1.11 上官命令

「サム! こっちに来てくれ!」


 リックは、ウノたちの様子を伺いながらも門のところで待機していた弟に呼びかけた。 


 サムは街の中を見回し、門にやってくる人影がないことを確認してから駆けてくる。

 銃を抱え、森の中から聞こえてくる騒音に警戒を示しつつリックの元へ行き、


「どういう状況? 兄さん」


 と薄茶の双眸を兄へ向け問いかけた。


「ケルベロスがでたらしい」


 リックは弟と同じ薄茶の瞳でウノの右足のケガを観察しながら淡々と伝える。


「ケルベロスが!? 南側なのに、なんで……」


「わからない。だけど、今はなぜこちら側にいるのか考えている場合ではないだろう」


 銃を傍らに置き、リックがウノのズボンへと手を伸ばす。

 そして「少し痛むかもしれないが」と前置きをしてウノの右足部分のズボンを引き裂いた。


 ウノは痛みに顔を歪め「うぐっ」と小さく呻き声を漏らした。

 真っ赤に染まっていた布が取り払われ、皮膚の抉られた足が露呈する。


 太ももからふくらはぎにかけて伝い流れた血が張り付いて固まっている。

 血液を漏出させた原因の傷は、真っ赤なその足の中でもひときわ赤黒くその存在を主張していた。


 ウノは自分の足の有様を直視してしまったことを後悔しながら、固く目を閉じる。


 サムは眉間に皺を刻んだまま黙り込み、時折ウノを不服そうに睨みつけながらも兄の様子を見守っている。


「ウノくん、ケルベロスと対峙しているのはグラッツ様だけかい?」


 リックからの問いかけに、ウノは目を瞑ったまま頷く。


「――なるほど」


 リックは腰に付けた小さなカバンからガーゼと包帯を取り出した。

 何かを考え込みながらも、手際よくウノの足に包帯を巻きつけていく。


「軟膏もあればよかったんだが……。サム、お前はウノくんをつれて駐屯所へ行ってくれ。彼の治療と救援要請を――」


「いや、俺のことは、置いていってくれていい……。少しでも早く、グラッツさんの元に増援を……頼む」


 座ったままの状態で頭を垂れるウノ。


 リックは包帯を巻く手を止め、優しく目を細めて満身創痍の少年を見やる。

 だが、すぐに応急処置に戻り包帯の端を結び、


「わかった。そうしよう」


 と頷いてウノの懇願を受け入れる。


「では、サムは駐屯所に行ってガンディール大佐に報告と……」


「――ちょっと待って、兄さんは? 兄さんは何をするつもりなんだ?」


 黙していたサムがリックの言葉に割って入る。


 リックは置いていた銃を再び抱えて立ち上がり、疑心を露にしている弟に向き合った。

 そして真っすぐに弟を見据える。

 

「僕は、グラッツ様とともに街に近づかないよう足止めする」


 サムの疑心は的中したようで、目を見開き、足を踏み鳴らし兄に詰め寄る。


「なんでだよ、兄さん! “英雄”がいるから大丈夫だろ!?」


「――魔物はそんな甘いものではない。もし、もしもだ、グラッツ様が戦えなくなってしまったとしても、僕なら、少しの間くらいなら時間を稼ぐことができる。……なんたって、主席で最年少の少佐だからな」


