終章
終章
数日後、由香子が目を覚ましたと譲から教えられた。由香子の親から譲の親へ連絡が行ったらしい。
譲自身は、もう夢は見ないと言っていたが、由香子が目を覚ましたとの報せがあったことで、ようやく安心したようだった。雪としても彼女のことは気になっていたので、回復したのならよかったと思う。
そして復調した譲は、中間テストの総合一位を掻っ攫っていった。
「東京怖い!」
「く、地方の公立進学校なんて所詮この程度なのか!」
張り出された順位表を前に騒ぐ雪と壱矢の後ろから、譲がぼそぼそと反駁する。
「いや……たまたまだから」
雪と壱矢は同時に譲を振り返った。
「嘘つけ。体調ガッタガタでも実力テストで十位くらいだっただろ」
「そういえばそうだったね。そりゃ万全なら一位とるよね」
「しかも東京ではフェンシングやってたんですってよ、奥様」
「あらまあ、勉強も運動もできるなんて、さぞおモテになるんじゃなくて?」
「まったく恐ろしい。何人の女子を泣かせてきたのかしら」
「本当にねえ。弓道部に入ればいいのに」
ひそひそと、その実譲に聞こえる大きさの声で言う二人に、譲は大きなため息をつく。
「漫才すんな。モテたことなんかねえよ、人聞きの悪い。つか、壱矢はまだ諦めてなかったのか?」
「一緒にインターハイ行こうぜ!」
「少年漫画っぽく言っても駄目だ」
「まあ、今年は駄目だったんだけどさ……」
「……自分で言ってへこむなよ」
先週末に弓道の東北大会があり、壱矢と部長は全国大会まで進むことはできなかったのだという。東北大会に出るだけで凄いと雪は思うのだが、壱矢は数日落ち込んでいた。
このまま弓道の話を続けると壱矢の落ち込みがぶり返しそうなので、雪は話題を変えることにする。
「譲がモテたことがないってのは意外だな」
立ち直ったらしい壱矢も乗ってくる。
「んなこと言って、単に気付いてないだけじゃないの?」
「ああ、ありそうだ。女の子とちょっといい感じになっても、その鈍感さで粉砕するんだ」
「わあ、これが噂に聞くフラグブレイカー? おれ、本物初めて見たよ」
雪と壱矢の軽口に、譲は顔を顰めた。
「やかましい。もうおまえらに勉強教えねえぞ」
「あ、嘘。嘘ですごめんなさい」
「おかげでちょっと成績が上がりました」
一〇〇番台前半をうろうろしていた雪と壱矢は、譲の教授の甲斐あってかあと少しで二桁に手が届くというところまで順位を上げた。同じく月子と彩葉も少々順位が上がったらしい。譲は教師に向いているのではないだろうかと雪は思う。
渋面の譲は、合掌する雪と壱矢の手をひとまとめに薙ぎ払った。払われた手を振り、壱矢は首をかしげる。
「それよりさ、明日どうする? オケ部のコンサート」
『あ』
雪と譲は同時に声を上げた。どうしようかと返す前に、背後から恨めしげな月子の声が聞こえる。
「よもや、忘れてるんじゃないでしょうね……?」
慌てて振り返った雪は思わず仰け反る。
「出たー!」
「妖怪みたいに言うんじゃないわよ。んもう、予定があるなら無理しなくていいって言おうと思ったけど、気が変わったわ。来なかったら承知しないからね!」
宣言し、肩を怒らせて教室を出て行こうとする月子に雪は声を投げる。
「どこ行くんだ?」
「部活よ!」
怒らなくてもいいのにと首を竦める雪へ、譲が呆れた様子で言う。
「雪ってさあ……なんて言うか、地雷の真上に墓穴掘ってるよな」
「地雷は言い過ぎだろ。不発弾だろ」
「まあ、どっちにしろ大惨事だよね」
笑いながら言う壱矢の陰から彩葉が顔を出す。
「あーあ、月ちゃん怒らせちゃった」
言いながら彼女は三人を順に見上げた。にやりと笑って人差し指を唇にあてる。
「これは内緒なんだけど、明日は月ちゃんの猫耳が見られるんだよ。可愛いよー」
『猫耳?』
「わたしはうさ耳つけるんだ。しかもロップイヤーだよ。暇だったら来てね」
