吸血鬼とメイドさん

黒百合咲夜

前編 吸血鬼とメイドさん

 薄暗い森の奥に建つ、不気味な雰囲気の屋敷。照明のない暗い廊下を、慣れた様子で歩く一人の美少女がいた。

 メイド服を着こなし、栗色の髪の毛をショートに切り揃えた可憐な美少女。屋敷の雰囲気とは似ても似つかない風貌だ。

 少女は、豪華な扉を押し開く。扉の先、室内には天蓋付きのプリンセスベッドがあった。ベッドの上では、色白の美少女が気持ち良さそうにすぅすぅと寝息をたてている。

 少女は、寝ている少女に近づき、耳元で囁いた。


「おはようございますシュナ様。お目覚めください」


 すると、色白美少女――シュナはゆっくりと目を開いた。それから、両手をメイド少女の肩に置いて逃げられないように固定する。

 シュナが大きく口を開く。鋭く伸びた犬歯が不気味に光った。その口を、徐々にメイド少女の首筋へと近づけていき――


「――ふわーぁ。おはよう、メリッサ……」

「はい、おはようございます。……期待したのに」


 メリッサと呼ばれたメイド少女は、残念そうに呟いた。シュナは、寝ぼけ眼を擦りながらメリッサの肩から両手を離す。

 メリッサは、部屋のカーテンを勢いよく引いた。日光が室内に射し込み、部屋を明るく照らしていく。


「っ! 日光! だ、だめぇ!」


 シュナが慌てて目を押さえるが、もう遅い。日光は容赦なくシュナに攻撃を仕掛けていた。


「あ、あぁぁっ! ……目が、目が痛いぃっ!」


 鏡を見ながら髪を整えていたところに強烈な日光を浴びたものだから、シュナの瞳には深刻なダメージが刻まれた。両目を押さえて床で転げ回っている。

 メリッサは、驚いて急ぎシュナの元へと駆け寄った。


「だ、大丈夫ですかシュナ様!?」

「これが大丈夫に見えるなら町の診療所に行きなさい……!」


 普段と変わらない口調から問題ないだろうと判断する。そして、くすっと笑った。


「でも、まだ不思議な感覚ですね」

「うぅ……なにが?」

「シュナ様ですよ。だって、なのに日光を浴びても死なないんですから」

「目はまさに殺されかけたけどね!」


 軽率だったメリッサの行動に対し、恨み節を吐くシュナ。

 何を隠そう、彼女は吸血鬼なのだ。伝承に語られる、人の血を吸う化け物。

 だが、あくまで世界に広がっている吸血鬼の伝承は、一般的な吸血鬼の話。シュナのようにヴァンパイアクイーンと呼ばれる、いわゆる真祖の吸血鬼たちの生態と伝承は異なっていた。

 シュナが再び鏡の前に座る。メリッサが後ろに立ち、長い白銀の髪を丁寧に整えていく。


「日光に当たれば死ぬ。ニンニクが苦手。まぁ、ニンニクは私、臭いが苦手だけど。……そして、十字架があれば近づけない。そんな都合のいい話なんてないわよ。日光に当たって死ぬのは弱い吸血鬼だけ。ニンニクも十字架も人間が流したデマよ」

「まぁまぁ。私たち人間は、シュナ様みたいな強い存在が怖いんです。だから、安心するために勝てるという自己暗示を刷り込む……」


 シュナに仕えるメイドのメリッサは、吸血鬼ではない。彼女は人間だった。幼い頃、森に棄てられていた彼女をシュナが見つけ、世話したことが二人の出会いだ。それ以来、メリッサはメイドとしてシュナのお世話をしている。

 髪にブラシを通し、お手入れ完了。シュナを立たせる。


「朝食、用意できてますよ」

「朝は?」

「はい。子牛のステーキと血のスープ、赤ワインです」

「えっ、子牛ステーキ!? 私、あれ好きなのよ!」

「シュナ様の好みかと思い、加熱二秒のレアに仕上げました。血が滴る特上ものです」

「楽しみね!」


 シュナは、人を襲って血を吸うということはしない。人以外の動物の血でも生きていけるため、わざわざ人間を傷つける必要などないのだ。

 それに、シュナは人間が好きなのだ。誰も傷つけたくないと思っている。この考えは、同族からは異端と常に言われているのだが……。

 食堂に入り、メリッサが用意した朝食を前に興奮するシュナ。メリッサを対面に座らせ、二人で朝食を食べる。

 メリッサのメニューは、炙りソーセージとコーンスープ、焼きたてのパンといった普通の食事だ。さすがに、シュナと同じものは食べれない。

 普通、主人の食事が終わってからメイドが食事をとるものだが、シュナはそういうのは嫌いだ。一緒に食べたほうが美味しいと、いつもこのスタイルである。

 朝食を終えると、食後の一杯としてシュナは冷蔵保存していた血液を飲む。生きていくことと好物は別で、たまにお金に困っている人から命に別状がない範囲で血液を買っているのだ。

