4『世界最強を守れる奴は決まってる』

 ――この味は久しく感じる。


 いつからだろう。それが作業になったのは。

 いつからだろう。儚い夢から目覚めたのは。



 昔、困ったときには白馬に乗った王子様が来てくれるなんて、本気でそんな幻想を信じていた頃があった。

 いい言い方をすれば純粋な心の持ち主。悪く言えばいつまでもありもしない夢を追いかける愚か者。どちらかと言えば、彼女は後者のほうが近い。


 幼くして魔法少女の力が開花し、習い事と同じように放課後はいつも軍で鍛錬を積んだ。有事の際の対応力、非常事態での冷静な判断力、不測の事態に備えた身体能力。

 元々、呑み込みが早いほうで、やればなんでも卒なくこなせた。それが幸いし、高校に入学する頃には『世界最強』なんて称号が後ろに付きまとう。


 結論から見てみれば、持って生まれた天才肌は災いだったのかもしれない。

 世界最強の人間のピンチに、颯爽と駆けつけることのできる王子様は存在するだろうか。――否、世界最強は他に上を行く者がいないから『世界最強』なのだ。


 ――夢から目覚めるときが来てしまった。


 その背にこの世で最も重い称号を背負い、遙か後ろから必死に追いかけてくる者らを置き去りにして闘う。

 横に並んで闘ってくれる者も、前に立って守ってくれる者もいない。ただ、無理に追いつこうとする者の末路は知っている。


 死に物狂いに闘っていた時期は、生死の境に立たされながらも他の魔法少女と助け合っていた。汗水垂らして、一所懸命に、己の命を懸けて闘っていた時期もあった。

 でも、いつからだろう。レスノア討伐が作業になったのは。ピンチに駆けつけてくれるヒーローという夢から目覚めたのは。


 ――そして今、その幻想に恋い焦がれるのは、きっと久しく感じた鉄の味が口内を占めるからだろう。

 こめかみからぬるりとした感触が始まり、頬を伝って足元を赤く染めて終わる。


「――――」


 料理に挑戦して指を切ってしまったとき以来、彼女――攻奈氷花が自分の血を見たことはなかった。

 独走していた自分に、物凄い勢いで迫る足音が聞こえる。その正体を、氷花はよく見知っていた。かつて幾度となく忍び寄られたそれは、今にも氷花の肩に手を届かせんとする。

 その迫る音の正体は――、


「――死」


 再会を果たした恐怖を口にして、氷花はより一層と置かれた状況を実感した。

 現在、外ではベータと魔法少女が交戦中のようだが、新種のレスノア――おそらく第三波と呼ぶべきガンマと氷花を見つけられないのも無理はない。


 基本的に多くのレスノアは、遠目からもその一角を確認できるほど巨大。地球に存在するありとあらゆる生物の体長を優に超え、一薙ぎでビルを倒壊させる威力を繰り出す。

 あくまでもそれは、大型レスノアにのみ許された特権で、五メートルほどの小型レスノアはそこまでの破壊力を持ち合わせない。まして、人間と対等の身体から発揮される暴力などたかが知れる。


