駿河沖海上戦
二日の後、信貴姫は駿河沖にいた。
陸地には、国を隔てる放雷境が大井川に被さっている。。
放雷境は海上にまで伸びてはいない。
太陽光から発電し船体側部の水車によって進む商船は、尾張の船籍を示すために熱田神宮の桐竹紋を掲げていた。
「三河まで二刻ってとこだにゃー。船旅ってのは暢気なもんだで」
船縁に背を預け、煮た筍を食べているのは織田鶴法師だった。
食うかと勧められた筍を信貴姫が断ると、鶴法師はわざとらしく肩をすくめて見せた。
筍は嫌いではない。臓腑と味覚さえ奪われていなければ、遠慮なくご相伴に与っていただろう。
「差し支えなければ、お信貴の姉ちゃんが旅する理由っての教えてくれにゃーか」
鶴法師にしてみればほんの雑談のつもりだったのだろう。
信貴姫は答える。
「仇討ちだ」
今の時代、珍しいことではない。
旅の目的は誰憚ることも無ければ、敵を謀る目的以外で隠し立てする気もなかった。
「左様け。それで、そんな剣呑な雰囲気だったんか――睨まにゃーでくれや。稲田っちゅー兄ちゃんが仇を斬るんか?」
「わたくしが直接手を下す。でなければ気が済むものか」
そもそも、稲田程の剣客であっても迅雷奥義に太刀打ちするには不足だろう。仇は基本的に信貴姫が直接殺す。
「立派じゃの」
歳若い少女に、剣だの砲だの握っての敵討ちなど不可能だ、などと鶴法師は言わなかった。
「お前は……伴一人だけ付けて諸国をほっつき歩き、一体何を目指す。嫡男と言うからには所領でやることもあるだろうが」
お節介を焼いているつもりはない。ただ、身体を奪われてから珍しく、他人の事情が気になった――それだけだった。
「……国盗りじゃ」
一言発した。
その瞬間だけ、人の好い少年の化けの皮が剥がれ、野心に燃えた悪鬼の顔が覗いたようだった。
「そうか」
信貴姫はそれ以上何も訊くこと無く、鶴法師と同じく空を見た。
国盗りの少年と崩国の少女は、しばし無言で海風に吹かれる。
東海の温かい空気が肌をなぜた。
半刻も経った頃、信貴姫は沖合より接近する謎の雷動船を認めた。
古い設計だが、硬質ヒヒイロカネの装甲版に砲を積んでいる。
「軍船か。真っ直ぐ向かってくるな」
「ありゃ……海賊じゃ!」
鶴法師が叫んだ
砲が信貴姫らの乗る船の真横に着弾する。
水飛沫が、小袖を濡らした。
「紀伊半島の閉塞で食い扶持に困った船乗りどもが、ああして商船を襲っとるんだがや」
海賊はそれ以上砲撃を撃とうとはしない。今しがたのは威嚇だろう。いつでも沈められるぞと脅しておき、接舷して乗り込み拿捕する心算だ。
信貴姫は石英粉の入った竹筒を握りしめた。
迅雷奥義、如意瘴気の原料は石英粉と水。
水は足元にたっぷりとある。
海賊風情が迅雷奥義の対策などしている可能性は低い。霧まみれにした船内に誘い込み、一網打尽に鏖殺する。
その心算で身を翻そうとすると、鶴法師が上空を指さした。
「案ずるこたにゃーでよ。斯波の蜻蛉が嗅ぎ付けよった。運がえーわ」
その数四機。上空、複葉の人雷機械が、頭の三枚羽根で風を切る音を響かせながら飛び去る。
上杉との戦では霧の最中や夜間の戦闘が殆どだったため活躍の場は無かったが、あれこそ電磁砲と並ぶ戦の主役だった。
毎刻二百里もの速度で飛行し、敵陣に砲や爆弾を好き放題叩きこむ。
海賊船は対空砲で応戦するが、無駄な抵抗だろう。
そして、戦闘に注目する信貴姫は己に忍び寄る影に気づかない。
