駿府の市

 皐月の東海道足柄峠、地熱を利用した発電施設に纏わり付かれながらも葦原洲一と謳われる富士を望み、信貴姫と稲田六兵衛は自走車を走らせていた。

 既に伊勢氏の治める相模を抜け、駿河国に入っている。

「富士は美しゅうございますな、姫様」

 自走車の舵を握り、感嘆の声を上げるのは稲田だった。

「お前は暢気だな」

 一言、上杉越後守より取り返した美貌で切り捨てるのは、被った小袖を風にはためかせる信貴姫。

 今川の支配する駿河一国を抜ければ斯波の支配する遠江へと抜ける。

 遠江、三河を巡って争ってきた今川と斯波の関係は良好とは言い難く、迅雷奥義の脅威を背景にきな臭い雰囲気が漂っているという。

 白い頭の富士は人同士の争いなど我関せずと浮世を睥睨している。

「この分ならば今日中には恙無く駿府に入るか。斯波刑部誅殺の暁には幻庵も駿府で合流するというが」

 生き素材を信貴姫の肉体に戻すには、幻庵の手術が不可欠になる。伊勢と今川は武田という共通の敵を巡り同盟関係にある為、暫し駿府を拠点地とすることになった。

「今後もこう上手く行くと良いのですが」

 相模、駿河の間には例によって国境を隔てる放雷境が立ちはだかっていたが、足柄の関所は何の問題もなく通行出来た。

 しかし、敵対関係にある斯波との国境はさらに厳重なものとなるだろう。



「全面封鎖ですと!?」

 稲田が叫ぶ相手は今川家家臣、孕石伯耆守はらみいしほうきのかみである。主君にすら内密に伊勢と通じており、駿府城下の屋敷に信貴姫らを匿っている。

 間者のような真似は働いているものの、あくまでその行動原理は今川に対する忠義であり、今川に不利益をもたらすような行動は決して起こさない。

 此度の協力も、あくまで斯波刑部大輔義瑞の謀殺という一点でのみ認められたものだった。

 伊勢も今川にその陰謀の全てを晒しているわけではなく、諸国の大名が血眼になって求める生き素材本人が眼前に座った少女であろうとは知る由もない。風魔者の暗殺者とだけ説明されていた。

「左様、太守様は上杉が伊勢との戦で見せた迅雷奥義の危うき至極をお認めになり、斯波領とのあらゆる国境を封じられた。お主らが陸路で遠江に出る道は無い」

「関所破りを除いてか」

「姫様……!」

 信貴姫の、冗談にしては過ぎる言葉に孕石は眉根をひそめ、稲田は慌てふためいた。

「関所で騒ぎを起こさば凶状持ちだ。泊まる旅籠はのうなり、刺客にも命を狙われ続ける。儂の権限で手形を出そうものならば太守様に勘付かれる恐れもある。儂に出来るのはこの屋敷を貸し出すことのみ。今川に敵対しない範囲で、自力にて何とかせよ」

 出来ないことは無かった。崩国丸の肌より出ずる如意瘴気を用いれば、あらゆる者の身体を意のままに操り、関所など素通りできるだろう。

 だが、迅雷奥義の痕跡を残すことは敵の刺客に信貴姫の正体を教えることに他ならない。

「機を待つか、戦に踏み込むか――ですか」

 稲田が嘆息した。

「難しく考えるな、稲田。機を待って来なければ戦に踏み込めば良い。いずれにせよ、斯波刑部は死ぬのだ。わたくしが殺す」



 駿府の街に繰り出す。

 度々起こる京の争乱より逃げ延びた公家などが住まうこの街は、葦原洲でも有数の都会だ。

 希少な人雷機械がところどころに並び、空には蜻蛉が行き交う。

 虎撃ち宗光ほどではないにせよ高性能の狙撃砲や、最新鋭の速射砲など、武具迅雷甲冑の類も豊富だ。

「この賑わい、京を思い出しますなあ」

 稲田は元々京で鳴らした剣客。京での生活も長く、久々の都会を懐かしんでいるようだった。

「大和は山ばかりの田舎だったからな。余程不満があったと見える。主家を裏切る程に」

「うぐ……返す言葉もなく……」

 信貴姫の血族が鏖殺の憂き目に会った落城の折、この男はあろうことか臆病風に吹かれ戦いもせずに逃げ出した。そのことは忘れようにも忘れられない。

「返す言葉などあらばとうに殺している」

 本気以外の何物でもない信貴姫の言葉に、稲田は慄きと自責が混ざりあった表情をする。

 このすくたれ者にも一角の忠義と罪悪感が存在することは、はるばる小田原まで信貴姫に付き添い、こうして今も甲斐甲斐しく仕えていることで認めざるを得ないが、それはそれだった。

「そういえば稲田。お前相模で貰った手砲は使っていないようだが」

 信貴姫の虎撃ちと同様、稲田にも最新式の電磁砲が渡されていた。臆病故に戦場経験が少なく砲術に疎いので、手砲のみをもしもの為に持ち歩いているが、あの河越の夜戦ですらもついぞ使うことは無かった。

「拙者は剣客。剣以外の何物も生兵法にしかなりませぬ。そのようなもの、ただの死兆にござる」

 これがすくたれ者の頑迷さ――とはならないのがこの男の底知れぬところだった。剣においては信貴姫も未だ及ばない。

「生兵法か。頼もしいことだ」

 信貴姫が急にこのようなことを言い出したのは、立ち並ぶ電磁砲鍛冶が気になったためだった。

 砲そのものに気を取られたわけではない。まだ歳若い、信貴姫とそう変わらぬ少年が何事か主と話をしていた。着流しに黄色い更紗の羽織を纏った少年は、商家の御曹司のような雰囲気である。

「手砲に三分砲身は無駄じゃにゃーかね? 装弾数は下がるし動力の消費も大きくなるがよ」

 尾張か三河の訛りが強いその少年は、一人前の砲術師範のように鍛冶屋と議論をしている。

「昨今の筒はそこらへん改善されとりまして、加速器も動力箱も強力なんが小型化出来てるんですわ。護身用にするにしても三分口径くらいじゃなきゃー人間止まりませんて。こいつなら軟質ヒヒイロカネくらい余裕で抜けまっせ」

「威力も速射性はそう悪かなさ気じゃが……やっぱ試し撃ちしてみんとよー分からんわ。後で射場持ってってもえーな?」

「勿論、お得意様ですんで、そこら辺いくらでも都合させていただきますわ」

 活発で、聡明そうな少年だった。商人としてならば既に一人前だ。

 信貴姫や武蔵で出会った上杉小姓の長尾虎太郎のように、戦乱に翻弄される少年少女もいれば、彼のように真っ当に生きる者もいる。

 羨むことこそなかったが、眩くはあった。

「筒は、まあ、当面は要らんだろう。宗光以上の業物がこの駿府にあるとも思えん。行くぞ稲田」

「はっ」

 信貴姫と稲田が向かうのは港だ。陸路が無理ならば、海路を使おうというのだった。

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