魔界某所2020

ドク

魔界某所2020

 それらしい肌色、それらしい浮遊感。

 服は白装束ではなかった。だが、どうやら私は死んだらしい。

 それでいて、とんとんと生前の所業を整理され、一枚の紙が渡された。

 どうやら私は地獄行きらしい。

「アンタ、暇そうだね」

「んあ?」

 声がかかるなんて思ってないもんだったから、つい変な声が出た。

「アンタだよ、アンタ」

 声の主との距離は、思いのほか近かった。

 声の主は、周りとは圧倒的に雰囲気の違った。

 芸能人みたいなオーラを持つ、若者だ。

 煌びやかな恰好が、オーラに相応しく彼を彩っている。

 私から紙を取り上げ、パラと捲る。

「あぁ、こりゃ酷い。あと数百年は待たされるよ」

「え、ホントですか?」

「あぁ間違いない。えらい準備がかかる刑を科されたもんだ。何したのアンタ?」

「ネズミ殺し過ぎたのが良くなかったらしいです、干支の神様に言われました」

 生前、私は害獣駆除を生業としていた。

「あはは、そりゃ災難だ。干支の神様なんて中々お目にかかれないんだけどね。

 それで、どうする?」

 若者は聞いてきた。

「どうするって?」

 私は聞き返した。

「アンタ、あと数百年待つ?それとも俺に付いてくる?今、人手が欲しいんだ」

 私は、躊躇いはしたが悩むものではないと判断した。

「あぁ…じゃあ、付いてきましょうか」

「おぉ快諾。結構結構。待ってて」

 若者は紙をもってどこかへ向かったかと思うと、すぐに戻ってきた。

「ほらよ」

 若者は私に紙を返した。

 そこには、ずらずらと小文字で文字が書かれていた紙を上書きするように、

 赤字で押印とサインが載せられていた。

『この者の処遇は、以下の者に一任す。

 署名:Beelzebub』

 なるほど、どうやら彼は外国人だったらしい。どうりで雰囲気が違うわけだ。

 それにして、達者な日本語遣いである。ハーフなのだろうか?

