冷たい向かい風

とざきとおる

冷風

 11月からその予兆はあったが、さすがに師走になると寒さがより際立ってくる。


 厚着をあまり好まない俺もそうしないと外で凍えて死んでしまいそうな錯覚をするため、精神修行の必要性がないときは厚めの外套を身にまとって、塾へと赴いている。


 もうすぐ大学受験。先日行われた模試はあまり良い点数とはいえず、第一から第三までの志望公判定はD。


 かつては冬を安全に越すことが人類の課題だと言われていたが、文明が発達した現代において、受験生は違った意味で冬越えの試練が待っている。


 蓄えるべきは食糧ではなく、知識と、問題を解く力。それも食糧と違い、ただ懐に入れるのでは意味がないのは厄介なところだ。


 優れている点としては、冬の間でも多少蓄えを増やすことができるところか。食料は雪が降る前までに集めなければいけないが、勉強に限ってはそんなことはない。


 ただし、もちろん冬に得られるものは限られているので、それまでどれくらい蓄えられるかが重要であることに変わりはない。


 高層ビルの2階にあるその塾は個別指導を中心に扱う小さな塾であり大手ではない。


「ああ、暖かい……」


 建物は本当に温かい。


「お、立花くんこんちは!」


 背の高い政治経済担当の先生がめっちゃ大きな声で話しかけてくる。ちなみに塾の中での面談担当もこの人で、声が大きいのがたまに耳障りだけど基本的にはいい人だ。


「こないだの模試、結果が散々だったらしいじゃん」


「あー……」


 まあ、塾なのでその話にはなるだろうと思っていた。


「1時間後くらいに空き時間があるからそこで少し話そうか」


 ヤバイ。説教か?


 確かにこの時期にDというのは良くない結果だ。それにその原因が俺の努力不足であると言われればそうだ。


 俺は1日6時間くらいしか勉強しない。どいつもこいつも1日10時間はやれと言うが、皆と同じように、ただ誰かの言うことに従って行動するのは癪にさわることだった。


 だから是が非でも10時間はやらない。もちろんさすがに何も勉強しないのは良くないと分かっているので、きちんとやるべきことを自分で見つけてやろうとはしている。


 個別授業を担当してくれる先生のいうことは渋々行っている。情けないことに自分はプロより劣るから、自分が解決方法、改善方法を見つけられなかったものに関しては、妥協して受け入れるしかない。


 でもこれは俺の受験なのだ。誰のいうことをずっと聞いてその通りに受かっても何も嬉しくないし、何も面白くはない。


 オリジナリティが欲しいわけではないが、俺の努力で突き進んで合格したという事実が欲しいのだ。


 まあ、前々からそういうふうに行動していて、これまでの面談や集会で言われていたことを取捨選択して必要ないと俺が判断したことはやらないという姿勢を崩さず、微妙な不良を演じてきたあげく、成績が伸びない俺に思うところは多々あるだろう。






 


「さて……」


 自習して1時間の後、先ほど俺に話しかけてきた背高の男に連行され個別授業を行うブースの1つを借りることに。基本的にこの塾は先生1人に生徒2人を基本的な形式で行われている。


 はっきり言ってそれって個別の意味があるのか本当に疑わしい。無駄に高いのは人件費がどうので納得できなくもないはなしだが、生徒からしてみれば、1コマ90分でも俺の面倒を見てくれるのは45分という計算だ。


 それなら1万円高くとも先生1人に生徒1人の方が成果として良いと思うのだが……。


 それはさておき、目の前にちょっと難しい顔をしている担当の先生。


「今の課題としてはやはり英語だなぁ……。今年から共通テストになってリーディングとリスニングの力をしっかり仕上げないといけないけどそこがねー。あとは数学か……」


 まあ、難しい顔をするのも仕方ない。英語と数学というのは、ここで俺が2年生の頃から授業を受けているものだ。


「まあ、昔からこの2つは苦手だったからねぇ」


「はぃ……」


「現状の課題を整理しておくと、直近は結構リーディングの練習はやってるように三島さんから聞いてるけど、三島の教え方はあわない?」


「いや、そんなことはないです。むしろ俺は結構あってます」


「ふむ……じゃあ、授業に問題はない?」


「まあ、読めるようにはなってきてる感じはしてます」


 英語に限らず、ここで受けている授業に問題はない。むしろ俺の方にに突き詰められるべき事項はいろいろある。例えばアドバイスを5割以上無視して我流の勉強方法をしてることとか。


