後編 森の奥の吸血鬼

 夕食を終え、一緒にお風呂で体を洗いあったシュナとメリッサ。今は、シュナの部屋で二人一緒にいる。

 ベッドの上でシュナの髪を手入れするメリッサ。綺麗で美しく、繊細な絹のような髪を好きに触らせてもらえるこの時間は、メリッサにとってかけがえのない貴重な時間。

 ブラシを通し、手ですいて美しい銀の髪を整える。水が川を流れるかのように指を通すことで、絡むことがないストレートの髪にすることができた。


「メリッサ、また腕を上げたね」

「毎日こうして触っていれば、このくらいは」


 会話の片手間に髪を整えてしまうメリッサ。仕事はとても早かった。

 二人がベッドに横になる。鼻先を付き合わせ、そのまま唇を重ねようと顔を近づけていき――。

 唇が重なる直前で来客を告げるベルが鳴った。メリッサは不機嫌そうに頬を膨らせる。


「こんな時間に誰かしら?」

「迷惑な。でも、少し応対してきますね」


 不機嫌を隠そうともせずに部屋を出るメリッサ。玄関へと向かい、扉を開ける。立っていたのは、若い男だった。


「どちら様でしょうか?」

「君は……違うな。ちょっと屋敷の主人を呼んでくれないか? 話したいことがあるんだ」


 メリッサの質問には答えずにシュナを呼ぶように依頼する男。失礼な男に不信感を抱きつつも、メリッサはシュナを呼ぶ。

 しばらくして、シュナが階段を降りてきた。エントランスでメリッサと話す。


「どうしたの?」

「こちらの方が、シュナ様を呼んでほしいと……」


 男は、シュナをじっと見つめる。やがて、何かに気がついたような顔をすると、十字架を取り出して憎しみの瞳をシュナへと向けた。


「やはり、噂は本当だったか」

「噂?」

「メイドのお嬢さん、下がっていたまえ。その女は吸血鬼! 人に害なす化け物だ!」


 男が腰へと手を伸ばす。露になった胸当てを見て、シュナが表情を変えた。


「その十字架……まさか!」

「察しがいいな。その通りだ」


 男は、腰のリボルバーを抜いて一発の銃弾を放った。放たれた凶弾は、シュナの頬を掠めて背後の壁を穿つ。


「私は、聖教会から派遣された異端神罰官のルイス! 生命の理から外れた愚かな吸血鬼よ、主の名の下、ここに聖伐してくれる!」


 リボルバーを左手に持ち変え、右手で太ももに装着していたナイフを引き抜く。エントランスの照明に照らされたナイフは、美しい銀の光沢を放っていた。


「吸血鬼を殺すために揃えた装備だ。リボルバーに込められた弾は純銀製。貴様らにとっては致命的な一撃となるだろう。そして、このナイフもまた純銀製。聖別のなされた銀繊維でコーティングし、司祭やシスターの祈りを受けてから聖水に浸した対魔の武器だ」