「ほら行くぞ、さあ行くぞ」

「はいはい」

 彼の後ろに付き、その場を離れる。

 彼はずいずいと影が深い方へ足を進めていった。

 私も彼を後ろからずいずい追って、歩いていた。

 やがて彼の姿が見えなくなるほど暗い闇の中に入り込むと、

 足元から地面が消えた。

 私はあっと声を上げた。


 ごとごとと身体が揺さぶられ、目を覚ます。

 私は窓側に身体を押し付け、眠ってしまっていた。

 ぼんやりと視界を外に放り出す。

 煙を噴き上げながら走っている、蒸気機関車の腹が見えた。

 おぉと驚き、車窓から身を乗り出してみる。

 天蓋は暗闇に満ちていた。

 下から噴き出る太陽が、闇の隙間に入り込み、僅かに切り裂くばかりである。

 足元を見ると、炎の上に敷かれた、溶けかかった線路の上を走っていた。

 蒸気機関車が乗る直前まで残っている線路は、走り過ぎ去るとポトポトと

 炎に飲み込まれていく。

 帰り道が消えていく、正に片道切符のようだ。

「おはよう」

 声の方に目を移すと、先ほどの彼がいた。

「あ、おはぁざいます、えっと、べー...」

 先ほどの署名の字面を思い出せず、彼の名前が口から出ていかない。

「ベルでいいよ」

「どうも、ベルさん。ここは?」

「あぁ、そろそろうちの国に着くよ」

「はぁ、そうですか」

 私はそう返すと、再度車窓から外を眺めた。

 車体は左へと曲がり始め、進行方向の景色が見え始めた。

 炎の上に広がる、無数の針。いや、高層ビルであった。

 暗闇に突き刺す勢いで伸びているも、先端ほど闇に飲まれている。

 足元からはネオンライトがエキセントリックな光彩を放ち、

 自らのカラーを主張していた。

 蒸気機関車に乗りながら、アメリカン・スカイスクレイパーに向かっている。

 バックトゥザフューチャーでは、未来に戻るという表現を使用していたが、

 まさしく今、同じ気持ちになれた気がした。

「あれが、ベルさんの国ですか」

「そうだよ、素敵だろう?」

「…素敵ですね」

 駆除が大変そうだなあと思った。

「こっちでは違う仕事をしてもらうよ」

「…はぁ」

「顔が、仕事をする顔になっていたからね」

 そこまで表情に出やすいだろうか。

「それはすみません」

 相手の国に向かって、害獣が出そうだという顔をしていたというのは、

 いささか彼も気持ちのいいものではないだろう。

 素直に頭を下げた。

「その程度、気にもならないよ」

 ベルはクククと笑っていた。


 蒸気機関車から汽笛が発せられ、駅に入っていく。

 やがて動きを止めると、ベルに促され、私はホームへと降りた。

 駅は、境界線を表しているのか、モダンな作りとなっている。

 正面にはスーツの男性がこちらを見つめていた。

「お帰りなさいませ」

「あ、どうも。ベルさんの御付きの人ですか?」

「いいや、それも俺だよ」

 彼は、スーツの男性と握手を交わす。

「え?…えっと、どちらもベルさん?」

「あぁ、彼は俺さ。ま、君は俺のことをベルと呼ぶといいよ」

「私のことは執事、とでもお呼び頂ければ」

「はぁ」

 つまり、どういうことなのかサッパリ分からなかったが、

 私は言われたとおり、ベルはベル、執事は執事と分けて認識することにした。

 ホームから、外へと出ていく。

 駅を出ると、いくつもの乗り物が並んでいた。

 タクシーのようだが、どれもタイヤはなく、若干浮いているような気がする。

 ベルが近づくと、その扉が開いた。

 覗き見たが、中は無人である。

「さぁどうぞ」

 ベルが入り、手招きされて私も入った。

 執事は助手席に乗り込むのかと思ったが、運転席へと乗り込む。

 シートベルトを着用し、カーナビを操作し始める。

「これはタクシー…じゃないんですか?」

「レンタックスっていう、まぁレンタカーとタクシーの間の様なものだよ」

「ベル様、寄り道されますか?」

「あぁ、そうだね。他のやつ、少し遅れるらしいし。遠回りしていこう」

 いつの間に他の人と連絡を取っていたのか。

 一緒にいるはずだが、知らないところで話が進んでいるようである。

「それでは、私のおすすめの場所に行っても宜しいでしょうか」

「良いね、爺のおすすめ。期待しているよ」

 てっきり、彼の間で話が回っているのかと思ったが、

 彼と同じ、執事の方との会話はまるで二人で話しているようである。

「仲が良いんですね」

「まぁ付き合いが長いからね」

「この国が生まれて、すぐに私が生まれましたから。それでは参りましょう」

 執事がハンドルを握ると、レンタックスはふわりと浮いて、空を走り始めた。

「デロリアンじゃないっすか!」

「そういえば、君たちのところはまだ実用化されてないんだっけ?

