昔ばなしの裏を覗いてみる

あかな

第1回 七本ひのき

この話は御神木を切り倒した者達がその祟りを受け死ぬ因果応報譚。もっと直接的に怖い話もあるので、いささか印象に残りにくい話ですが。


以下はあらましです。

都から来た建具師(襖(ふすま)、障子、戸を作る人)が地元の木こり達を買収して、御神木の檜(ひのき)を切り倒そうとする。

しかし朝になると切り口が元通りになってしまっていて、作業が全く進まない。

夜通し起きて木を見張っていると、7人のお坊さんが現れ、ヒノキの切り口に木屑を貼り付けて傷を治していく。

これを見て次の日からは木屑を全て燃やしてしまうことにした。

目の悪いかしき(炊事係)の爺さんは、心を痛めました。

そして数日後、木を切り倒した夜。

あの7人のお坊さんがやってきました。

ぐっすり眠っている建具師と木こり達の頭を

手で撫で、かしきの目は手ぬぐいで優しく撫でて帰っていきました。


翌朝。

建具師と木こり達は死んでいましたが、

かしきの目は治っていました。


こんな話です。


この場合『お坊さん』は木の精ですね。

もののけ姫に登場した『コダマ』の仲間達。

登場しているだけで話を左右する様な事はありませんでしたが……首を無くしたシシ神が暴走している時、無数のコダマ達が落ちていく姿は印象的なシーンです


話の舞台は奈良県。

地図で確認すると文字通り山・山・山。

職人が材料を探し求めて来るのも当然か。

しかし御神木を切り倒してまで……と最初は考えていましたが。実際は滅多にお目にかかれるモノではなかった様です。


ひのきは建材として最高の素材であり、

その為に奈良時代には不足が慢性化。

特に大きな木は現在『歴史的建造物』とされているものに使われてしまい、どうしても必要な時には遠く山口県の方から持ってきたとか。

こうした背景があれば都から来た職人が目の色を変えて『是非この木を!』となるのは当然。高い金を出しても惜しくないでしょう。

木こり達にしても、大金が手に入るなら(あるいは普通だと一生かかっても稼げない金額だったかも?)『よし』としたでしょう。


ここで問題になるのは『木こりではない他の村人』です。


話のなかでは『他の村人』が出てこないのです。御神木を切り倒そうというのに、反対役として出てくるのは

『目の見えないかしき(炊事係)の爺さん』

だけ。

御神木なのに、です。

普通ならもっと強硬に反対する人々がいてもいいはず。何故でしょうか?


ここで話は冒頭に戻ります。

そうです。建具師達に真っ向対立する存在は

しっかり登場している。

『御神木を守る者』であり『祟りをもたらす者』でもある件のお坊さん達です。

これは何を意味しているのでしょうか?


この疑問を念頭に置いてもう一度地図を見てみると、目にとまる施設が一つあります。


高野山です。


話の舞台とされている場所の目と鼻の先に

あるのです。


ご存知の方には言わずもがなですが、

ピンと来ない方の為に。

空海、あるいは弘法大師とよばれ、

宗教史に名を轟かす人物が開いた霊山であり、現在では『宗教都市』ともいわれる場所です。

平安時代(奈良時代のすぐ後です)を代表する僧侶の一人でもあるので、歴史の授業でも出てきます。

(詳しい経歴を書こうとすれば間違いなく本が数冊出来てしまう人物なので割愛します)


では何故、高野山(空海)の存在が問題なのか?


鍵は『御神木』です。


『御神木』とはつまり『神様』です。

とすれば御神木を切り倒すことは

『神の殺害』

別の言い方をすれば

『信仰の破壊』

そう考えると話の中に隠されているとおぼしき事柄が見えてきます。



今でこそ日本三大霊山といわれ多くの信者が訪れる真言宗の聖地ですが。

最初からそうだったハズはありません。

土地に代々暮らして居る人々が簡単に受け入れてくれるでしょうか?