先に発見したのは鶴法師の方だった。
「お信貴!」
叫ぶ。
何処に潜んでいたのか、魚鱗兜の迅雷甲冑を着込んだ武者が、刀を振り上げて信貴姫に斬りかかってきた。
「姫様!」
何者かの介入により刀は空を切り、信貴姫は難を逃れた。
海賊騒ぎに大急ぎで装着したのだろう。迅雷甲冑姿の稲田六兵衛が、凶賊の刃を弾いたのだ。
「刺客か!」
信貴姫は瞬時に服を脱ぎ捨て、肌の内側より崩国丸を表に出す。
生体と一体化したヒヒイロカネが、体積を無視するように膨らみ成人男性程の大きさにまでなる。
これも松永信貴姫の異能、超電体質の一端だった。
兜の剣飾りで陽光を反射した、復讐の武者が織田鶴法師を押しのけるように足を運ぶ。
その足元に、苦無が突き刺さった。
「そういうことだ」
苦無を投げ、やはり気配無く出現した迅雷甲冑――黒い全身に三日月の兜飾りのみが輝く、細身の武者が言う。
「その剣士はお前に任せた。わたくしはあの三日月をやる」
船の上で虎撃ちは不利だ。得意とする長刀は船室の中。短刀のみを抜き、三日月の刺客に向き合った。
「織田の倅を追っていた配下が気付いたのは僥倖だった。上杉越後を暗殺した松永の亡霊とはお前のことだな」
迅雷甲冑越しだが、女の声だ。身長、腰つきを見ても性別は明らかである。
「わたくしの名はそんなに有名か。それとも、お前の飼い主が夜毎夢枕に魘される故憶えたか? お前の名は言わずとも良い。半死半生で捕らえて痛めつけ、そこの稲田の慰み者にして何処の
「そのような気遣い不要ですぞ、姫様! 不要ですからな! 何度も言うよう、拙者にそのような趣味はございませぬ!」
稲田がやかましいので無視しようとしたが、彼はなおも続けた。
「こ奴らの正体ならばこの稲田が看破いたしました。そこの剣士の太刀筋、その諏訪神流には覚えがござる。お主は早川鮎之助――果し合いで拙者に敗れた後、近江の京極に拾われたと聞いておるぞ!」
信貴姫を斬りつけた魚鱗兜の剣士――早川鮎之助は距離を取り、刀を正眼に構え直す。油断の無い、達人の構えだった。
「これは嬉しい。一々覚えていただいて光栄だぞ、稲田六兵衛! 俺は一時たりともお前を忘れることは無かったがな!」
早川は怒りに満ちた声で吠える。浪人時代の稲田と何やら因縁が有るようだった。
「ということは、そちらの油虫女も京極の忍――甲賀者か」
京極氏の根拠地たる近江には、あまりに有名な忍の本場が存在する。
甲賀。
伊賀とその名声を二分する、忍の一大産地だ。
「所属まで看破されてしまっては名乗らぬわけにもいくまいな。私は京極十勇士筆頭、山中鹿之助。京極家の為、その身体貰い受けに参った」
三日月の忍が名乗った。信貴姫は短刀を逆手に持ち、身を蛇のように低くする。
「同じ言葉を吐いて生き延びた者はこの世に細川右京ただ一人。いずれ奴も必ず殺すので皆無になる。お前はいずれなどとは言わん。ここで死ね」
鶴法師に虎撃ちを投げつけ、山中に飛ぶ。
「少し早いが貸してやる。その宗光ならばどこを狙っても致命傷だ。安んじてブチ込め!」
「何ちゅー女じゃ!」
叫ぶ鶴法師を尻目に、脚部の車輪を展開し山中に奔る。彼女は未だ腰の刀も抜いていない。刺客にしては迂闊な奴だが、崩国丸の速度を侮ったか。
だが、板床を滑る信貴姫の横腹に飛び来るものがあった。
大ぶりな鉄の碇。
