月人は、一時間もしないうちに、めをさました。腕時計を見ると、三時をすぎたところだった。


 窓のむこうには、もはや、温泉街の痕跡などなかった。



 月人はふと、目線を下のほうへと向けた。



 すると、一台の黒色の車が、小川にかかる橋のうえで、オレンジ色の街灯にともされながら、ライトを点滅させている光景が、めにはいってきた。


 その車は、まるで、運転手などいないかのように、動くけはいはまったくなかった。そして、だれかが、そこに乗るのを、待っているかのようだった。


 だれを待っているのだろう――この、なにもかもが眠ってしまった、温泉街のなかで。ひょっとしたら、自分ではないのだろうか。月人は、なにか、あきらめのようなものを感じながら、ずっと、その車をみていた。


 寝ているうちに、あの車にはこばれて、どこかへ、いってしまいたい。しょせんは、すべてが、むりな話だったのだ。また、ひとりで、生きていくしか、ないのだ。月人は、ここ数年の自分のことを、思いだしながら、もう一度、眠りにはいろうとしていた。



 しかし――ゆめと、うつつの、はざまで、月人のからだが、ぬくもりのある、なにかに、つつまれた。



 そのぬくもりは、月人をはなすまいとしていた。



 ほほに、絲のようなものがあたって、こそばゆかった。いったい、なにが、自分を、抱きしめてくれているのだろう――それは、いままで感じたことのないほどの、安らぎを、月人のこころの奥そこにまで、しみわたらせてくれた。そして、からだの緊張が、すっとほどけて、そのまま、ねむりへと導かれていった。




 月人が、めをさますと、夜が明けきろうとしていた。温泉街には、かすかに、白霧はくむがただよっている。


 街灯の、オレンジ色のあかりは、もう、消えていた。



 月人は、あの橋に、目線をおとした。しかし、そこにはもう、黒い車の姿は、なかった。ただ、小川の清流が、ぼんやりと見えるだけだった。


 つぎに、ふとんで、眠っている、シャーロットを見た。その金色の絲は、どこかみだれていた。そして、浴衣が、すこしだけ、はだけていた。


 机の上には、茶碗がふたつ、おかれている。そのふたつの茶碗を見ていると、昨夜の記憶が、すこしずつ、よみがえってきた。




 秋の温泉街の明けがたは、音さえもこごえてしまうほど、かなしい寒さをしていた。

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紫鳥コウ @Smilitary

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