いきなりやって来て『この場所に新しい宗教の本拠地造ります』と言われて『はい』と応じるでしょうか。



この話に隠されているのは

新興宗教vs旧宗教の宗教闘争。



話の発端である建具師は都から来たとなっています。

同じように空海も都から来ているのです。

帝(現在では天皇)の発行した開発許可書にあたる免状を持って。

しかし話の舞台周辺は既に別の宗教の聖地だったのです。

役小角えんのおづぬまたは役行者えんのぎょうじゃと呼ばれる人がいました。

この人は飛鳥時代(奈良時代の前)の人で、修験道の開祖です。伝説的な要素が強く『何をしたのか(功績)』や『人となり(性格)』が謎な人。

(これは山に籠っていた事や、関わるのが民衆中心であったからと(勝手に)想像しています。当時の人々は読み書きが出来ず、記録を残せなかったのが一因だと)

『修験道』は日本に元々あった山岳信仰+仏教で構成されていて、修験道に関わる人々を『修験者』『山伏』と言います。

山岳信仰は国産、仏教は外国産。

仏教の輸入(導入)は教科書にも乗っていますね。役小角(ここからはこの名前で通します)は二つを組み合わせた最初の人。


奈良県はこの役小角の生誕地であり、修験道の本場でもあるのです。


そんな場所にずかずかと新興宗教(真言宗)が

入ってきたら…………。

宗教は時として大きな戦争のきっかけともなります。直近で有名な事例を上げるなら、

アメリカ同時多発テロ。

あるいは地下鉄サリン事件でしょうか。

どちらも問題の根底には宗教があります。

異教の者を許さない、認めないとする意が。


修験者は山中で修行するが故に、鍛えられた兵士としての一面も持っていました。

一方の新興宗教(真言宗)側も身体を鍛え、知識を磨く事で悟りを得るという姿勢でした。

こちらも兵士としての素質十分。


両者の軋轢が『闘争』になっても不思議はない下地があるのです。


話の中で新興宗教(真言宗)が建具師と置き換えられているのは、作る物が襖(ふすま)、障子、戸、等の開閉の道具だからではと推測しています。

建具師という開閉の道具を作る者を殺す

→新興宗教(真言宗)を認めない、受け入れないの暗喩。

与した木こり達は裏切り者……でしょうか。『金に釣られて』手を貸してますからね。

背信者だとしたら話の様に『眠ったまま穏やかに~』ではなさそう。

七人のお坊さん達は武力行使によって新興宗教と戦った人達でしょうか。

しかし『寝ている所へ来てそっと撫でていく』くだりには、忍者みたいな雰囲気も在りますね。闇に紛れて密やかに的な……

そして『かしきの爺さん』。

この人は対立する者(七人のお坊さん)とは別の形で信仰に関わる人。

『目に光が戻る』=『信仰を取り戻す』

ということでしょうか。

敵を皆殺しにしても教えを守るの意か。

当時の中心人物が新興宗教側に囚われてしまっていて助け出したとか?

一番格下の扱いを受けている点から、弾圧の象徴とも。


結論。

武力抗争の結果、旧勢力となる修験道が勝利を納めた。『因果応報譚』ではなく、偉業を後世に伝える為の『英雄譚』もしくは『武勇伝』。

それがこの話の裏である。




と、最初は考えていたのですが……。

しかし改めて考えるとまた別の疑問が出てきます。



何故、両者の闘争劇が歴史の一部ではなく昔ばなし(一種のフィクション)として残ったのか?

そうしなければならなかった理由は何か?



高野山の名前を出した時『話の舞台とされている場所の目と鼻の先にある』と言いましたが、その隣と表現できる場所に『天河神社』が在ります。

正しくは『大峯本宮 天河大辨財天社』ですが、長いのでここでは天河神社と呼びます。


この天河神社は開祖が役小角とされている神社の一つです。

祭られているのは弁天様で水神であり芸能の神様でもあります。


実はこの天河神社は空海と縁があったんです修験道で検索の折にヒット。来歴の中に

『ここで修行を行った後に高野山の開発に着手している』事と『その関係で空海に関わる宝物がある』事が記されていました。


空海は役小角に敬意を抱いていたようです。山での修行に重きを置いた者同士で通じる

何かがあった様子。

この点を踏まえると結論が変わってきます。



そこで。

少し視野を変えて、当時の事情や情勢に目を向けると謎を解く鍵になりそうな人物達がいます。



一人は最澄。

空海と同時期に天台宗を起こし、比叡山を本山としました。

一時期は空海の弟子にもなりましたが結局

喧嘩別れした~と伝わる人物です。


もう一人は当時の帝です。

空海に開発許可書を与えている点では味方ですが、政治の中心でもある。

『政争』の真っ只中にいる人物です。


この二人は何の関係も無いと言えるか?



