迅雷奥義

 三俣の上杉軍本陣。

 難攻不落の名胡桃攻めを前にして、上杉越後守憲美は英気を養っていた。

 陣中は女人禁制。律儀に掟を守る憲美が抱くのは、まだ初々しい小姓である。

「良い締りだ虎太郎。他の小姓ではこうはいかん」

 女のように股を広げた稚児に腰を振る憲美は、可憐な顔に細やかな肌をした少女の姿だった。

 それはかつての信貴姫の姿。

 美姫の姿をした憲美と、美童虎太郎の交わりは一見耽美な風だが、本来男女のあるべき体位と真逆に繋がる様は、一種歪な背徳性を孕んでいた。

「放つぞ、虎太郎」

「……はい、お慈悲を」

 憲美の精が虎太郎の内に放たれる。

 白い精と糞便の混じったものが、布団に垂れた。

 女の皮を被り稚児と交わる。上杉越後守にはこのような倒錯趣味があった。

 信貴姫の柔肌が精を受けた余韻に浸る虎太郎を抱き寄せる。

「虎太郎や、相模の鎌倉府奪取の暁にはお主に越後を任せようと思う」

 決して戯れなどではない。

 長尾虎太郎の父親は越後国守護代。戦働きも家中に名高い重臣だった。

 虎太郎もまた、憲美の手足となって働くことが期待される。家臣との絆を深め、自身の欲望も満たす。衆道とは一挙両得の行為だった。

「私が越後守の位を賜ったはな、関東管領たる上杉が今やこの越後一国に追いやられておることの恨み忘れんがためよ」

 情事の後、熱い口調で気炎を吐く女装の憲美には、歪な色気があった。

「忘れてはおらんな虎太郎。我ら上杉の掲げるは」

「『義』にござりますな」

「左様。我ら上杉、義によって戦をし、あの簒奪者共に辛酸を舐めさせてやるのだ」

 事あるごとに同じ話をしているため、虎太郎も心得ていた。戦の寛容は戦術でも兵站でもなく『義』である。『義』あらば諸将に加え天にまします毘沙門の神も合力せん。

 稚児の陰茎に手を伸ばす憲美の手が、鈴口で止まった。

「何か、段蔵」

 不意に、上杉が己の忍を呼んだ。

 気配を殺し潜む飛び加藤に気づくなど、およそ如何なる手練れにも不可能な所業だったが、彼は見事にやってのける。

「この肌を着て以来、我が迅雷甲冑『彩雲』を装備せずとも感覚が鋭くなった。何用か。楠公が甲冑と脳髄の回収はどうなったのか」

「不首尾に終わりました。信貴姫は上野国まで退いたものと思われます」

 主の手前、迅雷甲冑の頭部装甲は外してある。

 弱冠十七歳。若き忍の頭は整った顔を主の前に晒す。

 取り込みの邪魔をしたことも、一切悪びれる風も無い。この飛び加藤の慇懃無礼に関しては黙認されていた。

「結局は戦で奪う他無いか。彩雲が迅雷奥義さえあらば楽な戦じゃ。瞬く間に三国呑み込んでくれる」

 部下の失態を攻めるでもなく、微笑む。

 自らの命を執拗に付け狙う信貴姫の存在と、その力については聞き及んでいた。

 ものの敵ではない。崩国丸の高性能は二百年経った今でも余の甲冑に及ぶものではないが、生き素材の大本故か信貴姫には迅雷奥義が使えない様子だった。

 越後守の迅雷甲冑、彩雲の迅雷奥義はまさしく戦向きの能力である。

 さらに信貴姫の脳髄を取り込めば、葦原洲全土に於いても並ぶべく者の無い武者となるだろう。



 上野国名胡桃城。

 城主伊勢掃部助は猿ヶ京の関が破られたとの報を聞いた。

 上杉方の圧勝だったという。

 己の臣を見渡す。迅雷甲冑を着込んだ武者が数十余。

 さらに武蔵、上野より集めた伊勢の武将に足軽まで含めて万の軍勢。

 この名胡桃城で敵を押し止め、沼田の本隊で包囲し殲滅する。

 そもそも、城というものは容易に落とせるものではない。

 空を睨む対空炸裂砲。地には一数える間に百を超える弾を放つ連発式電磁砲。

 石垣は迅雷甲冑の硬質装甲と同様の素材で補強してある。

 峻険な山城は自走車を阻み、徒歩で寄せるは無謀。

 国を跨ぐ放雷境は否応なく将に戦力の逐次投入を科し、一度国を盗られれば奪還は困難である。

「年次の挨拶のごときものじゃ。関東管領殿もよう飽きん」

 伊勢氏の傍流に当たる掃部助は、余裕の表情で臣に漏らす。

「しかし、機鷹による偵察が不可能というのはどういう了見か」

「電波が不可思議な妨害を受けているのです」

 鉄粉を撒き散らし、あるいはより強力な電磁波を発し、通信を妨害するという戦術は存在する。だが今の状況はそのいずれとも異なる様子だった。

「この霧、上杉方の新兵器だろうか」

 正体不明の霧がうっすらと周囲を覆った途端、通信も何も出来なくなった。