 いい経験になるよ。この浮遊感は、慣れないと結構気持ち悪いからね」

 私たちはゆらゆらと揺さぶられながら、目的地へと向かった。  


 暫くすると、レンタックスは速度を落とし始めた。

 どうやら、爺のおすすめの場所に着いたらしい。

 近づく手前、窓にブラインドが掛けられたため、ここがどういった場所なのか

 車から出るまで分からなかった。

「右からお降り下さい」

 レンタックスの扉が開き、ベルに続いて外に飛び出す。

 下りた場所は、どうやら駐車場のようだ。

 目の前は、テラスが広がっていた。

 3,40m先まで、円卓とそれを囲む椅子がいくつも並んでいる。

 机が並ぶすぐ後ろでは様々なカフェが軒を連ねる。

 およそ、好きに飲み物を買っては、席に座り談笑できる。

 そういう場所となのだろう。

「良いですね、ここ」

 私は気持ちが穏やかになる場所が好きだ。

 公園や道のベンチなど、日の光を浴びて穏やかに日々を送る、

 そういった場所になぜか心が惹かれる。ここもまた、そんな場所であった。

「ありがとうございます」

「やるじゃん、爺」

「適当に席を取っていてください、飲み物を買って参ります。

 飲みたいものはございますか?」

「じゃあ、甘くないカフェオレ、ホットでお願いします」

「同じやつでー」

「かしこまりました」

 執事は注文を受けると、手前から四つ目の店に入っていった。

 その店の正面の席が空いていたので、ベルとそこに腰を掛ける。

 席からは下の景色を見ることができた。

 地上は市場になっているらしく、道の両幅を出店が並び、隙間を縫うように、

 人がぎゅうぎゅうになって行き交う様子が見て取れた。

 ここに着くまでに見てきた中で最も栄えているようである。

 最近では、こういう景色も見られなくなったものだ。

 正面の建物群も、流行りのファッションを取り扱ってそうな綺麗めの店から、

「占い」と壁に貼られた店などが並び、その混沌ぶりが見て取れる。

「あそこの占い、辛辣だけど結構当たるんだよ」

「へぇ」

「営んでいる婆さん、昔は自分は魔女だってことで売ってたらしいんだけど、

 結構当てるもんだから引っ込みがつかなくなってさ、ここでも未だに魔女なんだ」

「それじゃ本物の魔女じゃないですか」

「その通りなんだが、本人は自分は魔女じゃないって言い張るんだよ」

「難儀だなぁ」

「お待たせしました」

 執事がトレイに飲み物を乗せ、机へと運んでくれた。

 カフェオレにはラテアートが描かれており、自分のには犬がこちらに

 振り返っているものとなっていた。

「ありがとうございます、可愛いですね」

「えぇ。お茶目なバリスタがいましてね、最近この店を開いたんです」

 執事も席に着き、3人で一服し始める。

 珈琲は苦みや酸味が抑えられたものが使用されている。

 牛乳は濃厚であるが主張しすぎず、カフェオレ全体としては角がなく、

 柔らかく美味を感じる一杯に仕上がっている。

「この辺りはね、国が出来たときから残っている商業通りなんです。

 通りは変遷の歴史を紡いできて、そこには強かなものが確かに息づいていて。

 全体を見渡せるのが、このテラスなんですよ」

「まさに、この国の展望台というわけですね」

「そういうことです。店一つ一つが、この国を照らす星々なのです」

 闇夜を照らすネオンライトを、暗闇から見下ろす。

 さながら夜の情景ではあったが、手元には酒ではなくカフェオレであり、

 騒がしい古い友人ではなく、先ほど出会ったばかりの穏やかな知人と談笑して

 過ごしている。

 私はカフェオレに特別詳しいわけではないので、これが最高のカフェオレで

 あるのかは分からない。

 ただ、現状を堪能するには、この上ない一杯であることは間違いなかった。

「幸せだなぁ」

 心の底から、幸せを感じていた。


 カフェオレを飲み終え、私はベルに確認した。

「ここはやっぱり、地獄なんですか?」

 ベルはやんわり否定した。

「ちょっと違うかな。ここは魔界で、私の領地だよ」

「魔界?地獄とは違うんですか?」

「この世界は、天界と魔界の二世界に分かれているんだ。

 アンタがよく知っている天国と地獄っていうのは、厳密には天界の一部、

 魔界の一部なわけ。詳しく言うとメンドいから割愛するけど、

 天国はVIP専用リゾート施設、地獄が刑務所って認識が近いかな」

「なるほど」

「ベル様、そろそろ...」

 執事が渋い顔をしながら、ベルに話しかける。

「お。どうやらほかの者も、所定の位置に着いたらしい」

「そういえばそんなことを言っていましたね。何か始まるんですか?」

 所定の位置に着いて始まること、と言えば、運動会のクラス対抗リレーを

 思い出すぐらいである。

「ククク、まぁそうだね。君たちにちょっとした試験をしよう」

「試験?」

「そう。これからも魔界で過ごすだけの耐性があるかどうか、

 その素養をみる試験さ」

「そりゃ、随分に突然、地獄の様な話ですね」

「抜き打ち試験は嫌いかな?ま、難しい話じゃないんだ。試験内容はいたって単純。

『私の王宮に辿り着く』ってだけさ」

「ベルさんの王宮、ですか?

 それって、場所とか教えてもらえないのでしょうか?」

「もちろん、それは教えるとも。爺、パッドを渡してやってくれ」

「畏まりました」

 執事は何処からともなく電子機器を取り出す。

 それはよく知っている、大きい画面のタッチパネルだった。

 画面には既にこの国のマップが表示され、現在地、目的地がポップアップ

 されている。現在地から目的地までの時間は、徒歩で30分、車で8分だという。

 レンタックスも車と同じ扱いらしい。

「使い方は、説明するまでもないね?現在地から目的地まで別のルートで

 行ってみたい場合は、現在地から目的地まで行きたいようになぞってみると良い。

 その道での最短距離や近くを通る店の情報を再表示してくれるから」

 目的地の場所は現在地からひたすら北に向かった後、少し東に向かったところに

 あり、最初はそのルートが表示されていた。

 言われたままに、私は西から回るように指でなぞったところ、

 今度はそのルートを徒歩で進んだ時の時間などが表示された。

 徒歩で40分、4kmほどの距離、その他におすすめスポットを紹介してくれている。

 このルートでは、どうやらお好み焼き屋がおすすめらしい。

「何時までに着けばいいか、何をしてはいけないか、というのは

 敢えて設けないことにするよ。無事に辿り着けたら、試験合格さ」

 それじゃあね、と言い切ると、ベルと執事はその場から姿を消してしまった。

 