先にも挙げましたが。

空海が役小角に敬意を持っていたのなら、あえて争乱を起こすような事をするか?

役小角の故事に習うなら、自分の故郷である

四国に本山を築くのが自然では?

四国八十八ヶ所を巡るお遍路さんは現在でも

盛んに行われています。

室戸岬で『空海』を名とした逸話はその筋では超有名。

逆に何で高野山?

検索で調べても、ハッキリした理由や動機は不明。


本山とするならば、それに相応しい仏閣が必要になります。その為にはかなりの木材が――質の良い物が――不可欠ですが。

『最高の素材であるひのきは奈良時代には不足が慢性化』していたハズ。

宗派の足場となる場所を造るのに材料ケチったの?それってどうよ?


木材に関してはこじつけ感(重箱の隅をつつくともいう)がありますが。

四国に本山築く方が流れとしては自然じゃないか?


さらに空海について調べてると、これはと言うのがみつかりました。

ドンピシャで『御神木』が出てくる話が。


空海は都(平安京)にも真言宗の寺を建てています。都の東側にあるので東寺と言うそのままのネーミング。

この東寺の建設途中で当時の天皇が病に倒れ、手当てのかいなく一向に回復しない。どうしたことか調べてみたところ、調達された木材のなかに伏見稲荷大社の御神木が混ざっている!事が発覚。

空海は工事を中止し、お稲荷さまを丁重にお祀りしたうえで『新しく造る寺の一画に貴方様(お稲荷さま)のご座所をつくり、これからも手厚く敬います』と約束しました。

そうしたら天皇の病は回復。

寺も無事に完成。

もちろん約束通り、お寺の一画にはお稲荷さまが鎮座しています。

今でもお稲荷さまの為の祭りが行われていると。この『東寺』は後に『教王護国寺』とも呼ばれるようになります。

後の方がカッコイイ……強そうですよね。


空海は役小角の様な先駆者のみならず、神道や既存の宗教(平城京(平安京前の都)で発達した宗教)にも一定の敬意を持っていたよう。高野山にもそれはあり、古くからの神が祀られています。

 狩場明神と丹生都比売といわれる二柱で、元々の土地神であり、空海を現在の高野山中心部へ導き、新たな信仰を認め受け入れたのだと。

 『空海を導いた』部分は教祖である空海の為に後世造られた話かも知れませんが、

敷地のなかに地主神を祀っている点は共通しているので、空海が『できる限り先人(神)に譲歩する。闘争を引き起こさず、融和の努力をする』事を心がけていたのは間違いない。


 逆に最澄は既存の宗教(特に仏教)を徹底して批判する立場だったよう。

しばしば論争を繰り広げ、死ぬまでそれは続いていたと。


 両者のズレは原因でないとしても一因ではありそう。


 空海が名もない一僧侶として出来たばかりの平安京に入った頃には、既に比叡山の主として名が通っていた。

『仏教界のサラブレッド』とは資料にあった形容詞ですが、そんな人だけに融通がきかなかったとも。

 対して空海は天性の『世渡り上手』。

関係本を読んで、経歴を知れば知るほどに、空海という人物が持っていたのは仏教界---とも限らないが、特定の層だけに---ウケる才能ではなく、幅広く深く人々に受け入れられる人柄、あるいはそれを可能にするバランス感覚みたいなものを備えていたのだろうと。


 そして両者の違いと確執はそのまま受け継がれていった模様。


 最澄の天台宗は都の守りとして造られた比叡山延暦寺が総本山。ここは平安後期、武装した一大勢力として歴史に登場。院政を始めた白河上皇(後の法皇)を悩ませ、

『思い通りにならないものは

 氾濫する鴨川 

 サイコロの目

 山法師』

と言わせた。

最後の『山法師』は延暦寺の僧兵(読んで字のまま武装した僧侶)。真言宗の事として『身体を鍛え、知識を磨く事で悟りを得るという姿勢で、兵士としての素質十分』と言いましたが、天台宗にも『山に籠る』修行スタイルがあったのでこういう事になったのでしょう。