「だとしても、目視砲撃が出来ぬような状況でもございますまい」

「さもあろう。山に霧がかかるのはよくある事。訓練は入念に積んでおる」

 掃部助は城より三国街道を見やった。砲撃不可能なほどの濃さではない。

「進言します。上杉方の寄せ手、間もなく砲の射程内」

 報が入った。城より出る必要はない。城塞砲による遠射で十分打撃を加えられる。

「良し、砲撃――」

 準備と言おうとしたところで、掃部助の言葉は止まった。

 城内に、謎の霧が立ち込めていた。

 どこの隙間から入ったものか。白い霧は生き物のように城内をたゆとう。

「この霧は――」

 言うやいなや、掃部助は己の臣下に斬られた。

 袈裟懸けに斬られた身体から一瞬心臓が覗き、やがて鮮血が覆い隠す。

「ば、何をする!? 寝返ったか!」

「こ、この身体が勝手に動き――掃部助様!」

 叫ぶが、手遅れだ。伊勢掃部助は既に絶命している。

 周囲も似たような状況だった。武者も雑兵も、己の味方に武器を向け、同士討ちを始めている。

「何だこれは! 何だこれは!」

 彼らに知る由も無かったが、これこそが上杉越後守の迅雷甲冑、彩雲の迅雷奥義――小型機械の霧を数里に渡り展開し、人雷機械を狂わし、人体に大量に入ればその身を如意に操る。

 超電体質、信貴姫の肉体を用いればこれほどの兵器が作れる。

 上野と越後の国境を守ってきた難攻不落の名城、名胡桃城はあっけなく、瞬時に落ちた。



 越後より脱出し、沼田城に身を寄せていた信貴姫は名胡桃陥落の報を聞いた。

 この霧は電波通信すら遮断するため、ほうほうの体で逃げ出した兵卒一名が、やっとの思いで伝えた知らせだった。この報無くば、沼田もまた名胡桃の二の舞になっていただろう。運が良いのか、その兵卒の働きが抜群だったのか。

「いずれにせよ褒美は好きに取らせよう。生きて上野を出られればの話だが」

 伊勢氏国、幻庵も同席している。

 三俣宿で崩国丸の機能を落とした謎の霧については報告済みだった。周囲の土や信貴姫、稲田の衣服も幻庵に見分させている。その結果、ただの塵に過ぎないという結論が出た。

「あのときは薄く、時もいささか経ていた。ただの塵な訳がないとは思っていたが、ここまでの常識外れ、迅雷奥義に相違無い」

 さしもの幻庵も冷や汗をかいている。

「迅雷奥義」

 信貴姫は己のそれしか知らなかった。三管七頭が正しく用いれば瞬く間に城を落とす程のものとは――我が肉体ながら信じ難い。

「如何にする氏国」

 幻庵は総大将に問うた。

「処しようも無し。上野は棄てる。武蔵に退くと全軍に伝えよ」

 若き獅子は別の城に籠るでも無く、一国をあっけなく捨て去った。

 怯懦に過ぎると罵る者もいようが、実のところ果断で正確な判断である。

「敵方が武蔵に迫る前に、叔母上には対処を解明して欲しい」

「心得た。迅雷奥義といえど畢竟ただの現象に過ぎん。必ず弱点はある筈じゃ」

「わたくしのそれと同様にか」

 信貴姫が問う。彼女の迅雷奥義を知る者は、今この場にいる三者と指南役稲田六兵衛、それから本人は知らないが、乱破の棟梁風魔小太郎に限られている。

「うむ、足利の性格上、例え無敵の兵器を作れる状況にあろうとも絶対に弱点を設定する」

「まるで将軍を直接知っているかのような口ぶりだな」

 幻庵の言葉を信貴姫は逃さない。細川右京、および足利将軍は彼女にとって最大の仇だった。

「知っておる。隠し立てするつもりはないが、今はそれ以上言うことは無い」

 信貴姫もそれ以上問うことは無かった。

「して如何に退く氏国。飛ぶか?」

 幻庵が提案しているのは、蜻蛉という人雷機械による移動である。希少な機械だが、前面の羽根を電力で回転させることにより空を移動することが可能だった。

「否、総大将が一人、尻尾を巻いて逃げては士気に関わる。あくまで将として転進を指揮する」

「転進とはな。ものは言いようか」

 幻庵は顎をなぜ溜息をついた。

 状況は悪い。はっきりとこれは敗走である。

 上杉に追いつかれ、呑み込まれる隊もあろう。

「武蔵まで退けば機会はある。この信貴が越後守の首を獲れば、容易に押し返せるわ」

 皮も被らず、剥き出しの迅雷甲冑でむっつりとしていた信貴姫が氏国を睨む。

「語るに及ばん」

 静かな殺意のみを、その身に滲ませながら。

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