斯波の嫡子

 清須城。

 信貴姫が斯波刑部に敗退を喫してから一刻も後。

 織田鶴法師は目深に被った笠で顔を隠しつつ、天守に登った。

 藍の直垂を身に付けた前髪の少年が、庭石に座って彼を待っている。

「幾分早かったな、鶴」

「いやあ若様、畠山の海上封鎖のせいで見るもんがにゃーで」

 鶴法師が若様と呼んだ少年こそ、斯波氏の跡目、斯波寿太郎その人であった。

「口裏を合わせてやった手間賃分の土産はあるんだろうな、鶴よ」

 言葉と裏腹に、寿太郎に攻める風は無い。心の底からの鶴法師に対する親愛がにじみ出ていた。

「欲しがってた手砲を買うて来たでよ。三分口径、総弾数十四発の最新型じゃ」

「おお、これが」

 寿太郎が手砲を受け取る。動力箱の容量向上とともに、砲の性能は日々進化していた。

「酒も買うて来たで、飲もうや若様」

 幼い頃より共に遊び共に学んできた間柄だ。身分こそ臣と主だったが、二人は極めて近しかった。

「母上からは元服前の身がそう大酒を食らうものではないと窘められているんだが。ああ、鶴には勝てん。飲もうか」

 良い遊びも悪い遊びも、常に鶴法師が先に憶えて寿太郎に教える。

「それでいて軍学も剣法もお主の方が上手なのだから適わん」

 寿太郎は、名門斯波の跡目として生真面目に努力を怠らない。それで尚、一見放蕩三昧の鶴法師に及ばぬ。天賦の才がそもそも違うのだ。

「いやあ、将来若様を助けるためだで、熱も入りゃーすわ」

「頼もしい。鶴が臣下で良かったよ。敵だったら――いや、お主があるじであれば我などいつ見限られるやら」

 時折、寿太郎からは鶴に勝てぬ己を卑下するような言が出る。親愛で覆い潰した劣等感はやがて依存へと変わり、この魔性の少年より離れ難くしていた。

 寿太郎はおもむろに鶴法師から抱き寄せられ、口を吸われた。

「某が若様を見限るなど、天地がひっくり返ろうとあり得ませぬよ」



 まっさらな木綿の布団が敷かれた部屋。月の明かりのみが薄っすらと差し込む。

 酒に若々しい肉を上気させた鶴法師と寿太郎は、衆道に興じていた。

 肉を突きこむのは専ら鶴法師の方。彼は尻の勘所を突き、男の快楽を引き出す術を心得ていた。

 陰茎をただの一撫でもせず、突きのみで放つ精が止まらない。

 離れ難い。

 あの人懐っこいかんばせからも、彼の与える快楽からも。

「鶴……!」

 寿太郎が絶頂した。

 齢十四にして女を知らぬわけでもない。密やかに下女による手ほどきを受けてはいたが、寿太郎にとっては鶴との衆道に勝るものではなかった。

 同時に上り詰めた鶴に放たれた精を落としながら、布団に倒れ伏す。

「……」

 言葉が出ない。不安と快楽とがないまぜになった表情で暫し呆然としていると、唐突に戸が開いた。

 兄だった。剃髪した頭の下の、しまりの無い面を泣き顔に歪めて、営みを終えた弟を見つめる。

「おしっこ」

 斯波の嫡子寿太郎は兄の下半身を見る。

 白い襦袢が水に濡れ、染みを作っていた。

「また漏らされたのですか。今下女を呼んできます故、しばしお待ちを」

 斯波の長子、優庵。白痴の子として生まれ、廃嫡となって久しく。こうして出家の身で清須城に『飼われて』いる。

 弟として慈愛の心はあれど、敬意は無い。臣の誰も、優庵に対しては畜獣程度の扱いをしていた。人目に付かぬところで蹴り飛ばす不届き者もいる始末。

 おそらくは鶴法師も、この哀れな長子に対して侮蔑の意思を持っているのだろう。

「儂が行くわ。若様も優庵様も待っちょってな」

 鶴法師が出ていき、優庵と寿太郎だけが取り残される。

 父親は優庵を城中に留めておきながら無いものとして扱い、ほぼ野放しとなっていた。

 待望の第一子が白痴で生まれたという落胆も大きいのだろう。

 父、斯波義瑞は嫡子寿太郎を殊の外気に掛けている。守護の世継ぎとして相応に厳しく躾はするが、それも寿太郎を思っての事。書物も、武具も、あるいは南蛮渡来の珍品や高価な景徳鎮の茶碗すら、必要とあらば惜しげも無く与える溺愛振りであった。

「カブトムシ、採った!」

 優庵が掌で蠢く甲虫を見せてきた。

「兄上、それは油虫ゴキブリです。皐月にカブトムシは……まあ、いるところにはいるのやも知れませぬが……基本的に土の中です」

「嫌!」

 油虫を優庵が潰す。思わず嫌悪の顔を浮かべた己を、寿太郎は恥じた。

「これでは兄上を虐げる下賎のものと変わらぬ。我は斯波の世継ぎ、気高くあらねば」

 斯波寿太郎は努力をしている。父からの期待に応えるため、最大の努力をしている筈だ。

 鶴法師に精を注がれた下腹部が疼く。これが今の自分だった。



 鶴法師が戻ってきた。

「いやいや、優庵様も野暮なことをなさる」

「冷めてしまったな。今日は止めにいたそう」

 寿太郎は息を付き、寝転がった。

「そういえば鶴よ。父上が迅雷奥義を使ったそうだ」

「ほう……」

 将軍自ら三管七頭に配布した新型迅雷甲冑は、今や葦原洲全土の関心事である。

 鶴法師もまた興味深げに食いついた。

「理屈は分からぬが、音の壁より早く蜻蛉の倍以上の高所を飛行したそうだ。武装の積載能力も並の迅雷甲冑の比では無い」

「先月の上武合戦を聞いた限りでは、もう少し搦手みちょーなんを想像してたんじゃが、随分と正攻法な強さだのう。それでも出鱈目には変わりにゃーが」

「まあ、結局のところ既存の蜻蛉と迅雷甲冑の延長に過ぎんからな。夜間戦闘は不可能だし、理屈上無限に高度を上げられるとしても動力箱の方が保たん。速度を出し過ぎれば装着者の方が気を失ってしまう」

 将のたしなみとして舎密学せいみがくと軍学を学んでいる寿太郎の意見は冷静だった。

「お主はどう見る、鶴」

「概ね若様と同意見だでよ。ただ、万軍を同時に滅ぼす威力がにゃーでも、そう悲観したもんでもにゃーだで。諸将がその能力を秘匿する中、今世にその姿が明らかになってるのは斯波様の『天津風』を除いて、死んだ上杉の『彩雲』、紀伊半島に居座る畠山の『冥王』だけじゃ。そして、天津風は両者に負けることはにゃー。誰も高度三里を飛ぶ相手に手を出せんからじゃ。軍を総動員しようがそれは変わらん。つまり――」

「父上の天津風こそ、唯一迅雷奥義を一方的に打ち破り得る迅雷奥義だと?」

「左様。他がどうか知らにゃーが、一番可能性があるのが天津風じゃと思うわ」

 鶴法師の言を真に受けるならば、政に口を挟むことの少ない将軍に代わりこの葦原洲を実質的に支配する三管七頭家――迅雷奥義を手中に収め益々伸長するであろう彼らを統べる可能性を、斯波に認めることになる。

「この斯波が天下か……少し前までは考えられんかったことだ」

 寿太郎の言葉が熱を帯びる。しばらく寝付く事は無さそうだった。

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