第一殺 上杉越後守憲美

越後守

 薄橙色の菜種油が照らす将軍御所。

 二人の人間が座して対面している。

 穏やかな顔立ちの男は将軍、足利義岳。

 将軍の御前にも拘らず、足を大きく投げ出している女は誰あろう関東管領、上杉越後守憲美である。

 景徳鎮のように作り物めいて白い脚をさらけ出し、白い酒を重ねる美女は、やはり作り物めいた顔立ちだった。

 白い褌を男装の袴の裾からちらちらと見せるのも気にせず、天下の足利将軍と向き合う。

「灘の酒はどうかな。越後の美酒に慣れた憲美には少々味気ないだろうか」

「とんでもございません、上々の味にござりますれば。お気遣い、切に感謝いたします。拙者の献上いたした葡萄酒もご賞味下されば無上の幸いにございます」

 掠れ気味の高い声で憲美は笑う。

「葡萄酒か。南蛮の修道士も招いて色々とやっているようだね。数寄者の憲美らしい」

「なんのなんの、数寄者などと仰々しい。珍奇好きの珍々大名にございますれば」

 無礼とも取り得る言動だったが、そもそも三管七頭そのものがいずれ劣らぬ奇人揃い。将軍も一々気になどしない。

「さて、本題に入ろうか。それというのは、余から君たち三管七頭へのささやかな贈り物をしたい」

「ほほ、重ね重ね光栄の至り。して、その贈り物とは」

 将軍は穏やかな表情を変えることなく、松永信貴姫より剥ぎ取った生き素材について語った。

「迅雷奥義の詳細については悪いが教えてやれなくてね。実際に装備して確かめてくれ。さて、信貴姫から貰った器官は色々あるんだが、君はどこが欲しい? 忠奏が両目を欲しがっているからそれ以外なら都合しよう」

「拙者の趣味はご存じの筈でしょう。皮を所望いたします」

 憲美の返答に将軍は一度頷く。そして、障子戸の向こう、廊下に向かって呼びかけた。

「花、聞いた通りだ。皮を持ってきてくれ」

 数秒かかり、戸を引いたのは彫の深い異人の女。

 頭巾ベエルの下の黒髪も艶やかな。

「お主、確か赤松の所の伴天連だったか。弾正殿も来ておるのかね? あの娘の顔、私は結構気に入っとるからな」

「主様は後々来るでごぜます。ワタシ、先に来てるだけにごぜます」

 葦原洲の女とも違う、舌に籠ったような、しかし澄んだ声だった。

「花とは個人的に懇意にしてるんだ。さ花、例の者を憲美に」

 花とは通称だろう。およそ伴天連の名ではない。

 女は小ぶりな保存甕を憲美に差し出した。

「御所様も隅に置けませんな。伴天連とご懇意ですか」

「あくまで付き合いがあるだけ。越後守様の想像してること、何もごぜません」

 花が釘を刺す。

「おや、失敬」

 越後守は好色な笑みを浮かべたまま、その保存甕を受け取った。

「ところで憲美。また姿が変わったかな?」

 将軍の言に、憲美はまるで髪を切ったことを目ざとく見つけられた女の様な口調で答えた。

「少し、皮をいじっただけにございますよ。ああ、この生き素材を取り込めばまた新しい姿になりますな」

 袴の裾はいよいよはだけ切り、その奥の秘所が露になる。越中褌の隙間から覗くのは、まごう方なき玉袋。

 関東管領、上杉越後守憲美。彼女――彼の誰憚ることなき趣味とは、女の人造皮を被り、女になりきることだった。

 真の姿は三十路過ぎの男だが、二十歳にも満たぬ美女の姿に好んで化ける。

「失敬失敬。拙者ご覧の通りの珍々大名にござりますれば。ひっひっひ」

 陰茎を除いた姿は美女そのもの。数寄も過ぎればこのような姿に成り果てる。

「余は許すよ。余は君の様な多様で大らかな人間の姿というものを愛しているからね。だが、これだけは聞かせてくれ」

「何なりと」

「君にとって『救い』とは何か。余はそれが知りたい」

 それは、将軍が生き素材を与える三管七頭全員に尋ねようとしていることだった。

「……拙者の救い、それは『安寧』にございます。自身の身辺のみでも平らかなれば、それが拙者の救いにございます」

「それで関東全域に武力を差し向けようと?」

「関東管領たる上杉には、将軍様の隷下に関東を統べる『義』がござりますれば」

 伊勢の鎌倉公方就任すらも、将軍の令に倣った事ではある。あからさまに伊勢氏を非難すれば、眼前の将軍を批判することにもつながる為、それだけは控えた。

「よろしい。ではその義の為、迅雷奥義を使うがいい。下がっていいよ。―――越後の葡萄酒、楽しみにしておこう」

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