3話:菊井のばらの悩み

 翌日。


「行ってらっしゃいませ、お嬢様」


「行ってきます」


「行って参ります」


 水蓮はのばらと共に家を出て、ももと合流して学園の方へと歩く。彼女達の家は学園の近所だ。徒歩10分ほどの圏内にある。


「榊原さん、今日は無事に学園につけるかな」


「流石に大丈夫でしょう」


「お、噂をすればじゃね?」


 ももが美桜と思われる生徒を見つけ、駆け寄る。


「よぉ、転入生」


「!あ、姫野先輩、おはようございます」


「おはよう」


「…結城先輩達、凄い人気ですね」


 苦笑いする美桜。ももが彼女の視線の方を振り返ると、水蓮とのばらは学園の生徒に囲まれてしまっていた。


「…先輩方は、ファンが沢山いらっしゃるんですよね?」


「私達っつーか、あの二人がな。私はむしろアンチが多い」


「あー…」


「納得してんじゃねぇよ」


「す、すみません。私は先輩のこと好きですよ。見た目と喋り方のギャップにちょっとびっくりしちゃいましたけど」


「よく言われる。『大人しくしていれば可愛いのにー』とか。余計なお世話だっつーの。大人しくしてなくても私は可愛いだろうが」


「見た目と中身のギャップは先輩の魅力だと思います」


「ははっ。分かってんじゃん。やっぱ面白いなお前。ちょっとかがめ」


「えっと…こうですか?」


 言われるがままに頭を下げる美桜の頭をももはわしゃわしゃと撫でる。その様子を見ていた水蓮は、いつも通りファンの対応をしながら考える。


(…いいな。ももは自由で。私も榊原さんと話してみたい。仲良くなりたい。でも…ファンはそれを許してくれるだろうか)


 自分から行けば、ファンから嫉妬されてしまうのではないだろうか。


「…榊原さん、スマホ持ってる?」


「え?は、はい」


「連絡先。交換しよ」


「あぁ、はい。構いませんよ」


 水蓮達が囲まれている隙にももは美桜と連絡先を交換する。


「あとこれも登録してやって」


「えっ、良いんですか?勝手に」


「いいよ。私が許可する。つか、あいつも仲良くしたがってたから」


「…じゃあ、登録しますね」


「ついでにこれもな」


「はい」


 すると、水蓮とのばらのスマホがほぼ同時に鳴った。無料通信アプリの通知音だ。確認すると、榊原美桜という名前のアカウントから友達登録されていた。二人がももの方を見ると、彼女はふっと笑った。





「真里ちゃん、おはよう」


「おはよう。…今日も水蓮様と一緒に登校したって本当?」


「一緒に登校したというか…たまたま会ったんだ。それで、姫野先輩が声をかけてくれて。あ、連絡先も交換したよ」


「姫野先輩と?」


「うん。姫野先輩と、あと…」


 美桜は言いかけてやめる。『ファンから目をつけられるから水蓮とのばらと連絡先を交換したことは人には言わない方がいい』とももから言われていた。


「あと?」


「えっと…あ、ま、真里ちゃんも連絡先交換しよう?」


「あ、そうだね。まだだったね。ついでに、クラスのグループに入れておくね」


「ありがとう」




 一方その頃水蓮は教室でスマホと睨めっこをしていた。開いていた画面は友達登録されたばかりの美桜とのトーク画面。

 震える手で文字を打ち込んだ文字は『結城水蓮です。よろしくお願いします』の一言。水蓮には、ももとのばら以外の友達が居ない。二人とは物心ついた時から一緒だった。故に水蓮は、新しく出来た友人との接し方が分からなかった。

堅苦しいだろうかと送信を躊躇っていると、横から誰かの指が送信ボタンを押す。シュポッと軽快な音と共に、メッセージが送信されてしまう。


「ちょ…もも!」


「ははっ。悪い。手が滑った」


「もー…!」


 ももに不満を漏らしてからスマホに視線を戻すと、既読が付いていた。そしてすぐに『こちらこそよろしくお願いします』の一言。それを見て、ホッとしたように笑う水蓮。良かったなと頭を撫で回すもも。その様子を複雑そうな顔で見ていたのばらは、ふと席を立ち上がり、廊下に出ていく。


(…胸が苦しい)


 胸を押さえ、拳を握る。のばらが水蓮に対する恋心を自覚したのは中学二年の頃。水蓮が同級生から告白を受けているところをたまたま見かけてしまった時だった。『私は誰とも付き合う気はないんだ』という水蓮の答えを聞いて、複雑な気持ちになったことがきっかけだった。誰とも付き合う気はない。それはつまり、のばらも例外ではない。もちろん、美桜も。


(…だけど、お嬢様のあんな顔初めて見た)


 二人は知り合ったばかりだ。しかし、水蓮が美桜に対して気があるのは確かだ。それが恋愛感情だと決めるには早すぎるが、芽生える可能性は充分ある。

 水蓮は今まで同性から何度も告白を受けているが、性別を理由に断ったことは一度もないことをのばらは知っている。実際のところ、同性から付き合いたいと言われるに関してどう思うのかと聞くと『性別のことなんて考えたことなかった』と返ってきた。

 ちなみに幼稚園から女子しか居ない社会で育ってきたが、剣道、ピアノ、ヴァイオリン、塾—と、様々な習い事をしている水蓮は、同年代の異性との関わりが一切ないわけではない。のばらやももも同じく。しかし、三人が好きな男性のタイプについて話をすることはない。三人とも男性に興味がないのだ。そもそも、のばらは水蓮しか眼中になく、水蓮は誰とも付き合う気はなく、ももは恋愛そのものに興味がない。


「…のばら」


「もも…」


 声をかけてきたのはももだ。


「…なんかあった?」


 のばらも水蓮と同じく、ももと水蓮以外の友人はいない。二人を除けば美桜が初めての友人だ。この状況で恋愛相談出来るような相手はももくらいしかいない。


「…んだよ。黙ってたらわかんねぇだろ。私にも言えない悩みか?」


「…水蓮様は?」


「あ?あいつ?あいつはいつも通り信者の対応してるよ。呼ぼうか?」


「いえ。…むしろ、呼ばないでください。彼女には言えない悩みなので」


「あいつには言えない?」


「…」


「…私にも言えない?」


 周りを確認し、人気のない場所へ移動し、誰にも言わないでと前置きをしてのばらはももに悩みを告白した。


「…なるほどなぁ…まぁ、ファンは喜ぶだろうな。つか、既にお前ら付き合ってるって噂もあるし」


「!?どこからそんな噂が!?」


「私とお前、あるいは私と水蓮が付き合ってるって噂もあるよ」


「な、なんですかそれ。私と貴女は絶対あり得ないでしょう」


「私と水蓮はあり得ると?」


「ないです。やめてください。誰ですかそんな噂流したの。水蓮様に失礼すぎます」


「ひどい言い様だなぁ…。まぁ、私もあいつとは友達で居たいと思ってるよ。お前ともな。…お前は?あいつとどうなりたいの?」


「…私は…」


 もものその問いに対するのばらの答えは一つだ。


(私は水蓮様の恋人になりたい)


 しかし、自分では釣り合わないのではないかという思いと、水蓮の『誰とも付き合う気はない』という言葉が邪魔して素直に口にすることは出来なかった。

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