拷問

 上州高崎。開けた視界、風通しが良い関東平野においては、霧の力も大方弱まる。

 伊勢の戦略は武蔵国河越城にての籠城戦。まず敵方を武州に入れぬことが肝要だった。この先にある平城、平井城に戦力を集結させ、武州における決戦の準備を整えるためには。

 伊勢左京大夫氏国率いる軍勢は川越街道をひたすら進軍。

 馬になど乗れば却って狙撃の的にしかならないことが分かったので、総大将すらも徒歩で進む。

「いやはや、恐るべし迅雷奥義といったところか。索敵も何も、こちらは何も出来んというに、相手方はやりたい放題。迅雷甲冑だけは使えるのが唯一の慰みだな」

 腰に二刀を佩いた白い迅雷甲冑は伊勢氏国。動力補助程度の機能が付いた軽量装甲を身に纏った叔母、伊勢幻庵に話しかける。

 敵の霧の正体を微小機械と看破し、機能を停止させるための電磁頭巾を有り合わせのもので配備したのは、この幻庵だった。

「石英の核に結晶化させた水を電子回路として用いる――顕微鏡で見たときは目を疑ったわ。もう三百年先にやっとものになるような技術じゃ。素材が水で、しかも精密機械故、熱や電磁波に弱いというのが救いじゃな」

 対処法が見つかったからとて、根本的な不利は揺るがない。

 相も変わらず人雷機械は使えないし、火の周囲でしか食事も取れない。

「その不利を覆らせるための“こいつ”か」

 氏国が見やったのは服を脱がされ、後ろ手に縛られて気を失い、馬に括り付けられている加藤段蔵。よくよく見れば若く、女めいて艶やかな顔をした男だった。二十歳に満たぬくらいの年齢だろう。

 逃げ出せぬように足の腱を切り、武器を取れぬように指も十本丸々落としてある。さらに忍法呑牛を使えぬよう針金で胃を検め、猿轡も噛ませておけばいかな大忍とはいえ何も出来ない。

 腱を切り、指を落としたのは馬の横で黙々と歩く信貴姫だ。

 伊勢の本軍に段蔵を連行してきたときには、既に出血と電流による衰弱で生きるか死ぬかの瀬戸際だった。

「全く、生け捕りにせよと承知しておきながら、死にかけの状態で持ってくるとは……儂がいなくばそ奴死んでいたぞ」

「だが、お前はいた。それで十分だろう」

 信貴姫は低く答えた。

「伊勢は利用しているだけだが、お前の技術は信用している。わたくしの身体を崩国丸に定着させたのはお前だ。上杉の外法を看破し対処法を見出したのも、瀕死の虜囚の生を繋いだのも。京にすらお前ほどの舎密せいみ師はいないだろう」

「お主に褒められるとむず痒いのう」

「褒めてなどいない。そんな無駄なこと、わたくしがするものか」

 不愉快を隠そうともせずに幻庵から目を逸らし黙り込む。

 取り付く島も無くなってしまった信貴姫に顎をなぜ、幻庵は甥を見やった。

「そろそろ疲れてこんか、氏国よ」

 氏国は獅子を模した兜を向け、大きな肩を震わせた。

「ふはは、お歳かな叔母上。その乳を当ててくれると言うなら背負ってやらんことも無いぞ」

 迅雷甲冑の歩行補助機能により生身の徒歩行よりは疲労が少ないが、それでも体力は相応に消耗する。

「か、誰に似たのやら、親の顔が見てみたい。己で歩けるわ。今のはお主の心配をしたのじゃ」

「心配ご無用、俺は祖父殿に似てか丈夫に育ったわ。迅雷甲冑持たぬ兵は疲労の極みにあろうが、まあ、平井まで数刻は辛抱してもらおう。犠牲に見合う戦果を出さねば、兵も民も報われん」

 敵に兵站をおめおめと渡すわけにはいかない。道すがら、村の穀倉を焼き略奪をしながらの撤退だった。

 焦土戦。民には他の村に身を寄せるよう触れを出しておいたが、納得はすまい。抵抗して斬られた者も、制御し切れぬ兵に手籠めにされた者もいる。

「『報われん』――とはな、まるでお主が民どもの声を代弁しているかのようじゃのう」

「叔母上は俺を傲慢と罵るか。如何にも、奴らの村を焼き、殺し、活計たつきを奪ったは俺の指図ぞ。だがな、如何な道義をこねくり回そうが、武とは殺し、奪う他に結果を残さん。傲慢にあらねば奪われるだけだ」

「侍とはつくづく度し難い。……であるからには勝つぞ、氏国」

『勝てよ』では無い。この戦の勝敗は、舎密師幻庵と総大将氏国、そして暗殺者信貴姫に等しく懸かっていた。

 伊勢の軍勢は転進を続ける。



 それから十日後、武蔵国河越城。

 平井城は昨夜落ちた。

 濃霧に覆われつつもよく持ったが、一方的な電報通信で連携を取った上杉方の夜襲でついに陥落した。

 味方の伝令は武州鉢形城で放雷境を抜ける敵を迎撃すると伝えた後途絶えた。

 元より上州は様々な有力大名の手を転々としてきた土地。上杉方に着く国人衆も少なからず現れている。武州も似たようなものだ。敵はむしろ戦力を増しつつ、間もなくこの河越に迫るだろう。

