三国峠の戦

 編笠を被る稲田六兵衛が、三輪の自走車を操る。人雷駆動により、前輪を左右に振る鉄棒を握るだけで随意に加減速が可能な、馬に代わる移動の主流だった。

 油で固めた革を巻いた木の車輪は、決して快適な乗り心地とは言えない。特に峠道では馬の歩みとさほど変わらぬ速度だった。

 彼の背後の座席には長物を担いだ前髪も初々しい若武者。

 若武者は人形のような顔、色の薄い口元をぎこちなく動かし声を発す。

「稲田、つける者はいるか?」

 その声は、信貴姫のものに相違なく。

 剥き出しの迅雷甲冑のままでは、小田原城中ならまだしもこの三国街道ではひどく目立つ。

 故にこうして偽物の皮を被りはるばる相模より武蔵を抜け、上野の山道を登っているという訳だった。

 眼前、巨大な白雲がそびえ立つ。

 鎌倉時代末期、この放雷壁の出現により、国境は完全に隔てられた。

 人が中に入れば感覚器を狂わされ、無惨な自殺体となって、白雲の中にのみ潜む特殊な生物の餌食となるだろう。

 相模から武蔵へ、武蔵から上野へ、上野から越後へ――国を越えるには各所に設けられた関所を通過する他ない。

 一見して自然現象だが、当時存在した街道――あるいは街道として適した地にのみ現れた壁の『門』は、人為を疑わざるを得ない。

 じっと放雷境を見つめた素振りで、しかし油断なく周囲を警戒する剣客は己が主の問いに答える。

「まずあの旅僧、そして薬売りがそうでございます。振り向きなさるな。気取られます」

 小声を、耳朶に直接打つ無線通信でやりとりをする。

 はた目には、諸国見聞の若君とお付きの者にしか見えないだろう。

「目を埋め込んだ畜生どもを含めれば大層な数になろうな」

 長旅の間もこうして二人を尾行する越後の間者はあった。人目の無い折に触れて斬ってはいたが、怖気づくような者共ではない。

「まもなく関所でございます。騒ぎは起こせませぬ」

「誰にものを言っている」

 猿ヶ京の関所が見えた。

 手形を見せ、難なく通行する。

 白い隧道のような、天を仰ぐ街道を抜けると、そこは既に越後であった。

 いまだ上杉の刺客は後方にいる。

「いかに致しますか?」

 関所は抜けた。斬るかと問うているのだ。

「捨て置け。どの途、三俣宿には上杉手の者がわんさといる。元締めの首を落とさぬ限りはさしたる変化は無いだろう」

「飛び加藤にござりまするか」

 東国の忍にその名を知らぬ者はいない。元は上州の長野氏に仕えていたが、何の故あってか出奔、以後主を上杉に定める。

 牛を丸ごと呑み込んだ、瓢箪の種を瞬く間に発芽させたなど、不可思議な幻術の逸話には事欠かない怪人物である。

「ここは越後、今夜あたり仕掛けてくるやも知れん。上野で上杉方を迎え討つ伊勢に先んじて越後に入り、背後より襲撃を行う。可能ならば越後国内での暗殺を。未然に防ぐならば今だろうよ」

