第2回 黒八大明神
昔、紀州の山には沢山の恐ろしい獣がおりました。
ある山里に黒八というお爺さんが街道沿いの村はずれに住んでおりました。この黒八爺さんは、昼は山に芝刈りに行き、夜は家で草鞋(わらじ)を編んで、家の軒先に吊るし、街道を通る人々に無償で提供しておりました。
ある時、草鞋の代金として米が置かれていたので、黒八爺さんはそれでおむすびを作って、次の日にいつも入る山とは違う山へ出かけることにしました。
そして山に入り、芝を刈ってお昼になったのでお弁当を食べようとすると、茂みの中から恐ろしい狼が現れました。さすがの黒八爺さんも慌てましたが、自分を食べるのなら「わしの命」をやろうと、おむすびを狼に与えました。黒八爺さんは「明日もやるでな」と言ってわかれ、狼は嬉しそうに山へ帰って行きました。
そして次の日、狼は自分の妻を連れてきていました。こうして、2匹の狼におむすびをあげているうちに、2匹の狼と黒八爺さんはとても仲良くなりました。
そんなある時、狼たちは黒八爺さんと一緒に里へ降りてきてしまいました。村人達はびっくり仰天して黒八爺さんに抗議をしましたが、黒八爺さんは「この狼たちはおとなしいから大丈夫じゃ」と言って、それから狼たちと一緒に暮らし始めました。
その年の秋、村は稀に見る大豊作になりました。黒八爺さんの狼たちのおかげで、山の獣が警戒して里に下りて田畑を荒らさなくなったためだったので、村人達はとても感謝して毎日米を三升届けるようになりました。
そうして、黒八爺さんが長生きをして亡くなったのち、村人達は感謝の念をこめて「黒八大明神」として祀ることにしました。このお祭りでもらったお札を持っていると、どんな山奥に入っても獣に襲われないということです。
まとめると−−−老いて練れた知恵者が、機転で窮地をしのぎ、さらに村にも福をもたらす話。
この話の特徴は
①いつ頃創られたのか、誰の手によるものかが明らかである事。
②話に登場する黒八大明神が存在しない事。
読んですぐに地図を検索しましたが出てこず。
検索エンジンを使用しても何も引っ掛かりませんでした。『以前は〜に祀られていた』の過去形ですらも。
この話の裏には何があるのか?
まずは①の『いつ』。
この話は最初『昔話』では無く『童話』として世にでました。
時は大正8年、西暦1919年。
文明開化を経て近代化が進み、欧米の習慣に人々が慣れた頃(某人気鬼退治アニメの時代)。
そして『誰が』。
書き手が生まれたのは明治の初め。
和歌山県の山の中。龍神温泉の近くの村。
小学校の教諭(しかも校長)から牧師へと転身した一風変わった経歴の持ち主。
②『黒八大明神は存在しない』
すでに言った通り、黒八大明神は存在していた痕跡がありません。
検索してもそれらしい記述は出てきません。
最初は本当に書き手の創作なのかと考えたのですが…。
しばらく粘って検索を続けると、明治に行われた『神社合祀』と言う政府の施策に行き当たりました。これは読んで字の如く『散らばる神社や小祠(ショウシ・小さいほこら)を適当な一ヶ所(の神社)に集めて祀る』事が主旨。
明治政府は江戸幕府の名残を消し去るべく様々な手を打ちました。教科書(テスト)にも出でくる版籍奉還や廃藩置県の様な政治目的の改革とは別に宗教面での改革を目的に出された法令。
明治政府は天皇を中心とした国家の建設を進めていて、『神社合祀』は江戸時代までの多種多様な祭神と祭事を消し去り、天皇をこそ神として君主として崇めるよう国民の精神面を地方独自の神より『天皇(国)』へ集める為でした。
日本の『神』の多くは土地神です。
『特定の場所に宿るモノ』別の表現を用いれば『主』。
そこに住む人々との絆が神を神足らしめていたと言うのに。無理やり移されて、知る者のいない土地に置かれ…。
当然、信仰していた住人にしても、身近にあり、朝に夕に思い立った時に参拝できる場所に居た神が、別の村に行ってしまった。
普通に参拝する事はもちろん、祭事にしても以前の様にはいきません。受け入れた側の神社や村にとっても、見知らぬ神をいきなり信仰しろというのは無理な注文。
反対する運動が当然ありました。が、断行された結果多くの神がいなくなってしまった。インターネットはもとより図書館でも歴史の本をめくり『神社合祀』について読んだ後、地図を丹念に確認したところ、現存する神社の2、3社にオオカミ神を意味する名前が残っているのを発見(口コミを投稿してくれた方々に感謝)。
つまり『黒八大明神』の名前の神社はそもそも無かった。オオカミを神として祀る風習は存在していたが、時代の移り変わりの中で消えてしまったのだ––––。
しかし。
これが今回の結論ですと締めるには書き手の経歴に引っ掛かりを感じてしまう。
この方、両親に恵まれず母方の祖父に養育されているんですね。まぁそれだけなら現代でも(現代だから?)珍しくも無い話で、特筆すべき事ではありませんが……キリスト教徒になったのは、イエスと自分の境遇が似ていた
から––イエスも自分も父なし子である––だったと。そうして選んだ新しい道は、書き手にとって試練に満ちたものでした。
前述のとおり教師から牧師へと職業チェンジ。明治学院神学部(牧師になる為の学校)にも通い、卒業後の赴任先にはサークル活動の折できた友人の居る和歌山県の新宮。
その筋では有名な熊野三山の一つ、熊野速玉大社の町…なのですが。
新宮での暮らしになじんだ頃、書き手は犯罪に加担した容疑者として警察に取り調べを受けます。
歴史の上で『大逆事件』と呼ばれるこの事件は、主犯とされた人物の名前から取って『幸徳事件』とも呼ばれます。
