一殺

 稲田六兵衛は、内部に残った兵を斬りながら背後に怖気を感じていた。

 背後、味方の盾が雨霰と降り注ぐ敵方の砲弾を防いでいる。

 盾を構えた円陣の中央にはまさしく敵方の総大将がおわすために、総力を挙げて撃ちまくるとはいかないものの、圧倒的多勢が狭隘な街道を埋め尽くし押し寄せる様は絶望の一字であった。

 限界を迎え用をなさぬ硬質ヒヒイロカネの塊と化す盾。持っていた伊勢方の兵は無数の弾に貫かれ肉の残骸となる。

 空いた隙間より砲が押し寄せ、稲田の背部装甲に当たった。

 傾斜をつけて命中したため、装甲のへこみと打ち身程度の軽傷で済んだが、まともに直撃していれば折れた肋骨が内臓に刺さり絶命していたかもしれない。

 これが戦場だ。

 敵方の戦車が放った榴弾が盾持ちを吹き飛ばす。

 爆風や破片程度では迅雷甲冑の武者をどうこうすることは出来ないが、直撃した者は肉塊だ。

「陣の最中には大将もいるのだぞ! お構い無しか!」

 上杉方も憲美を外す自信あってのことだろう。稲田の悲鳴は聞き流され、次弾が放たれようとする。

 その戦車を、盾より身を乗り出し撃破した者がいた。迅雷甲冑を纏い、対空砲を担いだ巨漢の武者だ。

「井上玄武入道、戦車討ち取ったり!」

 名乗りを上げるも束の間、井上の肉体は砲によって蜂の巣になる。

 これが戦場だった。臆病な稲田は、京における喧嘩や真剣試合の経験で名を上げたものの、戦場に出るのは初めてだった。流れ弾には剣技も無力であると知っていたからだ。

「姫様……どうか……!」

 霧中、己の主君に懇願する。どうかこの場を切り抜け、己の命を救ってくれと。

 



 信貴姫が仕掛ける。稲田六兵衛より伝授された京六流、腰溜めの中段から敵の槍を弾きつつ間合いに入った。

 憲美は巧みに退き、上より落とした槍で長刀を封じる。

 七頭上杉は伊達ではない。享楽家としての側面からは想像もつかない達人だった。

「昂るのう、生娘が必死で磨いた腕を無惨に千切ってやれるかと思うと。跨ぐらがいきり勃ってきたわ」

 言うが素早く、憲美は霧の中に消える。

 崩国丸にすら、その姿は捉え切れない。

「刺すぞ生娘!」

 背後より声が聞こえるより早く、信貴姫は反応していた。

 穂先を脇で挟み、即座に抜いた短刀を投げる。

「おっと」

 頸部狙い。燕の一刺しを、憲美は手甲で弾き尚余裕の態度だ。

 信貴姫は足に車輪を展開。超信地旋回で脇に抱えた槍ごと上杉を振る。

「そのまま地獄に落ちろ!」

 憲美が吹き飛ばされたのは己の自走車。

 堅牢な大将用の自走車に激突すれば、中の人間はただで済まない。

 だが憲美は低身長を生かししゃがみ、車輪の間をすり抜けた。

 脛当ての硬質ヒヒイロカネが地面との摩擦で火花を散らす。

 それを最後に、再び上杉憲美は霧に紛れた。

 信貴姫は車輪で走り回りつつ、全方位に警戒を巡らす。

「せわしなく動こうが無駄よ。私の如意瘴気は、霧の中に入ったものすべてを肌で感じ取る。霧が数里にも渡るとあまりに膨大な情報量故、こうして意識する対象を見定めねばならんがな」