硬質ヒヒイロカネに比較すると強度に劣るが、五十貫の塊ともなれば強度の差など問題ではない。
「京極十勇士、荒波碇之助見参!」
船の下、海上より名乗りが聞こえた。船体を破り、鎖付きの碇を投擲したのだ。
信貴姫はとっさに両腕を交差させて碇を受けた。崩国丸の装甲で殺しきれなかった衝撃により両腕の骨が真っ二つに折れ、信貴姫の身体は船室の中に叩きこまれる。
瞬時に両腕を再生し、自分の開けた大穴を見た。
「その声、お信貴さんかよ! 稲の字が慌てて出ていったきり戻って来ないが、何ぞ騒ぎか!」
誰かと思えば織田家臣の森与次郎だった。状況が把握できていないらしいが、しっかり己の槍と信貴姫の長刀は握っている。
「兎に角わたくしの長刀を寄こせ! 刺客だ!」
与次郎が投げる長刀を受け取った瞬間、蒼天を見せていた穴に影が差す。
「碇之介の攻撃を受け切ったのか……。どういう性能の迅雷甲冑だ、それは」
「訊いて教えるものか山中鹿之助。お前には冥途の土産一つも持たせん」
手近な水樽を破壊し、石英粉と共に崩国丸の表面より取り込む。
上杉憲美より奪還した迅雷奥義、如意瘴気だ。
「この霧は……前が見えんぞ!」
「森何某、迅雷甲冑も着込んでいないお前は邪魔だ。主人の所にでも行っていろ」
「心得た。この場は頼む!」
音を立てて表に出ていく与次郎には目もくれず、山中鹿之助をその肌で感じる。
この迅雷奥義の弱点は伊勢と上杉の戦で明るみになっている。体内に取り込まぬような工夫は流石にしているだろう。
だが、視界がほぼ完全に奪われ、かすり傷でも迅雷甲冑の密閉に穴が開けばたちまちそこから肉体を傀儡にする霧が侵入する。信貴姫ですら不死力前提の不意打ちでなければ勝てなかった、悪辣にして強力無比の超能力だ。
「これが……迅雷奥義か!」
驚きつつも忍者らしからぬ長尺の刀を腰だめに構え、音も無くこちらを目指す。
音を頼りにしているだけだ。信貴姫もこの能力と相対した経験があるので分かる。
足の車輪を引き込み、すり足移動に変えた。
それでも山中は信貴姫に食らいついてくる。
京極十勇士筆頭とやらは伊達ではないらしい。
信貴姫の進路を塞ぐように横跳びし、刀を突きこんでくる。
長刀を落とし、山中の刀を弾く。迅雷甲冑の肘を単分子の刃が擦過。
霧により敵の姿や構え、間合いを常よりも精密に把握しても尚、すんでの防御だった。
「執念の剣か。迅雷奥義を抜きにしても、京極家中ですらここまでの使い手は稀だ――だが!」
突きこんだ勢いのまま船室の壁を蹴り、天井まで飛び上がる。
落下の勢いを利用した唐竹割は、信貴姫の兜に一寸少しの傷を付けた。
もう少しズレていれば脳漿が飛び出ていた。それで信貴姫の肉体を殺せるものではないが、不死の迅雷奥義が露見するのは不都合だ。
信貴姫が言えたことではないが、女だてらに相当の剣士だった。
「癖の悪い足だ。まずはそれから斬り落としてくれよう」
「ぬ」
信貴姫は霧の中に隠れる。息をも止め、静かに身を揺らしながら移動する。
おもむろに、戦闘の勢いで転がり落ちた荷物を長刀の峰で打ち、山中の方に飛ばした。
この霧の中、飛び来る有象無象を把握し切れるものではない。気を取られている隙に身を低く構え、急速に脛を薙ぎ払う。
「ち」
硬質ヒヒイロカネの脛当てに長刀の刃が当たり、強く硬質な音が響く。
迅雷甲冑を破るまでには至らなかったが、山中鹿之助の姿勢を崩した。
