第1章 (3)

  (ん?ここは?)

 気が付くと凪はどこまでも白が続く空間にいた。そこは地平線さえも白く見えないほどの白さだった。

(何があったんだっけ…?確か山道の最終確認してて…山で熊?みたいな何かに襲われて…死んだのかな?じゃあ、ここは天国なのかな?天国なら天使?とか神様?とかいるんじゃないかな?)

  と思い、凪は辺りをキョロキョロと見渡してみたが人の姿は確認できなかった。

  (誰もいないな…死後の世界ってこういうところなんだろうか。ここにいてもあれだし、少し歩いてみようか。三途の川くらいはあるかもしれない。)

 そして、凪が歩き出そうとした瞬間。

(……)誰かの声が少し先から聞こえた。

(誰かいるのかな?とりあえずそっちに行ってみようか。)

  凪はそのままその声の方向に近づいていく。


(この辺りから聞こえたと思ったんだけど…誰もいないな。)

 凪は声が聞こえる辺りまで来たが、そこには誰もいなかった。さらに、そもそも白い以外何もないこの世界において姿が見えないのはおかしいことに凪は気づいた。

(幻聴だったのかな…?一回引き返すか…ってうわぁ!)

 凪は誰もいなかったことを不思議に思い、一回引き返そうと思って振り向くと凪の目線のちょうど真下、先ほどまで凪の真後ろだった場所に一人の和服を着た少女が膝をついて泣いていた。

「お母様…どうして?」

「え?君?大丈夫?どうしたの?」

「お母様…。」

 凪はその少女に声をかけたが、少女はまるで凪の声が聞こえていないかのように泣き続けていた。

「君?大丈夫…あれ?」

「お父様…どうして…?」

 泣き止まない彼女の肩を叩こうと凪は優しく手を伸ばしたが、その手は少女の体を突き抜けてしまった。今度は背中を叩こうとしたが、やはりその手は宙を切るのみであった。

「え?どういうこと?これ…狐?」

 さらに、凪は少女の頭頂部に1対の狐耳がついており、腰の下あたりから2本の尻尾が生えていることにも気づいてしまった。

(え?ここがどこかもわからないのに触れない狐みたいな女の子もいて…どうなってるんだ?)

 そう疑問に思ってふと上を見上げた瞬間、世界が白く染まり始める。それと同時に狐のような少女も最初から何もいなかったかのように跡形もなく消えていった。

(え?今度は何?一体どうなって…)

 そして、世界に合わせるように凪の意識も白く染まっていった。

 ====

 再び凪が目を覚ますと、そこは先ほどの祠の目の前であった。その祠は先ほどまでは多少の風化はあってもしっかりと立っていたが今は完全に崩れてしまっていた。

「う~ん。あれ?祠壊れちゃってる。痛ててて…。あれ?それに熊も…いない?」

 凪は足首に痛みを感じながらも立ち上がることができた。そして、先ほどまで自分を襲おうとしていた熊がいなくなっていることに気づいた。

「休憩中に夢でも見たのかな?とりあえず仕事に戻るか。あれ?声が何かへ…うわぁあああ!何あれ?うっぷ…おげぇえええ」

 仕事に戻ろうと凪が上り坂の方に振り向くと、そこには先ほどの『熊』の死体が転がっていた。体内の臓器が周囲に散らばっている様子に耐えられなかった凪はその場で吐いてしまう。


 そして、少し体をかがめた時に自分の体を見た凪はさらに驚愕した。

「え?なんで裸?それにこの体…。え?もしかして…。」

 そこにあったのは薄手の登山服を着た青年の体…ではなく何も着ていない、まだ発達すらしていない少女の体であった。

「え?ないし…こっちもないけど…え?は?」

 自らを襲おうとしていた『熊』の惨殺死体、変貌した肉体だけでも凪は十分混乱していたが、そこにさらに凪を混乱させることが起こった。

「ようやく起きたか。このたわけが。」

 自分しかいない山の中で少女の声が聞こえたのだ。


 さらに。


「ま~だ混乱しとるのか。いい加減落ち着け。今の状況を考えろ?」

 その声は今の自分の口が勝手に動いて出していたものだった。

 これにより凪の混乱にさらなる追い打ちかかり、その結果な具はもはやまともに思考できないくらいのパニックに陥ってしまった。

(え?は?ほ?はぁ~???どうなってるの?ほわい??)