 一通り授業について話をした後、日頃の勉強の話へと話題転換する。


 しかし向こうから回りくどく質問されて本心を盗み取られるのは面倒なので、いっそのことこっちから全て赤裸々に告白することにしよう。


 勉強は10時間以上とは決めない。自分の必要なことを決めてやり終わったら5時間でも終わりにして寝ること。


 学校の課題も塾から出された宿題も自分が必要だと思ったらやるし、必要じゃないと思ったらやらないこと。


 その他我流を貫いて、自分の受験で勝ったという気分になりたいという野望まで。


 この時期に言うのは遅すぎるだろうという自覚はあった。そして言ったらきっと苦言を呈されると。


 全部言い切って、これから説教タイムだー、と心の中で嘆いていたのだが、実際はそんなことはなかった。


「んー、なるほどね」


「え、怒らないんですか?」


「え? なんで怒る必要があるの? 受験は君のものだ。君が努力をしているのは分かったし、俺らはそれを踏まえたうえで君に合った勉強方法を提案するだけ。それに、なんか合点がいったよ」


「合点? はい?」


「授業担当の2人から、君の様子を聞いててね。まあ、君が己を貫くタイプなのかなって話は聞いてたからね」


 バレてた……?


 別に怒る事はなく、少し笑みを浮かべて先生は答えた。


「万人が受験に勝てる方法なんでこの世のどこにもない。必要な最低条件は十分な時間をかけて効率よく勉強して、試験に備える。後は十人十色にはなるだろう。それぞれ抱える課題も、様々だ」


「でもそれじゃ塾の意味なんて」


「お父さんお母さんの中には塾にさえ入れれば受かると考えている人もいるみたいだけど、それは違うからね。君が一番良く勉強できる方法で頑張ることが大切だ」


「先生からすれば俺みたいなのは苛々しませんか?」


「まあ、しないわけじゃないけどね。宿題なんでやって来ないのよとは思うし。けど、怒るよりは課題をはっきりさせて次に活かすことが大切だ」


「へえ。家の親とは大違いだ」


「あら? 珍しく自習しに来たかと思ったら、そういう?」


 今日、家に帰ってからのことを思い出す。鳥肌が立ってきた。







 学校から帰ってすぐ、俺は正座させられていた。


 最近、家の中も寒く感じるのだが、本日帰宅時にはとんでもない感じだった。


 そして着たく5分後、正座させられた。


「やる気あるの?」


 母からお決まりのこの一言。


「もう12月よ。それでDとか、だから毎度毎度もっと勉強しなさいって言ってたのに、あなたが言う通りにしないからこうなったのよ」


 目が……怖い。


「高いお金だして塾に通わせてやってるのに、あなたはいつまでたっても勉強しない」


「してるだろ」


「してないじゃない! 1日12時間! みんなやってるのにあなたはやってないから後れをとってるの!」


「俺は俺のやり方でやってんだよ!」


 必死に抗う。言葉を何とかひねり出し、凄まじく冷たい向かい風を凌ごうとした。


 しかし、向こうは容赦がなかった。


「やっぱり塾変えた方が良かったかもね。もっと厳しいところで、こいつの生意気精神事ぶち壊して必死に勉強させてくれるところが良かった」


「な……別に塾はわるくない! 他のところなんて嫌だぞ!」


「あなたがそう言うから信じたのに。あんな無能どもに任せたのが愚かだったわ。そして、あなたもそう。いい? 勉強をすれば成績は出るの! 成績が良くないのは勉強してないからなの! もっとやりなさい! スマホも没収ね」


「はあ、ふざけんなよ! それとこれとは関係ないだろ!」


「ある。貴方は朝から晩まで勉強してればいいのよ。受験生でしょ。もっと自覚を持ちなさい!」






「ははははははは」


 先生が大笑いした。


「失礼。なかなか、激しいね」


 母には環境を整えてもらって感謝してるが、受験の専門家じゃないんだから余計なところまで口出ししなくってもいいっての!


 それでも感謝なのはこの塾に入れてくれたことだ。ここの先生は結構厳しいけれど、自分のことをしっかり考えてくれているのがよくわかるから、不思議と温かみを感じて安心する。


「まあ、ピリピリするのは仕方ないさ。この時期でそれじゃ心配するのは親御さんの役目だ。それに君だって完全に正しいわけじゃない。だから何も言わずただ合格に向けて頑張るしかないよ」


 時計は面談を始めてから既に1時間が経過しているところを指していた。


「まあ、いろいろ大変だと思うけど、今は耐える時だ。変わりたければ君が変わることも必要だ。まずは、ちゃんと宿題をやってきてくれると嬉しいけどねー、うちらも君の必要だと思うことだからやらせてるわけだから」


 それだけ言うと、先生はどこかへと去っていく。


 面談ブースに1人残り、とりあえず全開出された宿題を確認する。


「あれ、なんだったけ」


 忘れた。必要ないからと存在ごと脳から抹消していたようだ。






 今年の冬、過去一番厳しい向かい風が今も拭き続けている。

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