 白河上皇は貴族に仕切られていた政治の実権を天皇家に取り戻しました。

その過程で権力を増大させ『帝』は名前だけの存在になっていった。実際の最高権力者は常に白河上皇だった。

比叡山の僧侶はその最高権力者が『持て余し扱いかねる』存在になっていた。

権力に遠慮しない姿勢は最澄そのまま。


 逆に真言宗は歴史の表舞台に登場してこない。細かい所を言えば大師号を贈られた時くらい?『弘法大師』のような『大師』の号は帝だけが授けられるので。


ここまでが『両者の違い』

ここからは『確執はそのまま受け継がれていった模様』


 天台宗と真言宗はほぼ同時期に確立し世に広まり。しかし上記のように天台宗は政治に

積極的に関わり、真言宗は政治から離れました。が、それは意図した事ではなかった。


 真言宗は空海のカリスマがあればこそ、東寺(都側)と高野山(山側)が団結していられた。偉大な教祖の死後は内輪揉めが起こり、東寺(後の教王護国寺)派と高野山派が内輪揉めを起こし勢力が減退。高野山では落雷で五重塔が焼け落ちる事が度々。さらに気候の厳しさ。

南紀であっても標高の高さゆえに冬は雪が積もる。積雪が道を閉ざし、山の下への行き来もままならない状態になる厳しい場所。内輪同士の確執もあり、高野山は一時期荒れ放題となった。

 宗教都市であり世界文化遺産の認定を受けた高野山の歴史。今の壮麗な様子からは荒れ果てていた等信じられませんが。


 『内輪揉め』により真言宗は政治への影響力をほとんど失いました。

一方の勢力が弱まればもう一方の勢力は強まるのが常。天台宗は総本山である延暦寺が

平安京の守りとして築かれていましたから、

国政への影響力は強かった。そこへ持ってきてライバルがいなくなるという幸運。

 平安後期の事として、山法師と呼ばれる比叡山の僧兵が白河上皇を悩ませたエピソードを紹介しましたが、天皇や朝廷とソリが合わないばかりでは無かったのも確か。

 

 この時代の密教は国のもの、貴族のもの。『平安時代』において『呪い』は『善』であれ『悪』であれ現代よりも真面目に行われていた。

『真面目に』とは『なんのこっちゃ?』と首を傾げる人もいる事と思います。ピンとこないと言った方が適切か。

現代の行動に照らし合わせると

重い病気にかかっている人がいるとします。

例えると

病人の為に『回復』の呪いを行う事

→現代の行動

『相手に『薬』を無料でプレゼントする』

逆に『悪化』の呪いを行う事

→現代の行動

『『毒薬』を飲ませる(飲ませようとした)』

呪いは専門用語で『加持祈祷』。

祭壇を設えて火を焚き行う様子を(この記事を読んでくださる方々であれば)写真や動画などで見た事があるかと。

アレは現代において上記した様なより実際的な行動に置き換えられる行為、行動となるので、行った人、特に『悪』の方はバレた際に刑罰の対象。

(『かじきとう』で入力したらちゃんと漢字が出てきました。ちょっとびっくり。最近の変換は歴史好きに優しい)

 歴史上それで流刑を食らって左遷の憂き目を見た人も。

あの藤原氏の1人『藤原伊周』。

父親は高位の大臣で、将来は安泰だったハズなのに、父親が病気で倒れた後落ちぶれ、その父に代わりに大臣となった叔父に悪い呪いを行い、さらに臣下が行ってはいけない呪いに手を出したとして太宰府(九州)へ。

(蛇足 本筋から外れますが叔父というのは

藤原道長。歴史の教科書上の話に絶対出演している人で、歴史の上ではどの辺りの話かがわかるかと)

『臣下が行ってはいけない』のは国の為のものだから。『臣下』ではなく『天皇(こくおう)』が行うべき呪いである為。くだんの呪いを行う事は自分が『天皇』になると宣言する

の意味があり『国家反逆罪』が適用されます。

とうぜん重罪。

 実はこの『天皇しか行えない呪い』が密教の儀式だったり。

当時は天皇と呼ばず『帝』が普通でしたが。しかし呼称がなんであれ『王』が執り行う儀式が密教だった点からしても、比叡山の影響力は相当だったと推測。


 ではそれがどう高野山に------七本ひのきの

ストーリーに------関わってくるのか?


