食事をおえ、シャーロットが自分の部屋にもどってしまうと、月人は、ふたたび、本を読みはじめた。


 ページを、めくればめくるほど、この温泉街は、ぽつりぽつりとあかりを落としていき、窓ぎわのひと間は、どんどん影におおわれていった。



 月人は、本を伏せた。


 そして、このひと間のあかりをつけにいった。



 温泉街の灯りにくらべると、あまりにも現実的なひかりが、そこに、ともった。月人は、この温泉街が、ありふれた、ふつうの街になってしまったように、感じてしまった。


 窓のそとを見やると、街灯が、道にそって、あたたかいひかりを、ともしていた。しかし、そのひかりだけが、ここでしかみられないような、オレンジ色をしていた。



 月人は、ひたすら本を読みつづけた。



〈ぼくたちは、ひかりにあたったときに、ほんとうに大切なものを知るのさ。ぼくたちの背後にうまれるもの。つまり、ぼくたちの姿をくりぬいた「影」のことだよ〉



 だんだん、この物語は佳境かきょうにはいろうとしているようだった。



〈ひかりがないときには「影」がいなくなる? そんなはずはないよ。「影」は、ぼくたちのなかにみついていて、暗くなると、からだのどこかで眠っているんだ〉



 旅館からは、いっさいの音がきえてしまっていた。



〈この「影」を、ぼくたちは大事にしないといけないんだ。ぼくたちのからだの複雑さは、ぼくたちの健康をせわしなく変えていくし、こころの繊細せんさいさは、なにかの拍子に、ぼくたちを殺してしまう〉



 温泉街は、もう、眠っている。あの電車のように、あの学校のように。



〈そう考えると、「影」というのは不思議じゃないか。ぼくたちの生みだしうるもののなかで、ただひとつだけ、こんなにシンプルにできているんだから〉



 月人もまた、意識がどんどん、からだのおくに、すいこまれていくのを感じていた。



〈ぼくたちは、ほんとうは、この「影」のように、かんたんで、あじけないけれど、それでも……それゆえに、どこまでも素直な、ありったけの感情を、目の前のだれかに、あらわすべきなんだ。そして、そうした、きどらない感情を、つかいこなすことこそが、ぼくたちのあるべきすがた、なんだよ〉




 コンコン。ドアがノックされる音で、月人は、意識をとりもどした。




 月人がドアをあけると、シャーロットがさみしげな表情をうかべていた。


「眠れないの」


 あおいろの浴衣には、少しだけ、しわが波うっていた。それは、ふとんのなかで、もじもじとしていた、たしかな証拠だった。

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