始殺 伊勢左京太夫氏国

迅雷甲冑


「超電体質――とは何でありましょうか」

 ほの暗い板の間。菜種油の明かりのみが橙色に照らす。

 ここは京。三好治部を殺し、上洛を果たした将軍の御所だ。

 間には三人の男がいる。

 先の問いを発した男、鎌倉公方、伊勢左京大夫氏国いせさきょうだゆううじくに

 白粉を引いた面相を恍惚の朱に染めた男、細川右京大夫忠奏。

 そして現征夷大将軍、足利右近衛大将義岳。

 将軍の臣下たる細川と伊勢は両名とも迅雷甲冑を着込んでいる。その時点で、両者の関係がある程度知れた。

 伊勢氏国は二十歳そこそこ、病死した先代に代わり伊勢氏の当主となって間もない。彼にに問われた足利義岳が答える。

「生まれながらにしてその身体に強力な雷の力を宿す者。六体を刻まれ脳髄のみになろうと、脳髄に残った電流が彼女を生かし続ける。――つまるところ、迅雷甲冑の生き素材として最適な子だよ」

 明かりの加減で、薄い笑みを浮かべているようにしか見えない将軍の顔は、普通の、穏やかな中年男性そのものだ。

 話す内容の凄惨さとはうって変わって。

 この男は昔からそうだった。慈悲のあるような口ぶりで、人々の為と嘯く。

 しかし時に悪鬼の所業すら表情一つ変えずに執り行う。

 関東に根拠を置く伊勢左京はそう何度も顔を合わせたことは無いが、彼が先代に連れられて拝んだ折から『全く変わっていない』

 俗人とも聖人ともとれぬ、まさしく神仏のごとき――超越的な人間であった。

「忠奏」

「はっ!」

 あの細川忠奏がへりくだり、大げさに頭を垂れる。

「君には望み通り、眼を与える。ああ、君の言った通り綺麗な瞳だ。大事になさい。彼女も浮かばれることだろう」

「ありがたき幸せに存じます!」

 細川の前に、保存甕が置かれた。

「その中に入っているのは、君の迅雷甲冑専用に拵えた拡張部品だ。取り付けることにより、単なる外骨格としての機能を超えた超自然力、『迅雷奥義』が使えるようになる。君の選んだ部位は眼だから、眼にまつわる能力となるだろう」

 左京は細川がその甕を両手で拝領し、後生大事に抱え込むのを見た。聞くところによれば、『生前』の彼女に凄惨な最期をもたらし、かかる無惨な部品に貶めたのは彼自身だというのに。

 左京にとっても、将軍からの三管七頭の招集とこの拡張部品の下賜は寝耳に水であった。

「つまるところ、御所様は拙者どもにこの拡張部品を賜りたいがために松永の城を焼き、信貴姫とやらを殺したと」

「伊勢よ、御所様の行いに何か不満などあるような口ぶりでありんすな」

「……」

 細川の横槍は無視する。

「そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。信貴姫は死んでなどいないよ。余は生き素材と言っただろう? 彼女はまだ生きている。だからこそ、君たち三管七頭は彼女を大事にしてやってくれないか。それが彼女にとっての救いだと余は思うから」