 勢いよく詰め寄ってくる弟に一歩も引くことなく、静かにそう言った。

 最後に微笑みを添えて。


 そんな兄の言い分に納得できないサムは、


「足止めくらいなら、俺にだってできる!」


 とリックに自己の強さを主張するように激しく自分の胸を拳で叩きつける。

 サムは怒りなのか悲しみなのか不安なのかよくわからない表情を浮かべながら兄を睨みつけていた。


「――行くんだ、サム」


「俺も戦う!」


 サムはがなるように言い放ち、必死に食い下がる。


「サム2等兵っ!!」


「……っ!」


 リックの怒声が森と石壁の間に響き渡った。

 サムはたじろぎ、口をつぐむ。


「上官はどっちだっ!」


 先程までの淡々とした指示とは打って変わって、鋭い眼光と強い語気での威圧。

 そばで座り込むウノも気圧され、身をすくませていた。


「上官はどちらかと聞いている!」


「――リック、少佐で、あります……」


「上官の命令は絶対である! サム2等兵は南東区2番駐屯所に行き、魔物出没の伝達および救援要請の任を命じる! ――返事はどうした、2等兵!」


「――く、う……」


 有無を言わせない、兄ではなく上官としての絶対命令。

 新米兵士のサムには否定の余地も反論の権利もない。


 サムは吐き出したい言葉をこらえるように唇を噛みつけ、瞑目する。

 銃を抱える手は震えていた。


 リックはそんな新兵の様子を薄茶の瞳で見下ろす。

 弟と同じ薄茶の髪が風に揺れている。


 少しの沈黙ののち、サムは伏し目ながらも少しだけ目を開き、


「わかり、ました……」


 と返事として彼に許されたたったひとつの言葉を述べた。

 その声は、森からの戦闘音にかき消されてしまいそうなほどに小さなものだった。


「――よし。任せたぞ」


 満足気に、でもどこか寂しげにリックは告げる。

 その表情は、声色は、佇まいは、見慣れた兄としてのリックのものであった。


 サムは兄からの言葉に細い目を丸々と開き、不安げに揺らめく薄茶の瞳を向ける。

 尊敬してやまない兄の姿を縋るように、見つめていた。


 だが、胸の内に巡る想いを吐き出すことはできないようで、サムは苦しそうに俯き、リックと顔を合わすことなく、


「せめて、これだけでも持っていってください」


 とベストに収納してあった銃弾を1つ、また1つと押し付けるように兄に渡した。


 リックは驚いたようであったが、すぐに微笑とともに弟に感謝を述べ、金と赤の銃弾を溢しそうになりながらも受け取る。


 兄が2種の銃弾を腰のカバンへとしまいきったのを確認したサムは、覚悟を決めたように深呼吸して、顔を上げる。

 そして、かかとを鳴らし銃を横に掲げての敬礼。


「――お気をつけて」


 リックもそれに返すように敬礼したのち、ぽんと右手をサムの頭へのせた。


「サムは僕の誇りだ。期待しているよ」


 優しい、優しい、胸が締め付けられるような微笑み。


 サムは込み上げる何かを耐えるように口元を震わせながらも、すぐに回れ右で兄に背を向ける。


「……すぐ、戻ります」


 それだけ告げて、サムは走り出す。

 そのまま一度も兄の方を振り返ることなく壁の中へと姿を消した。


 門の中へと消えていく弟をただじっと見ていたリックが、ウノの方へと向きを変えたとき、


 ――ドォォン!

 ――グルゥォォオオァァ!


「――近いな。急がねば」


 迫る雷鳴と咆哮を聞き、リックが呟く。


「グラッツさん……!」


 雷鳴は師の生存を意味するが、だんだんと近づいているその音がいい知らせではないのは確かであった。


 焦りと不安を顔に浮かべるウノに、リックは再び膝をついてしゃがみこむと、


「ウノくんは安全なところまで避難を。その足での移動は大変かもしれないが、どうか門の内側までは頑張ってくれ。――僕にとっては、君も守るべき民の1人なんだ」


 と言って、にっこりと笑いかける。


 目を見張り、恥ずかし気に俯いてしまうウノ。


 ヴィエンデンバートルに転生させられてからといもの、グラッツとトミーとレオナ以外の他人に告げられるほぼ全ての言葉が無関心か蔑みを含んだものであった。


 先程の応急処置といい、リックからの優しく温かな言動はむず痒くも嬉しいのである。

 目を泳がせながら「あの、えと、うぇっ……と……」などと変な声を漏らしてしまうほどに。


 挙動不審なウノを少し不思議そうに見ていたリックだったが、すぐに真剣な面持ちで立ち上がった。


 森へ向かおうとするリックに気付いたウノは、はっと顔を上げ、


「――死にに行くつもりなのか……?」


 と問いかける。


 リックは歩みだした足を止め、考え込むように目を伏せ、そして、


「……命を賭さずして皆を守れるのが、最善だと思っているよ」


 とだけ告げて森の中へと、魔物の元へと駆けて行った。

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リン・カーネーションーー転生者は必殺技が使えるらしいーー やかひ あきら @Yaka_aki

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