「ちょっとは落ち着くのじゃこのたわけ!」バシン!

 凪の混乱を抑えるためか、そう口が動くと同時に、左手が勝手に動いて凪の頬を叩いた。痛みが体を走り、その痛みによって声の主の目論見通り凪は半ば強制的に正気へと戻される。

「は、はいぃ!」

「情けないのぉ。それでよく妾と波長があったものじゃ。」

「やっぱり勝手に口が動いてる!!どういうこと!?」

「いいから一回黙って人の話を聞けい!」今度は右手が勝手に動き、顔に再び張り手を食らわせた。

「はひぃ!」

「落ち着いたか?お主はあの妖魔に襲われていたのじゃ。それは覚えておるな?」

「あ、はい。よ、妖魔ってあの大きい熊のことですか?」

「そうじゃ。あれは『妖魔』。古来よりこの国に住まいしヒトに害を与えんとするヒトならざる者。お主はそれに襲われたのじゃよ。」

「『妖魔』…。」


『妖魔』。小説やゲームの単語としてはよく聞くその単語。だが、そんなものが現実にいるということは凪に限らず普通の人は信じることなどないであろう。だが、実際その『妖魔』に襲われ、命を落としかけた凪は『妖魔』の存在を信じるしかなかった。

「あのままじゃとお主はあやつの胃袋の中に飲まれるところじゃった。じゃが、お主はたまたまとはいえ妾に施されていた封印を解除して、妾を解放してくれたからの。波長も合ってたこともあって力を貸すことにしたのじゃ。」

「は、はぁ。じゃあ、あの『妖魔』もあなたが倒したんですか?」

「まあ、そうじゃな。いきなり戦えなんて言っても戦える人間なんかまずおらんじゃろ?妾は一応そっちの心得もあったからの。代わりにやっておいたぞ。」

「あ、ありがとうございます。ところで…この体って力を貸した結果ってことですか?」

「ああ、妾が力を貸す…つまりは妾とお主が融合した結果お主の肉体が変化して生まれたものじゃ。妾の元の肉体より多少は成長して居るが、顔付きなんかは殆ど妾の物のはずじゃよ?鏡がないから絶対そうだとは言えないがの。」

「そ、そうなんですね。あの…それで…」

「安心せい!今後『妖魔』が来ても妾が力を貸してやるから!」

「いやそういうことじゃなくてですね…。」

「ああ、妾の名前か?妾は風花という。風に花と書いて風花じゃ。呼び捨てで構わないぞ?ああそうじゃ、お主の名前もついてに聞いとこうかの?」

「あ、凪です。風の止む方の凪です。それでその、風花さん?僕が聞きたいのはそこじゃなくて…」

 勿論、凪の聞きたかったことは『妖魔』と戦うことでも勝手に口を動かしている存在の名前でもない。


「これ、戻れ…「凪くーん!!どこにいるの~?」母さん!?」

 元の姿に戻れるかどうか。それを風花に尋ねようとした瞬間、その質問は突然聞こえてきた凪の母親の声でかき消された。

「え?母さん?迎えに来たの?って今裸だしそもそも女の子じゃん!こんな姿見られたらいろいろとマズいって!早く隠れない「凪くーん?お母さん……」と…」

 凪は母親に見つからないように近くの茂みに隠れようとした。しかし、母親の歩みは意外に早かったらしく隠れる前に鉢合わせしてしまった。

「あわわわわ…その~。あの~。」

「え…?嘘…?」

 見るからにテンパる凪。母親も眼前の様子に至極驚いた様子で、その場に立ち止まる。

「べ、別に怪しいものではないんですよ?その~ちょっと…」

「そこの!凪の母親らしいな。さっきから突っ立ってないで何か言ったらどうじゃ。」

「ちょ!風花さん??」

 凪はひどくお腹が痛くなっていた。全裸の少女という現在の状況、明らかに挙動不審な様子、後ろにある風花の上からの物言い。それに対して母親がどんな反応をするのか、そもそも自分を息子とわかってくれるのだろうか。