「うう、向こうに奇襲の権を握られていると思うと落ち着きませぬ」

「三俣宿には伊勢の間者もいる。今も機鳥を用いて狙撃の手など無いか探っているだろう。敵襲あらば盾はお前だ。覚悟しておけよ」

「し、死ぬのは嫌でございます」

 すくたれ者がと、声を出して罵り、信貴姫は歩みを進める。

 卯月の頃。まばらに溶けた雪が道端に残る。

 この国境で湯治客に紛れて逗留し、上杉を待ち構えるのが旅の目的だった。



 旅立つ折、小太郎とかいう伊勢の忍より指定された旅籠に着いた。

 ここの主は伊勢の間者であり、信貴姫は情勢の説明や武器の補充などを受けることになっている。

「いらっしゃいませ」

 一見して旅籠屋の若旦那と言った風だが、相州足柄で生まれ育った生粋の乱破である。

「泊まるぞ」

「かしこまりました」

 信貴姫の容貌は既知だ。形式的な会話を交わし、奥に案内された。

「上杉は今何処に?」

「六日町に。兵站を整えたらば山を登る魂胆でしょう」

「遠からず来るか」

 自走車を用いれば一日でたどり着く距離だった。

 無論、数万の軍勢を移動させるにはそれなりの手間も要る。ただの一日で奇襲を仕掛けてくるわけではないだろう。

「こちらも装備を整えましょう。まずは筒をお渡しします」

「筒か」

 筒と言えば通常電磁砲のことを指す。

 磁力の力で鉄弾を飛ばす武具。

 今の世では粗末な電磁砲を持った雑兵の撃ち合いが戦術の基本となる。

「相州製大口径狙撃砲、銘虎撃宗光。見た目は従来品とさほど変わりませんが、伊勢お抱えの相州鍛冶が手塩にかけて開発した最新兵器です。腕次第ですが、二里先の迅雷甲冑を正確に射貫く威力と精度があります」