声を重ねる三人に手を振り、彩葉も教室を出て行った。それを見送りつつ、譲が呟く。
「オケ部のコンサートで猫と兎のコスプレ……?」
このままでは譲が誤解すると思ったのか、壱矢が説明する。
「多分、セカンドステージのことだと思う」
「セカンドステージ?」
「おれとせっちゃんは去年もコンサート見に行ったんだけどさ、うちのオケ部ってクラシック中心の真面目なステージの間に、お笑いステージを挟んでくるんだよね。それがセカンドステージ。客を飽きさせないためなのか自分たちがやりたいからなのか知らないけど」
言いながら壱矢が首を捻り、雪は口を挟んだ。
「どっちもじゃねえの? 確か去年は、古代中国ふうの扮装で三国志の映画曲メドレーだったな」
「そうだったそうだった。衣装はまあ、コスプレみたいなんだけど、金管楽器のベルからは『三顧の礼』とか『孔明の罠』とかって毛筆で書いた半紙がべろーんと」
「弦楽器の弓からは花が咲いてたり、モールが垂れてたり」
「軽い楽器は踊り出すしね」
「重い楽器も踊ってなかったか?」
「楽器持ったままコスプレしてダンス……?」
不可解そうな顔で言う譲の肩を、雪と壱矢は両側からぽんと叩く。
「突っ込んだら負けだよ」
「世の中、知らない方がいいこともあるんだ」
「…………。まあ、いいけど。猫耳うさ耳って曲目の想像すらつかないな」
「ネズミ夢の国の曲とか?」
「それメドレーを去年のクリスマスコンサートでやってたから違うと思う」
「クリスマスはパレードの方じゃないっけ」
「まあ、さもコスプレっぽい触れ込みをしといて、蓋を開ければ動物園ってオチだって、絶対。『おうまのおやこ』とか『ぞうさん』とか演奏すんだろ」
「ああ……確かに、ロップイヤーとか細かいこと言ってたな」
他愛もない会話をしながら、三人はぞろぞろと教室を出た。壱矢の部活がオフシーズンに入ったので、ここのところ下校は三人一緒だ。
昇降口へ向かいながらメールを見た壱矢が言う。
「スーパー寄っていい? なんか、醤油と牛乳切れてたみたいで」
「お母さん……」
「お母さん……」
「うっさいよ」
異口同音に言う雪と譲の背中を、壱矢が同時に平手で叩いた。
* * *
翌日、コンサート会場ロビー。
「……あ」
「うん?」
混み合うロビーで不意に譲が足を止め、雪も立ち止まった。彼の視線を辿れば、その先には見覚えのある少女が立っている。彼女もまた、こちらを見ていた。
雪と譲が気付いたことに気付いたのだろう、由香子は一度目を瞬くと、深く頭を下げた。そして、近くにいた友人と思しき少女たちと言葉を交わし、客席へ入っていく。
それを見送った譲は、雪を振り返って淡く笑んだ。
「元気そうだな」
「ああ。よかった」
起きている由香子の姿を雪が目にするのは初めてだ。線の細い儚げな印象だが、目を覚まして一月足らずなのだから無理もない。だが、外出しても平気なくらいに回復しているのはよかったと思う。体力も、精神的にも、復調するのはまだかかるだろうが、少しずつでも前に進んで行ければいい。
間もなく、演奏者へのプレゼントを預けに行っていた壱矢が戻ってくる。
「お待たせ。どしたの?」
「なんでもない。行こう、席なくなっちまう」
三人は人の流れに従ってぞろぞろと客席へ向かった。今回は一階の前方右寄りの咳に三人で座ることができた。
「パート……紹、介……?」
受付で渡されたプログラムを捲り、困惑した声を出す譲の手元を覗き込んで、壱矢が笑い出す。
「今年も凄いね」
パートごとの写真とメンバーの名前が載っているページを眺めながら、譲は半笑いのような表情を浮かべた。
「なんか萩女と全然違うけど……毎年なのか?」
雪もプログラムを捲りながら頷く。
「お嬢さま学校と比べちゃ駄目だ。去年もぶっ飛んでた」
「ほんとに、何がしたいんだ……」
月子はバイオリン、彩葉はビオラなのでそれぞれのパートの写真に写っている。
