5『私の全てを預ける』

 先程まで恐怖に囚われていた癖に、今の氷花は内側から自信が満ち溢れていた。

 変身した漆黒と藍色のゴスロリ衣装が、自分にも魔法をかけてくれているかのような、そういう感覚だ。

 その魔法はもちろん、臆病で孤独な少女に勇気を与えてくれる魔法。


「……もう、一人じゃない」


 心なしか普段より身体が温かく、力が湧き上がってくるような気がした。

 氷花が感じる温かさとは対極に、その手から発動される魔法の温度は限りなく冷たい。温かい魔力から生じた冷気が身を包み、背後から振るわれたガンマの拳を凍結させた。

 臆することなくガンマは凍った自分の腕を破裂させ、四つに分裂した腕がそれぞれ蛇のようにうねり動く。


「人間、ではありませんでしたね」


 その異様な光景に氷花は改めて思い出す。

 自分が討伐する対象は、人型ではあるがその生態は残酷なまでに人類の敵。人類が開発してきた科学兵器を真っ向から否定する超生命体だった。

 しかも、この新たに出現した新種――ガンマはアルファやベータとは格が違う。アルファとベータの間にも決定的な差があるものの、ガンマはそこから大きく異なる点が三つ。


 一つは見てわかる通り、人間と肩を並べられるだけの常識に収まったサイズだということ。

 二つ目は優れた知性を操り、人類の敵でありながら人類との対話を可能としていること。

 そして三つ目が、ガンマが保持する特性の中で最も厄介な特徴だ。それは、かつて欠陥品と呼ばれた救世主を冒涜するかのような――。


「――魔法を使っている、ですか」


 自分たちに歯向かう者を真似してみたとでも言うように、ガンマも魔法少女と似た超常の力を使用している。

 そう考えれば、先程から突然気付けば背後に現れている現象に説明がいく。それを超高速でやっているのなら、もうとっくに氷花や守護隊の男、他の魔法少女もみんな殺されている。


 ――おそらく、腕を蛇のように動かしたり人を模した姿になるのは特性で、瞬間移動と言うべき空間の距離をなくすのが魔法だろう。


 原理がどうなどと果てなき真理を解明しようは思わないが、ガンマの魔法にはある程度の法則性が見受けられる。

 まず、移動後は必ず数秒間その場から動いていない。クールタイムか魔法の反動か、数秒は別の場所へ飛べないというリスクがある。

 さらに、視認した範囲にしか飛べない。先程、氷花が氷の防壁を築いた際、わざわざ壁を破壊して侵入してきたのがなによりの証拠だ。


 と、思考を巡らせて勝機を掴もうと懸命に法則を並べたはいいものの、それはあくまでも推測の域を出ない。

 それが正しいです、などと誰か偉い人の太鼓判はなく、一世一代のギャンブルに身を投じる選択を迫られる。

 そして、氷花の心の準備が整うのを、選択は悠長に待ってはくれない。


『サイ、キョウ? タタ、カオウ?』


 伸縮自在な蛇の腕が氷花に迫り、それを氷の中に閉じ込める。そのはずだったが、視界から蛇は消えていた。

 刹那、体内の虫が鳴らす警鐘に従い、屈んだ氷花の頭上をガンマの腕が通過する。しゃがんだ体制を活かしてガンマの足を蹴り払い、生まれた隙に氷の槍を放つ。が、貫いたのはまたしても虚空だった。