 メリッサが血をワイングラスに注ぎながら、不機嫌な顔をする。


「ん? どうしたのよ?」

「シュナ様……いい加減、私の血を吸ってくださいよ!」


 不満たっぷりにメリッサが叫んだ。

 ――そう。メリッサは、ずっと自分が吸血されないことを不満に思っていた。わざわざ血なんて買わなくても、自分から吸えばいいと。

 だが、シュナだってメリッサの血を吸わない理由がもちろんある。


「分かってるの? 私に血を吸われるってことは、貴女も吸血鬼になるということ。人ではなくなるのよ」

「分かってます! でも、吸血鬼にでもならないとシュナ様のお側に一生いられないじゃありませんか!」


 ずっとシュナと暮らしたい。それが、メリッサの心からの願いだった。森で拾われ、命を救われたあの時からその想いは変わらない。

 シュナが呆れたようにため息を吐く。


「吸血鬼は人の世じゃ受け入れられないわよ。好きな人ができても拒絶されるだけ」

「何度も言ってますがねぇ! 私はシュナ様をお慕い申し上げております。男性には興味がありませんから!」

「またそんなこと言って……私なんていいところないわよ」


 なんて言うが、内心は嬉しいシュナ。彼女もまた、メリッサのことを恋しく思っている。それゆえに、メリッサまで化け物にするわけにもいかず、苦渋の思いで吸血を断り続けているのだ。

 頬を膨らませて駄々をこねそうなメリッサ。こうなった時、メリッサを宥める方法は一つしかない。

 シュナはメリッサを抱き寄せた。多少強引に唇を重ねてメリッサを黙らせる。その突然の出来事に、メリッサは顔を真っ赤にして両手をばたつかせた。

 たっぷり十秒ほどキスをして、ようやくメリッサを解放する。二人の口を結ぶ細い糸がゆっくりと切れた。


「はい、今はこれで我慢なさい」

「ひゃ、ひゃいぃ……」


 恥ずかしさで蒸気を発しながらフラフラと歩いていくメリッサ。その後ろ姿もまた可愛く、シュナは思わずクスリと笑ってしまう。

 その日も、変わらない日常が流れていく。メリッサが家事をして、シュナがそれを眺めて、時折二人が密着し、メリッサがキスを求めてシュナが応じる。

 二人だけの甘い時間。嗚呼、この時が永遠に続けばいいのに。

 そう、二人はずっと願う。だが、二人とも相手のことを想うがゆえに願いは叶わない。

 一生側で添い遂げたい。人として美しい最期を迎えさせてあげたい。

 交わることのない二人の願いは、互いに相手を想うがゆえ、『愛してる』がゆえのことだった。

 それに、シュナがメリッサの願いを聞けない理由がまだある。その理由である感情は、畏れだ。

 人と吸血鬼――化け物の恋は成就することがない。シュナがそう思うのは、同族が何度も人に恋して近づき……人の世に出たことで教会の異端神罰官という者たちに殺されたと知っているから。

 自分が死ぬのは恐くない。だが、自分が殺された後、残されたメリッサが悲しむことが何よりも辛い。

 だから、メリッサの笑顔をなんとしても守るため、彼女の願いを受け入れることはしないのだ。


「どうしました? そんな悲しげな表情……」

「そ、そんな顔してた?」

「はい。今にも泣きそうな……」

「気にしなくていいわ。貴女は、貴女のままでいてね」

「?」


 キョトンとした顔をするメリッサを優しく抱きしめる。優しくて甘いシャンプーの香りがシュナを癒し、柔らかな体は幸福感を与える。

 一生でなくていい。今だけ。そう、今だけは、この優しい時間を堪能したい。

 シュナに抱きつかれたメリッサは、そっと目を閉じてシュナの腰で腕を交差させ、熱い抱擁を交わすのだった。


◆◆◆◆◆


 シュナの屋敷から一番近い町。夜が近づき、店じまいを始める店がちらほらと見受けられる。

 そんな町の通りを、一人の若い男が歩いていた。

 十字架が刻まれた白銀の胸当てを装着し、純白のマントを羽織っているという、良くも悪くも目立つこの男。

 男は、近くの店の店主に近づいていく。


「らっしゃい。……って、言っても悪いねぇ。今日はもう閉店だ」

「いや、構わない。それより、一つ訊きたいことがあるんだ」


 男は、一呼吸置いて質問をした。


「ここら辺で吸血鬼の噂があった。何か知らないか?」

「吸血鬼ねぇ……あっ、そうだ。あそこの森の奥に、吸血鬼が住む屋敷があるとかないとか」

「……そうか、ありがとう」


 店主に礼を言い、男は森の中へと入っていく。木々の隙間から降り注ぐ赤い夕陽が、男が腰に携えているリボルバーを照らしていた。

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