 動力箱の接続された黒光りする筒は、未だ血の一滴も吸っていない無垢ながら威圧的な雰囲気を放っていた。

「腕次第か。稲田、砲術の心得は」

「恥ずかしながら全くありません。剣には覚えがございますが」

「恥知らずが良く言うわ。お前は手砲でも持っておけ」

 宗光は大ぶりな砲だったが、砲床、先台、砲身、機関部が容易に分解結合できる構造になっており、旅装に不都合のあるようなものではなかった。

「これで片が付くならば楽だが」

 長距離から狙撃しただけで死ぬような三管七頭でもあるまい。

 そもそも敵の肉体を回収しなければ暗殺も何も殆ど無駄になる。殺す労力は小さきに越したことは無いが、敵陣への接近は大前提だった。

「他にも諸々用意してあります。一通り見聞したら温泉にでも入るのが良いでしょう」



 旅籠に一々湯があるわけではない。

 湯治場には先客が数名。

 男湯だ。

 若武者の皮を被った信貴姫は、躊躇わずに男湯に入った。

「わたくしは湯治客だぞ。湯に浸からねばおかしいだろう」

「おっしゃる通りにございますが……」

 元の可憐な少女を知っている故か、稲田は少々ばつが悪そうだった。

 柵で囲まれただけの露天風呂。近くにそびえる山は、既に雪を脱ぎ肌を晒している。

「その……露天風呂では不安で」

 稲田が恐れているのは狙撃だろう。天井が開いてしまっていては、例えばあの山の方から狙い放題だが。

「案ずるな」

 信貴姫はあくまで落ち着き払っている。

 上空より監視をしているという伊勢の間者の存在故だった。

 何かあれば、崩国丸内蔵の電報機に連絡が入ることになっている。

「上杉め、わたくしに対しては見に回ることにしたのか。それとも……」

 誰にも聞こえぬような小声で呟いた瞬間、信貴姫の身体が跳ねた。

 背に狙撃を受けたのだ。

「姫様!」

「……大事無い!」

 湯浴みの最中はいかなる豪傑も身に寸鉄を帯びぬ故無防備となる。源平合戦の頃、源義朝公の例を紐解くまでもなく。

 全裸の湯治客が飛び上がり、その喉奥より短刀を取り出した。

 上杉の刺客に相違無い。

「上がれ、稲田!」

 と、叫ぶよりも早く、稲田六兵衛は脱衣場にまで逃げ込んでいた。

 信貴姫とて無手ではない。その身は迅雷甲冑である。

「脳漿を焼いて死ね!」

 狙撃により身動きが取れなくなったところを仕留めんとしていた刺客の刃は空を切り、信貴姫の爪が敵の裸身に食い込んだ。

 対迅雷甲冑用の電撃が、言の通りその脳を焼く。小田原の様な手加減は無い。生かして拷問する用事も暇も無かった。

「ひえええ!」

 何も知らぬ湯治客が、今さらになって悲鳴を上げる。

 信貴姫は被せられた肌を剥ぎ、甲冑姿となった。

 身を低くして移動する。

 脱衣場に入ると、全裸の稲田が敵の忍を一人斬ったところだった。

 もう一人の忍が信貴姫の荷物の前に胸から血を流して倒れている。定められた手順を踏まずに荷物を盗ろうとすると、仕掛けが発動し砲撃を放つようになっていた。

「これで三人か。白昼堂々とはな」

「砲は恐ろしゅうございます。どこより来るか知れたものではなく」

 稲田は裏返った声で言いながら、そそくさと着替える。

「撃たれる前に撃てばいいだけだ。こういうのは甲冑と砲の性能がものを言う。分はこちらにあるわ。――主人、敵の位置は」

 信貴姫が通信しているのは、滞在中の旅籠の主人。散らばった間者の情報を統合するのは彼の役目だった。

「把握できていません。四方八方、見渡そうとも筒を持った人間の姿など無く。しかし、弾痕と発砲音より見るに山の方より撃たれたものと」

「山か」

 狙撃砲、虎撃宗光を構え、脱衣場の壁を上り窓から身を乗り出す。

 崩国丸の拡張視覚は、一里先の野兎の姿まで鮮明に捉えた。

「雪の中――ではない。形跡が見当たらん。では狙撃手は何処か」

 迷っていれば再び撃たれる。瞬時の思考の末、信貴姫は敵を捉えた。

「そこだ」

 それは野生動物。

 鹿の腹に、電磁砲による穴が開く。

 やがて遅れて、血が染み出してきた。

 傷口から出血したというよりは、穴から漏れ出したかのような。

「わたくしと同様、皮を被ったか。鹿を模した傀儡の中に潜んで狙撃を行うとはな」

 一里と言えば、通常の小砲を用いた狙撃では限度ともいえる距離だ。通常容易に二の矢を応酬するようなことは出来ない。

 先の言葉通り、迅雷甲冑と筒の性能で大きく上回っていたが故の勝利だった。

「稲田、これで終わりではないぞ。上杉の蝿どもが、いい機会故狩り出してやる」



 外に出るなり信貴姫は撃たれた。

 地面に弾痕が刻まれる。

 避けられたのは、速度故だ。

 その足には高速で回転する車輪。

 二輪の自走車を小型にしたような、革張りの車輪が宿場を疾走する。

 撃たれた方向は把握した。砲撃に当たらぬよう高速移動しつつ、撃ち返す。

 なんということは無い村娘の姿はしていたが、隠した手砲は誤魔化せない。

