第1章 (1)

本州のほぼ全域での梅雨明けの宣言がなされ、本格的に夏が始まろうとしていた。学生は間もなく来る夏休みに想像を巡らせ、観光地では間もなく来る稼ぎ時に接客にも熱が入る季節。中京地方の中心都市であるここ名護屋市に住む「小月 凪」はそんな季節なぞとは無縁の、クーラーがいまいち効かず何となくじめじめする自室でベッドに寝そべっていた。


「あ~。何が社会人の飲み会だよ~。こちとら就職浪人だよ~。」

先ほど投げた自身のスマートフォンの画面には大学時代の友人たちからの飲み会の誘いが表示されていた。

「そもそもこんな不景気の時代になんでお前らは就職できてるんだよ。こちとら浪人やぞ~。はぁ…。」

ため息をつきながら投げたスマートフォンを回収する。凪の言う通り現在の日本は不景気の真っただ中、とは言っても資本主義における景気の波のいわゆる『キチン循環』の谷に入っただけであり全体として回復傾向にあるとはされているものの…。

「なんで自分の受けた会社だけピンポイントで破産だの不祥事だの急な業績悪化だの起こったんだよ…本当になんで?」

凪の場合、内定そのものは非常に早かった。しかし、その会社は粉飾決算をはじめとする多くの不祥事が明るみになり、業績は急激に悪化内定は取り消しとなってしまった。取り消しの連絡が来てから、彼は急いで就職活動を再開するも面接を受けた翌日にその会社の社長が夜逃げしたり、突然の破産発表が起こったりといったことに振り回され彼は就職に挫折。今は就職活動しているという体で実家に居候、要は実質ニート状態である。

「はぁ…、『就職活動が忙しいので参加できそうにないです。楽しんできてください』っと。周りみんな社会人なのに一人だけ無職の飲み会とか行くわけないでしょ。」

と彼は大きくため息をつきながら断る旨を返信した。


「あ~、返信するだけでこんなに体力を使うなんて思わなかったよ。まったくそっちと違ってこっちは何もやることがないし…ああ、そういえば今日は『EoW』のアプデがあるじゃん。始まる前にお昼済ませちゃうか。」

そう言って立ち上がろうとした時、部屋の外から凪を呼ぶ声が聞こえた。

 「凪君?ご飯できたわよ?降りてらっしゃい。」

それは母親が凪を呼ぶ声だった。どうやら昼食の時間らしい。

「は~い!今行きまーす!」

そう返事をすると、彼はスマートフォンをポケットにしまい1階のダイニングへと歩き出した。


====

「ねぇ、凪君。ちょっとお願いがあるんだけど。」

凪がダイニングに着くと、母親は昼食の焼きそばをテーブルに置きつつ笑顔で話しかけた。

「何?何か買い物でもしに行く?」

凪は椅子に座りながらそう尋ねた。凪にとって、母親の頼みといえば買い物か妹の迎えかのどちらかであった。今日は妹の帰りは遅いらしいのでこの時間帯に頼まれることはおそらく前者だろうと判断したようだ。

「いや、そういうのじゃなくてね。お母さんの実家が山を何個か持ってるのは知ってるわよね?」

「うん。小学校の時の夏休みとかよく遊びに行ってたあの山だよね?」

「凪君もあの頃はアウトドアな子で真っ暗になるくらいまで遊んではよくおじいちゃんに怒られてたわね~。懐かしいわぁ。」

「そういえばそんなこともあったね~。で、その山がどうかしたの?あ、そこのペットボトルのお茶頂戴。」

「お茶ね。はい、どうぞ。それで、その山ってね、最近若い人が登山とかハイキングとかでよく来るみたいでね、このくらいの時期にいつも山道とか駐車場とかの整備しているらしいのよ。」

「最近登山とか流行ってるみたいだからね~。大学の時とかよく友達に誘われてたよ。一回も行ったことないけど。」

「それで、その整備の人手が足りないみたいで…ちょっと手伝ってきてくれない?」

「え?運動もしてない僕が行っても何か役に立つの?重い物とか持てる自信ないよ?」

凪は明らかにいやそうな顔をしてそう返した。母親の頼みとはいえ暑い時期に外で作業することはしたくないようだ。

「そういうことは業者さんを呼ぶみたいだから、歩道の草刈りとか駐車場の線を引くとかそういう作業を手伝ってほしいらしいの。ダメ?もちろん、お給料は出るし、三食と寝る場所もついてくるわよ。」