『大逆』とは『天皇、皇后、皇太子等を狙って危害を加えたり、加えようとした』罪。
容疑が本当であればともかく、この時は冤罪でした。
しかし一部の人間の暴走が政府に利用された結果、多くの人が無実でありながら有罪とされ死刑や無期懲役となり獄中死。
大逆事件(幸徳事件)は『政府にとって都合の悪い人物や団体を排除する為のでっちあげ』
この認識で間違いありません。
そして事件の共犯として親友が死刑に。
親友は主犯と目された人物と親交があり、思想に同調していた為に共犯と見做されてしまいました。
書き手は釈放されたものの、危険思想の持ち主として警察組織の監視対象に。
さらに追い討ちで近所に悪い噂が広まってしまう。
親友以外にも死刑判決を受けたり、終身刑で服役している人間がいる中、助かったが為に周囲の風当たりは厳しかった。平たく言えば『裏切り者』として白眼視されてしまう事になってしまった。
事件前後に創作活動をはじめ、新宮を去る少し前に大阪朝日新聞社の懸賞小説へ応募した作品が入選し本格的に『書き手』として生きる事になります。
黒八大明神にこだわるのは、入選した作品が大逆事件をモチーフにしている事に加え、さらに発刊にあたって大幅に内容を改訂させられている事。
本来の内容は社会問題を中心に据えた事件物だったにもかかわらず『御禁制』に触れる(無実の人間を死刑にした政府の非道を暴露する––もしくは非難する)話である為に出版社の上層部からストップがかかり、政府に眼をつけられてしまう–––ひいては出版社が潰されてしまいかねないと大幅な変更を余儀なくされ社会物から恋愛物に。
そして親友を奪った大逆事件と神社合祀は政府の暴挙による点が共通している。
原作を確認できればと探しましたが見つかりませんでした。
一部の著書は古書店での取り扱いがありましたが、『黒八大明神』の初出である本は現存数が限られていて、国会図書館のデジタル蔵書で内容を確認するにとどまりました。収録されている本に載っている他の話にも、なにやら意味深だなと感じられる部分があり古い言葉づかいに苦労しましたが興味深かった。
探す過程で目にした著作リストからは日本の神話や伝承にも目を向け独自の考察を持っていた様子が窺えます。
そこで、自分でもそれらを確認する事に。
狼に関する話や歴史を探してわかったのは
・ニホンオオカミが最後に確認されたのは
明治38年に奈良県で捕獲された個体が最後で、話が書かれた頃には絶滅していた。
・明治以降西洋犬の導入に伴い狼にも狂犬病やジステンパーなどの病気が蔓延し、狂犬病は人間にも感染する為危険視された。
・家畜に害をなすために駆除対象になった。
・住居である山が開発され、餌となる動物や住処が激減してしまった。
以上が要因として挙げられていました。
江戸時代までは神としてあるいはその使いとして扱われていたというのに。時勢により人々の認識が百八十度変わり神の立場から文字通り転落してしまった‥。
中でも『家畜に害をなすため人間による徹底的な駆除が行われた』は文明開花、社会の変革による人々の精神性の変化をよく表している。
先にも書いた通り、明治以前の狼は『神』として崇められていたのですから。
『大口神』『大口真神』と立派な名を持っています。
大口真神は某海洋冒険譚に登場してます。この名前を当てられたキャラクターは主人公の仲間と言える立場で、キーパーソンでもある。(作者の方は日本独自の文化に対して敬意をもっているのだろうなと勝手に思ってます)
狼の仲間(群れ)を守る性を描いている。
それとは別に狼が有難い存在であったのは、日本が稲作を中心とする社会基盤を持つ国であり、農業が重要な産業だったため。
これは黒八大明神のなかで語られている事ですが、稲も農作物も、野生動物にとっては手に入りやすいご馳走様。荒らしにくる動物達は害獣でしかなく、追い払ってくれるオオカミ達は歓迎する対象だった。
そこから神格化(神としてまつられる)様になった模様。埼玉県の秩父にて現在もまつられている。神そのものと言うよりお使いとしてではあるけれど。
奥州(現在の福島・宮城・岩手・青森の4県と秋田県の一部)に伝わっていた話。
狼を「おいぬ」と敬って呼び、出くわした時は「おいぬさま、油断なく鹿を逐ってくだされよ」と慇懃な挨拶を送る習慣があったと。
一方、肉食の獣らしい酷いものもありました。
二月のある日に山村の農夫は所用で出かけ、夕方戻ってきました。途中で狼を見つけますが、しきりに何かを食っている。持っていた鉄砲で撃ち殺し近づいてみると食っていたのは人間の片足。胸騒ぎを感じ我が家へ急ぐが時すでに遅し。妻と息子と老いた母は食い殺されていた。母は片足を無くしていた。
立ち尽くしていた農夫は我に帰ると、娘の名を呼んで探しまわった。すると床下から這い出してきて父に縋りつて泣きじゃくった。
一家は山間に住んでいた。他の家とは離れていたので気づいた村人はいなかったのだ。
娘は「三頭の狼が窓を破って屋内へ踊り込んで来た。その時自分は竈で火を焚いていたので床下へ逃げたが、ばあさまと母さまと弟は襲われた。悲鳴が聞こえたが、怖くて床下で念仏を唱えていた」と話した。
農夫にすれば母の片足をかじっていた一頭は仕留めたものの、残りの二頭を逃した事が口惜しくてならない。しかし最早どうしようもなかった。
弔いが済むと家を捨て娘を連れて巡礼に出た。
昔ばなしの裏を覗いてみる あかな @koubai_1024
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