 信貴姫の耳がここにあらば、なんという侮辱と真逆のことを反論しただろうが、それは黙することにした。

「さて氏国、君に与えるのは―――」



 穏やかな目覚めだった。

 日の当たる部屋。壁に掛った槍から、武家屋敷と推測された。

 良く晴れた青空に、松の木を一本望む窓。偶然そうなったものではない。この部屋から見ると、一本松の詫びた景を拝めるようにとの工夫だろう。

 鵯が松の枝を渡り、忙しげに飛び去った。

 やはりさっきまでの光景は悪夢だったのだろうと、信貴姫は考えた。

 しかし、その夢想を打ち砕いたのは潮騒である。

 遠く、波の音が聞こえる。大和国に海は無い。

「……ここは」

 呟きに、答えた者がいる。

「相模国は小田原じゃ。ようやくお目覚めだのう」

 信貴姫の寝床に沿っていたのは、年若の女だった。しきりに顎をなぜ、紅い唇を三日月に歪めている。

 着崩した僧形からは豊満な胸元が半分露になっており、泣き黒子の色気ある顔は、僧服でなければ娼妓の類と勘繰っただろう。

「儂は伊勢幻庵と申す。見ての通り、出家の身じゃ」

 幻庵は乳房と襟の間に手を突っ込み軽くゆすってみる。やはりどちらかと言えば娼妓に見えた。

「わたくしの父は……兄は……母は……」

「死んだ。お主自身がその目で見たのではないのか? それともお主にとって家族とは忘れるほどの存在だったか?」

 忘れるはずがない。この目の前で、あの悪鬼細川右京大夫に殺された家族の姿。

「やはり……やはりあの光景は……」

「夢なものがあるかよ。鏡を見てみい」

 幻庵から鏡を受け取り、己の姿を映した。

「ひっ!」

 思わず声が漏れた。同じ口の動きを、鏡の中の怪人がする。

 怪人はよく見ると顔を覆う剣の兜飾りの迅雷甲冑を纏った武者だ。

 そしてその武者こそが、今の信貴姫だった。

「勝手とは思ったが、頭蓋と脊髄しか残っていなかったものでな、その中に組み込ませてもらったぞ」

「その中って……これは……!」

 迅雷甲冑はあくまで戦闘用強化外骨格。脳髄と化した処女おとめのための生命維持装置ではない。

「不服が? その身体で仇を討てるようにとの、我らがご当主からの配慮が不服かのう?」

「仇……」

 ああ、仇だ。そうだ討たねばならない。あれだけの所業をされて黙していることなど、誰にもできない。

「不服もなにもあるか。あの凶賊右京大夫めが生きていることこそ最大の不服だ。お前の当主とやらの望み通り、嬲り殺しにしてやる」

 立ち上がった。病み上がりとは思えぬ軽やかさだ。

 人雷道具も満足に扱えなかった信貴姫が初めて纏った迅雷甲冑だったが、不思議と身に馴染む。

「よくぞ言った。では氏国の下に案内しよう――あ、じゃがその前に」

 言った後、戸が勢いよく開かれた。

「姫様! ああ、お目覚めになられましたか!」

 がっちりとした体躯に瓜のような顔の乗る男は、松永家家臣、稲田六兵衛だった。

「稲田何某よ、処女の寝屋に断りもなく押し入るとはお里が知れるぞ」

 幻庵が嗜める。

「そうでしたな。これは失礼、ははは」

「ははは、こ奴め」

 稲田と幻庵は笑い合う。

「なあ、稲田。お前何故生きてるんだ?」

 静かに、信貴姫が問うた。

 迅雷甲冑由来の合成音めいた声を押し殺し、続ける。

「落城の折、お前は戦ったのだよな? 京では名の知れた剣豪だったのだろう? 何人殺した? 敵を鏖にしたが故生き延びたのだよな?」

「そ、それは……」

 言いよどむ稲田の代わりに、幻庵が答えた。

「そ奴は落城の折、いち早く逃げ出し生き延びたのじゃ。行く当てもなく京を彷徨っていたところ、氏国に拾われここまで付いて来よった」

「幻庵様! ご無体な!」

 稲田が顔を紅潮させ狼狽えた。

「ご無体? 何が無体だ。松永がお主に俸禄を与えていたのは、恩知らずの糞をこさえるためだったのか? どうなんだ稲田六兵衛」

 信貴姫は、壁に掛っていた槍を取った。

「……恥を雪ぐ機会を与えてやる。ここでそっ首突いて死ね」

「姫様申し訳もございませぬ。しかし細川めは拙者など遥かに凌ぐ恐るべき剣客。手下も手練れ揃いにて、勝ちの目もなく……」

「分からん奴だな。わたくしは恥を雪げと言ったのだ。耳汚しな釈明をせよとは言っていない。―――どうやらお前に侍らしい最期は不要のようだ。八つ裂きにしたのち犬に食わせて糞に転生させてやる」

 一閃。

 信貴姫とて長刀なぎなたの心得はある。力はなくとも、人体を貫く程度は可能だ。

 まして今は迅雷甲冑の身。膂力は十四の処女のそれとは比較にならない。

 渾身の一突きを、しかし稲田は見事な横跳びで避けた。

 払い、落とし、当の獲物より習った技術を惜しみなく用いるものの、生身無手の男にかすりもしない。

 風聞通り、大した剣豪だった。

「お許しを! お許しを! 一生をかけて償います故、命ばかりはご容赦を! 拙者は死にとうございません!」

「まだそのような戯言を! 絶対に殺してやるぞ、この不忠者が!」

 東山文化の流れを汲む詫びた一室も、信貴姫の槍によって見る影も無くなっている。

 やがて騒動は庭にまで及び、伊勢家お抱えの庭師が手塩にかけて育てた一本松を無惨な切り株にした。

 その直後、信貴姫の動きが鈍る。

「言い忘れたがのう、お信貴よ!」

 幻庵だ。

「その身体は、動力箱の電流で動いておる。電流が切れれば木偶の坊よ。まあ、この場は儂が預かる故、その男はひとまず捨て置け」

「ぐっ……」

 膝を付いた。悔しいが、幻庵の言うとおりだった。そもそもこれ以上の戦闘は不可能か。戦闘とも言えぬ一方的な手打ちだったが。

「まずお主が殺すべき相手は、お主の身体を奪った三管六頭――そして将軍じゃ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る