一章 4-3
「……長い前振りだったなオイ」
半眼で言う譲へ、雪は首を竦めてみせた。
「仕方ないだろ、まさか譲がそんなややこしく考えてるなんて知らなかったんだから」
「ややこしくしたのはおまえだろ。最初から正直に話してくれれば、俺だって」
「んなこと言ったって、殆ど初対面の奴にあなたは幽霊が見えますかって訊くのか? 一瞬で変人認定されるっつの」
「確かにあんまり関わり合いになりたくないけど。でも、俺とは一回会ってるのに、スルーしようとすんなよ」
「スルーしたわけじゃないって。上手いこと誤魔化そうとしただけだって。失敗したけど」
「駄目じゃねえか」
「結果じゃなく過程を見て欲しい」
「うっせ。今回の場合大事なのは結果だろ」
「そうだけども。……とまあ、冗談はこれくらいにして」
延々言い合いをしているわけにも行かないと話を切ると、譲は呆れたように目を
「おまえな……まあいいや、なんだよ本題って」
「右手見せて」
「は? 右手?」
率直に言えば、譲はきょとんとした顔になった。端的すぎたかと雪は補足する。
「掴まれたところ。見せて」
裏山での出来事に思い至ったらしい譲は、表情を強張らせた。
「あれも……その、幽霊みたいなものなのか?」
「みたいなもの、じゃなくて、そのもの。譲の光に惹かれてちょっと悪戯してやろうと思っただけの通りすがりだと思うから、この先絡んでくることはないと思うけど」
複雑そうな顔になった譲は、無言で右の袖を捲って見せた。
「幻覚じゃなくて、幽霊……俺が見てるのは……」
独白のように呟き、譲は両手を握り締める。
「だとしたら……」
どこか思い詰めた様子で口を噤んでしまった譲を、雪は横から覗き込んだ。
「痛みは?」
問えば、譲は我に返った様子で目を瞬き、かぶりを振る。
「痛くはないけどちょっと重い。でも」
「気のせいじゃないぞ」
先回りすると、譲は気まずげに視線を逸らした。見た目だけでなく影響が出ているのなら早く消してしまった方がいいと、雪は手形に合わせるように譲の手首を掴む。
「……何?」
「消す」
戸惑った様子の譲に一方的に宣言し、雪は触れている部分に意識を集中した。
(おかしな思念は感じない……やっぱりただの通りすがりか)
予想通り、裏山で遭遇した「あれ」は譲に個人的な何かがあるのではなく、ただ単に物珍しさからちょっかいを出してきただけだろう。厄介なものでなくてよかったと思いつつ、雪は口の中で真言を唱える。
「……はい、終わり」
ぱっと手を離せば、手形はすっかり消えていた。譲は目を見張り、確かめるように痣のあった場所をさすっていたが、再び現れないことがわかると、狐に摘まれたような顔で雪を見た。
「あ……ありがと」
「どういたしまして。そんで、もう一つ」
「まだあるのか?」
捲り上げた裾を戻しながら眉を下げる譲へ、雪は片手を
「玉藍曰く、譲は闇夜の篝火らしい。もしくはコンビニの誘蛾灯」
「……どういう意味だ」
眉を顰める譲に雪は、強い「力」には有象無象が寄ってくることを掻い摘んで説明した。
「極端に強ければ、寄ってきても、それこそ誘蛾灯みたいに『じゅっ』てなるらしい。でも、譲は強いけどそこまでじゃないから身を守らないと」
「身を守らないと、どうなるんだ?」
「今までと同じ。譲の光に引き寄せられた有象無象に
「それは……、嫌だな」
譲は本当に嫌そうに眉を下げた。それから首をかたむける。
「つまり、ちゃんと対処すれば幻覚が見えなくなるわけか?」
「幻覚じゃないっつってるのに。―――見えなくなるんじゃなくて、寄ってきたのを追い払うって言うか、魔除けって言うか。生まれつきのものなら見えなくはならないよ。視力とは関係ないから、たとえ失明しても、それだけは見えるのかも知れない」
「最悪じゃねえか」
「可能性の話だ。見鬼を持つ人が失明したって話は知らないから、実際はどうなるのかわからない」
「ケンキ? って、何?」
「鬼を見ると書いて見鬼。読んで字の如く、鬼……幽霊とかそういうのを見る力のこと」
「名前があるのか……これ……」
ため息混じりに言って肩を落とす譲へ、雪は極めて軽く片手を振った。
「まあそう深刻に考えるなって」
「深刻にもなるわ。一生見え続けるんだろ」
「だから、折り合いを付けるための方法があるんだ。今のままじゃ大変だろ? 追い払えるだけでも違うからさ、簡単なのをいくつか覚えて帰れよ」
「付け焼き刃で効果があるもんなのか?」
「知らないよりマシ、程度に」
「おい」
ほんの僅かだが希望を見出していた様子の譲は、一転半眼になる。そう睨むなと、雪は極めて適当に片手を振った。
「大丈夫だって、また変なのが見えたらやってみ。騙されたと思って」
譲はしばらく無言で探るような表情をしていたが、やがて決心したように頷いた。
「……わかった。教えてくれ」
「うん。そっちはちょっと時間が要るから、とりあえずご飯にしよう。冷めちまう」
頷く譲に箸と味噌汁を運んで貰い、雪は菜花の辛子和えと鰆の照り焼きを取り分ける。あとは切り干し大根の煮物が盛られた大皿と、漬け物の小鉢があった。それらを纏めてトレイに乗せて運んでいくと、譲が物珍しそうに皿を覗き込んで来る。
「純和風って感じだな」
「玉藍が作ると大体和食なんだよな。健康にいいんだって言って」
「あー、言いそう」
「俺は肉の方が好きなんだけど。さ、食べよう」
「いただきます」
味噌汁を一口啜った譲は、目を見開いて固まった。何か失敗していただろうかと雪が尋ねると、小刻みに首を左右に振る。
「物凄く手が込んだ味がする……!」
「……なんだって?」
「普通の味噌汁なのに、異様に美味い。なんだこれ」
「なんだこれって、味噌汁」
「こんなの毎日食べてるのか? 舌が肥えそうだな。料亭の味って感じだ」
「って言われても、料亭の味をまず知らないからな……玉藍って凝り性なところがあって、鰹節やら昆布やら、やたら集めてるからそのせいかな」
食事をしないはずの猫又がどこで覚えたのか、玉藍の作る料理はどれも美味しい。出汁も昆布や鰹に限らず、煮干しや干し椎茸など、食材に合わせて変えているらしい。人間に化けると味覚も人間のそれになるのかもしれない。
「うちの母さんも料理する方だけど、これには敵わないな」
「それは言い過ぎだろ。でもまあ、口に合ったならよかったよ」
譲は味噌汁だけでなく、他の料理も美味しい美味しいと褒めながら食べている。玉藍を呼んできてこれを聞かせれば機嫌が直るかも知れないと、雪は小さく笑った。
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