 暫くパッドを眺め、目的地までの道のりを精査する。

 無事に辿り着けること、ということが重要であるとのことではあるが、

 それはつまり、道中に何かしらの問題や課題があるということだろうか。

 とすれば、レンタックスが残されているので真っ直ぐ向かうのが吉なのだろう。

 しかし、あくまで勘だが、そういうことではないような気がするのだ。

 こういうパッドを渡しているということは、道中の課題をこなすような、

 そおういったものが試練の肝ではないのだろう、と推測される。

 ならば、いっそ歩いて向かうのが良いのかもしれない。

 幸い、ルートは自分で選べるのだから、少し寄り道をしながら向かうとしよう。

 私はトレイに、三人分の飲み終えたカップを乗せ、店の返却口に返した。

「ありがとうございます」

 店員が会釈する。丁度良いと思い、会釈ついでに店員に聞いてみることにした。

「すみません、ちょっと聞いても良いですか?」

「はい、どうぞ」

「ここに来るまでにレンタックスに乗ってたんですけど」

「レン...?」

「あの、デロリアンみたいなやつです」

「あ、はい。デロリアンですね」

「そうです、デロリアンです。

 あれって、元の場所に返さなきゃいけなかったりします?」

「その必要はないらしいですよ。デロリアンに、元の場所に戻れって言ったら

 戻るらしいです」

「そうなんですね。ありがとうございます」

「えぇ!今後ともごひいきに」

 店員もあれのことをデロリアンと認識しているらしい。

 案外、年が近いのかもしれない。

「えぇ、そうしたいです。カフェオレ美味しかったので」

「それは良かった!

 銀座に本店がありますので、機会があればそちらもお願いします」

「ははは、それは楽しみです」

 店員もこちら側にいるということは、つまりはそういうことなのだろう。

 それはお互いに分かっていることでありながら、それでも本店について

 教えてくれるということは、きっと彼なりの流儀なのかもしれないし、

 魔界なりのジョークなのかもしれない。

 どちらにせよ、面白いと思ったし、悪い気分にはならなかった。

 店を出て駐車場に向かい、乗ってきたレンタックスを見つける。

 店員に言われたとおり、レンタックスに向かって、戻れと言ってみた。

 すると、車はふわりと浮いて、徐々に加速しながら空へ駆けていった。

 駅の方へと走り去っていったのだろう。

 私はパッドを片手に、穏やかな魔界を歩いてみることにした。


 ようやく解放された。

 クソみたいな若者に小馬鹿にされたと思いきや、今度は俺の王宮に来いだ?

