最終話『魔力の源は――』

「ここは、知ってる天井、だな……いってぇ!」


 起き上がろうとした護だったが、全身を駆け巡る稲妻に耐え兼ねて再び横たわった。

 よく知っている天井――軍の医療室で目が覚めた護は、気配を感じて首を扉側へ向ける。すると、足音が医療室の扉の前で止まり、「失礼致します」と律儀に言って扉が開く。


「よっ」


 その声と顔が一致して、起き上がれない護が寝たままひらひらと手を振る。


「――っ!」


 当の本人は護の顔を見て瞠目し、腕に抱える果物の籠を落としそうになってあたふたと慌ただしい。

 ぎりぎりで持ち堪え、食べ物を粗末にせずに済んだことに安堵の息を吐く。それから微笑を浮かべたその少女は、ベッドまで一直線に向かってきた。


「め、目が覚めたのですね。無事でなによりです」


「ガンマは倒せたのか?」


「は、はい。私が討伐に成功しました。ですが、今は自分の心配をするべきですよ」


「さすがは『世界最強』さんですねぇ」


「――――」


 皮肉を言ったつもりだったが、黒髪の美少女――氷花は沈黙を決め込んで、なにやら口をモゴモゴと動かしている。


「……なに? なんか言いたげな顔してるけど、守ってくれてありがとう的な言葉でも?」


「うっ……いえ、その……」


 頬をほんのりと桃色に染めて、氷花は落ち着かない様子で髪をいじり始めた。なにか言いたげなのはわかるが、さっきからもじもじとしているだけで肝心な言葉が出てこない。

 お互いに沈黙という不思議な時が流れる中、意を決した氷花が姿勢を正す。そして、護に深々と頭を下げてきた。


「突き放した私を守ってくださって、あ、ありがとうございました。あなたがいなければ私は疎か、日本の魔法少女は大打撃を喰らっていたかと思います」


 えらくしおらしい対応に呆気にとられる護を余所に、氷花は包丁を使ってせっせとリンゴの皮を剥く。

 怪我をしたのは氷花を守ったからで、確かに尽くされる覚えは多少ある。だが、その作業はかなり雑で、皮に中身がごっそりと持っていかれていた。


「ちょちょちょちょ、ストーップ!」


「はい?」


「『はい?』じゃなくて、皮剥き苦手ならやめとけ! もうそれ、皮のほうが本体になってっから! それのどこを食べろと!?」


「……すみません。実を言うと、私は家事全般が大の苦手でして……。普段は全部ばあやに任せているのです」


「じゃあなぜ挑戦した!?」


「え!? あ、いや……た、ただの気まぐれです」


「その気まぐれ絶対やめろ! あと傷口開くから、もう大声出させないでくれ」


「あ、す、すみません」


 素直に謝る氷花に違和感がありながらも、大声の出しすぎで興奮した護は目を閉じてクールダウンを計る。


「ではなしの皮剥きを」


「いや、もうええわ! バナナとかそういう怪我人でも食べれるやつはないんですか!?」


「あ、バナナならあります。私が」


「いや、ほんと、絶対やめてくれ。もう自分で剥くし自分の手で食べるから」


「……はい。どうぞ」


 おずおずと差し出された果物籠から、バナナを一本だけ千切って残りを戻す。


「ていうか、なに? お見舞いのフリしてトドメ指しに来たのか?」


「ち、違います! 用件は別にありまして、お見舞いはほんのついでです」


 咳払いをしてバッグから書類を取り出し、書かれている文字を氷花が読む。


「えー……端的に述べますと、あなたは正式に私専属の守護隊に配属となりました。ですから、これからもよろしくお願い致しますね?」


 氷花は妙に嬉しそうな表情で読み上げたが、その書状を渡された護の内心は相反するもので。


「え、絶対ヤダ」


 口からぽろりと、胸の内に秘めようと努力しようとした本音がこぼれ落ちた。

 両者の間にあった温度差は少しずつ並行に近づいていき、


「え……」


「あー、いや、うん。そうだ。絶対ヤダね」


「なん、で、です、か?」


「だって、死にたくないもん。文字通り痛いほどっていうかこの激痛でわかったし。こんな仕事やってたらすぐ死ぬ。あいにく俺は自殺願望なんか持ってないんだよ」


 どうせ漏れてしまったことだし、いっそのこと全て暴露してやろうと、護は流暢にべらべらと本音をぶちまけた。

 だから気が付けなかったのだ。――氷花の周囲の温度が怒涛の勢いで低下していくのを。


「てわけで辞退したいんだが、君から直接、上に伝えてくれませませんかね」


「嫌です」


「じゃあよろしく頼……んん?? なんか否定が聞こえたような……」


「絶対、嫌です」


「えっ、なんで? 足手まといは不要なんじゃなかったっけ?」


 氷花の真意が掴めず、護は真顔のマジトーンで聞き返した。

 その問いに狼狽え、半歩だけ後退った氷花は顔を横に背けて、


「べ、別に、あなたが足手まといとは……あぁ、もういいです!」


 独り言のようにボソリとなにか呟いたあと、今度は艶のある整った黒髪をくしゃくしゃに掻き乱し、絶対零度の怒りを発散させた。


「ともかく! これは上からの命令ですから、私の立場でどうこうできるものではありません。そうです。ただそれだけです! 仕方なく組んであげるだけですか、ら!!」


「がはッ!」


 絶賛治療中の腹に怒りの鉄槌を下され、護の意識が夢の中へと強制的に引き戻される。


 退院予定日が一週間伸びた。



 * * * * * *



 ――氷花が護のお見舞いに来る数時間前。



「お呼びでしょうか。魔法少女部隊総司令官」


 廊下に面した扉の向こう側には、無限とも言える異次元――亜空間が広がっていた。

 その中には決まった足場や物質、重力さえも存在せず、そこに足場があると認識すれば足場があり、重力があってほしいならある。物質世界とかけ離れた法則で成り立つ空間に、ポツンと置かれた椅子。そこに座っている者は、果たして人間と呼べるのだろうか。