 戦闘の最中、体内時計が果たして合っているのかどうかと氷花は不安になる。

 もしかすると、数秒も経たず移動できるのかもしれない。そうなればまた立ち回りは大きく変わってくる。

 巨大な的と違ってちょこまかと逃げるガンマに焦り、氷花は確証のない自分自身を疑心暗鬼の対象としてしまう。

 しかし、


「わかってるとは思うが、そいつは空間を移動する魔法を使ってる! 多分クールタイム数秒で視えてる範囲内にしか飛べない!」


 冷静さを失いかけた氷花を激励するかのように、守護隊の男から氷花の推測と一致する意見が提示された。

 偉い人の太鼓判がなくとも、その場に居合わせた二人が同意見ならその信憑性も増すというもの。

 独りよりは多少の安心感を持って、自分の命を賭け金チップにギャンブルをする覚悟を決める。


「ふぅ……わかっていますよ。そんなこと」


 自分には身を委ねられる安定感はないが、あの男になら寄りかかってみても悪くない。

 と、そこまで思って、氷花は自分の頬に帯びる熱を敏感に感じ取る。なにを考えているのか、あんな男に命を預けるだけの信頼を寄せる自分がいたからだ。

 少なくともそれは、就寝前の布団の中でなら許される行為で、戦闘中には呑気すぎる思考だった。


 一瞬で背後に出現したガンマの三つの右腕が迫り、しかし、その速度は先程までと比べて遥かに遅い。――否、遅いのではなく速いのだ。氷花の体感時間が、格段に加速した。

 スローモーションの映像を眺めて、振り向いたすぐ眼前まで迫るガンマを冷静に分析する。ゆったりと氷の道筋を目で辿り、時が動き出した頃にはガンマの全身は凍結していた。

 身体の芯まで凍えた者の末路は、ただ粉々に崩れて溶け消えるのみ。


「――――」


 ガンマが消失したことで、纏っているだけで消耗する氷花の変身は解除される。

 最後に自分がなにをしたのかはよくわからないが、強敵を倒した感想戦にはまだ少し早い。外では他の魔法少女たちがベータと交戦中。余力が残っている氷花には、『世界最強』には再度の変身を要求される。


 ――氷花の意識は次へ向いていた。



「――伏せろッ!!」



 決死の叫びの直後に頭を無理やり下げられ、若干の不快感を覚えながら氷花は状況把握を急ぐ。――急がなくとも、自ずと答えは目の前に広がっていた。


「え……?」


 ぼやける焦点が次第に合い、うつ伏せに倒れる守護隊の男を捕捉する。


「ぁ……ぼ、防弾チョッキが」


 続けようとした言葉は、男の周りに広がる血溜まりを見て呑み込まれた。


「そん、な……」


 いや、結論付けるにはまだ早い。

 わずかな希望を持って駆けつけようと、踏み出した一歩は膝から崩れ落ちる。


「――?」


 なにが起きたのかわからなかった。ただ、瞳に映った自分の脚から、赤い血が流れる現象が止まらない。それを認識して、遅れてやってくるのは――、


「あぐぁァァッ!」


 全身の血が逆流するような激痛。反射の絶叫を余儀なくされ、平常の思考を呑み込む激しい痛み。


「ふ、ぐぅっ……っかっ、ハッ!」


 感覚の途絶えた脚を稼働させ、転がり避けた氷花は追撃の弾道から外れた。


「うくっ……なに、が……!」


 歯が欠けるほど強く噛み締めて、痛み以外の感覚が遮断された右脚を左脚で庇って立ち上がる。

 弾道を辿った先には、知らないほうが幸せだったかもしれない答えが用意されていた。


『――モット、モット、オレ、ヲ? タノシマセテ、クレヨォォ!?』


 初めて咆哮を上げた。そんなことをすれば、他の魔法少女に居場所を知らせるようなものなのに。そのリスクを背負ってでも、取り戻せるだけのメリットがある。

 ――氷花の予想は、災いにも的中してしまう。


 ガンマの咆哮に釣られたベータが方向転換し、氷花たちがいる廃墟のビルへ進撃を開始した。

 魔法少女たちをまるで集るハエのような扱いで無視し、雄叫びに向けた一直線の大進撃。防御をやめたベータの討伐速度は上がるが、それでも十秒以上かけてやっと一体を倒せる程度。到着まで秒読みといったところだ。


