③
いつもの時間。いつもの場所。
人目を忍んでやってきたアイザック様は、相手がメアリー様ではなく、お仕着せ姿の見知らぬ女が待っていることに驚いたようだった。
ギクリと身を引いたアイザック様を落ち着かせるように「メアリー様から言伝を預かっています」と口にする。単なる伝言役だと思ったようだ。焦った様子を見せてしまったことを誤魔化すように「何?」と素っ気なく催促してくる。
「メアリー様はもうあなたにお会いにならないそうです」
「なんだって?」
アイザック様の鳶色の目が見開かれる。
「もう会ってはいけないと伯爵からお叱りを受けたのです。メアリー様は今、婚約者のエリオット様と一緒にいます」
「親が勝手に決めた相手なんかと結婚したくない。彼女はそう言っていた。……あんた、メアリーが可哀想だと思わないのか⁉」
「……エリオット様はとても素敵な方です。メアリー様は喜んでいらっしゃいました」
「嘘だ!」
一方的に振られることになったアイザック様は引き下がらない。
つい昨日まで、ここで毎日のように抱き合い、口づけをして睦み合っていたのだ。はいそうですかと納得するわけがなかった。
「嘘ではありません。どうか、お引き取り下さい」
「俺を諦めさせようとしてそんな嘘を言うんだな! そう命じられているんだろう」
アイザック様の声はどんどん大きくなる。
「いいえ、違います。メアリー様がそうお望みで……」
「メアリーは僕と一緒にいたいと泣いていたんだ! 使用人風情が、彼女のことを知ったような口を利くな!」
「きゃ……!」
アイザック様が手を振り上げるのが見え、私は目を瞑った。
痛みはいつまでもやってこない。
おそるおそる目を開けると、従者服の青年がアイザック様の腕を横から掴み上げていた。先ほどエリオット様の側にいた黒髪の従者だ。
「何をする!」
アイザック様が従者を睨みつける。
「私はエリオット様付きの従者です。主人の婚約者であるメアリー様付きの彼女に暴力を振るおうとしたあなたを見過ごすことはできません」
エリオット様の名前を出されてアイザック様は怯んだ。
舌打ちをして掴まれた腕を振りほどくと足早に去っていく。騒ぎになったらまずいと思うほどには頭が冷えたのだろう。
「あ、ありがとう、ございます……えっと……」
「……ニコラスだ」
「ニコラスさん。助かりました」
同年代だと言うのにニコラスさんは落ち着いていた。彼も、主人の外出に同行しなかったらしい。「今の男は?」と問われてぎくりと身がすくむ。
「メアリー様の恋人か」
「ちっ、違います!」
(もしかしてエリオット様の指示で、メアリー様の周囲に男性の影がないか探っているのかもしれないわ)
しらを切らなくては、と私は唇を引き結んだ。
気合いを入れた矢先、私の身体は寒さでぶるっと震えた。はっくしょん! と盛大なくしゃみが出てしまう。
初対面のニコラスさんの前で淑女らしさの欠片もないくしゃみを披露してしまい、私の頬は赤らんだ。
「……中に入りましょう。ここは冷えます」
ニコラスさんは自分の上着を脱ぐと私にかけてくれた。
「だ、大丈夫です! 寒さには慣れていますから」
「着ていてください。女性が身体を冷やすものではありません」
女性⁉
エリオット様といい、ニコラスさんといい、女性の扱いにはずいぶん長けているようだ。それとも、リンデンではこれが普通なの?
