優勝の価値は

平賀・仲田・香菜

優勝の価値は

 草木も眠る丑満時。剣道場の一室、私は眼前に並ぶトロフィーと盾を見下ろしていた。


 葉山早苗はやまさなえ、第三位。準優勝。準優勝。第三位。準優勝。そして、一番新しいトロフィーは。


 葉山早苗、優勝。


 私はそのトロフィーを手に持ち、床に叩きつけた。さらに家から持ってきた金槌で思い切り叩く。ヘコませる。壊す。

 残暑の蒸し暑さと窓を閉め切った道場で、私はじっとりと嫌な汗をかきながら行為に勤しんだ。

 しかし、私の衝動を止める者がいた。背後から腕を掴まれ、耳元で囁かれる。


「せっかく頑張ったのに、そんなことしたら良くないよ」

「……貴女が出なかった大会に意味なんてないじゃない」


 獅童薫子しどうかおるこだ。私の幼馴染みである。中学三年の現在に至るまでずっと同じ学校同じクラス。私の祖父の道場で、一緒に剣道をしてきた。

 そして、私が一度たりとも土をつけさせることができない相手。


「中学最後のチャンスだったのに、ふざけないでよ」

「仕方ないじゃない、だってーー」

「わかってるわよ! だけど、約束じゃないの……」


 幼い頃に二人で交わした約束。どうしても薫子に勝てなくて剣道を辞めかけた私をつなぎ止めた言葉だったのに。


「でも、どうせ私には勝てないでしょう?」

「そんなことわからない!」


 私は衝動的に薫子に向かって飛びかかった。しかしそれも虚しく終わる。武道だけでなく格闘技の心得もある彼女に私はいなされ、もつれ合った。道場に転がされた私は彼女に馬乗りの体勢を許してしまうこととなった。

 さらに、両の手首を押さえつけられる。じぃっと、薫子は私を上から見つめてくる。


「ーースイカ食べ過ぎてお腹壊して欠場ってどういうことよ!」

「豊作らしくて親戚が沢山くれたんだもん」

「だからって一人で四玉も食べるなんてバカなんじゃないの!?」

「おいしかったです」

「こんっ、の……」


 ふざけている、ふざけたおしている。そしてこんな奴にいつまでも勝てないでいる私自身に腹が立って堪らない。

 馬乗りにされ、両手を押さえ込まれて身動きも取れない。一見では華奢に見えるこの腕と身体に、どれだけの力を蓄えているのかと信じられないくらいだ。力の差がここまであるものかと、私は目が潤むのを感じる。


「さーちゃんは昔からずっと泣き虫だね」

「……うるさい!」


 私はぷいと目線を逸らす。泣き顔を見られるのも悔しい。


「不戦敗でも、負けは負けかな?」


 薫子は私の目尻に溜まった涙を指ですくいながら言った。彼女の指先が触れた箇所が、チリチリと熱を持つように感じる。

 そんなわけないでしょう。私の手の豆は、擦り切れて硬くなった足は、身体中のアザは、何のためだと思っているの。


 全ては薫子を正面から打ち倒す、ただそれだけなのだから。


「わかってるよ、さーちゃんがそれで納得する子じゃないってことくらい」


 薫子はクスクスと笑う。窓からさす月明かりは彼女の妖艶さを照らす。私は彼女から目を逸らせなくなっていた。


「でもね、約束は約束だから……」


 薫子は人差し指と中指の二本を重ね、その指を自らの唇と合わせた。一秒か、二秒か、三秒か。ゆっくりと離したその指先は、薫子の唇との間に、煌く一筋の橋をかけた。

 そして、その指で私の唇を優しく撫でた。


「間接ちゅーだよ?」


 瞬間、私の心は安らいでしまった。怒っていたのに、苛立っていたのに、その感情は刹那に消えてしまっていた。


「次こそは私をちゃんとやっつけてね? 私も楽しみにしているんだから」


 薫子は最後にそう言い残し、私の拘束を解いて道場から立ち去っていった。

 頬が熱い。胸が、身体が熱い。彼女の触れた唇が熱い。こんなことで燃え上がる私の肉体と精神は何と単純なことか。


 ***


 深夜過ぎの帳は私の身体を徐々に冷やし、落ち着いた私は道場の片付けを始めた。

 ハンマーを叩きつけ所々がヘコみ砕けた盾は持ち帰ろう。道場のみんなから変に思われてしまう。それに、薫子に頑張ったんだからと言われたから。

 私は盾を胸に抱き、彼女との約束を思い出していた。私が剣道を続けていられる原動力を。


『剣道の試合で彼女に勝ったら、薫子が私にちゅーしてくれる』


 いつか、薫子に届きますように。

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優勝の価値は 平賀・仲田・香菜 @hiraganakata

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