バイオリンのメンバーは一体何を表現したいのか、校舎の屋上らしき場所でそれぞれ埴輪のような前衛彫刻のような謎のポーズをとり、ビオラの方は全員笑顔で仲良く肩を並べているかと思いきや、手前に張られた「死して屍拾うものなし」という横断幕が全てを台無しにしている。
他のパートも、どう見ても地下鉄の階段としか思えない場所で明らかに某歌劇団を意識したポーズを取っていたり、学校の中庭にある卒業制作のオブジェと組体操をしていたりした去年と同じく、パート対抗で写真の奇抜さを競っているらしい。
譲はまだ受け止め切れていないようで、客演指揮者の真面目な言葉とパート紹介のページとを見比べている。
「俺、オケ部ってもっとこう、カタいのを想像してたんだけど。それこそ萩女みたいな」
複雑そうな譲の言葉を聞いて、雪と壱矢はしみじみと頷いた。
「うん、おれも去年のコンサートに来るまではそうだった」
「初めて見ると衝撃だよな」
喋っているうちに、開演五分前のブザーが鳴った。暗くなっていく照明につられるように、会場が静かになる。
三人も口を閉じて待つことしばし、演奏中の注意を促すアナウンスが流れ、照明が完全に消えた。するすると緞帳が上がって、拍手の中を出て来た指揮者―――管弦楽部の顧問は式台の横で一礼し、部員たちに向き直って指揮棒を構える。
幕が上がってから気付いたが、雪たちの座っている場所からだと思いの
指揮棒が振り下ろされると同時に、舞台に並んだ生徒たちが聞き覚えのある旋律を奏で始めた。メインテーマが終わるまで聞いて、左隣の壱矢がこそりと囁いてくる。
「なんだっけこれ」
「たしか、チャイコフスキーのピアノ交響曲……何番だっけ?」
プログラムを確認しようとするが、暗くて文字が読み取れない。気になったので雪は右隣の譲にひそひそと尋ねた。
「なあ譲、この曲名知ってる?」
答えの代わりに、肩の上に頭が落ちてくる。何事かと雪は目を見開くが、寄りかかってきた譲はすやすやと静かな寝息を立てていた。起きろと軽く揺すっても起きないので、雪は仕方なく首だけで壱矢を向く。
「……寝てる」
「早っ」
「こないだの壱矢といい勝負だな」
「やだな、今日は頑張るよ」
壱矢と声を殺して笑い合う。譲は眠ることを怖がっていた。萩女のコンサートでは眠り込むなり真っ青になって飛び起きていたのに、起こそうとしても起きないほど眠れるというのは、演奏者たちには悪いが、きっといいことだ。
(拝み屋って言うか……こういう使い方もあるのかもな)
雪は異能をひけらかすつもりはないし、生業にするつもりもない。しかし、だからといって持って生まれてしまったものは、消えてなくなるわけではない。
嘘など言っていないのに嘘つき呼ばわりされて、気味悪がられて、こんな力など何の役に立つのかと思っていた。だからずっと隠してきた。今回のように、他人を助けるために意識して力を使ったのは初めてだ。
超常現象などには関わらないのが一番なのだが、もし、手が届く範囲の人々がそういったモノに煩わされることがあったら、助けになれればいい。理解され辛い分野であるから、尚更。たとえば、雨の日に傘を差し掛けるように。
―――などと考えていると、左肩にも頭が落ちてきた。
「おい……」
頑張ると言った傍から眠りこけている壱矢を横目で睨み、雪はため息を飲み込んだ。両側で寝られてしまうと眠気が
両側から寄りかかられ、真ん中に座るんじゃなかったと後悔しつつ、しばらく演奏を聴いていたが、結局雪も睡魔に負けて目を閉じた。
最終的に三人とも寝てしまい、舞台に近い席だったがゆえにしっかり気付いていた月子と彩葉に、鬼のように怒られることになる。
了
レイン・シェルター 楸 茉夕 @nell_nell
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