今なら殺せる、と長刀で股部装甲の隙間を突く。売女に相応しい末路だ。
しかし、
「俺を忘れてねえか!」
野太い声のした方角、重量級の碇が飛び込んできた。
信貴姫は体をわざと床に倒し、転がり避ける。
「改めて名乗らせてもらうぜ! 俺は荒波碇之助だ! しっかり覚えて冥途に旅立ちな!」
碇の兜飾り。派手な武器と派手な体格を、申し訳のように黒い迅雷甲冑で覆った男だった。
「ならばお前から殺すだけだ」
この男は、山中程洗練されてはいない。霧に取り込めば一瞬で殺せる。
「この霧なら殺せる、とでも思ってんのか?」
荒波は足を止め、大きく息を吸い込んだ。
「はあっ!」
肉食魚のように開いた顎部装甲から、炎が噴き出した。
炎は如意瘴気の弱点の一つだ。水の結晶を利用した微小機械は蒸発し、霧が無力化された。
「火遁術って奴だ! 甲賀の連中は虎化脅しだって馬鹿にしてたがな、やっと役に立ったぜ。はははは!」
「自慢するようなことか……!」
信貴姫は毒づく。こんな馬鹿がどうして忍などやっているのだ、と。
「今この場限りでは誇っていいぞ碇之助。でかした」
荒波の碇と、山中の刀が同時に来た。
信貴姫は荒波の碇に意識を集中させ、正面から受けた。
失われた心臓の代替をする器官や背骨がへし折れ、崩国丸の中で吐血したが、受け切った。
「おいおいおい、自殺かよ!」
「捕まえたぞ!」
受け止めた碇の尻、鎖を掴む。崩国丸の膂力に任せ、荒波碇之介ごと狭い船室内で振り回した。
「うおおおお!?」
「何を!?」
信貴姫の突拍子も無い策に山中が怯む。
好機到来。
荒波を繋ぐ鎖を手放し、長刀を山中に向けて振る。
避けられるものではない。
そのまま女忍者の三日月兜を割るかに思われたが。
「身体が!」
自由に動かない。細い糸のようなものが絡みついているようだ。
「硬質ヒヒイロカネに特殊な加工を施した単分子の糸だ。所詮単分子故力が加われば即座に切れるが、迅雷甲冑すら途連れに切断するぞ!」
山中の言う通り、糸が崩国丸の装甲を切り開いて食い込んでいく。
並の人間であれば致命傷となる領域にまで達し、信貴姫の動きは止まった。
「もう死ぬだろうが、念の為だ」
山中の刀が一閃。信貴姫の首は胴体から離れた。
そして、残身をしかけた山中の瞳は驚愕に見開かれる。
「馬鹿な! 首が繋がった!? 糸を意に介さず突き進んでくるだと!? お前は――」
迅雷奥義、不死再生能力。
見られたからには生かしておかない。
「鹿之助!」
荒波が叫ぶが、もう遅い。
信貴姫の右手が山中の迅雷甲冑に食い込み、電撃を放つ。
対迅雷甲冑用の高圧電流だ。あらゆる機能を停止させ、中の人間も焦げるまで焼く――筈だったが、
「侮ったつもりは無かったが――これ程のものか、松永信貴」
山中鹿之助は無傷だった。硬質ヒヒイロカネの糸を周囲に伸ばし、電流を逃がしている。
崩国丸を蹴り、三日月の忍が飛んだ。
「今の我々では手に余る。策を練り、再びその肉体を戴きに参るぞ」
「筆頭がこう言っているんだ。仕方あるめえ」
捨て台詞とともに、山中と荒波は逃げ出した。信貴姫は追うものの、いつのまにやら部屋に張り巡らされた糸がその身を阻む。
迅雷奥義を見られた。最早不死能力を利用しての奇襲は通用しない。
「おのれ!!」
叫びが、船室に響いた。
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