 見る人が見れば神と崇め奉るような、他を圧する覇気を纏わせるその存在は、敬礼する氷花を一瞥して口を動かした。



「やっだなー、もうー! そんな堅っ苦しい喋り方はやめてっていつも言ってるでしょー?」



 この人が言語を発するのを初めて見た者なら、誰しもが拍子抜けするハイテンションな喋り方。


「……リ、リーンちゃん、よ、呼んだ?」


 氷花が魔法少女になってから十年余り、それはこの人――本名不明の自称『リーンちゃん』との初対面とも重なる。

 見た目は小学校低学年より下にも見え、可愛らしい花柄のゴスロリ服が似合う幼い少女。ミニシルクハットを頭に乗っけて、杖を器用に足先に立ててバランスを取る。

 一見すると無邪気なお子様だが、いるだけで物質を破壊し兼ねない覇気を纏う人物に使うタメ口は未だに慣れない。というか、一生慣れる気がしない。


「うん! 呼んだ呼んだー!」


 本人は氷花の苦労など関係なく、これからもタメ口をご所望なのだろうが。せめてもの抵抗として、氷花は毎回、初めは敬語で接することにしている。


「ヒョーカちゃんさー、新種の第三波――ガンマと闘ったんだよねー?」


「は……うん」


「しかも、ガンマは魔法を使ってきたとか! いやー、わたしもびっくりしちゃったよー! 知性を持ってて喋るっていうのも、すっごいびっくりしちゃうよねー!」


「そうで……そうだね」


「でさでさ! ヒョーカちゃんもさすがに一人じゃ勝てなかったんでしょー? 『世界最強』が苦戦するって、ほんとヤッバイよねー?」


 言っている内容と声色が一致しない。

 相変わらず掴みどころのないリーンは、杖を足から落として椅子からふわりと飛び上がり、どういう原理か杖の上に片脚のつま先で立つ。


「それでね? やっぱりヒョーカちゃんにもパートナーがいなきゃなーって、軍のおっちゃんたちと相談したんだー! そっちのほうが二体目三体目が来たときとか都合いいしー、なにより、私は恋する乙女の味方だからねー!」


「――っ、こここ、恋!? 誰が!?」


「えー? 眠ってる王子様にあんなことしておいてー?」


「なっ、なぜ知って……いや、それは、い、医療行為に過ぎませんから! ええ、断じてそれ以外の感情は」


「ドキドキしてた癖にー」


「ぜっ、全然全然、そそそ、そんなことありませんですよ!?」


「ふふふっ、ヒョーカちゃん、かっわいー!」


「なぁっ……!」


 見た目年齢で言えば、人生経験と呼べるだけの経験が足りていないおこちゃまの戯言。

 しかし、世界の法則に従わない彼女の言葉は、氷花を手玉に取って弄べるだけの知識と経験、余裕と貫禄があった。


「書状はもうヒョーカちゃんの懐に入れといたから、パートナーになる彼とは仲良くねー!」


「――っ!?」


 氷花にリーンと至近距離で接触した覚えはないが、この空間内に物理法則を持ち出しても虚しいだけ。ただ、書状を渡されたという事実を受け取り、その場で内容を拝見する。そこには、今、氷花が脳裏に浮かべる人物の名前が記されていた。

 そして、自分がその人物を思い浮かべてしまった事実に、行き場のない屈辱と羞恥が頬を加熱させる。


「互いに支え合う人生のパートナーのこと、大切にするんだよー!」


「その言い方は語弊がありますよ!」


「えー? 別に事実を言っただけだしー。それにヒョーカちゃんもその語弊が現実になってほしいんでしょー?」


「そ、そんなわけありません! 第一、あんな男のどこを好きになるというのですか!」


「あんな男って、特定の人物が浮かんでる時点で図星じゃーん!」


「――っ!」


 その言葉もまた図星であり、氷花の口は反論の材料を失う。


「ていうか敬語に戻ってるしー。まぁー、ツンデレに必死なヒョーカちゃんもかわいかったから、許してあげるー!」


「私は断じてデレてない!」


「はーいはーい」


 全く氷花の発言を信じていない。それを隠そうともしないほど、リーンの返答は雑なものだった。

 自分が言っていることの信憑性の薄さは氷花も自覚している。真っ赤に染め上がった顔でなにを言っているのかと。

 それでも認めたくない氷花が心の門番として立ち塞がり、現実の氷花に無意味な逆上をさせる。


「もう行きます!」


「最後に一つ、人生の先輩からヒョーカちゃんに有り難い助言を授けてあげようー」


 リーンは杖から降りてその足で歩行し、真正面にいる氷花と目線が対等になるまで浮かび上がり、悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべた。


「家事はできるようになったほうがいいよ」


 金持ちの家に生まれたことが災いして、氷花がこの世で一番苦手とする作業を言い当てる。

 まるでこちらの心中を透視しているかのように、またしても図星を突かれた氷花は踵を返して出現したドアノブを捻り、


「余計なお世話です!!」


 最後に捨て台詞を吐いた後、逃げるように亜空間から離れた。



「――魔法少女の魔力って、誰かを愛する力によって増えるんだよねー」



 扉を閉める直前、からかうような独り言が聞こえたが、それは気のせいだと結論付けて、氷花は亜空間に繋がる門を閉ざした。


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