女性扱いに戸惑った私は「本当に平気です。中に腹巻もしていますから。手作りなのでお見せできるような代物ではありませんけれど、目を詰めて編んでますからちゃんと温かいです」などとどうでもいい情報を口走り、再び赤面する。
ニコラスさんは黒い瞳をきょとんとこちらに向けていたが、「とにかく行きましょう」と寒々しい廊下を歩き始めた。
ともかく、アイザック様のことは忘れて頂かなくてはいけない。私は話題を探す。
「ええと、こちらは寒いでしょう? エリオット様も驚かれたのではありませんか」
「……そうですね。事前にかなり寒いとは聞いていましたが」
「私なんてずっと暮らしていますけど、まだ慣れなくて……。あの、風邪をひかないように気を付けてくださいね」
ニコラスさんはふっと笑った。
「はちみつとレモンを浮かべた湯を飲むといいですよ。風邪予防になりますし、身体が温まります」
「ああ、じいやさんの直伝レシピですか?」
ついぽろりと口にしてしまった。
エリオット様からの手紙に書いてあったことを思い出したのだ。
「は? どうしてあなたが知って……」
ニコラスさんの驚いた顔を見て、私は「しまった」と焦った。しかし、ニコラスさんは何を思ったのか、突然「編み物は上達したようですね」と確認するように呟く。
編み物がなかなか上達しない。手紙に書く話題を探すうちに、つい自分のことを書いてしまったことがあったのだ。メアリー様は編み物などしない。
ハッとした私の顔を、ニコラスさんが覗き込んだ。
「……先ほどのエインズレイ氏の名前が出たときにもしやと思いました。……エリオット様宛ての手紙を書いていたのはあなたではありませんか?」
「な、なんのことでしょう……」
「隠す必要はありません。……手紙の返事を書いていたのは俺ですから」
えっ、と大きな声が出る。
そんな……。でも、確かに、エリオット様はエインズレイ氏の話題を出してもなんのことだかさっぱり分かっていないようだった。それに、お二人とも不自然なほど手紙の話題に触れなかった。
メアリー様は自分が書いていないと気づかれるのが嫌で話題に出さないようにしていたが、思えばエリオット様もそうだ。
「……いったいどうして……」
「親同士の決めた婚約なんて嫌だと、エリオット様はメアリー様と会うことに乗り気ではありませんでした。ですが、再会したメアリー様が美しくなられていたのを見て、お気持ちを改められたそうです」
メアリー様とまったく同じだ。
ということは、エリオット様にも恋人がいたのかもしれない。
二人とも恋人をあっさり捨てて、新しい恋を始めようとしている。なんて馬鹿馬鹿しい茶番劇……、ままごとなのだろう。きっと二人はこのまま無事に結婚するに違いない。
「心優しいメアリー様を騙しているようで、俺はずっと辛かった。ですが、手紙の相手があなただったと知ることができて良かった。安心してください。エリオット様に先ほどの男性のことも、あなたが代筆していたことも報告するつもりはありません」
エリオット様とメアリー様の間に余計な波風を立てるつもりはない。
ニコラスさんはそう言って笑った。
「……私も、同じです。エリオット様を騙しているのが辛くて……」
「そうですか。でも、これでお役御免ですね。きっとこれからはエリオット様もメアリー様もご自分で手紙を書かれますよ」
ニコラスさんの言う通り、私がメアリー様に成りすまして手紙を書くことはもうないだろう。
廊下を二人、並んで歩く。
いつもなら早く温かいところへ戻りたいと早足になるのに、私の足は鈍った。
「……デイジーの押し花もニコラスさんが?」
「ええ。あまり上手にできませんでしたが、エリオット様も不器用ですのであれでいいかな、と」
「ふふ。確かに少し花びらが折れ曲がっていましたね。あの押し花、私が持っています」
「そうですか。……恥ずかしいので、次はもっとましなものを贈ります」
負けず嫌いらしいニコラスさんがそう言う。
楽しみにしています、と笑いかけて私は気が付いた。
エリオット様が書いた手紙だろうと、ニコラスさんが代筆した手紙だろうと、きっともう私が受け取ることはないのだ……。
「あなたも編み物、頑張ってください。俺は暖かい靴下が欲しいです」
落ち込む私が顔を上げると、ニコラスさんは笑った。
「手紙を書きます。今度はちゃんとニコラスとして、あなた宛てに」
「……!」
私は、恋をしていた。
顔も知らない「エリオット様」という文通相手に。
ちょっと悪戯っぽく笑う顔は、こうだったらいいな、と思っていた「エリオット様」とは違ったけれど、――それでも、私が好きになった「エリオット様」は……いや、ニコラスさんは素敵な人だった。
「私も! 私も、書きます。お話したいこと、たくさんあるんです!」
メアリー様のふりをした私ではなく、ありのままの私をもっと知ってほしい。
今度こそは心を込めて結びの文を書けるだろう。
親愛なるニコラスさんへ。
ケイトより。愛を込めて――と。
*****
(2020/11/07)小説家になろうに投稿したものです。
短編をまとめておく所 深見アキ @fukami_a
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