空飛ぶくらげ
松長良樹
空飛ぶくらげ
――実に不思議な光景だった。
一匹のくらげが見上げる空を飛んでいるのだ。そう、あの海中に漂うくらげが茜色の空を浮遊している。
それは白くて長い触手を空中に棚引かせていた。最初は小さな点でしかなかった白い塊が次第に大きくなりくらげになった。
昨日飲んだ安酒のせいかとも思ったがそれにしては映像がリアルすぎる。俺は狐につままれたような心持ちになった。
だが見る見るそのくらげは俺の家の庭先にまで迫ってきた。俺はただ、ぽか~んと口を開けてそれを見ているしかなかった。
「なに見てんのじゃ!」
くらげが喋った。最初はまさかくらげが喋ったとは思わず周囲を見回してしまった。しかし人はいなかった。中年のオッサンみたいな声で気味が悪かった。
心の内側がぞわぞわ~っとした。
しかし暫らくして俺は、これは大変な事件だぞ、貴重な体験だぞ! と思いはじめた。
くらげが空を飛ぶだけでビッグニュースなのに、喋るとなれば超スクープじゃないか。俺はくらげを捕獲する事を考え始めていた。
このくらげを捕まえれば、それがニュースになれば、俺はたちまち時の人じゃないか。もしユーチューブに動画を流せば、いったいどれだけの人が見てくれるだろう。俺はそう考えただけで武者震いがした。
俺の頭の中のスクリーンに、報道番組で得意気に解説するかっこいい自分の姿が映し出された。
そうなると行動は早かった。俺は咄嗟に家の物置から釣りに使う網を持ち出した。
スマホで証拠写真をと考えたが合成だと言われかねないし、動画より本物を捕まえた方がよっぽど価値があるじゃないか。俺は無我夢中でくらげを追いかけた。
傘の直径は50センチ位だろうか。ゼラチン質がてかてかと光っていた。
俺は悪戦苦闘の末、ついにくらげを捕まえた。網にかかったくらげは豪い勢いで俺に悪態をついてきた。
「この人でなし! なにすんねん! 人さらい! いや、ちゃう、くらげさらい!? 放しやがれ! このどあほ!!」
へんな関西弁だった。まあそれはともかく、俺は網ごとくらげを手元に引き寄せた。そしてくらげの傘の部分を見て驚嘆した。
そこには人間の顔があった。最初はなにかの模様が顔に見えたのかと思ったが、違った。目を凝らせばそれはリアルな人面だった。
俺はふと昔ブームになった人面犬、或いは人面魚を思い出した。しかし今見ているのは人面くらげだ。
「なに見てけつかんねん。このぼけ!」
その顔は尚も罵るようにしゃべった。
俺は肝を潰した。それにしても柄が悪いし、正直怖かった。
「うかうかとわしの顔ばっか見とったら、顔を失くしてしまうぞ!」
くらげの意味不明な発言だった。
俺にはその意味がすぐにはわからなかった。
「お前、自分の顔見てみーな。あほ。はよ、見てみーな」
なんだか変な気分になった俺は網を地面に被せ石を柄の上に置いた。
逃げられないようにして家に入り鏡の前に立った。そこには俺の顔がなかった。いや、輪郭はあったが顔の部位が喪失している。のっぺりとした白い肌が不気味だった。
仰天して俺はその場にへたりこんでしまった。
声を出そうにも口がない。もぐもぐと小さな口の部分が動いた。
眼だけがかろうじてあった。しかし、その眼も肉の中に吸収されかけていた。俺は眼をこすった。目玉が少しづつ収縮していて視界がぼやけてきた。
これはえらい事になった。このままじゃ俺は妖怪のっぺらぼうじゃないか。
どうしよう、これは全部くらげのせいだと思った。俺は家から躍り出て網の中を覗いたがくらげはいなかった。
くらげは網を噛み切ったらしく俺の目の前を浮遊していた。
「やい、俺の顔をどうした!」
俺はおちょぼ口であらん限りに叫んだ。
「わしが吸収した。もうあんさんいけませんがな。ぜーんぶ顔喰うさかい」
「顔をかえせ!」
「やでんね。あんさんもう顔はあきらめもんや」
そう言い残すとくらげは空にふわりと浮かび上がった。俺は逃がしたらおしまいだと思って、懸命に追いかけたが追いつかなかった。
すると空に無数のくらげが浮遊しているのがわかった。
一匹ではなかったのだ。背後に大群が控えていた。そしてそいつは大群と合流した。なんという不気味さだろう。
空が暗くなるほどのくらげの大群の一匹一匹が顔を持って笑っているのだ。
俺の目が更に収縮していく。すると突然、丘の向こうから顔をなくした人達がこっちに向かって一斉に駆けてきた。
「わあああああああああ!!!」
――驚く暇もなく俺の目の前がついに真っ暗になった。
了
空飛ぶくらげ 松長良樹 @yoshiki2020
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます