天津風攻略の議
夜、信貴姫は河原の藪の中から身を起こした。
稲田と合流するために歩き出す。
合流点は河口付近のあばら家に定めている。
川沿いに進み、約束の場所に辿り着いた。
「姫様、戻られましたか。首尾は――」
「殺せなんだ」
「左様ですか……」
稲田は落胆と同時に、信貴姫が約束通り戻ってきたことへの安堵を浮かべた。
「で、まだ尾張に帰っていなかったのか、森与次郎」
あばら家の中、稲田の他にもう一人男がいた。織田家の侍、森与次郎兼可だ。
森は月代の頭を掻き、微笑する。
「いや、ウチの若殿がどうしてもっつうモンだでよ。――そうかい、太守様の暗殺は失敗かい」
「お前は斯波に仕えている筈の織田の家臣ではないのか? それとも美濃太守、土岐明安の命でも受けているのか? ……元土岐家臣の森兼可よ」
風魔の情報網で、念の為に鶴法師と森の身辺を調べてあった。この森与次郎がかつて仕えていた美濃の土岐明安は、信貴姫の肉体を授かった七頭の一角だ。
「俺の出自なんて誰に聞いたやらねえ……。斯波の殿様に叛くのは織田の意思だでよ、松永の姫様」
「織田が謀反を起こすというのか」
「今川に一時ブン盗られた遠江を取り返したんは織田の働きだ。清須のお城を改修したのも、他にも織田の手柄を上げりゃキリがねえ。だというのに、斯波様は一族ばかり取り立て外様を冷遇なさる。本来なら力関係が逆転してたっておかしくねえんだが、それも例の新型迅雷甲冑のせいで振り出しだ」
「で、わたくしを頼り謀反か」
「ああ、謀反だ」
に、と森が笑う。正直過ぎて疑う余地も無い。
「言っておくが、天津風の胴は渡さぬぞ。下心を起こさば織田の末期と知れ」
「要らねえよ。織田の目的はあくまで尾張を盗ること。迅雷奥義なんて本来無い方がええなんて若殿も言ってたし、どうせなら他のも全部取り戻してくんな。本来お信貴さんのなんだろ」
「当然だ。借り物の力を弄んだ代償、残り三管五頭に払わせてくれる」
信貴姫はようやく長刀と虎撃ちを下ろした。織田家を協力者として認めたのだった。
「最低限蜻蛉が必要だ。織田から回せるか?」
「ああ、必要なもんがありゃ都合するわ。住居も決起まで那古屋に潜みゃええ」
「清須の支城か。敵の喉元とは喜ばしい」
裏腹に、信貴姫の表情は全く動いていない。
三河、尾張までの国境は陸路で越えた。平地であるためか、放雷境の隙間も多くある。森の案内で目立たぬ場所を選ぶことができたのは僥倖か。
那古屋城は岡崎城に比べればかなりまともな造りだった。石垣が積まれ、硬質ヒヒイロカネの装甲でしかと防護されている。
数多の方に守られた威容は、守護代たる織田の力を想起させた。
しかし、所詮は平城だ。天津風を擁する清須城の斯波とまともに戦をし、勝てる算段は薄い。
「なんで戦なんざせんわ。期待させて悪いがよ」
開口一番、清須城を抜け出し那古屋に帰ってきた鶴法師が言う。
那古屋城本丸。鶴法師の父にして尾張国守護代織田家当主、織田伊豆守信元も同席している。
「左様。鶴が天津風を盗み出すのが手っ取り早い。太守様は一揆討伐よりご帰還なされたか?」
高いが、不快な質の声ではない。親子だけあって、鶴法師によく似た声質だった。
「ああ、今朝入れ違いになりゃーした。天津風も今は清須の天守にあるでよ」
「わたくしが城に侵入するわけにはいかんのか」
信貴姫は、その正体を計りかね怪訝な表情の織田伊豆守にも臆さず、堂々と他人の城に鎮座している。
「太守様の寝所は厳重に守られてるんだわ。お信貴の姉ちゃんなら無理矢理突破できるかもしれんが、天津風が逃げに徹すれば打つ手はにゃーで。その点儂なら太守様を起こさずに奥まで忍び込める。あんま働いてにゃーが、小姓だでな。――第一、姉ちゃん連れ込んだら太守様殺しちまうじゃろ?」
「当然だ。生かして置かん」
「謀反とはいえ、守護殺しはその後の統治に禍根を残すんだわ。謀反は起こしてもあくまで穏便に、最小限の血で済むようにしたい。その為に儂も寿太郎君に取り入ってるでよ」
「これはわたくしの復讐だ。邪魔をするならお前も――」
信貴姫が短刀に手をかけた。思わず太刀を取りそうになる伊豆守を鶴法師が制す。
「まあ、五年もすれば義瑞様も頭丸めてどっかの田舎寺に隠遁してもらうで、そのときに好きにしたらええわ。……五年で織田は尾張を完全に手中に収める。適うのならば三河、遠江も」
「……良いだろう。細川と将軍以外の殺害は急ぐものでもない」
信貴姫はひとまず矛を収めた。
「ところで鶴法師よ、盗むとは言うが、奥義持ち迅雷甲冑はある意味厄介な特性があるのを知っているのか?」
幻庵より説明された新型の特異性。装着するだけで信貴姫の肉体が本体に深く食い込むこと。そして、
「所有者が決まっている迅雷甲冑を別の者が装着すると所有権が移る。その際、元の所有者からわたくしの身体が剥がれて移動するそうだ。肉体を傷つけながらな。もしお前が天津風を着込んで逃げようというならば、覚悟はしておけよ」
「天津風に組み込まれているのは姉ちゃんの胴体だったな? なら少しの間起き上がれなくなる程度で済むじゃろ。目とか臓器なら無視できない後遺症になったかもだがね」
この少年は、蛮勇なのか器が大きいのか。信貴姫には計りかねた。
「まず清須の城で機を待つ。――考えたくはにゃーが、儂が失敗したら斯波様は織田誅伐の兵を挙げるじゃろう。その場合の備えもしとかにゃならんで、二週間は待っとってや」
そして各々具体的な動きを話し合い、鶴法師は清須城に帰っていった。二度とこの那古屋城に戻れぬ可能性を孕んで。
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