「そのはず、なのですが……」


 他の魔法少女たちが見つけられないのは、倒壊したビルの中で相対していることと、通信機が破壊されたことも理由の一つだ。

 そしてもう一つ、世界最強の魔法少女と対峙するこの存在が、二メートルもない漆黒の人型であることが最大の原因。

 しかもこのレスノア、意味もなく人間の姿に模しているわけではない。


『サイキョウ、ヨワ、イ? コンナモノ、ナノカ?』


 変声期越しのような二重に重なったの声でカタコトだが、喋る。そして、人間と同等かそれ以上の知性を備える。

 アルファやベータとは明らかに違う。異質を身を纏い、これが第三波かと、喉元に事実と共に恐怖を突き付けられる。


「……変身させてもらえれば、もう少しまともに闘えるのですけどね」


『マホウ、ショウジョ、ヨワイ? オレダケデ、カテル?』


「――――」


 一瞬の油断が命取りとはまさにこの状況のことを表す。

 あまりの威圧感に忘れていた呼吸を静かに整え、目の前で首を傾げるガンマの一挙一動も見逃すまいと警戒する。

 冷や汗が額に滲み、血と混ざって頬を伝う。頬から顎の先端まで移動し、重力に従って滴り落ちる。

 ――その刹那だった。


「――え?」


 警戒は一瞬足りとも怠っていない。

 一秒が何分にも感じるほど意識を研ぎ澄ませ、瞬きもせずガンマから目を離さなかった。

 それなのに、割れた窓の隙間から氷花を照らしていた陽光が遮られ、視界は漆黒で覆い隠される。

 瞠目した眼で氷花が見上げると、ちょうど見下ろす怪物の瞳と目線が交わされた。怪物は感情の籠もらない瞳のまま、両口端をニタリと引き上げる。


『ヨワカッタ、ナ? マホウ、ショウジョ、モウ、オワリ、カナ?』


 明確な『死』が訪れた。

 背後から伸ばされた手に肩を掴まれ、もう逃がすまいと氷花の足裏を地に接着させる。その恐怖からは逃れられず、引きずられるがまま深淵への誘いを受けて、そして――、


『サイ、キョウ、アバ、ヨ?』


 そして、恐怖に抱きつかれて見動きできない氷花へと、無慈悲な怪物の腕が振り下ろされた。

 永遠の深淵に取り込まれて、孤独な少女は孤独に散っていく。『世界最強』を守れる者は、この世界に存在しないのだから――。



「――『世界最強』を誰が守れるかって?」



 声がした。

 死の覚悟ができない氷花の脳が、往生際悪く救いの手を望んだ故の幻聴。――否、


「そんなの決まってる」


 まだ聞こえる。

 死を錯覚した五感の機能が回復し、把握してきた状況を氷花は少しずつ整理していく。

 ガンマが振り下ろした腕は空を斬った。

 なぜそんな奇跡が起きたのか。奇跡の立役者は氷花を脇に抱える軍服を着た男で間違いない。自信とプライドに彩られた表情でガンマを見据えて、


「この俺だッ!」


 声高らかに宣言した。『世界最強』を守ってやると。ピンチのお前を助けてやると、無謀にも、氷花を抱えた男がそう言い放った。


『……ナン、ダ、オマエ、ハ?』


 これにはガンマも予想外だったのか、本当に困惑した様子で首を傾げる。

 しかし、氷花には見覚えがあった。

 昨日、氷花に屈辱的な辱めを与えてくれた張本人であり、今日の任務を無断で欠勤した男。

 軍人の誇りやプライドなどと言っておきながら、軍人の風上にも置けない男。

 氷花の独断でこなした変身と、戦闘と呼ぶにはあっけない討伐を見たあとでも、その瞳から軍人としての誇りが残っていた唯一の守護隊。


「ところで、遅刻したのは内緒にしといてもらえませんかね?」


 空気の読めない発言をして、和まない空間で男は氷花をそっと地面に下ろす。


「なん、で……」


「理由とか今はどうでもいいから。さっさと変身してやっつけちゃってくださいな。――『世界最強』さん」


 思えば名も知らない男の言葉で氷花は我に返り、前頭葉が生還への計算を再始動させた。

 十数秒は無防備になる変身を開始した氷花を背に、男は得意げな表情でガンマに叫んだ。


「俺の仕事はただ一つ。――魔法少女の変身時間を稼げ!」


 直後、ガンマは氷花の背後に現れた。



 * * * * * *



 ボランティア活動にはふさわしい格好で外出した護は、その足で最寄り駅へ身を運んだ。電車が到着した駅から最も近い施設は、護の職場でもある軍の基地。

 無断欠勤がバレるとマズイため、IDカードを使って裏口から人の目を盗んで更衣室に侵入し、自分専用の軍服や装備を持ち出した。


 そして現在――、


「――ッ」


 音もなく背後に現れたガンマに、生存本能より驚愕と恐怖が勝った氷花は硬直して動けない。変身の続行を断念しそうになっていた。

 だが、


「――続けろッ!!」


 護の叫びが氷花を諦めから引き戻す。

 後方に移動した気配を辿り、変身の邪魔はさせまいと腰に携行していた拳銃を背面に向けて撃つ。

 一歩間違えば氷花に当たってしまうが、見なくともなんとなくで位置は計れる。

 どうやら読みは当たったようで、展開した障壁で銃弾を阻んだガンマへ振り向きざまに銃弾を飛ばす。

 さらにそこへ追撃をかける。


『――!』


 障壁で弾くのも、さすがにサブマシンガンの連射には時間を取られるらしい。

 だが、またしても無音で姿を消した。


「――ッ!」


 護は殺気を感じて横に飛ぶ。ガンマの直接攻撃は免れたが、すかさず顔面へ飛来する小石を首を傾げて紙一重で躱した。が、手元に命中した小石がサブマシンガンを弾く。


「くっ……!」


 咄嗟に構えた拳銃も小石に打たれ、一気に距離を詰めてくるガンマに身構える。そんな護の視界からガンマは消えた。

 気配はまたしても背後。拾ったサブマシンガンの銃口を無防備な氷花に向けて、躊躇なく引き金を引く。

 変身中の氷花を庇い、飛び出した護の身体が何十発もの銃弾を喰らう。


 そのとき、氷花の衣装は学生服からクールなゴスロリ服に着替え終わった。

 氷花はすかさず魔法で氷の壁を生成して、降り注ぐ銃弾の雨を余さず防いだ。しかし、始めの何十発かは護を確実に撃ち抜いていた。


「まさか……死んでいませんよね!?」


 あれだけの銃弾を喰らえばまず必死だが、生きていてと願いが込められた氷花の叫び。それを受けて、


「――この程度で死ぬわけないだろ」


 銃弾の雨を受けて倒れていた護は、なんでもないように上体を起こす。


「なんとか間に合ったか」


「あ、れ……?」


「なに? その意外そうな顔。まさか死んでほしかったとか言わないよな?」


「い、いえ、そんな不謹慎なことは、言いませんが……むき、ず……?」


「軍人なんだから当たり前だろ。防弾チョッキぐらい着てる」


「あ」


 防弾チョッキなど常識的に考えて当然の装備だが、氷花の表情はそれを忘れていたことを物語っていた。

 それだけ気が動転していたのか。しかし、護が死んだところで氷花からすればハエが死んだ程度かと思うが。


「なんだ。そんなに俺が心配だったのか」


「――っ」


「なーんてな。……あれ? なんでなにも言い返さないんですか?」


「――――」


 言い返そうにも適切な言葉が見つからない。そんな風な雰囲気を纏わせ、言葉を詰まらせる氷花は自分でも不思議そうに目を丸くする。

 返答に困る氷花がなにか言うのを、興味もないであろうガンマは待ってくれない。


『サイキョウ、ノ、ホン、キ? ヤット、タ、タカエ、ルナ?』


 築かれた氷の壁を素手で殴り壊し、侵入したガンマと紛れもなく世界最強の魔法少女が初めて相対する。

 さっきまでのひ弱な少女はどこにもいない。ここにいるのはなにを隠そう、地球上のいかなる生物にも勝る『世界最強』だ。


「闘う? いえ、勘違いしないでください。これから私が行うのは『戦闘』ではありません。――人類の敵の『討伐』です」

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