「でも僕じゃあんまりお役に立てないと思うよ?ほら、なんだかんだ都会育ちだし不器用だから鎌で草と一緒に手切るかもしれないしそもそも熱中症で…」

とにかく行きたくない凪は何とか断ろうと適当に今思いついた理由を喋っていった。

「それに…」

「ねえ、凪君。あなたこの春からおうちで何をしているのかしら?」

そこに先ほどから笑顔を崩さない母親の、凪が現在一番気にしていることについての直球ストレートな発言が投げられた。

「え、就職、就職活動です…はい。いろいろと企業研究を…」

そんな直球な発言を受けて、凪はなんとかこの話から話題をそらそうとした。しかし、母親はそんな凪の言い訳を意にも介さずさらに笑顔でこう続けた。

「確かに最初の内定取り消しとその後の不運の連続はね、凪君は何も悪くないわよ。粉飾決済だの夜逃げだのなんて外部からじゃわからないからね。で、その後あなたは何かしたの?パソコンでゲーム、『エクリプスオブワールズ』だっけ、をしてるのと、たまに頼んだ時だけ買い物や妹の悠を迎えに行ってくれるの以外にあなた何かしてるの?」

「あ、え、すいません。ごめんなさい。」

凪は先ほどから一切変わらない母親の笑顔に恐怖し、とっさに謝罪が口を出た。だが、母親は相変わらずの笑顔でさらにこう続けた。

「別に謝ってほしいわけじゃないの。凪君だってさすがにあんなことはトラウマだろうからね。心の回復期間が必要なのはわかるわ。でも、知ってる?親は精々後40年くらいしか生きないのよ?もしかしたらもっと早いかもしれない。そうなったら凪君どうするの?手に職もない、遺産もそんなにない。妹には愛想を尽かれる。そんなんじゃ孤独死一直線よ?あなたがそれでいいっていうなら止めないけどね。」

凪はここにきてようやく理解する。自分の母親は、『早く仕事を見つけるか、とりあえず実家の手伝いくらいしないと家から追い出すぞ?』と言いたいのだと。

「あ、はい。山の整備の手伝い頑張ります。あと、就職活動もしっかりやります。」

結局、凪にはこう言うしか選択肢が残されていないのだった。

そして、母親はこれまで以上の満面の笑みでこう返した。

「凪君ならこの話受けてくれると思ったわ~。じゃあ、連絡しとくから詳細決まったらまた教えるわね~。焼きそば冷めちゃったし、電子レンジで温めてくるからちょっと貸して?」

「あ、はい。どうぞ。」

「じゃあちょっと待っててね。あ!あと、悠の午後の授業が急になくなったらしいからご飯食べたら駅まで迎えに行ってあげて?両方ともよろしくね、凪君。」

「あ、はい。分かりました。」

 母親の笑顔によりもはや肯定の返事しか出せなくなっていた凪はそのまま妹の迎えを承諾すると、温めなおされた焼きそばを掻き込み、そのまま最寄りの駅へと向かった。



====

妹を迎えに行った帰り道、凪は先ほどの出来事を妹の悠に話すと、悠はひとしきり笑った後こう言った。

「え~!お兄ちゃんそれで無理やり行かされるの~?」

「行きたくないんだけど…あの状況じゃあ断ったら家から追い出されそうだったし…。あ~!行きたくない~!!」

兄である凪を心配する様子がないどころか小ばかにしたような発言ではあるが、家での立場の低い凪は言い返すことはできなかった。

「肉体労働とかお兄ちゃんには無縁だろうしねぇ。でもしょうがないよ。お兄ちゃんニートじゃん。」

「ウグッ。悠もそんなこと言うのか…。本当だけど…。」

「まあ、これを機にもう一回就活してみたら?『1年間何もしていませんでした』ってなるより『母方の実家で家業の手伝いをしていました』って言った方がポイント高いと思うよ?」

「確かにそれはそうだけど…。しょうがないか。」

「大丈夫だよ!そのうち慣れるって!別に死にに行くわけじゃないんだからさ。」

「悠がそう言うなら頑張ってみるよ。」

「お兄ちゃんファイト!あ!お土産は名産のお餅でよろしく!」

「悠は気が早いなぁ。ほら、信号青だぞ。」

そして、2人は自宅へ歩き始めた。途中で来た『3日後に行くから準備してね。』という母親からの連絡に対して再び悠が大笑いしたのは言うまでもなかった。

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