 窓の隙間から見えるその光景を目の当たりにし、氷花はガンマの意識を傾けながら守護隊の男に目を配る。


「――――っ」


 倒れていたはずの男は両足裏を地につけ、腹から血を滴らせながら懐に右手を入れていた。


「生きて――」


「目を瞑れ!!」


「――ッ!」


 男が投げたフラッシュバンが起爆し、目を眩ませる閃光が氷花のまぶたを襲う。その光が消滅する前に氷花を抱えて、男は廃墟のビルから脱出した。


「くっ……!」


「――ッ、血が! 今すぐ治療をしなければ」


「それより変身だ。その脚でも倒せるな?」


 男は『倒せるか』ではなく『倒せるな』と、世界最強への信頼――否、少女が怖気付かないように、強く背中を押してくれたのだ。

 想像を絶する覚悟の元、易易と預けられた命を受け取り、氷花も男に自身の心臓の行き先を委ねた。

 その覚悟を表現するには、たった一言の決意を表明するだけで足りる。


「はい!!」


 魔法少女になったばかりの頃、初任務に出向いたとき以来だった。誰かに己が命運を委ねるという不安感と、どこからともなく湧き上がってくるこの安心感は。

 その安心にもたれかかり、生死の境で氷花は無防備に身を晒す。

 変身中は身動きが取れない。でも、その弱点を補ってくれる存在がいる。命懸けで自分を守ってくれる。

 だから―――、


「俺の名は護。名前知ってる奴のが安心できるだろ。――世界最強さん、俺のちっぽけな背中で安心して守られてろ!」


 だから、瀕死の状態で立っているのもやっとという男――護に、喜んで自分の命を預けられるんだ。


『オマ、エ? マホウ、ショウジョ、ジャナイ? ジャマ、ジャマ、ジャマダァァ!!』


 咆えるガンマに呼応して、複数のベータが体当たりでビルを破壊して接近してくる。だが、最短距離で突き進むベータには目も向けず、護はガンマへと二発目のフラッシュバンを投げ喰らわす。


 閃光の晴れた場所からガンマの姿は見当たらない。氷花の背後に飛んだガンマは、自身の体の一部を切り離した弾丸を発射する。

 護が氷花を抱き寄せて弾道から逸らす。が、防弾チョッキを容易く貫通する弾丸は護の左肩を撃ち抜く。


「――ッ、ぐっ……!」


「だ、大丈夫ですか!?」


「集中、しろ!」


「そ、そんなことを言われても、距離が、その、ち、近い、せいで……」


 死の恐怖さえ薄れるほど鼓動が早まり、呼吸が乱れて変身速度が減速してしまう。それでも、あと一秒と少しで完了するだろうが、戦場では一秒の油断も許されない。

 確実な殺傷力を備えたガンマの弾丸が放たれ、忘れかけていた死が急速に接近する。そこを守るのが守護隊の務めであり、魔法少女を突き飛ばして自分の胸に敵の攻撃を受けるのも仕事の範疇。


 ――氷花の変身完了と、護が弾丸に斃れたのは全くの同時だった。


「――護ッ!!」


 ゴスロリ衣装を身に着けた世界最強の魔法少女は敵に背を向けて、血の止まらない護の元へ慌てて駆け寄る。

 三箇所の傷口全てを一時的に凍らせ、力技だが簡易の止血に成功した。――刹那、正面に飛んできたガンマが、魔力を圧縮した指先を至近距離で爆発させて――。


『――――ッ』


 爆発させた直後、その爆発ごとガンマを絶対零度が呑み込み、生命活動を完全凍結する。さらに、氷花と護、他の魔法少女たちを冷気の膜で覆い、ベータを含めた一帯を氷原へと変貌させた。


「……体の一部でも残ってれば、復活するのはわかりました。身体を自由自在に組み替えられるのですから、残った一部から再生できても不思議ではありません」


 変身が解かれた氷花は地に腰を下ろす。


「一度目の最期、四つに分裂した腕が三つになっていたので、気付きましたよ。――また復活されたら困ります。今度は念入りに、一帯ごと消させてもらいました」


 一人の少女が描いた幻想的な氷原がひび割れ、まるで魔法が解けていくかのように散り、蒸発して溶けて消えゆく。


「……生きて、いますか」


 問いかけには返事がない。


「まも……ッ!」


 直に救護隊が駆けつけてくれる。そうすれば氷花も護も他の魔法少女たちも助かる。

 なのに、それなのに、あと少しの辛抱で助かるのに――、


「息を、していない……」


 氷花の魔法で出血が遅まったはずの護は、眠ったまま呼吸をしていなかった。

 死んだ、などと諦めることはできない。いや、そう簡単に諦めるには早計すぎる。

 確か、魔法少女になったばかりの頃、魔法少女養成施設の教官から何度か教わっていた。名目上は軍人である魔法少女の、誰しもが知っている基礎知識を。意識不明の人間を蘇生させる方法を。そして、その手段を。


「――――」


 氷花は学んだことを思い出す。


 自分の唇に、指を当てて――。



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