二章 1-3

     *     *     *



 風呂上がりにソファに座って見るともなしにスマートフォンを眺めていると、台所から足音が近付いてきた。

「譲、お風呂上がったなら早く寝なさい。身体は大丈夫? 学校休んでもよかったのに」

 譲は肩越しに振り返り、心配そうな母親へ努めて明るい声音で返す。

「平気だよ、薬飲んだら頭痛も治まったし。―――父さんは今日も遅いの?」

「ええ。先に寝てていいって、メールが来てたわ。だから、譲も早く」

「わかった。おやすみ」

 母を遮って譲は立ち上がった。テーブルからリモコンを取り上げてテレビを消し、自分の部屋へ向かう。時計を見るとまだ十時前で、以前の自分ならばこんなに早く寝床に入ることはなかったのにと思う。

 母の手前ああ言ったが、睡眠がろくにとれていない身体は重く、今も頭の芯が鈍く痛む。薬を飲んでもあまり効かず、多少頭痛がましになったかという程度だ。

「―――…」

 譲は掌に錠剤を出してため息をついた。寝る前に服用するようにと睡眠薬を処方されたのだが、飲むのは躊躇われた。―――眠ってしまえば、またあの夢を見る。

 四月の下旬くらいから唐突に、譲は事故の夢を見るようになった。その光景は記憶よりも鮮明で、あの事故が繰り返されているように感じる。

 夢を見る頻度は徐々に高くなり、毎晩のように飛び起きるようになって、眠るのが恐ろしくなった。今では、極浅く短い眠りを繰り返すだけで、きちんと眠ることができなくなってしまった。

 このことは、両親のみならず誰にも話していない。両親とも、ここ最近の譲の不調はただの夏風邪だと思っている。父は仕事で忙しく、母はあまり身体が丈夫ではない。既に十分煩わせたというのに、これ以上心配させるようなことを言うのは躊躇われた。それでなくとも母は、譲が事故に遭った二月に、心痛から体調を崩して寝込んだ。譲の体調不良の原因を知ったら、また倒れてしまうかも知れない。

(事故から逃げてきたんじゃなかったのか……)

 譲は、表向き父の仕事の都合で転校して来たことになっているが、父は一年前から既にこちらに単身赴任をしていたのだ。あと二年、譲が高校を卒業するのと同時に東京へ帰って来るはずだった。このまま任期が終わったらどうするのだろうと、今考えても詮無いことを考える。

 逃げても噂は追いついてきた。みんなが飽きるのを待つと言った気持ちに嘘はないが、どこへ逃げても無駄だと言われているようで暗い気分になる。噂は事実なので否定することもできない。

 譲はもう一度ため息をついて薬を捨て、明かりを消してベッドに入った。目を閉じても眠気は一向に訪れない。せめてもの抵抗で、しばらく瞑目していたが、諦めてゆっくりと目を開く。

 遮光カーテンだが隙間からぼんやりと光が漏れてくる。夜の町の光がうっすらと壁に描く細い線をじっと見る。

 微睡まどろみながら、それが明るさを増し、太陽の光になるまでずっと見ていた。

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