 霧中より、槍が付き込まれた。京六流の手癖が見切られ始めている。最前より鋭い。

 すんでのところで弾き、正対する。

 あの迅雷甲冑の下でほくそ笑んでいるのは己の顔。己の肌。

 何としても引き剥がし、取り戻さねばならない。

 車輪と連動した高速の踏み込み。上杉は下がりつつ長刀を左に弾く。

 膂力任せに無理矢理戻し、さらに踏み込む。

 高速の応報は信貴姫が押す。上杉が引く。

 速度では圧倒的に上回っている。その不利と拮抗するように、上杉の槍が押さえつけているのだ。

 一筋縄ではいかない。鋭い皮膚感覚は先読みの域にまで至り、達人の槍を補強している。

 諦めるわけにはいかない。

 必ず殺す。

 こいつを殺す。

 ここで殺す。

 さらに低く、低く。蛇が地を滑るような姿勢の一突きが、下段に構えた上杉の槍を押し、その身を無理矢理下がらせる。

 退路は無い。奴の背後にはまたも奴の自走車がある。しゃがんで避けようとすれば、今現在低い姿勢を取る信貴姫が即座に追い打ちをかけ刈り取る。

「終わりだ!」

「何が終わりだ馬ー鹿! このなまくら返すぞ!」

 憲美が投げつけたのは、信貴姫の短刀。いつの間にやら拾っていたらしい。

 腕を擦過し、傷を作る。

 致命傷には程遠い、動きすら満足に止められないであろうそれが、決定打となった。

「ぐ!」

 傷より微小機械が侵入。信貴姫の体内――崩国丸内部を侵し、その形を歪に変えていく。

「ぐあああ!!」

 信貴姫の四肢は捻じ切れ、血液が噴出。

 続いてその首が飛び、信貴姫は動かなくなった。

「脳髄は後で馬廻どもに回収させるとするか。周囲の雑魚を殲滅し、撤退せねばな」

 呟き背を向ける憲美。

 その身が、硬直した。

「な……ぜ……」

 崩国丸が、信貴姫が彩雲に爪を立てている。捻じ切った五体も満足に、甲冑の身でも伝わる憎悪の目で。

「再生能力、それがお前の迅雷奥――」

 その言葉を最後まで発することは叶わなかった。

 崩国丸の爪より放たれた電撃が、彩雲の機能を停止させる。

「があああああ!!?」

 迅雷甲冑の内部で血泡を吹き、焦げた臭いとともに斃れる上杉越後守。

 霧はただの水滴と化し、風に流され晴れていく。

 完全に晴れる前に始末をつけてやる。

 迅雷甲冑には、装着車が意識不明となった折救助を行うために緊急解除装置が組み込まれている。多くの場合、それは顎の裏あたりにある。

 押した。

 全裸の、女体と男体が入り混じった麗人が土に転がった。

 その顔は、かつての信貴姫に相違ない。

 無力と化した上杉は薄い乳房を震わせ懇願する。

「い、命ばかりは助けてくれ。お前の身体は返そう。彩雲も渡す。兵も越後に引き上げる。伊勢に賠償金も払うと約束しよう。後生だから命だけは」

 信貴姫は、その片目を憲美が持っていた槍の石突で抉った。

「ぎゃあ!」

 化生の様な声を上げ、槍を目に差したまま悶絶する上杉。

 肌を傷付ける心算はなかった。あれは己の肌だ。迅雷奥義で再生するとしても、傷付けたくはなかった。

「命が惜しかったのならば、まずわたくしの下にその足で出向き、平伏し、奸計で奪ったその肌を謝罪とともに返すべきだった。それが最低限だ。その行為の上で、お前の生きる死ぬをわたくしが決める。それがあるべき流れだったのだ、上杉越後守憲美よ。お前は最初の一手でしくじった。阿呆のような面で将軍より略奪品を賜り、薄汚い刺客をわたくしの下に差し向けた時点でお前は死んでいた」

「きょ、狂人が!」

 信貴姫は尻を引きずり後退る上杉を追い詰め、品定めをする。

 さて、何処を起点にすれば己の肌を傷つけずに済むものかと。

 憲美に有って、己にない器官。一目瞭然だった。

 信貴姫は、憲美の陰茎を手で掴み、引き千切る。

「んぎいいいい!!」

 断面と化した尿道より、血と小便が垂れる。

 信貴姫は意に介さず肌の端を持つと、一息に引き剥がした。

 すると、不可思議なことに解除された迅雷甲冑、彩雲より虹色の粒が寄り集まり、彩雲はその色を失った。

 肉達磨と化した上杉が残される。

「痛い痛い痛い痛い! 寒い寒い寒い寒い! 肌が、肌が無い! 私の肌が!」

「お前のではない。わたくしの肌だ。何遍同じ問答をすれば気が済むのか。そして、肌を剥いたお前にもう用は無い。疾く苦しんで死ね」

 時間は限られている。本当はもっと凄惨な責め苦を科し、断末魔の叫びを長く聞きたかったが、多数の敵に包囲されている状況ではそうもいくまい。

 回収した己の肌を真空式の保存袋に入れ、空気を抜いた。

 槍を上杉の目より引き抜き、陰茎の有った血溜まりに突きこむ。

「あああああ!!?」

 そのまま中を掻き回す。

「私には義が、義があったのに……!!」

「知らん。もう死ね」

 それが上杉越後守憲美の最期だった。

 血泡で汚れた口に、彼自身を含ませ、突き立てた槍でさらし者にする。



 霧が晴れた。傷だらけになった稲田他数十名の決死隊が、今尚多勢の上杉方と槍を交えていた。

 無惨な太守の死体が、臣共に衝撃を与える。肌は剥がされ面影は無くとも、槍の下に転がる彩雲の残骸で全ては察せられた。

「太守様!」

「お屋形様!」

「そ、総大将が討ち死になされたぞ!」

 上杉軍がざわめく。数で圧倒しているのは向こうの方だろうに、大した慌てようだった。

「汚らわしい簒奪者に相応しい最期だ」

 呟き、伊勢方に加勢し、狼狽える上杉軍を殺しにかかる信貴姫を阻んだ者がいる。

 彼女の前に、一人の少年が立ち塞がった。

 目は真一文字に切り裂かれ、痛ましくも壮絶な覚悟で睨みを利かせる。

「何が義だ! 何が侍だ! 名もなき民草を踏みつけ奪い、それで一角の人物になったつもりか! 巫座戯るな! お前達の様な奴腹が義などを掲げ偉ぶる世でたまるものか! 私は戦うぞ! 諦めずに戦い続ける!」