 Google地図を使っていて便利だなぁ感心したのは、入力したワードに引っかかるのが

建物名だけではない事。

掲示されていた情報にワードがあればそれが表示される。

この機能のおかげで高野山から離れた場所にある空海ゆかりの史跡が見つけられたので。

見つけたいくつかの場所が紀伊半島先端部、海に近い位置にありました。

史跡と表現しましたが、整備された場所ではなく。地元の氏子さんたちがひっそりと、

あるいは近所の神社やお寺の神主さんが

"ついで"に管理をしている様な所。


 重山神社

ここは空海が『修行場を開こうとしたが、狭かったので諦めた』いわくのある場所。

この神社はそばにお寺があります。

現代では見なくなりましたが、かつて明治の初め頃まで、神仏習合だった日本では

神社とお寺がセットでした。

しかし神仏分離令を発布し『2つを分けよ』とする明治政府により習合をあらわす造りの神社仏閣はどんどん破壊されていきました。

明治以前の信仰の姿が残っている佇まいは

貴重と言えます(だけど寂れている)。

 投稿された写真を拝見すると、山上で海が見える場所。山の頂であれば眺めが良いのは当然ですが、しかし山やま山の土地柄です。低い山では視界が確保できません。海が見えるのは『高い山』だからこそ。

(これは実際に登れば確かめられる事柄ですがその時間は(そして体力も)ありません。推測に推測を重ねての話です。そこはご容赦を)

 神社があるのは重畳山(かさねやま)。

裾野を流れる古座川は清流として評判で、カヌー下り、川遊びを楽しめる。

川に沿って奇岩や巨石が点在。

2018に新種と判断されたクマノザクラの群生地も。

所在地串本町全体の見所として真っ先にあがるのは『潮岬』。

『本州最南端』の碑と灯台、観光タワーが。


 妙法山 阿弥陀寺

こちらは名前に聞き覚えのある方もいそう。

有名な『那智の滝』がすぐそばに。赴かれた人もいるでしょう(羨ましい)。

しかし今回の目的地は、ふもとから山へと続く道を登り、那智の滝を通り過ぎた先にある(観光用の)地図では位置のみが記されているお寺です。

 『妙法山』とはお寺のある山の名前。

『阿弥陀』は正式な表記だとより難しい漢字に(お寺のホームページ)。

地図では位置のみが〜と言いましたが歴史と由緒は古い。空海が訪れるより以前に開かれていたとする説と、空海が開山したとされる説があるようです。どちらの説でも千年は経ているので古い(この場ではどちらでもいい)。

 先の重山神社同様『山上』『海が見える』

そして『空海ゆかりの場所』。

あちらが『修行場にしようと〜』だったのに対してこちらは『女人高野』。

古くは『女性禁制』であった高野山(禁制が解かれたのは明治時代)。女性救済の為に存在した女性の為の修行場。ここはその一つ。


 では何故この二ヶ所をあげるのか。


重山神社は別名に『飛瀧神社』とありました。この名前、那智の滝を祀る神社、というより那智の滝の正式名称(?)ガイドブックには『那智の滝』の横に(飛瀧神社)で載っています。重山神社の付近にも滝がいくつかあるので『瀧』の字を当てるのはおかしくない。

しかし同名を付けるのは何故なのか。

目と鼻の先の距離で同じ名前ではややこしくないか。

 




 







 そして空海が高野山に修行場を開いた理由は伝わっていない。


 

『『七本ひのき』がある種の宗教闘争を伝えている話ではないか、真言宗と修験道が対象の話ではないか』------前半はともかく後半は違う。













































(といっても政治に絡んでこないだけで内輪揉めが起こったり分派したりと独自の歴史を紡いではいますが)。



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