 娘は頭より血を流して地面に倒れた。

 突如始まった砲撃戦に宿場の衆はめいめい建物の内に逃げ出す。

「狭い宿場だ。そうそう隠れる場所は無いが」

 砲撃は止まない。山の中から、旅籠の二階から、信貴姫を狙う凶弾が穴を穿ち、時に無関係の者に当たる。

 その度に正確に撃ち返し、上杉の忍を仕留める。

 既に十名は殺したか。

「止んだか。稲田、出て来い!」

 未だ脱衣場に籠っている臣に通信を飛ばし、引っ張り出す。

「旅籠に戻るぞ。あの場も危うい」

「は、はっ!」

 信貴姫は稲田を置いて先行した。足を使って走る稲田を待つことは出来ない。

 果たして、旅籠の主人は眉間に黒い小刀を刺され斃れていた。

「遅かったのう」

 下手人が影のように姿を現す。

 主人も相州が乱破、中々の手練れとみえたが、この敵にはかなわなかったようだ。

 雰囲気で実力を察する。まず忍として超一流。

 顔まで覆う迅雷甲冑を着込んではいたが、その下の下卑た笑みまで透けて見えるようだ。

「直接逢うのは初めてだな、飛び加藤」

「おお、拙者の名を看破しよるか。この半年で随分研ぎ澄まされたとみえる」

「下らんおべっかを使えんよう、その臭い口を永久に閉じてやる。まともな姿で飼い主の下へ戻れると思うなよ」

 段蔵より無言で投擲された小刀を手甲で弾いた。

 何の前触れも無く、かつ砲撃のごとく鋭い投擲だ。

 名にし負う手練れ。

 そして一瞬で背後に消える。

 この状況で逃げる気だ。

 忍がまともな勝負などする筈がない。

 主人を殺せばそこそこの結果。逃げ切るが勝ちと、そういうことだろう。

「挨拶を交わしながら、袖もすり合わずに分かれるとは、いけずに過ぎるのではないか? 飛び加藤よ」

「はは、さほどまでに拙者を求めるとは、男冥利に尽きるな!」

「小田原の城で言葉を交わしてから、いつ殺せるものかと待ち焦がれていた。今日ここで死ね」

 信貴姫は足の走行装置で飛び去る段蔵に急接近。

「速いのう。忍より速いとは、まこと、幻庵坊の作る絡繰は読めんわい!」

 一瞬で感電死に至る崩国丸の手を前にしても、段蔵の余裕は失われない。

「ではこれでどうじゃ!」

 段蔵の迅雷甲冑、その頭部前面が開く。

 意外にも若い口元から、何かが飛び出してきた。

 その数五体。段蔵の迅雷甲冑を模した、薄皮人形である。

 薄皮人形はその身に一瞬で空気を充填し、段蔵本人と寸分変わらぬ姿となった。

 そして、寸分変わらぬ速度で入れ代わり、方々へと散る。

 薄皮そのものが人雷駆動の絡繰仕掛け。

 これこそ生物無生物問わぬ絡繰傀儡の扱いに長じた飛び加藤が忍術。

「面妖な傀儡を!」

 悪態をつきながらも、信貴姫は筒を構えた。

 厄介だが、捉え切れぬ数ではない。全て撃ち殺してやる。

 まず一体。傀儡だ。

 そして二体目を撃ったところで残り三体が窓から逃げた。

 力任せに天井を突き破り、屋根に出る。

 三方に逃げる敵を立て続けに二射。やはり傀儡。

 となると残り一人が段蔵か。

 建物に隠れる寸前、宗光で撃ち抜いた。

「これも傀儡――では!」

 先ほどまで会話していた忍、信貴姫が加藤段蔵だと思い込んでいた忍そのものが傀儡だったのだ。

 気配なく、背後に忍び寄っていた段蔵の忍者刀が信貴姫の背に迫る。

「お覚悟!」

 段蔵が叫んだ。

「やれ!」

 信貴姫の応答は、段蔵に対してのものではない。

 信貴姫の背後に迫っていた段蔵の、さらに背後より追いついた稲田六兵衛が、その刀を忍に向けて振り抜いた。

「なんと、この拙者にも気配を気取らせぬとは! このような剣豪が伊勢にいたのか!」

「い、伊勢ではないわ! 松永じゃ!」

 かろうじて急所は避けたものの、稲田の刃が佩盾の隙間から段蔵の太腿を切り裂いた。

「不覚!」

 屋根上に、飛び加藤が無様に転がる。

 信貴姫と稲田、二人の強者に挟まれた段蔵は袋の鼠と言えた。

 しかし、

「や、これは僥倖!」

 俄かに霧が立ち込めた。

 その霧は北西の方角、三俣宿の越後寄りから漂ってきたものだった。

「む、視覚が!」

「姫様!?」

 不可思議な霧は崩国丸の視覚を奪い、稲田を狼狽えさせた。

 格好の隙を、飛び加藤は見逃さない。

 霧に紛れるようにその姿を消した。

「ぐ、失礼仕る!」

 信貴姫を担ぎ、稲田はその場を離れた。

「尋常の霧では無い。これは一体……」

 霧は時を追うごとにその濃さを増していく。



 霧に覆われた三俣宿を放棄し、旅籠にあった自走車を借り受けて上野寄りの浅貝宿まで戻ることにした。

 あの不可思議な霧とともに来たのは上杉軍の本体。すなわち関東管領その人である。

 口惜しいが、迅雷甲冑が十全に機能せねば暗殺など不可能だ。

 一旦退き、沼田の幻庵に知恵を借りる必要がある。

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