 しかし、母親の返答は凪の予想外の物であった。

「風花様?お目覚めになっていたのですか?」

「ああ、お主は妾のことを知っておるのか。先ほどな。凪が『妖魔』に襲われていてな。たまたま妾の封印を解いてくれたからそのお礼に力を貸してやったというわけじゃよ。」

「あ、凪君その中にいるんですね。しかも危ないところを助けていただいて…。この山に住んでいた民としてお礼申し上げます。」

「そんなに恭しくしなくてもよいぞ。」

「え?母さん風花さんの事知って…「ところでそろそろ分離していただけますか?さすがに風花様とはいえ小さな女の子が裸でいるのはちょっと…」

「ああ。そういえばそうじゃったな。『術式展開 全解除』。」

 その瞬間、凪は自身の肉体から何かが抜けていくような感覚を覚えた。実際、凪の体からは光の粒が抜けていくようにあふれ出し、その光の粒が抜けていくたびに凪の目線は高くなっていく。また、抜けていった光の粒は凪の隣に集まり、少女の形を作っていく。


 光の粒が落ち着くと、そこには元の服を着た凪と融合していた時よりも少し幼い少女が立っていた。

「あ。ちゃんと戻れるんだ。よかった~。戻れなかっただどうしようかと。」

「凪よ!ちょっと妾の力を貸してやっているだけなんだから戻れないはずがなかろうに!」

「そんなこと言われても…って服着てよ服!なんでまだ裸なの!?それに…」

 融合した後の自分の姿とほぼ同じ風花の姿をよく見た凪は先ほどまで気づいていなかったことに気づく。

「その狐みたいな耳と4本の尻尾って!君ももしかして人間じゃないの!?」

 そう。風花の頭上には木漏れ日を反射して金色に光る狐の耳があり、腰には風にたなびく4本の同じく金色の尻尾が存在した。

「そうじゃが?もしかしてお前気づいとらんかったのか?なあそこの凪の母親よ。さすがに鈍感すぎぬか?」

「ちょっとそういうところは昔からありますね。でも、気づいた後の動きは速いのでご心配はいらないです。ところで、そろそろ一回場所を移しませんか?後ろの『妖魔』の死体の処理もしないといけませんし、『凪の帰りが遅い』と村の皆さんが心配されてますので。」

「それもそうじゃな。こんなところに死体があったら変なのが来てまためんどくさいことになりそうじゃからな。で、処理ってお主がするのか?」

「いえ、部下の方を連れてきておりますのでそちらに任せます。全員専門家ですのでご心配はいりません。」

「そうか。じゃあ行くぞ!凪。」

 風花と母親の会話に入れずずっと黙って立っていた凪は、風花に話しかけられたことでようやく会話に入ることができた。

「え?母さんなんで風花さんの事…「その話はあとでゆっくりすりから。今は山を下りましょう。風花様はさすがに服着てないと問題になるので隠れながら降りていただけますか。」

「そういうものなのか。じゃあ、狐に化けて後ろからついていくからの。」

「ありがとうございます。じゃあ、回収班のみんな?よろしく!」

 そういうと、どこからともなく黒スーツを着た人間が5人ほど現れ、『妖魔』の死体に向かっていった。


「じゃあ行きましょうか。凪君、風花様。」

「そうじゃな。『術式展開 変化狐』」

 そう言うと、母親と狐に姿を変えた風花は来た道を戻って山を下り始めた。

「え、この人たち誰?ってちょっと待って!置いてかないで~!」

 そして、黒スーツの面々に意識をとられていた凪も2人に少し遅れて山を下り始めた。

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