 一体なにがそこまでさせるのか、ルイスが使う武器は吸血鬼への殺傷能力を極限まで引き上げていた。シュナの額に冷や汗が浮かぶ。


「失せろ。貴様らは生きてていい存在ではないのだ!」


 叫びと共に、二発目の弾丸が放たれる。シュナがそれを回避するも、今度はナイフを構えて距離を詰めてくる。

 ナイフで何度も切りかかり、隙を見せると銃弾を撃ち込んでくるルイスに対し、シュナは反撃をしようとしない。ただ、殺されないように逃げるだけだ。

 調度品が壊れ、破片が散乱する。それでもなお、ルイスは止まらない。


「貴様を許しはしないぞ! あのメイドの娘は、貴様が魅了チャームの力で従えているのだろう!? 少女を狙う卑劣な吸血鬼め!」

「違うっ! 少し、話を聞いて!」

「吸血鬼の戯れ言に貸す耳はないわ!」


 とてもじゃないが人間とは思えない身のこなし。人と吸血鬼の間には圧倒的な身体能力の差があるはずなのだが、それをまったく感じさせなかった。

 横腹を狙ったナイフの一閃。それをかわすも、ルイスの足払いを受けて体勢が崩れる。シュナがよろめき、壁にぶつかった。

 これを見逃すルイスではない。即座に銀の太針を飛ばし、シュナが逃げられないようにする。

 ルイスの左手のリボルバーが、シュナへと向けられた。


「死ね。主の裁きを受けよ」


 ルイスは、容赦なく引き金を引いた。銀の弾丸がシュナの命を刈り取ろうと――


「――ダメですっ!」

「メリッサ!?」

「なにっ!?」


 突如としてメリッサがシュナを庇うように前に出た。当然、銀の弾丸はシュナの前にあった障害物――‐メリッサの脇腹に命中してそれを深く抉る。

 口の端から血を溢してメリッサが倒れた。慌ててシュナが駆け寄り、メリッサを抱き抱える。シュナの目からは、大粒の涙が次々と溢れだした。


「どう、して……? どうして?」

「好きな人に……生きててほしいと……思うのは……おかしいですか……?」

「そんな……っ! 私、は……っ!」

「泣かないで……ください……シュナ様が無事なら……それで……」


 メリッサを抱いて泣き崩れるシュナ。その後頭部に、冷たい金属が押し当てられる。


「……この娘、血迷ったか? 吸血鬼を庇って死ぬなど、なんと愚かなことか」

「――……れ」

「ん?」

「黙れ……メリッサを……侮辱するな……」


 今までとは一転、氷よりも冷たくておぞましい気配を放つシュナ。ルイスが気圧され、全身から脂汗が噴き出した。


「っ! だが、終わりだ! この距離なら貴様を外すことはない!」


 シュナの後頭部には、リボルバーが押し付けられている。引き金を引けば、すべて終わる。

 そう、信じて引き金を引いた。

 炸裂する火薬。押し出された銀の弾丸はシュナの後頭部に直撃し、。シュナには傷一つない。


「……は? なに、が?」


 メリッサを床に寝かし、シュナが立ち上がる。一挙一動が恐ろしく、ルイスが尻餅をついて後ずさる。


「私にそんなおもちゃなんて通じない……」

「く、来るな化け物!」


 ルイスがナイフを投げる。吸血鬼に対して致命傷を与えるそのナイフをシュナは素手で掴み、握り潰した。刃が煌めき、砕け散る。


「さっきまでは、メリッサがいたから。だからお前を殺さなかった」

「や、やめろ!」


 リボルバーでシュナを撃つ。当然、効くはずもない。


「お前の武器がなくなるまで、逃げるつもりだった……」

「この! この! この!」


 何回も引き金を引く。だが、先ほどの一発が最後だった。弾切れを起こしたリボルバーは、間抜けな音を鳴らす手のひらサイズの筒に成り果てる。


「でもお前は……メリッサを撃って、挙げ句に侮辱まで……」

「ひっ!」

「メリッサが見ていない今なら……遠慮せずに、容赦なく殺せるね……」


 圧倒的なオーラと共にルイスの胸ぐらを掴み上げる。腕による圧力に耐えきれず、十字架が刻まれた胸当てが砕けた。

 ルイスを頭上に掲げる。ルイスはもう、恐怖でおかしくなりそうだった。


「ま、まさか! 貴様、真祖の吸血鬼か!?」

「だったらなに? お前が死ぬことに変わりなんてないから」

「ま、待て!」

「死ね」


 シュナは、開け放たれた扉からルイスを全力で放り投げた。音速に迫る速度で投げられたルイスは、あっという間に森へと飛ばされて見えなくなる。扉は、勢いよく閉じられた。

 ルイスを片付けたシュナがメリッサに歩み寄る。悲しみで、胸がいっぱいだった。

 メリッサの笑顔を守るためにいろいろとしてきた。笑っている彼女が好きだった。

 だが、現実はどうだ? 今、シュナの目の前にいるメリッサは笑顔とはほど遠い。


「こんなことって……ないよ……」


 涙をいっぱいに浮かべたシュナが踞る。血に濡れたメリッサのメイド服を気にすることなく、彼女の胸の上で声を上げて泣く。

 森に、悲しい慟哭が響き渡った。動物たちの鳴き声が止まり、悲痛な泣き声だけが響く。

 しばらくの間泣き続けたシュナ。が、やがて、あることに気がついた。

 微かにだが、メリッサの心臓がまだ動いている。虫の息ではあるが、まだ彼女は生きていた。

 だが、このままだとすぐに死んでしまう。なんとかして処置しないといけない。

 シュナは、メリッサを助ける方法を知っていた。だが、それをすることにシュナは迷っていた。

 本当にそれでいいのか、他に方法があるのではないか。自分にとってなにが大切か、メリッサにとってなにが大切か。

 散々自問した末に、シュナは決心した。


「私は、こんな別れは嫌! また、貴女の笑顔が見たい! ……だから、許して……!」


 そう口にし、メリッサの首筋に優しく牙を突き立てた。


◆◆◆◆◆


 それから、数十年が経った。

 その間に何度か戦争が起き、森の近くの町は何度か壊された。だが、人々の諦めない気持ちにより、何度も復興してより盛り上がりを見せている。

 小さな女の子が一人、母親と手を繋いで買い物に出掛けてきていた。活気ある町に興奮して走り出す女の子を、母親が注意する。


「あまり離れないでね。森に入ったらダメだからね」

「どうしてぇ?」

「森の奥には、怖い怖い吸血鬼が住んでいるのよ」


 女の子が震える。が、そんな女の子と母親に笑いながら声をかける老人がいた。


「懐かしい話だねえ。そんな話もあったもんだ」

「あった? 今は違うんですか?」

「ああ。確かに、吸血鬼の噂はあるよ。でも、昔とは違っているね」


 老人は、優しげな瞳で森の奥を見つめながら言った。


「森の奥には大きな屋敷がある。そこには、美しい吸血鬼とメイド服を着た吸血鬼が、穏やかに仲良く暮らしているんだとさ……」


◆◆◆◆◆


 月明かりが差し込む部屋、大きなプリンセスベッドの上に二人の女性が横になっていた。美しい銀の髪をもつ女性と、メイド服を着こなす女性。

 二人は、昔話に花を咲かせているようだった。


「懐かしいわね。でも、どうして?」

「なにがですが?」

「私に銃弾なんて効かない。貴女には教えていたはずよ」


 それを聞いたメイド服の女性――メリッサは悪戯っぽく笑った。


「だって、ああでもしないとシュナ様、私を吸血鬼にしてくれないじゃないですか」

「ほんっと、心配したんだからね!」

「ごめんなさい。でも、いいじゃないですか。私はこうして無事なんだし、幸せに暮らしている。永遠の時を一緒に……」

「……ふふっ。ええ、そうね」


 二人で笑いあう。それから、何度目かも分からないキスを交わす。指を絡ませ、お互いを求めるように深いキスをする。

 吸血鬼たちの夜は、まだまだこれからだった。

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吸血鬼とメイドさん 黒百合咲夜 @mk1016

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