「首尾は如何か、叔母上」

「仕上がったぞ、氏国」

 幻庵の声が城内に設えた無菌室に上がる。

 無菌室には、椅子が一脚と用途不明の様々な機器。

 椅子に座らされた加藤段蔵より無数の銅線が絡み合いながら伸び、機器に繋がる。

 信貴姫は、その様子を無言で見つめていた。

 大忍、飛び加藤の姿はそこにない。

 頭蓋を切開され、虚ろな表情で涎を垂らす青年。大脳灰白質を殆ど切除されているため、思考する自由すらこの男は失った。

 垂れ流し糞と小便の異臭が充満するこの部屋で、脳を銅線に繋がれた加藤は同じ言葉を繰り返すだけだった。天才と称された忍の末路がこれだ。

「じがい……じ、じがい……じがい……じ、じ、じ、がい……」

「いじらしいのう、こんな状態になって尚、秘密を洩らさんよう自害を試みようとしておる。忍の鏡じゃないかよ。のう、お信貴」

 幻庵が無邪気に笑いながら機械を叩く。

「無様なだけだ」

 信貴姫は銅線と、その先に繋がる機械を見た。

 加藤段蔵の視覚野を覗き見、敵情を知るための装置だった。

「ここまでの忍ならば主に秘密の視覚回線を持っていても不思議ではない。しかも、敵方の電報通信は霧の妨害を受けることは無く」

 微小機械による電波妨害は敵と味方の通信を振り分け、妨害する相手を選ぶことが可能だ。そこを逆手に取り、秘密回線を持った捕虜を取る。

「ま、脳を直接開けられて視覚を盗むなど儂を除いてほぼ誰にも不可能な離れ業。腕を過信し直接出向いて哀れにも返り討ちに虜となった飛び加藤殿の名を落とすものでも無かろうて。かかか、かかかかか!」

「じがい……じがい……」

 辱められ、虚空を見つめる加藤を脇に、幻庵は大笑した。すでに勝ちを掴んだかのような笑いだった。

「かかかか! 降って湧いたような技術を手に入れ、神にでもなったつもりか、馬鹿が! 人間を舐めるからこうなるのじゃ!」

 狂笑。その言葉は、加藤でも上杉でもない誰かに向けたもののようだ。

 数秒の後、彼女は常の様な人を食った余裕の表情に戻る。

「さて、お信貴よ。こ奴の視覚を覗くのは、迅雷甲冑と一体化したお主以外不可能じゃ。憎き上杉越後の隙、探ってくれい」

 針を指の隙間に並べ、幻庵は信貴姫に迫る。

「……やれ」

 信貴姫の令一下、電極が脳髄に接続される。

 加藤段蔵の視界、目を植え付けられた対象がいくつも眼前に浮かぶ。

 一般的な機鷹から牛馬に犬猫、そして人間。視界が低い。臣下の将というよりも、小姓衆に目を植えたらしい。小童の方が安しと判断したのだろう。あるいは越後守の趣味を見越してか。奴の男色狂いは家中に有名だった。

 上杉越後の姿を探す。伊勢方の調べによると、その姿はかつての信貴姫と同様のものだそうだ。

「いた」

 見間違う訳も無い。己の皮、己の姿。

 憎き越後守の肉に被せられた己が、裸で息を荒くしている。

 どうやら事の真っ最中らしい。

「あくまでわたくしの肉体を汚すか、腐れ尻狂いが」

 いかに憎もうとも、今手を出すわけにはいかない。確実に殺せる瞬間、信貴姫自身の手で仕留めねばならない。目当ては奴の命と皮なのだから。

 越後守が何やら呟き、小姓の尻に精を放った。

 見知らぬ男を、信貴姫の肌が抱き寄せる。

「地獄を味合わせてやる。覚悟をしておけよ」



「女を知ってから陰茎の熱が上がったのではないか、虎太郎よ」

 上杉憲美は、長尾虎太郎の尻より己の得物を引き抜き、赤く充血した小姓の陰茎を撫でる。

「はい、女の熱が残っているかのようで」

「上々じゃ。そら、お前も気をやるがよい」

「……はい」

 数寄者憲美の手業は達人の域にあり、麗しい見た目と相まって即座に虎太郎も精を放つ。

「敵は武州河越にて籠城の構え。伊勢の小童がこそこそ逃げ隠れおって……」

 憲美は美しい偽物の顔を憎悪に歪める。

「が、次こそ奴の首取ってくれる。段蔵を失ったは中々手痛いが、それはそれ。この彩雲さえあらば我ら上杉は無敵よ。くくく」

 虎太郎は憲美の熱に抱かれながら、唇を噛んだ。

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