月人とは、はんたいの椅子いすに、シャーロットは、こしを、ふかくおろした。



「疲れていないの?」


 そう、月人はきいた。



「疲れているのは、たしかなのだけれど……」


 シャーロットは、そう答えた。



 月人は、部屋に用意されていた、急須きゅうすで、ふたり分のお茶を用意した。



「ありがとう……不思議ね、疲れているのに、眠れないなんて」


「それは、いつもとはちがう、疲れだからだよ」



 お茶の湯気ゆげさえ、温泉街の、夜のさみしさにふるえていた。



「静かね……わたしたちの声が、こんなに、はっきりと聞こえて。なんだか不気味だわ」



 満月は、うつしく、つめたく、ひかっている。山やまは、すがたを、まるっきりかくして、深いねむりについていた。


 この温泉街で、ねむっていないのは、もしかしたら、自分たち、ふたりだけなのかもしれないと、月人は、おもった。



「わたしは、なんだか、すべて……ここにあるすべてに、おじけづいているみたいなの。そして、わたしはそれにたいして、なすすべもない、そんなかんじなの。ねえ、この感情は――日本語ではなんと訳すの?」


「萎縮……かな」


「イシュク? 聞きなれないわ」


「ほとんど、つかわれることが、ないからね」



 シャーロットは、窓の向こうの、疲れはてて、沈黙してしまった、温泉街を――温泉街のなごりを、みている。いや、もしかしたら、窓にうつっている、自分のすがたを、見ているのかもしれない。イシュクした、自分を。



「わたしたち、これから、どうしようか」


 ついに、シャーロットは、そのことを切りだした。しかし、月人は、はっきりと、こう言うしかなかった。



「ぼくたちは、逃げてきたよね。すべてのしがらみを、そのままにして」


 シャーロットは、とまどいながら、うなずいた。



 それをみて、月人は、さまざまな葛藤をかかえながら――にもかかわらず、まるで覚悟がきまっているかのように、断言した。


「ぼくたちは、戻るしかないと思う。もといたところへ」



 月人は、やはり、そう選択せざるをえないと、思った。この温泉街が、ただの街にかわった夜に。――




 しばらくして、だんだんと、こころが落ちついて、シャーロットは、月人のふとんで、眠ってしまった。



〈あなたは間違っているわ。わたしたちは、素直になることより大切にしなくちゃいけない感情があるのよ。それは、うそをつくこと。そして、うそをつく痛みを引きうけること〉



〈うそ……それは、ぼくたちを苦しめてきた、いちばんの悪じゃないか。ぼくたちは、純粋に、語り、動き、考えるべきなんだよ。なぜ、きみはわかってくれないんだ?〉



〈うそが、悪なのはわかっている。でも、悪だって、ひとを傷つけないことがあるのよ。だって、そうじゃない。悪を……うそを方法に使ったからといって、結果までもが、悪になるなんて、決まっているわけではないんだから〉



"Last Night"――邦題は、あえて『さいごの夜』となっている。



 この小説を、すべて読みおわならいうちに、月人は、椅子のうえで、眠りについてしまった。

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