第二殺 斯波刑部大輔義瑞

刑部大輔

 斯波刑部大輔義瑞しばぎょうぶたいふよしみずは御所の廊下を行燈を頼りに歩いていた。

 太い口髭を蓄えた、厳めしい顔つきの男。直垂姿も堂に入っており、隙が無い。

 齢三十六。力強さと貫録を兼ね備えた、男盛りの武者であった。

 暗い廊下、曲がり角に人がいれば、行燈の明かりですぐに分かる。

 女――違う。

 艶っぽい女の姿はしているが、正体はまごう方なき男。

 関東管領、上杉越後守憲美だった。

「おやおや、斯波殿ではないか。久しいな」

「二年後しかな上杉殿。御辺はあまり京に寄らんからな」

 彼の居城、越後国の春日山城より京へは、自走車で丸三日。電気の力により空を飛ぶ蜻蛉を用いればもっと短縮できるものの、蜻蛉は何かの手違いにより撃墜された場合の生存率が著しく低いために、好んで乗ろうとする要人は少ない。

「将軍直々のご参集とあらば、万難を排してでも馳せ参じぬわけにはいくまいて。それに、いささか得るものもあった」

「『得るもの』とは、如何なるものか、上杉殿」

「んー……それがのう……今現状の私には今一つ価値が分かりかねる」

 越後守はわざとらしくしなを作り、唇にその白い指を当てる。男のする女のしぐさというのは、勘所を押さえているためか時折女のそれを上回る。

「……茶器か何かか?」

 保守的な斯波刑部は、この変態に少なからず苦手意識を持っていた。天下の将軍御所でかち合えば、幕臣のよしみでこうして言葉を交わしもするが、雑兵の乱捕りに守護の身でありながら参加しているという無分別極まりない噂も、この男に嫌悪感を抱くに十分だった。

「んふふ、私の趣味以上の価値がこれにあればいいのだがな?」

 そうして越後守が保存甕より無造作に取り出したのは、

「じ、人皮かそれは!? そのようなものを御所様より賜ったとは、この儂を謀っておるのか越後守!」

 刑部の怒りは尤もである。おそよ人の皮など、将軍御所で開陳するには悪趣味に過ぎる。

「おー、怖い怖い。謀っておるかどうかは、御所様にお会いになれば分かろうて。では、さらばじゃ斯波殿。次会う時もご健勝でな」



「失礼仕る。斯波義瑞、罷り越してござる」

「入りなさい義瑞」

 伏して戸を開けると、菜種油の明るい光が斯波義瑞を迎えた。

「面を上げよ。よく来たね」

 将軍は常のように穏やかな笑みで座している。

 齢十の時分に初めて謁見してからこの方、何も変わっていない。

 義体か、秘薬か……将軍の保有する技術は三管領の一角、義瑞をして計り知れなかった。

「御所様におかれましては、ご壮健の程にて何よりにござりまする」

 定型の挨拶を済ますと、勧められるまま将軍の御前に座した。

 将軍の横には、異人の女が客人を一瞥もせずに座っている。

「憲美とは行き違ったかな。ついさっき出ていったばかりでね」

「……人皮を、見せられました。越後守が申すには、御所様より賜ったものだとか」

「そうだ、あれは迅雷甲冑の生き素材。拡張部品として用いることで、迅雷奥義を使うことができる」

「迅雷奥義」

 聞き慣れない単語を、将軍の口より説明される。つまるところ、松永信貴という特殊な体質を持った娘より肉体を剥ぎ取り、部位に応じた特殊能力を備えた迅雷甲冑を作ろうというのだった。

「この国の神話には、女神の死骸より豊穣がもたらされたというものがあるね」

大宜都比売オオゲツヒメですか」

 大昔、高天原より放逐された須佐之男命が口や尻の穴より穀物を産する女神を殺したところ、女神の躯より稲や蚕がこの世に創造された――という内容だ。

「そう、米作や絹糸が神によってもたらされた。野のものを捕らえることでしか生きることのできない人に与えられた救い。神とは、祈りにも敵意にすらも救いを与える存在ではないだろうか」

「敵意にも? おおよそ、神が敵意を持つものに与うるは天罰ではないかと愚考しますが」

「……かつて大昔」

 義瑞に答えたのは、将軍の隣に座る伴天連の女だった。

「この世界に一つの言葉しかなかった時代ありました。ある時、愚かな王が天にも届く塔を建てようとしたら、神は怒り、塔と一つの言葉、壊しました――そして、人々は異なる言葉、異なる文化育みながら前に進み続けてごぜます。天罰とは、転じて一種の救いなのです」

 将軍の許しもなく口を開いたが、この葦原洲の支配者たる足利義岳は咎め立てしようとはしない。

「あらゆる人には救いが必要だ。そして救いとは、万の人がいれば万の形を取り得る。君にとっての救いとは何だね、義瑞」

 将軍の言う『救い』とは、曖昧模糊として意味の定まらぬ言葉だったが、義瑞は文字通りの救済、授かりもの、願望、財物などを統合した概念と咀嚼した。

「左様ならば、某の救いとは斯波の家に相違なく。己が家名を守り高める――弓馬の家に生まれたるものの本懐にござる」

 足利一門の流れを汲む格式高き斯波家――当主たる己に、やがてその座を継ぐことになる嫡子寿太郎――そういったものの集まりが、斯波刑部大輔義瑞にとっての『救い』であった。

 答えを受け取った足利将軍はその笑みを一層慈愛に深めた。

「では次の問いだ。君はどこが欲しい? 目と皮以外で頼むよ」

 訊き返さずとも分かる。信貴姫の身体のどこが欲しいのかと、問うているのだ。目は誰か知らぬが、皮は上杉が持って行った。それ以外ならば好きな部位を持って行けということだ。

「嵩の一番大きい部分を」

 迅雷奥義とやらの価値を測りかねているのならば、最も大きい部位を賜ろうというのだった。

「実直にして明瞭。武士の鑑のような、義瑞らしい答えだ。よろしい、斯波刑部、君には胴を賜る」

「有難く頂戴いたします」

 将軍は付け加える。刑部が部位を選んだが故か、迅雷奥義の正体に迫る言葉を。

「その迅雷奥義は、やはり実直で明快なものとなるだろう」

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