 それは、真実槍に貫かれ陰惨な躯と化した上杉越後守に向けた言葉だったが、周囲の目には信貴姫に対して啖呵を切ったものと映った。切り裂かれた瞳も、信貴姫によるものと思われることだろう。

「お前は間違っていない。……だが、それがどうした」

 大首を取った信貴姫は盲目の長尾虎太郎を通り過ぎ、砲を構え槍を掲げる上杉方と向き合う。

「奴が太守様を討ち取った武者だ!」

「一番槍は某が! 主君の仇を討つ!」

 盾を踏み越えた武者が、稲田六兵衛に一刀で斬られた。

「姫様、目的は達せられましたな! さ、逃げましょう! 疾く逃げましょう!」

「これだけ囲まれて何処に逃げるというのだ。今こそ宣約を果たせ。全員斬り捨てよ」

「か、かようなときにご冗談はやめていただきたい!」

 主従が喧々諤々としていると、上杉の軍勢が俄かに吹き飛んだ。

 榴弾砲の着弾。伊勢の増援、戦車隊が到着したのだ。

 林には着弾点観測用の機梟が展開される。

 河越城からの城塞砲も合いまり、上杉軍は壊走状態となった。信貴姫、稲田含めた決死隊の生き残りは、砲撃に巻き込まれぬよう林の奥に撤退を始める。

 戦の勝敗は決した。伊勢方の大勝だ。



 一月後。

 既に皐月だが、山の空気は冷ややかだった。

 上野国猿ヶ京。湯に浸かるのは伊勢幻庵と松永信貴姫。

 信貴姫はその玉の肌を取り戻し、最早わざわざ男の皮を被り男湯に浸かる必要などは無い。

 長い黒髪の美女と処女おとめは、にこやかならずとも語らう。

「湯加減はどうじゃ、お信貴よ」

「熱い。が、構わん」

 未だ瞳に光り無く、旬の姫竹をはじめとした山の幸も味わうことは出来ない。しかし、肌に感じる熱さは確かに取り戻した。

「儂が懇願したとはいえ、上杉軍の追撃と上州奪回の戦働き、ご苦労じゃったのう」

 一月かかり、武州、上州に展開した上杉軍を越後にまで押し返した。上杉方に付いた国人衆も、憲美討ち死にと本隊壊滅の知らせを受けた後、軒並み即座に伊勢方に鞍替えした。むしろ難儀したのは当の伊勢が行った焦土戦による兵站不足だった。

「別に。伊勢が安泰にあらねば、捨て置いたところで尾張行きの憂いとなるだけだ。それに迅雷奥義の鍛錬にもなった」

 東海道より陸路で京に行くとすれば、次に差し掛かるのは駿河、遠江、三河ときて三管領斯波氏の拠点地尾張となる。

「斯波の現当主は斯波刑部大輔義瑞しばぎょうぶたいふよしみず。迅雷奥義は未だ不明。越後めの大暴れで迅雷奥義のインチキさは諸大名に明らかとなった。正体不明の超常兵器を相手取るくらいならば、睨み合いの方がまだ賢いとの判断じゃな」

「迅雷奥義か……」

 肌を取り戻したことにより、上杉憲美の用いていた如意瘴気が崩国丸でも使用可能になった。

 ただし、威力は本家のそれに大きく劣る。彩雲の様な専用装備という訳にはいかなかったのと、生き素材本人が使うことにより生命維持にその能力を取られてしまうためと幻庵は説明した。

 現状信貴姫の持つ迅雷奥義は二種。脳髄由来の不死再生能力と皮膚由来の如意瘴気。劣化したとはいえ、いずれも極めて強力で有用な力だ。

「次なる標的は尾張の斯波刑部。相模と尾張の間にある駿河は今川の領地。故に、此度のような大規模な戦の中、軍勢の支援で敵を討つことは不可能じゃ。上杉に武田、今川まで敵に回すのは得策ではない。伊勢のいの字も残さず、文字通りの暗殺となるが」

「仔細無い。迅雷奥義、如意瘴気は呆れんばかりに暗殺向きだ。それに、手筈はある程度風魔が整えるのだろう」

 風魔者は関東のみならず全国遍く潜んでいる。彼らが残る三管五頭殺害の手助けをしてくれることになっていた。

「無論、これはわたくしの復讐。わたくしの身体を取り戻す戦だ。何もかもを伊勢に預けようなどとは思って無い――だが」

「だが?」

「感謝する。この湯の熱さを取り戻せたのは、お前のお陰だ」

 幻庵の回復手術により取り戻した美姫の顔、眉根も動かさない無表情で言った。

 幻庵は目を丸くし、顎をなぜる。

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