 俺は唾を吐き、腹奥に溜まる鬱憤を飛ばす。

 ふざけんじゃねえ。

 なんで死んだ後まで誰かに命令されなきゃいけねえんだ。

 死後の世界とか、あの世とか、そんな宗教みてえな話は全く信用してなかった。

 ただひたすら、働いていた。

 上司にはひたすら媚びを売り、同僚の汚点を見つけてはぶちまけ、

 使えない後輩は切り捨ててきた。

 上司すら使えなくなったら、より上の上司にすり寄った。

 そうして俺は社長になった。

 社会に生き、社会人になるっていうのはそういうことだ。

 結局、ここまで上り詰められないやつは社会人になれないやつだってことだ。

 くだらねぇ。

 なんで今更、また馬鹿みてぇなやつに命令されなきゃならんのだ。

 舌打ちが止まらない。

 当然、試験などどうでもよく、俺は薄暗い細道を歩いていた。

 すると、パッドを片手に、こちらに向かって歩く輩が目に入った。

「おい」

「あ、はい。何でしょう」

 そいつは作業着の様な格好をしていた。

 年齢は三十路手前ぐらいか。

 いかにも、冴えないブルーカラーって感じがプンプンする。

「お前、試験受けてんのか?」

「はい。もしかしてあなたも、同じく試験を受けている方?」

 ため息が出る。

「試験なんか受けてられっか。逆に、お前はなんで受けてんだよ」

「そりゃ、試験ですから。受けたほうがよいでしょう」

 いかにも、いかにも、思考停止した労働者の発想だ。

「あのさ。俺たちは死んでんだぞ。そこんとこ分かってんのか?」

「まぁ、そうらしいですね」

「死んだあとぐらい、自由を謳歌したいって思うだろ普通」

「はぁ」

 はぁ、かよ。話がかみ合わん。話すだけ無駄ということだ。

「それで、どうされるんですか」

 そいつの言葉を無視し、俺は記憶をめぐらす。

 確か、ここでは空中を漂っているとか、透明になれるとか言ってたな。

 何となく、それっぽくイメージをめぐらす。

 すると、段々と体の色が薄れ身体が持ち上がっていくではないか。

「あの、身体消えていってますよ」

 これは自分から消していっているのだが、まぁ馬鹿に言っても分かるまい。

 結局こいつも、あっちでは社会人に為り切れなかったやつなのだろう。

 俺は違う、何にでもなりきってやる。

「ハハハ!ハハハハハハハ!」

 男は笑い声を上げながら、その場から消えていった。


「アンタは地蔵さ、それ以外の何物にもなれないよ」

 占いのお店にて、魔女と呼ばれる御婆さんに占ってもらった。

 その結果、僕は地蔵だと言われてしまった。

 生きている間、真面目に勉強を続けてきた。

 親から、将来、楽をするためだと教わり、それを信じてきたからだ。

 志望校にも合格し、有名な会社にも入社することができた。

 しかし、全く楽にはならなかった。

 日々、タスクが積み上げられ、必死にこなしても次がやってくる。

 僕はそれを、大丈夫です、大丈夫ですと言ってこなしてきた。

 しかし、無慈悲にも、誰も自分の気持ちなど分かってはくれなかった。

 コロナ禍に入り、テレワークが推奨され、家で仕事をするようになると、

 閉塞感はさらに加速した。

 朝起き、9時にPCを立ち上げ、20時ごろに業務を終え、シャワーを浴び、

 布団にもぐる。

 外出はせず、部屋にこもり、次の日を待つ。

 それを繰り返すうちに、ふと思った。

 自分などいなくなっても、誰も困らないんじゃないかと思うようになった。

 それからはトントンと準備が進んだ。

 僕はロープをドアノブに巻き付け、自重を自身に振り下ろした。

 そして、今に至る。

 パッドを渡され、占いの店があることを知った僕は、自分が何物になるべきで、

 どうすればいいか教えてほしかった。

 その結果が、地蔵になれだというわけだ。

 ふらふらと市場の流れに着き、押され揉まれて、店の間の裏路地に着く。

 腰を落とし、脚を三角に曲げ、パッドを見つめた。

 王宮に辿り着けと言われたが、着いたらどうなるのだろう。

 結局は現世との繰り返しになるに違いない。

 あの世があるということは、つまりは終わりがないということだ。

 それを繰り返すということは、つまり僕は、いつまでも地蔵であり、

 一生、地蔵であるということだ。

「あの、すみません」

 背中から声がかかる。

 その人は、同じくパッドを持っていた。

 ということは、試験を受けている人なのだろう。

「大丈夫ですか?」

 自分の様子を見て、飄々と大丈夫ですかと聞いてきた。

「あなたは、何で死んだんですか?」

「へ?」

 彼の様なタイプが、自分と同じく死んでしまっていることに疑問がわいた。

「何でですかね?はは、覚えてないです」

 彼はヘラヘラと笑っている。

 その様子が、少しだけ羨ましく、酷く不快だった。

「もういいです、話しかけないで下さい」

 僕は彼の方を向かず、じっと固まっていた。

 青年は、その場から二度と動き出すことはなかった。


