人いると云う。
「……ん?
「はぁ? 何を云っているんだか……ちなみに私のヱーテル総量は二千三万と少しだ。まぁ全盛期には、この倍以上あったのだけれどね」
全盛期――魔王
「……修練は変わらずしとる。せやけど、手っ取り早く強くなれる方法があるんなら、教えて欲しい」
「そうだなぁ、まずは得物に名前を付けなさい。名は体を表す。最も簡単で、それでいて奥深い手段だよ」父が人間の姿に戻って皆無の前に立つ。父が身に着けている装備品――南部式や
皆無は知っている。狂人たるこの父が、通算百八人の妻を娶り、その死に際に妻達の魂を式神化させ、自分の持ち物に憑依させていることを。
「気色悪いんやけど……」
「ひっどいこと云うね!? とは云っても、この子達も一番若い子で百数十年以上前の魂。私同様、物忘れが多くてねぇ……ま、それはそれで新鮮味があって良いのだけれど」
酷い話である。皆無は卒倒しそうになりながらも、「名前々々云うんやったら、僕の名前の由来教えてぇや」
「ん? ん~~……皆無、お前は確か
「はぁ~ッ! 忘れっぽいダディに期待した僕が悪かっ――」
皆無は軽口を飲み込む。父が、ごっそりと表情が抜け落ちた顔を南――海岸線へと向けている。
「極大ヱーテル反応。場所は居留地九番地の海岸線。は、ははは、驚いたな……甲種
魔王。十三年前に神戸を襲い、父がその半身を引き換えに撃退せしめた
「わ、分かった」皆無は、震えそうになる声を必死に抑える。
「私は師団本部で体制を整えてから行く。五分でいい――…死ぬ気で持ち堪えろ」
云うや否や、父の姿が消える。父が使える奇跡の一つ、一瞬にして別の場所へ移動する【渡り】だ。
「お前らは鎮台で留守番や!」皆無が部下三名に命令する。
「「「はっ!」」」事態を理解している部下達は、その命令に素直に従う。
「【偉大なる軍神スカンダの剣・ニュートンの林檎・オン・イダテイ・タモコテイタ・ソワカ――韋駄天の下駄】ッ!!」ヒンドゥー教の神、仏教の神に、果ては
三十五年式村田
世界でごく
ヴウゥゥウゥゥウウゥゥ……
手回しサイレンの音が、そこかしこでなり始める。沢山の家屋から、血相を変えた人達が
皆無は
†
居留地の南端、海岸通りへ出た。いつの間にか風は止み、海は凪いでいる。皆無は中空を仰ぎ見る。
そこに、一人の天使がいた。深紅のドレスを纏いし天使が。
真白き白鳥のような翼を持つ少女が、神戸港・外国人居留地の海岸線近くで羽ばたいている。少女の背後には、この港を外界の西洋妖魔から護る巨大な十字架が、鉄桟橋の上で煌々と輝いている。
天使が外国人居留地南端の海岸線に着地し、
「【オン・アラハシャノウ――
ヱーテル総量、およそ五億単位。
日本一と謳わしめる父をして十数倍のヱーテル総量。勝てるわけがなかった。
少女――この国を滅ぼしたらしめる最悪の悪魔が、神戸港に降り立つ。
皆無はなけなしの勇気と愛国心によって、懐から虎の子の『
「――
皆無が銃口を向けると同時、少女が言葉を発した。その声は、抗いがたいほど魅力的で蠱惑的な声だった。良く通る癖に甲高く無く、それでいて決して低く下品でもない。僅かに
そしてその言葉は、やや独特の訛りを孕む
「そなたらと敵対する意思はない――人の子らよ」
高貴さ、と云うのだろうか。鳥肌が止まらない。ずっと聴いていたいと思わせしめる、声。
少女が顔を上げた。所々が血に染まった、長くウェーブがかった金髪。燃えるような、意志力の
少女の翼がドロリと溶け、
「良い。
皆無は少女を観察し、そうしてようやく少女の惨状に気付いた。少女が纏っている真っ赤なドレスが、その赤が血によるものであり、切り裂かれ、そして酷く乱れていることに。
そして――――
両腕の無い、悪魔の少女。
「お前は一体――」
皆無が銃口を下げた瞬間、
「なっ――余の影に潜んでいただと!?」驚きの表情を浮かべる少女と、
「えっ――…」反応しきれない皆無。
鳥の頭を持つその異形は、鋭い剣で皆無の左胸を正確に貫き、その剣を捻り上げる。
「がぁっ……」断末魔の悲鳴を上げる皆無。
明治三十六年四月一日、阿ノ玖多羅皆無は死んだ。
† † †
引き続きお付き合い下さり、誠にありがとうございます!
本作は第27回スニーカー大賞にて金賞🏅を拝領しました。
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