「結局、ここに辿り着いたのはアンタ一人だけか」

 マップに示された王宮の入り口に着くと、ベルが待っていた。

 彼以外にも、先ほどの執事だけではなく、小学生ぐらいの男子から、

 貴族の夫人のような方まで集まっていた。

 この人たちは、私と同じ試験を受けていた人ではないのだろうか。

「この人たちは?」

「君以外にこの場にいるのは、全部俺だよ」

 ベルの口から、軽いため息が漏れる。

「8人ほど選んで連れてきていたんだがね。

 皆、風になるか土になるかしちゃって消えちゃった」

「魔界には呪いか罠でもあったんですか?」

「いいや。彼らは自らそう成ることを選んだのさ。

 アンタも見かけたんじゃないか?」

 そういえば、と先ほど出くわした人を思い出す。

「おそらく…はい」

「君は、風になったり、土になったりしないのかい?」

 ベルは悪戯な表情を浮かべている。

「私は別に。だって私は風や土ではないですし」

 そう返事を返すと、ベルはケラケラと笑い出した。

 その場にいた、彼以外の彼らも一緒になって笑い出す。

「そうだね、そりゃそうだ。そう、俺が間違っていたのかもしれない。人を

 連れてきたつもりが、人の皮を被った風や土を運んできただけだったのかも」

 ベルの言葉は、厭味ったらしくも聞こえた。

「なんだか、嫌な言い方ですね」

「俺なりに彼らを肯定しただけだよ。彼らが何者だったかなんて、俺には

 分からんからね。ま、風でも土でも、魔界の一部になってくれるなら大歓迎さ」

 さて、とベルは話を切り替える。

「試験を合格した君には、ニスロクの下で食材調達を...」

 仕事の話をし始めたのだと思うが、その口はぽかんと開き動かなくなった。

「アンタ、死んでなかったのか?」

「…はい?」

 私は自分の身体を改めて見る。

 身体はほのかに発光し、血色が良くなり始めていたのだ。

「これ、何ですかね?」

「生き返り始めているんだよ」

 ベルは、長く深いため息を吐き出した。

「残念だなぁ。非常に残念だ。それに珍しい、紙まで渡されていたのに。

 しかし、こればかりは仕方ない」

 身体が徐々に光に包まれ、眩さが景色を消し去ろうとしていた。

「すみません、良くしてもらったのに」

「いやいや、君がこちらに来た時、また会いに行くよ。

 大丈夫。君ならきっと変わることはないはずだ」

 彼の言葉はこちらに伝えられているようにも、自問しているようにも聞こえる。

 私は、身体の感覚を失い、上手く言葉を返せない。

 最早、周りにいたものも、魔界の風景も見えなくなっていた。

 最後にベルの声だけが聞こえた。

「魔界でもまっすぐ歩けた、君ならね」


 瞼の裏に強い刺激を受け、目を開ける。

 身体を動かそうにも、起き上がらせることができない。

 部屋は透明なカーテンの様なものに覆われている。

「おい!おい!起きたのか!」

 声を掛けたのは、おそらく私の父だ。

 そちらの方に向いてみたかったが、今は自由が利かない。

 私は目を何度もパチパチさせた。

「先生!先生!!」

 父はそのまま、どこかへと走っていってしまった。


「凄いですね、たった二週間で全快してしまうとは」

 退院の日、担当医師と面談を行った。

 私は二ヵ月ほど前、下水道の害獣処理を行っていた時に意識を失い、

 二週間前まで寝たきりとなっていたらしい。

 硫化水素を吸い込んだことが原因だと考えられているそうだ。

「あの時、確かに測定は行ったはずなんですけどね」

「事故が起きた人は皆そういうんですよ」

 先生は苦笑すると改めて何度も数値を見直した。

 それでもやはり、体調の問題はないとのことだ。

「本当に奇跡だ。搬送されたときは目を疑いましたが」

 そんなに悪い状態だったのだろうか。

「貴方、ハエに覆われていたんですよ」

 …ハエ?

「ハエですか?」

「ええ、それもびっしり。私自身理解できませんでしたがね」

「なんだかすみません。怖いものをみせてしまったようで」

「いえいえ、貴方が謝るようなことじゃないです。それに、次の日には

 全ていなくなっていましたから」

「それは不思議なことですね、ははは」

 こちらが笑うと、先生も笑い返してくれたが、その顔は引き攣っていた。

 私もそんな話はにわかに信じがたいとも思えたが、深く考えないようにした。

「ま、明日には退院できるわけですから、先生のおかげで」

「またまた。病院食には飽きたでしょう。食事制限もありませんし、外では

 美味しいものでも食べて下さい」

「そうですね。そういえば、行ってみたいところがあるんですよ」

「へぇ、それはどこですか?」

「銀座にあるらしい、カフェに行こうかと。

 誰かにおすすめされたんです」

 この者は、魔界のことなどさっぱり忘れてしまっていた。

 ただ、穏やかな夢を見ていたことは、ぼんやりと覚えていた。

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